第8話 【過去編】孫が欲しかった財閥会長は、電子の海で理想の孫(おじさん)を見つける
「会長、お誕生日おめでとうございます」
「これ、つまらないものですが……」
都内某所。広大な日本庭園を擁する屋敷の広間で、盛大なパーティが開かれていた。 主役は、御子柴 厳蔵。 世界的な重工業メーカーを束ねるグループ会長、75歳の誕生日だ。
しかし、厳蔵の目は冷めきっていた。 目の前に並ぶのは、高級なプレゼントの山と、作り笑顔の親族たち。
「お父様、例の遺言書の件ですが……」
「お爺様、僕の会社の株価が……」
彼らが見ているのは、私ではない。私の背後にある「遺産」だ。 妻に先立たれ、息子たちとは絶縁状態。孫たちは私の財布としか思っていない。 この広い屋敷には、私の心を温めてくれる人間は何一人いなかった。
「……気分が悪い。部屋に戻る」
私は短く告げると、逃げるように書斎へと引き上げた。
◇
書斎の革張りのソファに身を沈め、ブランデーを煽る。 静かだ。静かすぎて、耳鳴りがする。
「……孫、か」
ふと、テーブルの上に置かれたタブレットが目に入った。 先日、秘書が「これからは動画の時代です」と言って置いていったものだ。 気まぐれに画面を点ける。 動画サイトのランキングには、派手なテロップと大声で叫ぶ若者たちが溢れていた。
「……騒がしいな」
切ろうとした指が、誤って画面の隅をタップしてしまった。 そこに表示されたのは、再生数わずか数回の、ひっそりとしたサムネイル。
『【プラモ枠】懐かしいロボット作ります。のんびり雑談』
映っていたのは、狐耳の少女のアバター。 派手な演出もない、地味な画面だ。 しかし、厳蔵の手が止まった。 彼が手に持っているプラスチックの部品。それは、私の会社が40年前に製造していた、伝説的な模型シリーズのパーツだったからだ。
「……ほう。まだこんな骨董品が残っていたとは」
興味本位で、イヤホンを耳に入れた。 聞こえてきたのは、ボイスチェンジャー越しの、穏やかな声だった。
「こんルル~。今日はね、押し入れから出てきたこの子を組み立てていくよ」
手際が良い。 ニッパーを入れる角度、ヤスリのかけ方。 モノづくりへの愛と敬意が感じられる、丁寧な仕事ぶりだ。
「あ、ここのバリ(突起)取りにくいなぁ。……でも、昔のプラモってこの『不親切さ』が良いんだよねぇ。設計した人の『工夫して作れよ』ってメッセージみたいでさ」
「……!」
厳蔵は目を見開いた。 その通りだ。当時の我々は、子供たちに工夫する楽しさを伝えたくて、あえて無骨な設計にしていた。 それを、この配信者は理解している。
「……分かっているじゃないか、若造」
ブランデーの味が、少しだけ変わった気がした。
◇
一時間後。 私は画面に釘付けになっていた。 彼の話は面白かった。 派手なジョークはない。けれど、日々の仕事(どうやら工場勤務らしい)への愚痴の中に、技術屋としての矜持と、周囲への感謝が含まれている。
「……試してみるか」
私はふと、悪戯心を起こした。 親族たちに見せている「金」を、彼に見せたらどう反応するか。 どうせ、媚びへつらって「もっとください」と言うに決まっている。 そう思いながら、私は「¥50,000」の赤スパチャ(投げ銭)を投げた。
『!?』
画面の中のアバターが、飛び上がって驚いた。
「ええっ!? ご、ごご、ごまんえん!? 桁間違ってないですか!? だ、誰!?」
その後、『test』とだけメッセージを入れる。 彼は狼狽し、画面越しに深々と頭を下げた。
「て、testテストですか? もし間違って押しちゃったなら、返金申請してくださいね!? こんな大金でスパチャのテストはもったいないですよ!」
「……は?」
「あ、でも、もし応援してくれるお気持ちなら……本当にありがとうございます。でも!無理しないでくださいね? まずはスパチャの前に美味しいご飯とか食べてください!」
その後、彼はわからないかもしれないからとスパチャをした私のために返金方法を調べたりと手を尽くして調べる姿を配信に見せていた。
厳蔵は呆気にとられた。 返そうとしただと? しかも、私の財布を心配して?
