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第4話:人間としての戦い

 寒い。


 左肩から、いのちがドクドクと流れ出していくのが分かる。


 (ああ、死ぬんだ)


 リセットはない。このまま意識が途切れれば、それは永遠の闇だ。


 「いやだ……死なせない、死なせないっ!」


 カイルの悲鳴が聞こえる。


 彼は血溜まりの中で私を抱きかかえ、半狂乱になっていた。回復魔法の詠唱もままならないほど、唇が震えている。


 「止まらない……血が、止まらないんだ……っ! どうすれば、どうすれば……!」


 ポーションは尽きている。魔力も枯渇寸前。


 カイルの瞳が、恐怖で見開かれている。これまで「死」をただのスイッチとして扱ってきた彼が、初めて「取り返しのつかない喪失」に直面し、子供のように怯えている。


 魔王の重い足音が近づいてくる。時間がない。


 「カイル……焼いて……」


「え……?」


「傷口を……魔法で……塞いで……っ」


 私の掠れた声に、カイルが息を呑む。


 そんなことをすれば、どんな激痛が走るか。その痛みを消すためのリセットは、もうできないのだ。


 「で、できないよ……そんな、痛いこと……!」


「やるのよ……! 生きたいなら……!」


 カイルは歯を食いしばり、涙でぐしゃぐしゃの顔を上げた。


 彼は私の左肩に手をかざす。その指先が、小刻みに震えている。


 「……ごめん。ごめん、エリスッ!!」


 カイルの手のひらから、極低温の冷気が噴出された。


 ジュウッ、という肉が焼けるような音が鼓膜を打つ。


 「ぎ、あああああああああああっ!!」


 喉が裂けるほどの絶叫が漏れた。


 冷たいはずの氷魔法が、神経を直接火箸でえぐるような灼熱となって脳髄を駆け巡る。


 視界が白飛びし、意識が飛びそうになるのを、歯が砕けるほど食いしばって耐える。


 痛い。痛い。痛い。


 ――けれど、これが「生きている」ということだ。


 傷口が凍結し、出血が止まる。


 私はガクガクと痙攣しながら、荒い息を吐いた。カイルもまた、脱力したように私の胸に額を押し付けて泣いていた。


 「怖かった……怖かったよぉ……」


 勇者の鎧は血とゲロで汚れ、その姿はあまりにも情けない。


 けれど、その温かい涙の感触こそが、私が求めていた「人間・カイル」の姿だった。


 ドォォン!


 魔王の大剣が床を砕き、瓦礫が降り注ぐ。


 猶予は終わった。


 カイルは私を庇うように立ち上がろうとしたが、膝が笑って力が入らないようだ。数千回の死の記憶が逆流したショックと、今の恐怖が、彼の足を縛り付けている。


 「無理だ……勝てない。パターンが、もう見えないんだ」


 カイルが絶望的に首を振る。


 未来予知も、やり直しもない。次の一撃が当たれば、私たちはミンチになって終わる。


 完璧な正解ルートは見えない。あるのは、泥沼の死闘だけ。


 私は、残った右手を伸ばし、カイルのマントを掴んだ。


 「立って、カイル」


「エリス……?」


「完璧じゃなくていい。無傷じゃなくていい。……泥だらけで、血まみれで、みっともなくてもいいから」


 私は、血の気を失った唇で、精一杯の笑みを浮かべた。


 隻腕の聖女。もはや祈ることしかできない、無力な「観測者」。


 それでも、私の言葉はカイルに届くはずだ。


 「あなたは私の、唯一の英雄ヒーローでしょう?」


 カイルの瞳に、光が宿る。


 彼は自身の頬を両手でパァン!と叩き、震える足に力を込めた。


 聖剣を握り直す。その構えには、もうかつてのような優雅さはない。重心を低く落とした、獣のような構え。


 「……ああ。行ってくる」


 カイルが吼えた。


 魔王に向かって、真っ直ぐに突っ込んでいく。


 これまでなら回避していたはずの、魔王の横薙ぎの一撃。


 カイルは避けない。


 ガキンッ!!


