第20話 同接7人の配信者ですが、出張先のビジネスホテルがなぜかスイートルームにアップグレードされている件
「……はぁ。明日から出張かぁ」
平日の夜、午後10時。 小狐ルルは、いつもの雑談配信枠で、憂鬱そうに溜息をついていた。 画面の中の彼女は、頬杖をついて退屈そうに尻尾を揺らしている。
「行くのはいいんだけどね。会社が手配してくれる宿が、いつもすごく古いビジネスホテルなんだよ」
ルルは苦笑いしながら、リスナーたちに愚痴をこぼした。 彼(小暮譲)の勤める会社は、経費削減にうるさい。 あてがわれるのは「訳あり激安プラン」のシングルルームばかり。 壁が薄くて隣のいびきが聞こえたり、ベッドが硬くて翌朝腰が痛くなったりするのは日常茶飯事だ。
「贅沢言っちゃダメだけどね。……でも、たまには手足を伸ばして、ふかふかのベッドで眠りたいなぁ。お風呂も広かったらいいのに」
彼は天井を見上げて呟いた。
「王様みたいな広いお部屋だったら、大事なプレゼンも頑張れるのになぁ……なんてね」
それは、疲れた社畜のささやかな夢想。 しかし、その言葉を聞いた瞬間、コメント欄に潜む「狂気の令嬢」の瞳が、怪しく光った。
『カゲ: ……「王様のような安息」。承知しました』
『リョウタ: 出張お疲れ。まあ、耳栓して寝るしかないな』
「だよねぇ。……よし、頑張って行ってくるよ! 明日の夜は出張先から配信するね!」
◇
翌朝。 小暮が出張先へ向かう新幹線に乗っている頃。 彼の職場のオフィスには、冷徹な事務員・影山 栞の姿があった。
「……総務部ですか? 技術課の小暮さんの出張宿泊先について確認です」
彼女は受話器を耳に当てながら、手元のキーボードを高速で叩いていた。 画面には、小暮が泊まる予定の『ビジネスホテル・ポコペン』の予約データが表示されている。 同僚である彼女にとって、彼のスケジュールを把握することなど造作もないことだ。
「ええ。経費規定は理解しています。ですが……」
彼女の眼鏡の奥の瞳が、絶対零度まで冷え込んだ。
「我が社の貴重な技術者(推し)を、あのような劣悪な独房に押し込めるとは、どういう判断ですか? 彼のパフォーマンス低下による損失を計算できないのですか?」
電話口の総務部員が怯む気配がする。 だが、栞はすでに「裏」の手を打っていた。
「……いえ、結構です。宿泊先の変更は認められない規則でしたね。 ならば、『宿泊先』そのものを変え(買え)ばいいだけの話です」
彼女は電話を切ると、私用のスマートフォン――影山財閥のホットラインを取り出した。
「……私です。 M県の『ビジネスホテル・ポコペン』。 今すぐ影山グループの傘下に収めなさい。 そして、最上階のフロアを全面改装。 期限は今日の夕方、彼がチェックインするまでです」
彼女は淡々と、しかし恐ろしい指示を飛ばす。
「最高級のキングサイズベッド、防音設備、専属シェフのルームサービスを配備すること。 ……一秒でも遅れたら、そのホテルを更地にしますわよ?」
彼女にとって、会社の経費規定など紙屑同然。 推しが「ビジネスホテル」に泊まるという事実(既成事実)を変えずに、中身だけを「王宮」に変えればいい。 それが、最強のストーカーにして同僚である彼女の「根回し」だ。
◇
数時間後。夕方。
「……ここか」
小暮は、出張先のホテルに到着した。 外観は、いつもの古びたビジネスホテルだ。看板も薄汚れている。 彼は覚悟を決めて、フロントに向かった。
「予約していた小暮ですが……」 「お待ちしておりました、小暮様!!」
フロントスタッフ(全員、影山家から派遣された一流ホテルマンに入れ替わっている)が、最敬礼で迎えた。
「お部屋はこちらでございます。最上階の『エグゼクティブ・ビジネス・シングル』をご用意いたしました」 「は、はぁ……」
小暮は訳もわからず鍵を受け取り、エレベーターで最上階へ。 ドアを開けた瞬間、彼の思考は停止した。
「……え?」
そこは、外観からは想像もつかない異空間だった。 床にはフカフカのペルシャ絨毯。 壁一面の窓からは夜景が一望でき、部屋の中央には王族が使うような天蓋付きの巨大ベッドが鎮座している。 バスルームは総大理石で、なぜかバラの花びらが浮いている。
「な、なんですかこれ!? 部屋、間違えてませんか!?」
彼は慌ててフロントに電話した。
『いいえ、間違いございません。 当ホテルでは、稀に設備の不調などで、お客様を「特別室」へご案内するシステムがございまして……。 本日は小暮様がその「大当たり(ジャックポット)」でございます』
「ええええええ……」
そんな都合の良い話があるだろうか。 しかし、ふかふかのベッドに恐る恐る腰を下ろすと、旅の疲れが嘘のように溶けていく。
「……すごい。魔法みたいだ」
◇
その夜の配信。
「みんな聞いて! ビジネスホテルですごい奇跡が起きたんだ!」
画面には、豪華絢爛なスイートルームの写真が表示されている。 ルルは興奮気味に、手足をバタつかせている。
「なんか『部屋のアップグレード』が当たったんだって! 外見はボロボロなのに、中身は王様のお城みたいなんだよ! おかげで明日のプレゼン、すっごく頑張れそう!」
ルルは無邪気に「ラッキーだったなぁ」と笑っている。 その満面の笑みを見守るコメント欄には、仕事を完遂した同僚と、ドン引きする常連たちがいた。
『カゲ: ……それは重畳。日頃の行いが良いから、神様(私)が見ていたのでしょう』
『ミケ: ほう。ビジネスホテルにしては良い趣味だ。そのホテル、評価してやろう』
『admin: 空間拡張技術か? 建物の容積と内装の尺度が合わない。物理的干渉の痕跡がある』
『リョウタ: (カゲさん……。あのホテルチェーン、夕方のニュースで「謎の投資会社に買収された」ってやってたぞ……。お前か……)』
ルルは、自分が泊まっている部屋が、一人の同僚の執念によって半日で作り上げられた「愛の要塞」だとは露知らず。
「あー、幸せだなぁ。出張も悪くないねぇ」
そう呟いて、冷蔵庫に入っていた最高級シャンパン(サービス)をジュースだと思って美味しそうに飲んだ。 その様子を、帰宅した自宅のモニターで眺める栞は、頬を赤らめながら「録画保存」のボタンを連打するのだった。
本日のメイン登場人物
小狐ルル:主人公、小暮 譲の中の人。……中の人?
カゲ:すごいよね?まさか出張先のビジネスホテルを買収するなんて。




