第5話 信用は、数字になる
掲示板の前に人が集まるようになったのは、五日目からだった。
最初は一人。
次は二人。
やがて三人、四人。
誰も声を出さない。議論もしない。ただ、数字を見て帰る。それだけだ。
「……見物客ですね」
エマが執務室の窓から様子を見て言った。
「違う」
レオンは首を振った。
「確認だ」
人は、信じる前に確認する。
それができる場所は、久しくなかった。
「未納率です」
エマが新しい紙を差し出す。
未納率:37% → 35%
「二%……」
「二十人です」
エマは正確だった。
二十人が、「払ってもいい」と判断した。
劇的ではない。
だが、この領地では異常だ。
「理由は?」
「聞きました」
エマは少しだけ間を置いた。
「“今月は、使い道が分かったから”だそうです」
レオンは小さく息を吐いた。
理解されたわけではない。
納得されたわけでもない。
——計算できただけだ。
その日の午後、ミラがまた館を訪れた。
「……これ」
彼女は小さな布袋を差し出した。
「何だ?」
「税です」
レオンは受け取らなかった。
「役人に渡せ」
「……いいえ」
ミラは一歩踏み出した。
「あなたに、渡したかった」
エマとガルドが、黙って見ている。
「理由を聞いても?」
レオンは静かに言った。
「……去年も、税は払えました」
ミラは俯いたまま続ける。
「でも、払っても何も変わらなかった。だから……意味がないと思ってました」
意味。
内政において、最も重い言葉だ。
「でも」
ミラは顔を上げた。
「今月は……使われてました」
掲示板を見たのだろう。
「畑の修繕。道の補修。中央に持っていかれた分も……全部、書いてあった」
「……不満は?」
レオンが聞く。
「あります」
即答だった。
「中央に取られすぎです」
ガルドが苦笑する。
「でも」
ミラは続けた。
「どれくらい取られてるか、分かりました。だから……」
布袋を、もう一度差し出す。
「今は、払います」
それは忠誠でも感謝でもない。
合理的な選択だった。
レオンは布袋を受け取り、エマに渡した。
「正式な手続きを」
ミラは一礼し、帰っていった。
背中は、少しだけ軽そうだった。
夜。
レオンは一人、帳簿を開いていた。
そこに、新しい行を加える。
納税者数:+二十七
未納率:35%
数字が、はっきりと並ぶ。
「……信用は、数字になる」
レオンは独り言のように言った。
そこへ、ガルドが静かに言葉を落とす。
「久しぶりに見たよ」
「何を?」
「若い奴が、“ここで生きる”って顔をしてるのを」
レオンは顔を上げた。
「……ミラか」
「ああ」
しばらく沈黙。
「次は、どうする」
ガルドが聞く。
レオンは帳簿を閉じた。
「まだ、何もしない」
「またか」
「違う」
レオンは立ち上がり、棚から一枚の紙を取り出した。
「次は、“約束を固定する”」
エマが目を細める。
「固定……制度化、ですか」
「ああ」
信用は、感情では続かない。
仕組みに落とさなければ、また壊れる。
「第2段階に入る」
レオンは紙に新しい見出しを書く。
――信用回復計画(第2段階)
――約束の文章化
――撤回できない形にする
「今度は、俺が縛られる番だ」
エマは、ゆっくりと息を吐いた。
「……それは、本当に逃げ道がなくなります」
「だからいい」
レオンは、窓の外を見る。
掲示板の前には、もう人はいなかった。
確認は、終わったのだ。
この領地は、まだ貧しい。
まだ人は少ない。
だが——
未来を計算する準備だけは、整った。
それが、第1章の終わりだった。




