第4話 まず、疑われるところから始めよう
改革を止めた翌日、領主館は一段と静かになった。
掲示板に貼られた新しい告知は、拍子抜けするほど短い。
――新規施策は当面行わない
――既存の契約・支払いは必ず履行する
――税の使途を公開する
それだけだった。
住民の反応は薄い。
怒りも、歓声もない。
「……これは、悪手では?」
エマが率直に言った。
執務室で帳簿を整理しながら、彼女はレオンを見た。
「“何もしない”という宣言は、無能と取られます」
「取られていい」
「支持率は下がります」
「元々、ない」
レオンは淡々と答えた。
支持を集めるために政治をするなら、もっと派手なことをする。減税、補助、祭り。だが、それらはすべて「次に裏切る準備」になる。
ここでは逆だ。
「期待されないこと」を、まず受け入れる。
「では……使途公開は、どこまで?」
エマが聞く。
「全部だ」
「中央への納付も?」
「ああ」
「……怒られますよ」
「もう怒られている」
レオンは苦笑すらしなかった。
数日後。
領主館の前に、木製の簡素な掲示板が設置された。
そこには、今月の税収と支出が、細かく書かれている。
修繕費、役人の給金、中央納付額、備蓄費。
削られた項目も、支払われた項目も、すべて。
「……読めねえ」
通りすがりの男が言った。
「だろうな」
ガルドが答える。
数字は多い。
だが、重要なのはそこではない。
隠していないという事実だ。
「意味あるんですかね、これ」
ガルドが呟く。
「ある」
レオンは即答した。
「“疑われる材料”を、全部出している」
疑われることは、悪ではない。
疑われる余地があるから、人は考える。
その日の夕方、ミラが館を訪ねてきた。
「……これ」
掲示板を指差す。
「本当ですか?」
レオンは頷いた。
「今月の数字だ。嘘はない」
「来月は?」
「同じように出す」
「……再来月は?」
「変わらない」
ミラは少し黙った。
「……去年も、最初はそう言ってました」
それが、ここで一番重要な言葉だった。
「そうだな」
レオンは否定しなかった。
「だから、信じなくていい」
ミラが驚いた顔をする。
「信じなくていい?」
「信じる前に、確認すればいい」
レオンは掲示板を見る。
「約束は守る。だが、信用は与えなくていい」
ミラは何も言わなかった。
だが、その日の夜。
掲示板の前に、彼女が一人で立っていたことを、ガルドは見ている。
数日後、商人ギルドから使者が来た。
「……何の真似です?」
ローゼンは、珍しく不快感を隠していなかった。
「真似?」
「税の流れを、あそこまで細かく公開する必要はない」
レオンは静かに答える。
「不都合か?」
「……市場を混乱させます」
それも、正論だった。
「混乱は、既に起きている」
レオンは帳簿を閉じる。
「今まで、それが見えなかっただけだ」
ローゼンは言葉を失った。
「信用がないと言ったな」
レオンは続ける。
「なら、信用がない前提で、全て動かす」
「それは……」
「商人にとって、不利か?」
ローゼンは答えなかった。
不利ではない。
だが、有利でもなくなる。
「……様子を見ましょう」
ローゼンはそう言って席を立った。
それは、彼にとって最大限の譲歩だった。
夜。
エマが小さな紙を差し出した。
「未納率です」
レオンは目を通す。
未納率:38% → 37%
「……一%」
「はい。誤差とも言えます」
レオンは首を振った。
「違う」
一%は、十人だ。
十人が「払ってもいい」と判断した。
「理由は?」
「分かりません」
エマは正直に言った。
「聞いても、“なんとなく”としか」
それでいい。
信用は、理由を言語化される前に動く。
レオンは帳簿に新しい数字を書き込んだ。
小さい。
だが、確かに動いた。
「……効いている」
エマが呟く。
「いや」
レオンは答えた。
「まだ、疑われているだけだ」
それでいい。
疑われ続け、
それでも裏切らなければ——
信用は、向こうから近づいてくる。
レオンは窓の外を見た。
掲示板の前に、人影が二つ、三つと増えている。
誰も声を上げない。
だが、誰も立ち去らない。
この土地で、久しぶりに起きた変化だった。




