第5話 同接7人の配信者ですが、濡れ衣を着せられたら翌日には上司が地下室へ異動になりました
「おい! どういうことだこれは!」
午後3時。静まり返ったフロアに、係長の怒号が響き渡った。 僕はビクッと肩を震わせて、恐る恐る振り返る。
「は、はい。何でしょうか……?」
「とぼけるな! 共有フォルダのデータが消えてるんだよ! ログにお前のIDが残ってるんだ!」
係長が突きつけてきたタブレットには、確かに僕のアカウント名で『Delete』のログが表示されていた。
「えっ……? そ、そんな。僕は午前中、ずっと別件の設計図を書いていて、共有フォルダには触れていませんが……」
「ログが証拠だ! ミスを隠蔽しようとしやがって……! 明日の朝までに復旧できなかったら、始末書じゃ済まないぞ!」
係長の顔は真っ赤で、唾が飛んできそうだ。 彼は普段から、部下の成果を自分のものにし、自分のミスを部下になすりつけることで有名な人だった。 でも、ログという動かぬ証拠がある以上、僕のアカウントが(乗っ取られたにせよ)使われたのは事実らしい。
「すみません……。記憶にはないんですが、僕の管理不足です。今夜帰ってから、リモートで復旧作業を試みます」
「当たり前だ! 俺は接待があるから帰るからな!」
係長は舌打ちをして、鞄を持って出ていった。 残された僕は、絶望的な気分で溜息をつく。
「はぁ……。今日は配信、遅くなっちゃうかな」
その時。 隣の席から、衣擦れの音がした。
「……先輩」
声をかけてきたのは、事務職の後輩である影山さんだ。 分厚い眼鏡に、地味な黒髪。いつも目立たず、黙々と書類整理をしている大人しい女性だ。
「あ、影山さん。ごめんね、騒がしくしちゃって」
「いえ。……コーヒー、淹れました。少し休んでください」
「ありがとう。優しいねぇ、影山さんは」
彼女から缶コーヒーを受け取る。 彼女は分厚いレンズの奥で、じっと僕を見ていた。そして、誰もいない係長のデスクをちらりと見て、ボソリと呟いた。
「……悪いことをすると、バチが当たりますよ」
◇
深夜1時。 僕は自宅のボロアパートに帰宅し、ようやく配信を繋ぐことができた。 復旧作業はなんとか終わったけれど、心はヘトヘトだ。
「こんルル~……。ごめんね、今日はちょっと遅くなっちゃった」
『こんルル』
『元気ないな?』
『残業おつ(スパチャ)』
いつもの7人が、心配そうにコメントをくれる。 僕は苦笑いしながら、今日の出来事を話した。
「実はね、会社でミスしちゃって。共有フォルダを消しちゃったみたいなんだ。記憶にないくんだけど、ログが残ってるなら僕のせいだよねぇ」
『admin: ログの改ざんなんて、管理者権限があれば5秒でできるぞ』
『ミケ: その係長、以前から評判が悪いな。……消すか?』
『フクロウ: パワハラの証拠保全をしましょう』
みんな過激だなぁ。 そんな中、普段はあまり喋らない『カゲ』さんが、短くコメントした。
『カゲ: ……(無言)』
『カゲ: 特定した』
「えっ? 何を特定したの? 今日の晩ごはん?」
『カゲ: いえ。害虫の駆除方法を、少し』
「あはは、カゲさんの家、虫が出たのかな? 夏だしねぇ。バルサン焚くといいよ!」
僕は呑気にアドバイスをした。 まさか彼女が今、画面の向こうで**「処刑リスト」**を作成しているとは夢にも思わずに。
◇
翌日の昼休み。 工場の食堂は、午後の作業に備える男たちの熱気と、揚げ物の匂いで充満している。 けれど、事務員の影山にとって、ここは聖域だった。
「……いただきます」
彼女は誰とも目を合わせず、部屋の隅の席でイヤホンを耳に押し込む。 スマホの画面に映るのは、昨夜の『小狐ルル』の配信アーカイブだ。
(……あぁ。今日も先輩の声が、五臓六腑に沁み渡る)
彼女が箸を運ぶのは、一見すると質素な「日の丸弁当」。 しかし、その白米は一キロ数千円の最高級ブランド米であり、梅干しは一粒500円の紀州南高梅だ。 彼女は財閥の分家令嬢という身分を隠し、あくまで「地味な事務員」として、この会社に潜伏している。
