第13話 去る理由は、いつも静かだ
最初に気づいたのは、数字だった。
「……未納率が、上がっています」
エマの声は低かった。
29% → 31%
わずかな上昇。
誤差と言えば、誤差だ。
だが、レオンは首を振った。
「誤差じゃない」
数字は、感情より遅い。
だが、一度動けば——必ず理由がある。
「誰が、払っていない」
「……小口です」
エマは資料を指差した。
「今まで、きちんと払っていた層です」
それが、一番危険だった。
昼前。
ガルドが、顔を曇らせて戻ってきた。
「……家が、一つ空いた」
「夜逃げか」
「いや」
ガルドは首を振る。
「正規の移動だ。隣領へ」
書類は揃っている。
揉めてもいない。
怒鳴り声もなかった。
「理由は?」
「“合わなかった”そうだ」
それだけだった。
レオンは、現場を見に行った。
空き家は、きれいに片付いていた。
壊されたものはない。
残された恨みも、見当たらない。
「……静かすぎる」
レオンが呟く。
これは抗議ではない。
選択だ。
夕方。
酒場で、ぽつりと聞いた声。
「……決まるのは、早くなった」
「でも、前より……重い」
「どういう意味だ」
「決まった瞬間、逃げ場がなくなる」
それは、正確な言語化だった。
合議制の前は、
「決まらない」ことが逃げ道だった。
今は、
決まること自体が、圧力になっている。
ミラが、館を訪れた。
「……弟、来ません」
「そうか」
「条件の問題じゃないって」
ミラは、少し言い淀む。
「……ここ、重たいって」
レオンは、否定しなかった。
正しさは、人を縛る。
その夜。
エマが、別の報告を持ってきた。
「移住希望者が、減っています」
「……減るだろうな」
「理由は」
「聞かなくていい」
数字と、空気が一致している。
この領地は、
“楽な場所”ではなくなった。
だから去る。
それは、間違いではない。
ガルドが言った。
「……俺たちは、何かを切った」
「何を」
「居心地だ」
レオンは、ゆっくりと頷いた。
「代わりに、何を残す」
「……責任、だな」
それが、この土地の選択だった。
翌朝。
掲示板の前で、誰かが言った。
「嫌なら、出ていけばいい」
「……それで、いいのか」
言葉は、鋭い。
レオンは、遠くからそれを聞いていた。
この空気は、危うい。
選別が、排他に変わる一歩手前だ。
レオンは、帳簿とは別の紙を取り出した。
見出しを書く。
離脱対応指針(草案)
「去る自由も、残る覚悟も——
どちらも、制度にする」
エマが目を見開く。
「……そこまで?」
「そこまでだ」
去る人間を、敵にしない。
残る人間を、驕らせない。
それができなければ、
この領地は“正しいだけの場所”になってしまう。
夜。
未納率は、まだ31%のままだ。
だが、レオンは分かっていた。
次に動くのは——
数字ではなく、人の言葉だ。




