**世界規模の共産勢力拡張が一斉に動き出す“赤い1941年”**
1941年10月 “赤い稲妻作戦”拡大
― 第二次世界大戦の全地球化 ―
---
背景:共産ブロックの戦略的転換(1941年夏)
ポーランド併合後、ソ連とドイツの指導部は、
「世界革命の第二段階」として次の戦略を策定します。
“西へ一撃、東へ一撃(満州)”
― ヨーロッパとアジアを同時に動揺させ、
資本主義包囲網を一挙に崩壊させる。
この方針は、モスクワとベルリンの「共同参謀会議」(1941年8月)で正式に合意。
同時に、スペイン共産共和国・ポーランド人民共和国・中国共産党延安政府もこれを承認
します。
---
西部戦線:ドイツ人民軍のフランス侵攻
コードネーム:「赤い冬作戦(Rote Winteroffensive)」
• 開始:1941年10月5日
• 参加兵力:約220万(独・ポーランド・スペイン混成軍)
• 主目標:フランス北部およびパリの制圧
---
攻撃経路と初期戦況
方面 主攻部隊 作戦経路 戦果
北部戦線 ドイツ第1装甲軍 ベルギー経由でフランス北部侵入 アルデンヌ防衛線を突破
西部戦線 ポーランド義勇軍 ルクセンブルク・ロレーヌを攻撃 メス陥落
南部戦線 スペイン義勇軍 ピレネー越えでトゥールーズ方面へ フランス軍の後背撹乱
10月末には、パリが三方向から包囲され、
わずか5週間でフランス陸軍は崩壊寸前に。
史実の「1940年フランス侵攻」よりもさらに急速で、
ドイツは電撃戦を共産戦略でも再現した形になります。
---
フランスの対応
• 政府は南部に撤退。
• 共産主義シンパ(フランス共産党)が蜂起し、国内で内戦状態。
• 英軍はダンケルクから再度撤退作戦を実施(第二次ダンケルク撤退)。
→ 英仏の「反共同盟」は大陸から事実上駆逐。
---
東部戦線:ソ連極東軍の満州侵攻
コードネーム:「東方防衛作戦(Operation Vostok)」
(実際は侵攻作戦)
• 開始:1941年10月10日
• 発動部隊:極東方面軍(約90万人、戦車3,000両、航空機1,000機)
• 作戦目的:満州・朝鮮を突破し、日本勢力を北から圧迫
---
作戦経過
時期 内容
10月10日 ソ連軍が満ソ国境線全域で砲撃開始。
10月11日 ハイラル・チチハル・興安嶺方面で大規模突破。
10月13日 ソ連軍、黒河・ジャムス方面を制圧。東西から包囲。
10月20日 奉天(瀋陽)に空襲開始。満州鉄道の輸送網麻痺。
11月初頭 満州国軍崩壊。日本関東軍は長春・吉林線で防衛戦。
---
日本政府の対応
• 東京は緊急閣議を開催(10月11日)。
• 外交的抗議と同時に「防共出動命令」を発令。
• 満州防衛を名目に陸軍50万を動員。
• ただし日中停戦中のため、華北からの支援が限定的。
• 中華民国(蒋介石)は「東亜の平和を守る」として、
華北防衛のため限定的に日本軍に協力(史実にはない共闘)。
→ 実質的に「日・中華民国 vs ソ連」構図が成立。
---
世界の反応(1941年末)
陣営 主な反応
英米仏 フランス敗北により欧州で孤立。英は本土防衛体制に入る。米は中立維持も援助
法を発動。
日中陣営 ソ連の侵攻を受けて「東亜防衛協定」を締結(反共軍事同盟の原型)。
ソ独陣営 「世界革命の最終段階」と宣言。共産インターナショナル再建を宣言。
イタリア 英仏側に立ち、地中海防衛に参加。南欧戦線が開く。
アメリカ 欧州・アジアの両戦線に警戒を強め、太平洋艦隊をハワイに移動(史実同
様)。
---
戦略的結果:
― 世界が二正面の“赤い嵐”に包まれる ―
地域 主戦場 状況
西ヨーロッパ フランス ドイツ軍の勝利・共産化の危機
東アジア 満州・朝鮮 ソ連軍が侵攻、日本・中華民国が共同防衛
中央アジア 新疆 中国共産党・ソ連軍の補給路
地中海 イタリア・英海軍 vs ドイツ・スペイン海軍
この同時侵攻は、史実の「独ソ戦」+「真珠湾攻撃」に代わる
**“赤い大進撃”**として世界の均衡を一気に崩壊させます。
---
日本の運命線
• 満州が一時的に切り裂かれ、朝鮮北部にも戦火が波及。
• 北海道・樺太へのソ連空襲が発生。
• 日本はアジア全域の反共防衛を掲げ、英米と秘密軍事協力を開始。
• ルーズベルト政権は「極東レンドリース」を提案(史実ではソ連に供与した支援を、こ
こでは日本に転用)。
→ この瞬間、日本は**“東方の反共防波堤”**として西側陣営に加わり、
以後の国際秩序における立場を決定づけます。
---
小結:1941年の意義
観点 内容
戦略転換 共産陣営が東西同時侵攻を実施(欧州+アジア)
結果 フランスが陥落、満州戦線が激化
影響 英日連携が成立、アメリカが事実上参戦へ傾く
歴史的意義 世界が「東西二正面の第二次世界大戦」へ突入