「……ふ、ふふふ」
乾いた笑いが漏れた。 周りのハイエナどもは、私の金をむしり取ることしか考えていないのに。 どこの誰とも知らぬこの配信者は、5万円の大金を「もったいない」と言って突き返そうとした。
欲のない、真っ直ぐな魂。 モノづくりを愛し、他人を気遣える優しさ。
「……ここに、いたのか」
私が求めていた「理想の孫」は。 血の繋がりなど関係ない。 この魂こそが、私が守り、育て、甘やかすべき存在だ。
私は震える指で、ユーザー名を入力した。 昔、飼っていた愛猫の名前。
『ミケ』
そして、二通目のコメントを打つ。
『ミケ: 君の技術は素晴らしい。そのプラモの設計者も、きっと喜んでいるよ』
画面の中のルルちゃんが、パッと花が咲くように笑った。
「わぁ、ミケさん! ありがとうございます! 嬉しいなぁ、おじいちゃんに褒められたみたいだ!」
おじいちゃん。 その言葉の響きが、冷え切っていた老人の心に、温かい灯火を点した。
「……ああ。そうとも」
私はモニターに向かって、誰もいない書斎で一人、微笑んだ。
「今日から私が、君のおじいちゃんだ」
◇
書斎を出ると、廊下で一人の少年と鉢合わせた。 一番下の孫、小学五年生の翔太だ。 彼は私を見ると、ビクッと肩を震わせて萎縮した。
「あ……お、お爺様。ごめんなさい、トイレに行きたくて……」
普段の私なら、「廊下を走るな」と怒鳴りつけていただろう。 あるいは、目も合わせずに通り過ぎていたかもしれない。 だが、今の私の胸には、先ほどのルルちゃんの言葉が残っていた。
『無理しないでくださいね? 美味しいご飯とか食べてください!』
見ず知らずの他人にすら優しくできるあの子。 その「おじいちゃん」になろうと決めた私が、実の孫を怯えさせてどうする。
「……翔太」
「は、はいっ!」
「お前、誕生日はいつだったか」
「え? ……先月、でしたけど……」
私は懐から、使い古した万年筆を取り出した。 高価なものではないが、私が長年愛用してきた書き味の良いペンだ。
「やる」
「え……?」
「金やゲームではないが、良いペンだ。……これを使って、好きな絵でも描くといい」
翔太が絵を描くのが好きだということを、ふと思い出したのだ。 少年はポカンとしていたが、恐る恐るそのペンを受け取ると、パッと顔を輝かせた。
「あ、ありがとう! お爺様!」
「……フン。これからは廊下を走るんじゃないぞ」
私はぶっきらぼうに言って、歩き出した。 背後で、孫が「お母さん見て! お爺様がペンくれた!」と嬉しそうに報告する声が聞こえる。
(……悪くない気分だ)
ルルちゃんが教えてくれた「見返りを求めない優しさ」を、少しだけ真似してみた。 それだけで、屋敷の空気が少しだけ温かくなった気がした。
「……彼には、感謝しないとな」
こうして、日本経済のドンは、たった一人の配信者の「太客」になると同時に、少しだけ「普通の優しいおじいちゃん」へのリハビリを始めたのだった。
本日のメイン登場人物
小狐ルル:バ美肉Vライバー。TESTと書かれたスパチャを本気で心配する良心は併せ持つ。
御子柴 厳蔵: 世界的な重工業メーカーを束ねるグループ会長。HN:ミケの中の人。




