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第14話 【過去編】氷の令嬢と同僚の半額弁当 ~私が陰で支える女になった日~

「……お嬢様。本日の会食は……」

「車を止めて」


雨の降る夜8時。 私は執事の制止を振り切り、黒塗りのリムジンを路肩に止めさせた。 私の名は、影山かげやま しおり。 この国の経済を裏で操る『影山財閥』の分家令嬢だ。


「……もう、着替えるわ」


私は後部座席のカーテンを閉めると、数百万円のオーダーメイドドレスを脱ぎ捨てた。 代わりに身につけたのは、量販店で買った安物のジャージと、伊達眼鏡。 これは私が「庶民」に紛れ込み、世間を監視するための擬態カモフラージュだ。


「これなら、誰も私を『資産ポートフォリオ』として見ない」


今夜の婚約者候補も最悪だった。 私の目を見ることもなく、影山家の「株価」と「持参金」の話しかしなかった。 私の周りには、私という人間そのものを見る者はいない。私はただの、美しく飾り付けられた金融商品に過ぎないのだ。


「……消えたい」


空腹だったが、それ以上に心が摩耗していた。 私は車を降り、雨の中を歩き出した。 ふと、目の前に古びたスーパーマーケットが現れた。 今の私の、このどん底の気分には、この薄暗くて安っぽい場所がお似合いだ。


   ◇


店内は、蛍光灯の光が寒々しかった。 私はカゴも持たずに惣菜コーナーへ向かう。


ふと、先に客がいた。 見覚えがある背中。 職場の技術課にいる、 小暮こぐれ ゆずる だ。 私が身分を隠して潜入している会社の、冴えない平社員。 いつも上司に頭を下げ、損ばかりしている「負債リスク」のような男。


彼は、売れ残った最後の一つの『鮭弁当』を見つけると、ふっと肩の力を抜いた。


「あ、ラッキー。残ってた」


店員が半額シールを貼る。 彼はそれを、ごく自然に、日常の一コマとしてカゴに入れた。 大袈裟に喜ぶでもなく、ただ「今日は運が良かったな」と微笑むだけの、ささやかな満足。


(……理解不能ね)


