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第10話 【過去編】鉄の女と呼ばれた政治家が、深夜の公用車で涙を流した理由

深夜0時過ぎ。 首都高速を走る黒塗りのハイヤーの中で、私は偏頭痛にこめかみを揉んだ。 窓ガラスに映るのは、疲れ切った初老の女の顔。


私の名は、剣崎けんざき 塔子とうこ。 与党・民自党の政調会長を務める衆議院議員であり、世間からは『永田町の鉄の女』、あるいは『令和の氷の女王』などと恐れられている。


「……先生。週刊誌の件ですが、やはり秘書の単独犯ということでトカゲの尻尾切りにするしか……」


隣では、若い秘書が青ざめた顔でタブレットを操作している。 私は冷ややかな視線を送った。


「黙りなさい」


一喝すると、秘書はヒッと息を呑んで縮こまった。 今日の派閥会議は最悪だった。 私が目をかけていた若手議員が、裏金疑惑の責任を私になすりつけようとしたのだ。 『剣崎先生の指示でした』と、泣きながら嘘をつく彼を見た時、私の中で何かが完全に冷え切ってしまった。


(……腐っている。どいつもこいつも)


毎日、泥沼のような足の引っ張り合い。 国民のため? 国益のため? そんな綺麗な言葉を口にする人間は、この永田町にはもう私一人もいないのかもしれない。 いや、私自身も、いつの間にかその「毒」に侵されているのではないか?


「……疲れたわ」


ふと、手元のスマホを開く。 ニュースアプリは見たくない。「剣崎塔子の疑惑」「辞任秒読みか」といった文字が踊っているだけだ。 指が迷って、先日若者文化の視察用に入れた動画アプリ『ポコポコ動画』をタップした。


おすすめ欄には、派手な文字が並んでいる。 『激辛食べてみた!』『○○に物申す!』 ……うるさい。国会と同じだ。大声を出した者が勝つ世界。


その時、画面の隅にひっそりと浮かぶ、地味なサムネイルが目に入った。


『同接1人』 タイトル:『【初見】のんびり街づくりします。みんなが笑える街にしたいな』


「……1人、か」


今の私のようだ。 そう自嘲して、私はその扉を開いた。


   ◇


画面に映っていたのは、銀髪の狐耳少女のアバター。 声はボイスチェンジャーを使っているのだろう、少しノイズ混じりの男の声だ。


「えーっと、ここに道路を引いて……あ、資金が足りないや」


彼――小狐ルルがプレイしているのは、私もよく知る都市開発シミュレーションゲームだった。 しかし、そのプレイ内容は……。


(……下手すぎる)


私は思わず眉をひそめた。 都市計画がまるでなっていない。 住宅地区と工場地区が近すぎて公害が発生しているし、道路網が非効率で渋滞が起きている。 案の定、画面上の「支持率」は低下し、財政は赤字だ。


(馬鹿なの? 商業区画の税率を一時的に上げて、福祉予算をカットしなさい。そうすれば黒字化するわ。支持率なんて、次の選挙の前にバラマキ政策をすれば回復するのよ)


職業病だろうか。 画面の中の「無能な市長」に、無性にイライラしてくる。 数字が見えていない。効率が悪すぎる。 見るのをやめよう。そう思った矢先だった。


画面に、警告ウィンドウが表示された。


『財政難です! 街の維持費が足りません』

『駅前の公園を売却して、商業ビルを建てますか?』

『YES / NO』


当然、YESだ。 あんな一等地に公園など無駄だ。売却益で赤字を補填するのが、行政の定石。 子供でも分かる合理的な判断。 私がこれまで、何度も判を押してきた種類の決断だ。


しかし。 ルルは、迷わず『NO』をクリックした。


「えー、やだよ。売らない」


(は?)


私はスマホを握りしめた。 画面の中では、秘書官キャラが『市長! このままでは破産します!』と警告している。


「だってさ、この公園、小学校の隣にあるんだよ? ここが無くなったら、学校帰りの子供たちはどこで遊べばいいの?」


彼は、困ったように笑いながら、独り言のように続けた。


「数字の上では『無駄』かもしれないけど、そこには誰かの『思い出』があるんだよ。……僕はね、たとえ貧乏な街でも、子供たちが放課後に笑っていられる街にしたいんだ」


彼はマウスを動かし、自分の市長給与を「ゼロ」に設定した。 それで浮いた僅かな予算で、公園の維持費を捻出したのだ。


「あはは、僕が晩ごはんを抜けば解決だね! よーし、この公園に新しいブランコも置いちゃおう!」


   ◇


気がつくと、視界が滲んでいた。


「……馬鹿よ。本当に……非効率で、計算ができない、大馬鹿者だわ」


涙が、止まらなかった。 30年前。まだ私が地方議員だった頃。 「剣崎」という鋭い名前に負けないよう、背筋を伸ばして、私も同じことを言っていなかったか? 『数字よりも、一人の笑顔を守りたい』と。 そう叫んで、選挙カーの上で声を枯らしていなかったか?


いつからだろう。 「大局的な判断」という言葉で、小さな声を切り捨てるようになったのは。 「清濁併せ呑む」と言い訳をして、濁りきった泥水を飲み干すようになったのは。


(貴方は……私の先生ね)


画面の中の彼は、相変わらず赤字経営に四苦八苦している。 でも、彼が作ったその歪な街には、なぜか温かい光が宿っているように見えた。


私は震える指で、アカウント登録を行った。 ユーザー名は……夜通し国を見張る番人、『フクロウ』。


クレジットカードを取り出し、上限額を入力する。 これは寄付ではない。 私の汚れた魂を洗い流してくれた、彼への授業料だ。


『スパチャ: ¥50,000』

『フクロウ: 地方交付税交付金スパチャよ。その公園、絶対に守りなさい』


画面の中の狐耳が、ぴくりと動いた。


「えっ!? ご、ごご、ごまんえん!? えええ!? フクロウさん!? く、国からの補助金!? 公園守るよ! 絶対守るからね! ありがとう!!」


慌てふためき、何度も頭を下げる彼を見て、私は久しぶりに声を出して笑った。 胸のつかえが取れたようだった。


「……出しなさい」


「は、はい?」 運転席の秘書が怯えた声を出す。


「明日の会見資料よ。全部書き直すわ。……トカゲの尻尾切りなんて、みっともない真似はやめましょう」


私は涙を拭い、ルルちゃんの配信をバックグラウンド再生にしたまま、書類を開いた。


「剣崎塔子は、あの子に見られても恥ずかしくない政治家になるわ。……全力で働きなさい、ついてこれる?」


秘書が、バックミラー越しに息を呑んだのが分かった。 今の私は、きっと冷酷な「鉄の女」ではなく、30年前の「情熱家」の顔をしていたはずだ。


これが、私が彼――小狐ルルに忠誠を誓った、始まりの夜。

本日のメイン登場人物


小狐ルル:都市開発シミュレーションが下手


剣崎けんざき 塔子とうこ:都市開発シミュレーションが上手。HNフクロウ。 与党・民自党の政調会長を務める衆議院議員。

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