第32話 【閑話】リョウタの苦悩「この街、ルルちゃん中心に経済が回ってないか?」
田中 良太は、平凡なサラリーマンである。 愛する妻・由香利と、娘の結衣と暮らす、どこにでもいる善良な市民だ。
しかし、彼には一つだけ、誰にも言えない秘密がある。 それは、彼が毎晩見ている配信者『小狐ルル』のコメント欄が、この国の「影の支配者たちの円卓会議」になっていること。 そして、彼自身がその会議の「唯一のブレーキ役」であることだ。
◇
「……行ってきます」
平日の朝。良太は駅までの道を歩きながら、街の景色を眺めた。
そして、改めて確信する。 ――俺の判断は、正しかったのだ、と。
実は、良太がこの街にマイホームを買って引っ越してきたのは、偶然ではない。
意図的な選択だった。
かつて、彼は配信を見ていて気づいたのだ。 ルルが「蚊がいて眠れない」と言えば、翌日にはその地域の害虫が絶滅し、 ルルが「充電が遅い」と言えば、その地域のカフェが最新インフラに刷新される。
挙句の果てにはルルが「満員電車が辛い」と言えば、その路線の警備が国家レベルで強化される。
つまり、「小狐ルル(の中の人)が住む生活圏内」こそが、世界で最も治安が良く、インフラが整い、快適に暮らせる最強の「サンクチュアリ」なのである。
「(娘の結衣を育てるなら、ここしかないと思ったんだよなぁ……)」
彼は公園のベンチを見た。 近所のお爺ちゃんたちが、ベンチに置いたスマホを眺めて談笑している。
『いやぁ、このベンチ、置くだけで充電できるから便利じゃのう』
『政府の補助金ですべての公園に設置されたらしいぞ』
駅のポスターには、娘が大好きなアニメ『ブリキのパン屋さん』の広告。 『全米が泣いた! Nebula Corp独占配信!』
街ですれ違う人々は、誰も蚊に刺されていないし、誰もが少し幸せそうだ。 この街は今、小狐ルルを中心に回っている。 ルルという「特異点」のそばにいるだけで、住民たちは知らず知らずのうちに、怪物たちが落とす「恩恵」を受け取っているのだ。
「……まあ、その代償として、俺の胃には穴が空きそうだけどな」
良太は苦笑いした。 家族の平和と快適な暮らしを守るためなら、怪物たちのツッコミ役くらい、喜んで引き受けてやる。それが父親というものだ。
◇
会社でのランチタイム。 同僚たちが雑談に花を咲かせていた。
「あ、見てこれ。天塚シエルちゃんが『飲み会反対』って言ってる動画。すごい拡散されてる」
「あー、俺の部長もそれ見て急に『ランチミーティングにしよう』とか言い出したんだよ。ラッキーだったわ」
良太は無言でパスタを巻き取った。 (……それも、ルルちゃんが飲み会行きたくないって言ったから、名無しさんが世論操作したんだよ……。日本のビジネス習慣すら変えるのかよ、あの怪物たちは……)
良太は知っている。 この平和で快適な社会の裏側に、常軌を逸した「ルル至上主義」の力が働いていることを。 そして、その事実を知り、意識的に利用しているのは、世界で自分だけだということを。
「……田中? どうした、顔色が悪いぞ」
「いや……なんでもない。ただ、この街は住みやすいなって、改めて思ってさ」
◇
帰宅後。 妻の由香利が、嬉しそうに話しかけてきた。
「ねえパパ、聞いて! 今日スーパーに行ったら、すごく立派な『業務用冷蔵庫』が、なぜか家庭用より安く売ってたの! 『御子柴重工・特別感謝セール』だって! 思わず買っちゃった!」
良太は「やっぱりな」と思った。 (……ルルちゃんがこども食堂のために冷蔵庫を買おうとした時、ミケさんが大量生産ラインを作ってコストダウンさせた余波だ……。ついに我が家の家計にまで恩恵が……)
「あとね、結衣が欲しがってた『おもちゃの修理セット』も、すごく性能がいいやつが安く手に入ったのよ」
「パパみてー! このドライバー、ダイヤモンドでできてるのー!」
娘が無邪気に見せてきたのは、どう見ても軍事用の超硬素材で作られた工具だった。
「すごいね、結衣。大事にするんだよ」
「うん!」
(……ルルちゃん、お前が世界を変えてるんだよ……。俺の家族も、お前のおかげで笑顔になってるよ……)
良太は複雑だが、満足だった。 ルルのおかげで社会は良くなっている。 充電は早いし、面白い漫画は読めるし、蚊はいないし、飲み会も減った。 誰も不幸になっていない。むしろ「三方良し」だ。
ただ、その動機が「一人の配信者を甘やかすため」という一点にあり、いつ暴走するか分からない点を除けば。
◇
その夜の配信。
「こんばんは、みんな!」
いつものように、ニコニコと笑う小狐ルルが画面に現れた。 彼は、自分が世界を変えていることなど露知らず、今日も楽しそうに雑談を始める。
「今日はね、コンビニでお釣りを落としちゃって、ちょっと悲しかったんだ……」
その一言が出た瞬間、コメント欄の速度が跳ね上がった。
『ミケ: 何? 通貨の形状に欠陥があるのではないか? 電子マネーへの完全移行を政府に提言するか』
『フクロウ: ……貨幣法改正の準備をします。小銭という概念をなくしましょう』
『admin: 決済システムのラグをゼロにする。……全店舗に顔認証決済を導入させるか』
まただ。 また、世界が動こうとしている。 小銭を落としただけで、日本の通貨制度が変わろうとしている。 この街に住む者として、恩恵はありがたいが、さすがに貨幣制度まで変わるのは困る。
良太は深いため息をつき、震える指でキーボードを叩いた。
『リョウタ: お前ら、一旦落ち着け。小銭拾えば済む話だろ』
彼がツッコミを入れなければ、明日には日本から硬貨が消滅していただろう。 良太は悟った。 自分がここで踏ん張らなければ、世界はルルのために最適化されすぎて、いつか破綻する。 俺は、家族の楽園であるこの「ルル・シティー」を守る、最後の防波堤なんだ。
「……パパ、誰と戦ってるの?」
「……世界だよ、結衣。パパは今、世界の均衡を守ってるんだ」
田中良太。 彼は今日も、胃薬を片手に、怪物たちの暴走を(ギリギリで)食い止めている。 この街の平和と、彼自身のマイホームの資産価値は、彼によって守られているのかもしれない
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