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第12話 【過去編】数百万人のファンを持つトップVtuberが、たった1人の「同接」に嫉妬した夜

「みんなー! 今日も来てくれてありがとう! 愛してるよ~! おやすみなさーい!」


深夜1時。 モニターの中で、天使のようなアバターがウインクをして配信を切った。 彼女の名は、『天塚あまつか シエル』。 チャンネル登録者数400万人、同時接続数は常に数十万人を誇り、「Vtuber界の絶対女王」として君臨するトップアイドルだ。


「……はぁ。やっと終わった」


配信終了ボタンを押した瞬間、部屋の照明が落ちたように、彼女の表情から生気が抜け落ちた。 都心の超高級マンション、最上階の一室。 そこにいるのは、きらびやかなアイドルではない。 ジャージ姿でデスクに突っ伏した、一人の疲れた女性――本名・たちばな エリカだった。


モニターには、先ほどの配信のアーカイブが流れている。 コメント欄は、文字が読めないほどの速度で流れていた。


『シエルちゃん最高!』

『神!』

『結婚して!』

『スパチャ¥50,000』

『スパチャ¥10,000』


称賛の嵐。飛び交う札束。 けれど、エリカの心は冷え切っていた。


「……誰も、エリカを見ていない」


彼らが見ているのは「天塚シエル」というガワ(アバター)だ。「流行」だ。 私が何を言っても、彼らは全肯定botのように賛美するだけ。 そこには、人間同士の「対話」がない。 400万人の歓声は、今の彼女にとって、ただの耳鳴りのようなノイズでしかなかった。


「……静かな場所に、行きたい」


エリカは逃げるように、メインPCの電源を落とした。 そして、引き出しの奥から、仕事とは無縁の古いタブレットを取り出した。 ログインするのは、誰にも教えていない、真っ白なサブアカウント。 名前は『名無し』。


「ここなら、私はただの『名無し』になれる」


彼女は、聞いたこともないような過疎動画サイト『ポコポコ動画』を開いた。 検索条件を『視聴者数の少ない順』にする。 誰もいない、静寂の海に沈みたかった。


そこで、彼女はある配信を見つけた。


『同接0人』 タイトル:『【朗読】眠れない夜に。昔話を読みます』


「0人……。配信してる意味、あるの?」


サムネイルには、手作り感満載の銀髪狐耳アバター。 エリカは興味本位で、その静かな扉を開いた。


   ◇


『……むかしむかし、あるところに』


聞こえてきたのは、ボイスチェンジャー越しの、少しノイズの混じった声だった。 決してプロのような美声ではない。滑舌も甘い。 けれど、その語り口は、深夜の焚き火のように温かく、優しかった。


画面の右端にある「現在の視聴者数」は『1』になった。私が入ったからだ。 他には誰もいない。コメントも流れていない。 完全な静寂。


(……落ち着く)


エリカは目を閉じ、安物のインスタントコーヒーを啜った。 数万人の熱狂よりも、この名もなき配信者の朗読の方が、疲弊した心に染み渡る。


しかし、物語が終わった後、配信者――小狐ルルが発した言葉に、彼女は耳を疑った。


「……うん。今日も良いお話だったねぇ。聞いてくれてありがとうね」


彼は、誰もいない画面に向かって、慈しむように語りかけていた。


「今日は寒かったから、温かくして寝るんだよ? 明日も何か良いことあるといいね」


(……え?)


エリカは目を見開いた。 彼は、誰に話しかけているの? 視聴者数は、私が入るまで「0」だったはずだ。 彼は、誰もいない虚空に向かって、あるいは「未来に来てくれるかもしれない誰か」に向かって、たった一人に語りかけるような濃密な「愛」を注いでいたのだ。


その瞬間。 トップアイドル・天塚シエルではなく、一人の女性・橘エリカの胸の奥で、ドス黒い感情が渦巻いた。


「……ズルい」


私が400万人に愛想を振りまいても、得られなかったもの。 「貴方だけを見ているよ」という、純度100%の個人的な眼差し。 それを、この配信者は、まだ見ぬ誰かに向けている。


(許せない。……その席、私が座りたい)


嫉妬だった。 まだ存在しない「たった一人のリスナー」に対する、強烈な嫉妬。 私がその席を奪ってやる。 その優しい声を、私だけのものにしてやる。


彼女は震える指で、コメントを打ち込んだ。 「天塚シエル」のオーラを消し去り、ただの寂しがり屋の「名無し」として。


『名無し: 眠れないの』


送信ボタンを押す。 反応はどうだ? 大手配信者のように「コメントありがとうございます~」と流すのか?


ルルは、コメントを見つけると、ふわりと破顔した。


「あ、名無しさん。こんばんは。……そっかぁ、眠れないんだね。辛いよねぇ、夜って長いもんね」


彼はマイクに近づき、声をひそめた。


「じゃあ、名無しさんが眠れるまで、もう少しだけお話しようか。……どんなお話が好き?」


ドクン。


心臓が跳ねた。 私だけ。 今、この広いネットの海で、この人は私一人だけのために時間を使っている。 400万人の前では感じたことのない、全能感と充足感。


(……あぁ。これだ)


エリカは、直感した。 ここが私の、橘エリカとしての「居場所サンクチュアリ」だ。 もう、煌びやかなステージも、空虚な歓声もいらない。


『名無し: もっと、読んで。私のために』


「うん、いいよ。名無しさんがウトウトするまで、付き合うからね」


   ◇


翌朝。 彼女は充血した目で、しかし満足げな笑みを浮かべていた。 結局、朝まで話し込んでしまった。 ルルちゃん(中身はおじさんらしいが関係ない)は、嫌な顔一つせず、私の愚痴やワガママに付き合ってくれた。


「……決めたわ」


エリカは「名無し」のアカウント設定画面を開き、通知を『全ON』にした。 トップVtuberとしての名は捨てられない。仕事だからだ。 だが、魂の置き場所は決まった。


「私は、ルルちゃんの『最初のファン(古参)』になる」


そして、暗い瞳で呟いた。


「この特等席は、誰にも譲らない。もし他のリスナーが入ってきたら……」


彼女は、天塚シエルとして培った演技力で、妖艶に微笑んだ。


「私が、オーラで追い出してあげる。……ルルちゃんは、私だけのものよ」


こうして、世界最強のインフルエンサーは、たった一人の底辺配信者を独占するために、裏垢で「最恐の厄介オタク」へと変貌を遂げたのだった。 彼女が後に、ルルの配信を世界的なブームにしてしまい、自分で自分の首を絞める(独占できなくなる)ことになるのは、皮肉な運命である。

本日のメイン登場人物


小狐ルル:バ美肉Vライバー。アーカイブを見てくれるかもしれない視聴者にも優しい。


たちばな エリカ:有名Vtuber、 天塚あまつか シエルとして活動中。HN:名無しはサブアカウント。ガチ恋勢。

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