第13話 【過去編】ブラック企業で死にかけていた俺を救ったのは、名もなき配信者の「おつかれさま」だった
「……あと、3時間か」
深夜2時。 蛍光灯がチカチカと点滅する、薄汚れたオフィス。 俺、田中 良太は、山積みになった段ボールと書類の隙間で、始発までの時間をカウントダウンしていた。
「おい田中、その資料まだ終わらねえのか? やる気あんのか?」 「……はい。すみません、課長。すぐやります」
先に帰る上司の背中に、条件反射で頭を下げる。 ここは地獄だ。 月100時間を超えるサービス残業。パワハラ、罵倒、ノルマ。 俺は30代半ばにして、心も体もすり減らし、ただ動くだけの歯車になっていた。
(……ごめんな、由香利、結衣)
ふとスマホの画面を点灯させる。 待ち受け画面には、愛する妻と、3歳になる娘の笑顔。 家族を養うために必死で働いているはずなのに、もう一週間も、娘の起きている顔を見ていない。 家に帰れば、妻も娘も寝ている。俺は泥のように眠り、また早朝に出勤する。 俺は本当に、この子たちの父親でいられているんだろうか?
(帰りたい。……いや、こんなボロボロの顔で帰っても、妻に心配させるだけだ)
コンビニで買った冷え切ったおにぎりを齧る。砂を噛んでいるようだった。 静寂が怖い。自分の心臓の音だけが聞こえて、焦燥感に押しつぶされそうになる。
「……何か、音がないと気が狂いそうだ」
俺は震える手で動画アプリ『ポコポコ動画』を開いた。 有名なYouTuberのハイテンションな動画は、今の俺には眩しすぎて辛い。 もっと、目立たない、静かな……。
検索欄に『作業用』と打ち込む。 スクロールする指が止まった。
『同接3人』 タイトル:『【修理】壊れたラジオを直します。直るといいな』
「……3人か。静かそうでいいな」
サムネイルには、銀髪の狐耳アバターと、ドライバーを持つ手。 今の俺のように「壊れたもの」を直すというタイトルに、なんとなく惹かれてタップした。
◇
画面には、分解された古いラジオと、必死に作業するアバターが映っていた。
『うーん、ここの接触が悪いみたいだねぇ。痛かったねぇ』
配信者――小狐ルルの声は、ボイスチェンジャー越しだが、驚くほど穏やかだった。 しかし、俺がギョッとしたのは、そのコメント欄だった。
『ミケ: そのラジオ、直ったら私が50万で買い取ろう』 『admin: 半田ごての温度が低い。効率が悪いぞ』 『名無し: ルルちゃんの指先、尊い……』
(……なんだこれ?)
俺は引いた。 50万? 効率? 尊い? たった3人の視聴者が、全員どこかズレている。 金持ちの道楽か、理屈っぽいオタクか、重めのファンか。 ここは俺のような「普通の父親」が入っていい場所じゃない気がした。
ブラウザバックしようとした、その時だ。
「あ、いらっしゃい! 初見さんだ!」
ルルが、作業の手を止めて画面を覗き込んだ。 右上のカウンターが『4人』になったことに気づいたのだ。
「こんばんは。……わぁ、こんな深夜にお仕事かな? スーツ着てるアイコンだもんね」
彼は、あの異様なコメント欄の空気をものともせず、俺(会社のPCで撮った証明写真アイコン)に優しく話しかけてきた。
『えっと、そのラジオは?』
俺は恐る恐るコメントした。
「うん。これね、もう古いからって捨てられちゃったんだって。でも、まだ部品は生きてるよ。……磨けば、きっとまた歌えるよ」
ルルは、煤けた部品を布で丁寧に拭きながら言った。
「誰かにとってはゴミでも、僕にとっては大事な宝物だからね。……直してあげたいんだ」
(……俺とは、大違いだな)
俺は自嘲した。 俺はもう、部品も摩耗して、会社という機械の中で使い潰される寸前だ。 妻にも「辛いなら辞めてもいいのよ」と言わせている。 誰にも直してもらえない。俺自身ですら、自分を諦めかけている。
