1980年代:共産ドイツの強権化 「革命は妥協した瞬間に死ぬ」
背景
• ソ連はペレストロイカにより対外的に緩和
• イタリア・フランス・日本は多元的市場圏を形成しつつ安定
• 東欧諸国(特にチェコ・ハンガリー・スロベニア)では
生活改善要求 → 自治要求 → 民主化要求 が連鎖
これに対して、
ドイツ共産党指導部は「革命の逆流」と認識する。
ドイツ指導層の信念
• 国家は「革命の最前線」
• 妥協は「史的使命の裏切り」
• 東欧の自由化は 自国体制の基礎を破壊する毒
よって、政治判断はこうなる:
東欧は「守るべき防壁」であり、揺らぎは許されない。
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1987–1991:東欧民主化運動とドイツの軍事介入
Ⅰ. ハンガリー民主化運動(1987)
• 労働組合が統制経済の見直しを要求
• 大学生運動が「自由メディア」を掲げる
• ハンガリー政府は ソ連に調停を要請
→ ソ連は仲裁姿勢:「暴力弾圧は避けろ」
→ ドイツは激怒:「ソ連は革命精神を失った」
ドイツの対応
• 「友好防衛条約」発動を宣言
• 東ドイツ機械化部隊が 国境を越えてブダペストへ進軍
→ 戦車による威嚇と指導部逮捕
世界は震えるが、米英日は介入できない
(東欧は核大国の前線、直接戦争は避けざるを得ない)
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Ⅱ. チェコ・スロバキア蜂起(1988)
「我々はハンガリーではない」「プラハは屈しない」
• 劇場人・学者・学生による市民蜂起
• デモは市街を埋め尽くし、武装警察が制圧不能
ドイツ、再び「友好防衛」を口実に派兵
• 今回は 実弾使用
• プラハ旧市街が戦闘地帯へ
• 国際世論は “第二のプラハの春ではなく、第二のハンガリー1956” と受け止める
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Ⅲ. ソ連の立場
ここが 史実と最大に異なる点。
ゴルバチョフはこう判断する:
選択肢 意味 影響
ドイツを支持 革命の暴力を肯定 → 自らの改革理念崩壊
ドイツを批判 東欧に「独自行動の正統性」を与える → ブロック瓦解
中立(“静かな拒否”) 帝国の保全を優先し、ドイツを孤立させる ドイツの強硬化に拍車
結果:
ソ連は軍を動かさない。
ドイツは“孤独な熱狂帝国”となる。
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国際秩序に生じる構造変化
地域 状況 効果
東欧 ドイツによって「表面上は安定」、しかし内部は火山 潜在的爆発性増大
ソ連 「責任ある大国」の評価上昇 イタリア・日本と協調圏強化
ドイツ 急速に正統性を失うが、軍事力で延命 “孤立した革命国家”へ変質
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総括
1980年代末、冷戦は「米 vs ソ連」ではなく
「ソ連・イタリア・日本 vs ドイツ・東欧強硬派」
という対立軸へ移動する。
ソ連は 帝国を調整し、長持ちさせようとする国家
ドイツは 革命を永続させようとして自らを追い詰める国家
そして——
ドイツは1990年代に必ず“決断の瞬間”を迎える。




