第9話 【過去編】世界を統べる天才ハッカーが、唯一ハックできない「天然」に敗北した日
北米某所。 地下深くに建設された、巨大なデータセンターの管制室。 無数のサーバーの冷却ファンが唸りを上げる中、一人の青年が青白いモニターの光に照らされていた。
黒いパーカーのフードを目深にかぶった、色素の薄い美青年。 本名はアレン。姓はとうに捨てた。
彼こそが、世界最大のゲーム配信プラットフォーム『ネビュラ(仮)』を創設し、若くしてIT業界の頂点に立った天才エンジニア。 ハンドルネーム『admin(管理者)』の名で、ネットの深淵に君臨する男だ。
「……退屈だ」
彼はキーボードを叩く手も止めずに呟いた。 左側のモニターでは、自社のゲームサーバーへの不正アクセスをリアルタイムで遮断し、右側のモニターでは、新作タイトルの物理演算エンジンを調整している。
彼にとって、世界は「0」と「1」の羅列に過ぎない。 人間の感情、行動、社会の動き。全ては計算可能なデータであり、予測可能なアルゴリズムだ。
「人間は、バグだらけの非効率なプログラムだ。……予測できてしまう」
アレンはあくびを噛み殺した。 この世に、彼の計算を狂わせる未知の要素など存在しない――はずだった。
◇
その日、彼は気まぐれに、ネットの「吹き溜まり」を監視していた。 自社の洗練されたプラットフォームではなく、セキュリティも甘く、時代遅れのコードで動いている日本の弱小動画サイト――『ポコポコ動画』。
「ひどい設計だ。こんな穴だらけのサイト、私が指一本触れれば3秒でダウンする」
彼は呆れながら、そのサイトの通信パケットを眺めていた。 見る価値もない。 そう思ってブラウザを閉じようとした時、一つの奇妙なデータが目に留まった。
同接数、ほぼゼロ。 にもかかわらず、なぜか楽しげな波形(音声データ)を垂れ流しているチャンネル。
「……なんだ、この非効率な配信は」
彼は眉をひそめた。 誰も見ていないのに、全力で喋り続けている? 承認欲求のバグか? それともbotの自動生成か?
「……少しだけ、サンプルを確認してやる」
気まぐれだった。 彼はその配信をクリックした。
『えーっと、ここのパズルが難しいんだよねぇ……』
映し出されたのは、銀髪の狐耳アバター――『小狐ルル』。 プレイしているのは、アレンもよく知る古典的なアクションパズルゲームだった。
アレンは一瞥しただけで、最適解を導き出した。 (右のブロックを落として足場にし、左のスイッチを押す。所要時間15秒。……赤子でも分かる論理パズルだ)
彼はモニターの前で頬杖をついた。 どうせこの配信者も、数分後にはその解法に気づくだろう。 人間は予測可能だ。つまらない。
しかし。
「うーん……よし! このブロック、積み上げてみよう!」
「……は?」
ルルは、足場にするはずのブロックを、なぜかゴールとは関係ない場所に積み上げ始めた。
(なぜだ? それはゴールへの最短経路ではない。非効率だ。目的は何だ? バグ技の検証か?)
アレンの脳内で、予測アルゴリズムがエラーを吐き始める。
「見て見て! お城みたいになったよ! かっこいー!」
(……城? ゲームのクリア条件に、城の建設など含まれていない。コイツは何を言っている?)
彼の混乱をよそに、ルルはさらにブロックを積み上げる。 当然、バランスが崩れる。
ガラガラガシャーン! 積み上げたブロックが崩れ落ち、ルルのアバターが下敷きになってゲームオーバーになった。
(……馬鹿な。自滅だと?)
アレンは唖然とした。 これほど非合理的な行動を、彼は見たことがない。 彼はキーボードを叩き、ルルの過去の配信ログを高速で解析しようとした――が、やめた。 ログを見るまでもない。画面の中の彼が、答えを言っていたからだ。
『あははは! すごい音したね! 派手に崩れちゃった!』
画面の中のルルは、ゲームオーバーの画面を見ながら、楽しそうに笑っていた。
『失敗失敗! でも、崩れるところ面白かったからヨシ! 次はもっと高く積んでみよう!』
「…………」
アレンの思考が停止した。 失敗を、喜んでいる? 効率を無視して、ただ「崩れる音」を楽しむために時間を浪費したのか?
「……計算、不能」
彼の完璧な論理の世界に、初めて「予測不可能なノイズ」が混じり込んだ瞬間だった。 効率こそが正義の彼の世界で、この配信者は「無駄」を愛していた。
◇
ピコン。 別ウィンドウで警告音が鳴った。 自社のゲームサーバーに対し、某国のハッカー集団からDDoS攻撃が仕掛けられている。 放置すれば、数億ドルの損失が出るレベルの危機だ。
だが、アレンは視線をルルの配信から外さなかった。
「……うるさい。今、忙しいんだ」
彼は片手で適当にコマンドを打ち込み、攻撃元のサーバーを逆探知して焼き切った。 そして、再び両手で頬杖をつき、画面の中の「非効率な存在」を見つめた。
「面白い。……ハックしがいのあるバグを見つけた」
彼は知らなかった。 計算高い自分が、とっくに相手の「天然」というウイルスに感染してしまっていることに。
彼は震える指で、この古臭い動画サイトのアカウント登録画面を開いた。 ユーザー名は、このネットの海における自分の絶対的な立場を示すものを。
『admin』
本来なら予約語(使用禁止ワード)のはずだが、セキュリティの甘いこのサイトはあっさりとその名前を通した。
『admin: 右のブロックを使うと効率的だ(※個人の感想です)』
これでも、精一杯、人間のコミュニケーションを模倣したつもりだった。 ルルはコメントに気づき、パァッと顔を輝かせた。
「わぁ! 初見さんいらっしゃい! adminさん? すごい、管理者さんみたいな名前だね! アドバイスありがとう! やってみるね!」
管理者みたいな名前。 その無邪気な反応に、冷徹なハッカーの口元が、微かに緩んだ。
「……フン。悪くない反応だ」
こうして、世界最強のゲームプラットフォームCEO・アレンは、外部の弱小サイトに生息する「計算不能な配信者」を、生涯かけて観測する(見守る)ことを決めたのだった。
それが、彼にとって最も効率的な「癒やし」の摂取方法になるとは、まだ気づかずに。
本日のメイン登場人物
小狐ルル:バ美肉Vライバー。実は投稿プラットフォームはつべではなかったのでした
アレン:adminの中の人ゲームのプラットフォームのCEO。今後、ちょうすっごいハッカー枠になるような気がします(※個人の感想です)