ザザッ……ザザザ……♪
その時、ノイズ混じりに、かすかな音楽が流れた。 ルルが、パァッと顔を輝かせる。
「やった! 直ったよ! 聞こえる? 生きてるよ、この子!」
『ミケ: ほう、本当に直すとは』 『admin: ……計算外だ。なぜその配線で動く?』
コメント欄の変人たちも驚いている。 ルルは本当に嬉しそうに手を叩き、そしてカメラに向かって微笑んだ。
「見てくれてありがとうね。……あ、そうだ」
彼はふと、俺のコメントを見つめた。
「4人目の人。……こんな時間まで起きてるってことは、ご家族のために頑張ってるのかな」
ドクン。
心臓が跳ねた。
「背広、かっこいいね。誰かを守るために戦ってる人の服だね」
彼は、柔らかく目を細めた。
「今日も一日、本当におつかれさま。……えらいね」
「……っ」
その言葉は、上司が言う形式的な「お疲れ」とは違った。 俺の疲れを、痛みを、そして「家族のために歯を食いしばっている孤独」を、すべて包み込んで肯定するような、魂からの労いだった。
「無理しないでね。……君が明日も元気でおうちに帰れたら、僕も嬉しいから」
静寂が戻ったオフィスで、俺は突っ伏して泣いた。
「……う、ぐぅ……っ!」
3年間、誰にも言われなかった言葉。 一番欲しかった言葉。 それをくれたのは、金持ちでも天才でもなく、顔も知らない底辺配信者だった。
「……帰ろう」
涙を拭った時、俺の中で何かが変わった。 ここで死んでる場合じゃない。 俺には待っている妻と娘がいる。そして、この優しい「居場所」がある。
(生き残るために……こんなところで終われない)
俺はキーボードに手を置いた。 ただの歯車じゃない。 家族を守るために、俺はこのクソみたいな会社を、攻略してやる。
「……見てろよ」
その日から、俺の戦い方が変わった。 理不尽な上司には、完璧な「謝罪構文」で怒りの矛先を逸らし、 無理なノルマは、泥臭い「根回し」で回避し、 社内の人間関係を掌握して、自分の居場所を作った。
全ては、少しでも早く家に帰り、家族と夕食を囲み――その後にルルちゃんの配信を見るために。
◇
数ヶ月後。 俺は「社内一の世渡り上手」と呼ばれるようになっていた。 心はもう折れない。俺には守るべき「二つの家族」があるからだ。
リビングのソファで、寝息を立てる娘の頭を撫でながら、俺はイヤホンをつける。 画面の中では、例の金持ち(ミケ)やハッカー(admin)たちが相変わらず暴れている。
『ミケ: 今日の企画につまらん金を出すな! 私が出す!』 『admin: その手順は非効率だ。左から攻めろ』
彼らのコメントでチャット欄が殺伐としそうになった瞬間、俺は素早く入力する。
『リョウタ: ミケさん落ち着いてw adminさんも楽しもうよ。ルルちゃん困ってるからさ』
絶妙なタイミングでの仲裁。 ブラック企業と子育てで鍛え上げた、俺の「空気を読む力」と「包容力」。
「あはは、リョウタさんありがとう! パパさんは頼りになるなぁ~」
ルルちゃんがホッとしたように笑う。 その笑顔を守るためなら、俺は猛獣使いにだってなってやる。
『リョウタ: 今日もおつかれさま。明日も楽しみにしとくわ』
こうして、ブラック企業の社畜は、最強のメンタルと調整力を持つ「唯一の常識人リスナー(パパ)」へと覚醒した。 彼がいなければ、この個性が強すぎるファンコミュニティはとっくに崩壊していた――かもしれない。
本日のメイン登場人物
小狐ルル:例のごとく手元配信を敢行するバ美肉Vライバー。メンタルはたぶん鋼のように強い。
田中 良太:HNリョウタ。奥さんの名前は由香利、娘の名前は結衣。強いパパさん。




