第30話 同接7人の配信者ですが、満員電車が辛いと言ったら僕の乗る車両だけなぜか貸切状態になった
「……ぐっ、くぅ……!」
平日の朝8時。 小暮 譲は、首都圏の通勤ラッシュという名の地獄に揉まれていた。 乗車率200%。寿司詰め状態の車内では、足の置き場もなく、四方八方から他人の体温と圧力が押し寄せてくる。 誰かの鞄の角が背中に食い込み、呼吸をするのさえ苦しい。
「(……会社に着く前に、HPがゼロになっちゃうよ……)」
駅員に背中を押され、ドアが無理やり閉まる。 窓ガラスに顔が押し付けられながら、小暮は遠のく意識の中で思った。 ――せめて、吊革につかまるスペースと、新鮮な空気があればいいのに。
彼はボロ雑巾のようになって会社に辿り着いた。
◇
「こんばんは、みんな。……今日はもう、ヘトヘトだよ」
その夜の配信。 小狐ルルは、げっそりした顔で語り始めた。
「朝の満員電車がね、本当にすごくて。 今日は体が浮いちゃうくらいギュウギュウだったんだ。 毎日あの中で揉みくちゃにされてると、自分がお惣菜のパック詰めになった気分になっちゃうよ」
ルルは苦笑いしながら、ささやかな願いを口にした。
「贅沢は言わないけど、せめて誰ともぶつからずに、少しだけでいいからスペースが欲しいなぁ。 あと、たまには座れたりしたら最高なんだけど……。 そんな奇跡、起きないよねぇ」
それは、全サラリーマンの叶わぬ夢。 しかし、コメント欄に潜む「現職国会議員」と「財閥の令嬢」にとって、それは「要人警護上の重大な欠陥」として受理された。
『カゲ: ……聞き捨てなりませんわ。薄汚い有象無象が、ルル様の聖なる玉体に密着しているですって?』
『カゲ: 許せません。私の「家の者」を使ってでも、その車両の環境を浄化すべきですわ』
『フクロウ: ……落ち着きなさい、カゲさん。あまり過激な発言は控えなさい』
『フクロウ: ですが、「車内トラブル防止」および「混雑時の安全確保」という名目での重点警備なら、私の「顔」を利かせて調整可能です』
『カゲ: あら、名案ですわ先生。では実動部隊の手配は私にお任せを。ルル様の周囲半径50センチの「聖域」は、物理的に死守させますわ』
不穏な会話が流れるが、ルルはいつものようにニコニコと笑って反応した。
「あはは、それにしても…カゲちゃんは今日も『お嬢様キャラ』全開だねぇ! 家の者って、執事さんとか?あと フクロウさんも『政治家キャラ』のロールプレイ、板についてるね! みんな、僕のために面白い設定で怒ってくれてありがとうね。その気持ちだけで嬉しいよ」
今更であるがルルは毎回、リスナーたちが「配信を盛り上げるために、大げさなキャラになりきって冗談を言っている」と思い込んでいたのであった。
『リョウタ: (……ルルちゃん、この人たちのははRPじゃないんだ。ガチの計画なんだ……逃げてくれ……)』
◇
翌朝。 小暮は憂鬱な気分で駅のホームに立っていた。 またあの地獄が始まるのか。 そう思いながら、いつもの車両に乗り込む。 車内は相変わらずの超満員だ。
「……うう、今日もキツいなぁ」
と、覚悟を決めて吊革の下へ潜り込んだ、その時だった。
「あ、どうぞ」
目の前に座っていたガタイの良いサラリーマン風の男が、バッと立ち上がり、小暮に席を譲ってきたのだ。
「えっ? あ、いえ、僕は……」
「次で降りますので」
男は有無を言わさぬ笑顔で席を立ち、ドアの方へ移動した。 小暮は狐につままれたような気分で、ぽっかり空いた席に座った。
「あ、ありがとうございます……。ラッキーだな」
しかし、奇跡はそれだけではなかった。 座った小暮の前に、さらに数人の「ガタイの良い男たち」が壁のように立ちはだかったのだ。 彼らは全員、小暮に背を向けて立ち、外側からの人波を強靭な背中でブロックしている。
(……なんか、この人たちのおかげで、全然押されない?)
満員電車の凄まじい圧力が、彼らの背中によって遮断されている。 小暮の目の前には、奇跡のような「エアポケット(空間)」が確保され、スマホを快適に見られるほどのスペースが生まれていた。
さらに、車内アナウンスが流れる。 『本日は、車内環境向上のため、警備強化キャンペーンを実施しております。ご協力をお願いいたします』
周りの乗客たちも、無言の圧力を放つ男たち(カゲの私兵)を避けるように動くため、小暮の周りだけ常に快適な空気が流れている。 彼は、まるでVIPのような守られ方をしているとは気づかず、「今日はツイてるなぁ」とのんびりニュースを読みながら出勤した。
◇
その夜の配信。
「みんな聞いて! 今日の朝、すごくラッキーだったんだ!」
ルルは、ここ最近で一番スッキリした顔で報告した。
「満員電車だったんだけどね、親切な人が席を譲ってくれたの! それに、たまたま僕の周りだけあんまり混んでなくて、ギュウギュウされずに来れたんだよ。 警備強化の日だったみたいで、そのおかげかなぁ?」
「昨日の今日ですごい偶然だよね! やっぱり言霊ってあるのかな?」
ルルは無邪気に喜んでいる。 その笑顔を見守るコメント欄には、行政権限を行使した政治家と、屈強なSP部隊を送り込んだ令嬢、そして全てを察した一般人がいた。
『フクロウ: ……国民(貴方)の安全と快適な通勤を守るのも、社会の務めですから』
『カゲ: 貴方の周りの空気は、何人たりとも汚させませんわ』
『ミケ: ほう、座って通勤か。足腰の負担が減って何よりだ』
「ふふ、みんなもありがとう! フクロウさんやカゲちゃんのおかげだねっ」
ルルは「リスナーたちが僕の幸運を自分の手柄みたいに言って遊んでいる」と解釈し、楽しそうに笑っている。
『リョウタ: (ルルちゃんの周りをSPが「肉の壁」で囲んで守ってただけだろ……。まあ、本人がRPだと思って幸せなら、真実は墓場まで持っていくか……)』
ルルは、自分の「辛い」という一言が、精鋭部隊による鉄壁の護衛シフト(通称:おしくらまんじゅう作戦)を引き起こしたことなど露知らず。
「あー、快適だったなぁ。明日もあの親切な人たち、いるといいな!」
そう呟いて、嬉しそうに微笑んだ。 もちろん、明日からはその「親切なサラリーマンたち」が、小暮の通勤のレギュラーメンバーとなることは確定事項である。
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