表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
43/67

ローマ解放戦(1979年9月〜1980年3月) 永遠の都は、包囲を破り、自ら呼吸を取り戻した

Ⅰ. 戦況の決定的転換点(1979年9月)

ナポリ解放により、状況は根本から反転した。

要素 北イタリア包囲軍 南イタリア+英米軍

補給 限界(山越え・長距離輸送) 海と鉄道で安定供給

士気 統一理念が曇り始める 「ローマを取り戻す」という確信

軍隊構造 機械化は維持されるが人員が摩耗 再編成により質が上昇

民衆支持 占領軍扱いされ始める 都市共同体と教会が結束

つまり:

まだ戦えるのは南側だった。

北側は“勝てない戦争”を続けている状態に入った。

---

Ⅱ. 連合軍の作戦計画

作戦名:Operazione Roma Libera(ローマ解放作戦)

目的

• ローマ市街に直接突入しない

• 包囲網の“首”を切る

つまり:

(北軍)

↓ 包囲 ↓

[ローマ] ←正面攻撃せず

[南軍+英米軍] → 包囲軍背後の補給路を切断する

攻撃目標は ローマではなく、補給線(オルヴィエート〜ヴィテルボ〜シエナ方面)。

---

Ⅲ. 反攻の開始(1979年11月)

1. トスカーナ断層突破

• 英陸軍と南イタリア義勇軍が シエナ周辺の山岳回廊を突破

• 北軍補給中枢の輸送車両が破壊されはじめる

2. ローマ包囲軍の分断

• 米海兵隊と機械化部隊が ヴィテルボ高原を急進

• 包囲線は 東西で二つに裂ける

3. ローマ市内での“内側からの反攻”

• 市民義勇団が、包囲軍が薄くなった路地に対して 局地蜂起

• 司祭と修道士が避難経路と連絡を統制

• 教会の鐘が狼煙として使われる

ローマ市民は、解放軍を外から待つのではなく、内から勝利を迎えにいった。

---

Ⅳ. ローマ解放(1980年2月14日)

その日の情景

• ローマ北門 ポルタ・デル・ポポロ

そこに最初に現れたのは米海兵隊ではなかった。

→ 南イタリア市民義勇軍だった。

• 続いて英軍・米軍・イタリア王党派部隊が入城

• 北軍の撤退は組織的で、崩壊ではなかった

※ここが戦争の“次の章”につながるポイント

バチカンの振る舞い

サン・ピエトロ大聖堂前で法王は短い言葉を発した:

「ローマは殺されなかった。ローマは耐えた。」

この言葉は後に 戦争の精神的結語 とされる。

---

Ⅴ. なぜローマは落ちなかったのか

要因 説明

都市共同体が崩壊しなかった 市民・教会・地方ネットワークが持続した

象徴は軍より強い 「ローマを失う=イタリアの死」という意識

南の社会は“戦争国家”ではなく“都市国家” 軍が弱くても社会が戦った

北軍は理念を失った “統一”が“占領”へと意味転倒した

→ 戦争において、強い軍隊は都市を奪えるが、

都市を生かし続けることはできない。

---

Ⅵ. ローマ解放の意味

影響領域 内容

イタリア国内 北の統一思想が決定的に後退

欧州 「赤いイタリア」の拡大構想は終焉

宗教 バチカンは“信仰ではなく社会を守る力”を証明

国際秩序 ソ連と西側の境界線がイタリア南北で固定されることになる

---

総括

ローマは武力で勝ったのではない。

ローマは都市としての記憶と共同体が、生き残る形を選んだから勝った。

北は 軍事的敗北 ではなく、

理念の敗北 を経験する。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