(昨日の雑談枠、34分20秒の溜息。……セクシーだわ。これを聴けば、あと10年は戦える)
彼女は恍惚の表情を浮かべ、アーカイブを0.75倍速で再生しながら、咀嚼音すら立てずに米を嚥下した。 この昼休みの「補給」こそが、彼女の生命維持装置なのだ。
「……さて」
アーカイブを聴き終えると、彼女の目からハイライトが消えた。 スマホの画面を切り替え、裏アプリを起動する。 表示されたのは、昨夜のうちにハッキングしておいた係長のPCデータだ。
「先輩に濡れ衣を着せた罪。……万死に値します」
ログの改ざん履歴、裏リベートの証拠、サボりのGPS記録。 これらを警察に突き出せば、係長は逮捕されるだろう。 だが、それでは騒ぎが大きくなりすぎて、繊細な先輩が「僕のせいで係長が逮捕された」と心を痛めてしまうかもしれない。
「先輩の視界から、静かに、永遠にフェードアウトしてもらいましょう」
彼女は指先一つで、本社の人事部長へ匿名メールを送信した。 添付ファイルは、係長の不正の証拠と、『彼を地下資料室へ異動させれば、この件は公にしない』という取引条件。
「さようなら、係長。地下の埃と仲良くしてください」
送信完了。 彼女は満足げに、最後の一口の梅干しを飲み込んだ。
◇
午後一番。 オフィスに戻った僕の目の前で、事件は起きた。
「〇〇係長。辞令だ」
本社から来た人事部長が、係長に一枚の紙を突きつけたのだ。
「は? 辞令? ……なんで俺が」
「本日付で、『地下第二資料室・整理係』への異動を命じる」
「はぁ!? 資料室!? あんなの窓際族の墓場じゃないか! なんでだよ!」
「理由は自分が一番よく分かっているはずだ。……君のPCのログ、全て精査させてもらったよ」
部長の冷たい一言に、係長の顔色が土気色に変わった。 これ以上の抗弁は無駄だと悟ったのだろう。 彼は力なく肩を落とし、自分の荷物をまとめ始めた。 地下資料室。そこは電波も入らず、一日中誰とも会話せずに古新聞を整理するだけの、出世コースから完全に外れた場所だ。
「えっ……係長、異動になっちゃったの?」
呆然とする僕に、影山さんがそっと近づいてきた。
「急な話でしたけど、栄転……ではないみたいですね」
「う、うん。地下の資料室って、なんか重要そうな名前だけど……」
「そうですね。きっと、静かで集中できる場所ですよ」
彼女は分厚い眼鏡の奥で、微かに目を細めた。
「先輩の邪魔をする人がいなくなって、本当によかったです。……さあ、仕事に戻りましょうか」
「うん……そうだね。係長、新天地でも頑張ってほしいな」
僕は去りゆく係長の背中にエールを送った。 まさか彼が、定年までのあと20年、地下の暗闇で埃まみれになる運命だとは知る由もなく。
◇
その夜の配信。
「みんな聞いて! 係長、別の部署に異動になったんだって!」
僕は報告した。
「なんか『資料室』っていう、専門的な部署にヘッドハンティングされたみたい。やっぱりあの人、仕事熱心だったからなぁ」
『ヘッドハンティング(左遷)』
『地下送りか……カゲさん、良い仕事だ(震え)』
『admin: 生かさず殺さず。一番きついな』
コメント欄のみんなも、係長の新生活を応援(?)してくれているようだ。
『カゲ: ルル先輩の職場環境が改善されて何よりです。……アーカイブ、楽しみにしてますね』
カゲさんのコメントに、僕は「ありがとう!」と返した。 彼女が今、昼休みの出来事を反芻しながら、「これで明日から、邪魔されずに先輩の背中を見つめられる」と、暗い部屋で一人微笑んでいることなど、想像もせずに。
本日のメイン登場人物
小狐ルルの中の人:主人公。実は本当におじさん。
カゲ:主人公の隣の席に座っている地味な女性社員。実は旧華族レベルの資産家の娘。主人公(中身のおじさん)のことが狂気的に好きで、当然のことだがバ美肉活動も日常生活も全て把握済み。




