第28話 同接7人の配信者ですが、蚊に刺されて痒いと言ったら、地域一帯にボウフラ駆除部隊が派遣された
「……ぷぅぅぅぅん」
深夜の寝室。 小暮 譲は、耳元で響くあの不快な高周波音に叩き起こされた。 夏の風物詩、蚊である。
「うう……痒い……」
電気をつけると、二の腕あたりに猛烈な痒みを感じる。 どうやら寝ている間に血を吸われたらしい。 退治しようと目を凝らすが、敵は小さく、素早い。 パチン!と手を叩いても空振りばかり。
「あーもう! 明日も早いのに眠れないよぉ……」
結局、彼はその夜、痒みと羽音の幻聴に悩まされ、寝不足のまま朝を迎えることになった。 たかが虫刺されだが、安眠を妨害されるストレスは、現代人にとってボディブローのように効いてくる。
「……蚊なんて、この世から絶滅すればいいのに」
彼は充血した目で、虚空を見つめて呪詛を吐いた。
◇
「こんばんは、みんな……。今日はちょっと元気ないかも」
その夜の配信。 小狐ルルは、少し声に張りがなく、アバターの動きもどこかダルそうだった。
「昨日の夜、お部屋に蚊が入ってきちゃって、全然眠れなかったんだ」
ルルは、画面には映らない腕をさすりながらボヤいた。 アバターだから腫れは見えないが、その声色だけで、彼がどれだけ不快な思いをしたかが痛いほど伝わってくる。
「痒いし、音はうるさいし……。 僕の血なんて吸っても美味しくないのにねぇ。 もう、家の周りの蚊、全部いなくなってくれないかなぁ」
それは、夏の夜に誰もが抱く些細な、しかし切実な願い。 その言葉を聞いた瞬間、コメント欄に「殺意の連帯」が生まれた。
『カゲ: ……あろうことか、私のルル様の安眠を妨害し、玉体に触れるとは』
『カゲ: 許せません。その下等生物、存在ごと消し去る必要がありますわ』
『ドクター: ……同意する。「蚊」という媒介生物は、感染症のリスクもある。ルルの健康管理上、排除すべきバグだ』
『ドクター: カゲ君。私の研究室に、開発中の「対害虫用・自律型レーザー迎撃ドローン」と「生態系改変ナノマシン」がある。……実地テストの時間だ』
『カゲ: 借りますわ。ついでに私の家の「清掃部隊」も動員します。この街のボウフラ一匹たりとも逃しません』
いつもならここで止めるはずの常識人・リョウタだが、今回ばかりは様子が違った。
『リョウタ: ……やれ。徹底的にやれ』
『リョウタ: 俺も妻も…天使のように可愛らしい娘も!!昨日刺されたんだ。蚊だけは許せない。人類の敵だ。 今回だけは俺も止めない。この世から消し去ってくれ』
『ミケ: ほう、リョウタが殺る気だ。珍しいな』
『admin: 全会一致。……殲滅プロトコル、起動』
こうして、ツッコミ不在のまま、人類の叡智と狂気を結集した「対・蚊」最終戦争が幕を開けた。
◇
翌日。 小暮が住むアパートの周辺一帯が、奇妙な静寂と物々しさに包まれた。
上空には、目に見えないほど小さな「マイクロドローン」の群れが展開。 それらは高度なセンサーで飛行する羽虫を検知すると、正確無比なマイクロレーザーを照射し、空中で蒸発させていく。
地上では、白い防護服に身を包んだ「特殊清掃業者(カゲの私兵)」が、側溝、水たまり、草むらを徹底的にスキャンしていた。
「Dエリア、ボウフラ反応あり」
「ドクター式・成長阻害剤を散布。生態系への影響を最小限にしつつ、対象のみをピンポイントで壊死させろ」
「了解。……ターゲット、沈黙しました」
彼らが散布しているのは、ドクターが開発した特殊な薬剤だ。 他の生物には無害だが、蚊のDNA配列を持つ生物だけを細胞レベルで崩壊させる劇薬。 さらに、カゲの命により、街中の水場という水場が徹底的に浄化され、草むらはミリ単位で剪定された。
近所の住民たちが噂する。 「ねえ、なんか今日、すごい業者の人が来てない?」 「市役所が本気出したのかしら。ありがたいわねぇ」
それは消毒ではない。ジェノサイドだ。 夕方になる頃には、その地域一帯から「吸血性昆虫」の反応は完全に消失していた。
◇
数日後。
「……あれ? そういえば」
小暮は、夜ぐっすり眠れたことに気づいて伸びをした。 ここ数日、あの不快な羽音を一度も聞いていない。 窓を開けて換気をしても、虫が入ってくる気配すらないのだ。
「今年は蚊が少ないのかな? それとも、この前近所でやってた『大掃除』のおかげかな?」
理由はよく分からないが、とにかく快適だ。 痒みもストレスもなく、毎晩泥のように眠れる。 それは、地味だが何にも代えがたい幸福だった。
◇
その夜の配信。
「みんな聞いて! 最近、蚊がいなくなったんだ!」
ルルは、ここ最近で一番スッキリした顔で報告した。
「なんかね、魔法みたいに一匹もいなくなったの! おかげで毎日ぐっすり眠れるよ。痒くもないし、夏なのにすごく快適!」
「やっぱり、お願いすれば叶うこともあるんだねぇ。 蚊さんも、僕の言うこと聞いてお引越ししてくれたのかな?」
ルルは無邪気に喜んでいる。 その笑顔を見守るコメント欄には、地域生態系を局地的に操作した科学者と、推しを守り抜いた令嬢、そして今回ばかりは満足げな一般人がいた。
『カゲ: ……害虫駆除完了。貴方の清浄なる眠りを妨げるものは、私が全て排除しました』
『ドクター: エリア内の吸血昆虫絶滅を確認。……ふむ、完璧なデータだ』
『ミケ: 孫が笑っておる。それにしても、今年の夏は過ごしやすいな』
『リョウタ: ナイスだお前ら。蚊のいない夏、最高すぎるわ。(……まあ、やり方はSFだったけど、結果オーライだな)』
いつもは胃を痛めるリョウタも、今回ばかりはガッツポーズをしている。 ルルは、自分の「痒い」という一言が、一帯の生物相を書き換えるバイオテクノロジー実験を引き起こしたことなど露知らず。
「あー、幸せだなぁ。今夜もいい夢見れそう!」
そう呟いて、安らかに枕に顔を埋めた。 彼の安眠は、狂気と科学、そして全会一致の殺意によって、鉄壁に守られているのだった。
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