たかが数百円の差額。 それで「ラッキー」と笑えるなんて、なんと安上がりな人生なのか。


「……くだらない」


そう吐き捨てて、通り過ぎようとした時――。


グゥ~……。


間の悪いことに、私のお腹が小さく鳴った。 静かな店内に、その音が響く。


「……っ!」


私はジャージのフードを目深にかぶり、顔を背けた。 変装しているとはいえ、他人に弱みを見せるなど、私のプライドが許さない。 今すぐ立ち去ろう。そう思ったのに。


「……あれ? もしかして」


背後から、声がした。 まさか。このジャージ姿で、私だと気づく人間がいるはずがない。 私は無視して歩き出そうとしたが、彼は回り込んで私の顔を覗き込んだ。


「やっぱり。……総務課の、影山さんだよね?」


「……っ!?」


心臓が跳ねた。 なぜバレた? 職場での私は、地味な制服にひっつめ髪。今は髪を下ろしてジャージ姿だ。 親族ですら気づかない変装なのに。


「人違いです」

「いや、間違いないよ。だって影山さん、いつもデスクで背筋がピンと伸びてるから。立ち姿ですぐ分かったよ」


彼は、屈託なく笑った。 普段から、私のことを見ていないと気づかないような些細な特徴。 それを、この男は覚えていたというのか。


「……それで? 私が影山だと知って、何の用ですか」


私は冷たく言い放った。 どうせ「こんな所で何をしてるんですか」と詮索するか、嘲笑うつもりだろう。 しかし、彼の視線は私の顔色に向けられていた。


「影山さん……なんか、すごい顔色悪いよ。今にも泣き出しそうに見える」


「……は?」


「仕事で何かあった? それとも嫌なことでもあった? ……雨に濡れてるし、放っておけないよ」


彼は眉を下げ、心底心配そうに私を見ていた。 「影山家の令嬢」としてではなく、「落ち込んでいる同僚」として。


「はい、これ」


彼は、自分のカゴに入っていた『鮭弁当』を、私の手に押し付けた。


「え……?」

「お腹も空いてるんでしょ? これ食べて、元気出しなよ」


「……意味がわかりません。これは貴方が買おうとしたものでしょう? これを私に譲って、貴方に何のメリット(利益)があるのですか?」


私は思わず、投資家の論理で問い詰めた。 彼はきょとんとして、そして困ったように笑った。


「メリット? うーん……あ、そうだ! 影山さんが明日、元気に出社してくれたら、僕も嬉しいかな。それがメリットってことで!」


「…………」


「あ、僕カップ麺でいいから! 温かくして寝るんだよ! じゃあね!」


彼はそれだけ言うと、軽い足取りでカップ麺コーナーへ消えていった。 残された私の手には、まだ温かい弁当。


私の思考回路ロジックが、エラーを吐いた。 誰も私の中身なんて見ていなかった。 婚約者も、親も、世間も。 なのに、この冴えない同僚だけが、変装した私を見抜き、その「悲しみ」に気づき、自分の食事を犠牲にして手を差し伸べた。


(……こんな『優良物件』が、市場に放置されているの?)


泥のような社交界にも、冷徹なビジネスの世界にも存在しなかった、純度100%の「善意」。 それは、どんな暴落クラッシュが起きても価値が変わらない、世界で一番安全で、美しい資産に見えた。


   ◇


その夜。 都内を一望できるタワーマンションの最上階。 私はジャージ姿のまま、ソファに座り込んでいた。 テーブルの上には、あの『半額弁当』。


「……いただきます」


冷めたコロッケ。湿ったご飯。 本来なら、私の舌に合うはずもないジャンクフード。 けれど、一口食べた瞬間、空っぽだった胸の奥が満たされた。


「……美味しい」


涙が出そうだった。 どんな三つ星シェフの料理よりも、この数百円の弁当の方が、私の心を豊かにしてくれた。


「……欲しい」


私は呟いた。 株も、土地も、権力も、もういらない。 私のポートフォリオ(資産構成)に必要なのは、あの「光」だけだ。


「私が、独占バイアウトしなきゃ」


他の誰かに奪われる前に。 彼が無防備な善意のまま、悪い人間に搾取される前に。 影山家の全財産と、私のハッキングスキルを総動員して、小暮譲という「資産」を完全に管理下に置かなければ。


私はPCを開いた。 瞳の奥にあるのは、冷徹な令嬢の光ではなく、獲物を狙うハンターの熱。 彼のアカウントを特定し、動画サイトのログを見つけるのに、10分もかからなかった。


『……お弁当、美味しく食べてくれたかなぁ。僕の同僚さん、いつも頑張り屋さんだから、無理してないといいけど……』


画面の中の彼は、ネットの片隅でも、私の幸せを願っていた。 その瞬間、私の投資判断は「確信」に変わった。


「ふふ……。小暮先輩」


私は、彼のアパートのWebカメラ映像を、80インチの巨大モニターに映し出した。 カップ麺をすする彼の姿は、私にとってどんな芸術品アートよりも価値がある。


アカウントを作成する。名前は『カゲ』。 私はキーボードを叩き、最初の投資コメントを行った。


『カゲ: ……鮭弁当、生涯最高の味でした。貴方の人生、私が買い取ります』


こうして、愛を知らなかった氷の令嬢は、最強の優良資産(推し)を見つけ――世界一重い愛を持つ筆頭株主ストーカーへと生まれ変わったのだった。

本日のメイン登場人物


小暮こぐれ ゆずる:子狐ルルの中の人。コメントを見たときギョッとしたが、弁当をわたしたエピソードを話した後のためそういうロールプレイなのかな?ぐらいに思っている。本人曰く身バレ防止は完璧に対策しているつもり。


影山かげやま しおり:HNカゲ。アカウント特定が簡単すぎてギョッとしたが、自分のことになると無頓着で身バレ防止対策のガバガバさも愛しいと思いなおすことにした。

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