 鎧の肩口が砕け、肉が裂ける音がする。鮮血が舞う。


 「ぐ、ぅ……おおおおおおっ!!」


 痛みで動きを止めるどころか、彼はその痛みを燃料にして加速した。


 肉を切らせて骨を断つ。


 防御を捨て、回避を捨て、ただ「相手を殺す」ためだけの一撃を放つ。


 魔王の爪がカイルの脇腹を抉る。


 カイルの剣が魔王の腕を切り落とす。


 殴り合いだ。


 高尚な戦いではない。互いに命を削り合う、醜くも凄惨な殺し合い。


 私は涙が止まらなかった。


 痛々しい。見ていられない。


 けれど、今の彼は、これまで見たどの瞬間よりも、鮮烈に「生きて」いた。


 「これでぇぇぇぇっ!!」


 カイルが魔王の懐に飛び込み、折れた聖剣を心臓部へと突き立てる。


 魔王の腕がカイルの背中を貫こうと迫る。


 間に合うか。死ぬか。


 リセットのない、たった一度きりの賭け。


 ズドォォォォン……!


 魔王の巨体が、崩れ落ちた。


 カイルは、魔王の身体に剣を突き立てたまま、荒い息を吐いて立ち尽くしていた。


 背中を狙った爪は、鎧の薄皮一枚で止まっていた。


 勝った。


 やり直しなしの、一度きりの勝利。


 静寂が戻った魔王の間に、私たちの呼吸音だけが響く。


 カイルがふらふらと歩み寄り、私の隣に崩れ落ちた。


 ひどい有様だった。


 自慢の白銀の鎧は砕け散り、全身が血にまみれ、顔は腫れ上がり、片目は塞がっている。


 私も、左腕を失い、ドレスは赤黒く染まっている。


 かつての「無傷の凱旋」とは程遠い。


 けれど。


 「……い、てて」


 カイルが顔を歪めて笑った。


 腫れ上がった頬を引きつらせて、本当に嬉しそうに。


 「生きてる……痛いなぁ。すごく、痛いよ、エリス」


「……ええ。私も、すごく痛い」


「よかった……。君が痛がっていて、本当によかった」


 カイルが残った右腕で、私を壊れ物のように優しく抱きしめる。


 体温が伝わる。


 それは、死にゆく者の冷たさでも、リセットされた偽りの温もりでもない。脈打ち、熱を発する、確かな生命の熱。


 失った左腕は、もう戻らない。


 この痛みも、傷跡も、一生消えないだろう。


 それでも。


 私は残った右手を、カイルの背中に回した。


 彼が背負っていた数千回の孤独と、罪と、愛を、すべて受け止めるように。


 カイルが私の肩に顔を埋め、子供のように泣きじゃくる。


「生きててよかった」「死にたくない」と、当たり前のことを呟きながら。


 私は彼の耳元に唇を寄せ、愛と、少しの恨みと、これからの誓いを込めて囁いた。


 「もう二度と、逃がさないから」


 カイルが身体を震わせ、ぎゅっと抱きしめ返してくる。


 その痛みさえも、今は愛おしかった。


 「あなたの『死に癖』だけは、絶対に許さないんだから」


 瓦礫の隙間から、朝日が差し込んでくる。


 眩しすぎて、涙が出た。


 不完全で、痛みに満ちた、私たちの新しい世界が、今ここから始まるのだ。

 


ここまでお読みいただきありがとうございます! 本作は【全4話完結済み】です。

「もっと重厚な戦略戦を楽しみたい方は、2025/12/18に完結するこちらの長編もぜひ!」 → 『異世界の司令塔』

https://ncode.syosetu.com/n6833ll/


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