イタリア戦争 中盤
ナポリ上陸作戦(1979年1月〜8月)
“ローマを救うため、海が動いた”
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Ⅰ. 戦略状況(1979年初頭)
ローマは北イタリア軍に包囲されていたが、陥落していない。
しかし南イタリア政府は 首都の次に失う土地がない 状態に追い込まれていた。
同時期、米英はすでに朝鮮戦争停戦交渉に入っており、
地中海へ軍事力を再配分できるようになっていた。
国 動機
英国 地中海の制海権維持(ジブラルタル〜スエズ)
アメリカ NATO崩壊を防ぐため、南イタリアを失えない
日本 朝鮮戦線後の回復期につき、間接支援(兵站・資金)
目的は明確:
ローマを救うには、ローマに直接行くのではなく、
ナポリを確保し、南部補給網を復活させること。
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Ⅱ. 作戦計画
作戦名:Operazione Vesuvio(ヴェスヴィオ作戦)
司令部構成
役職 人物 所属
総司令 ジョン・シェーファー大将 米地中海艦隊
上陸部隊司令 英ロイヤルマリーン中将 英国海軍省
後方補給統制 イタリア王党派参謀会議 南イタリア暫定政府
作戦要諦
• ローマではなくナポリを奪う
• 南イタリア全域に“補給が通る国家”を取り戻す
• そこから ローマ包囲軍の背後を切る
つまり:
ナポリは戦争の心臓であり、ローマは象徴である。
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Ⅲ. 上陸準備
シチリア島が“巨大航空母艦”になる
• 英空軍:マルタ島とシチリア島から制空権を確保
• 米海軍:第6艦隊をナポリ沖に展開
• 南イタリア陸軍:シチリアで再編(義勇兵含む)
南部社会の再動員
• マフィア(コーザ・ノストラ) → 輸送・密輸・情報網を提供
• 教会ネットワーク → 避難誘導と民心維持
• 漁業組合 → 上陸地点案内と夜間海路偵察
つまり南イタリアは 軍隊と市民社会が一体となった国家 へと再構成された。
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Ⅳ. 開戦:1979年4月12日
ナポリ湾夜間上陸
夜、海は凪いでいた。
• 先遣部隊:英海兵隊 + 米海兵隊
• 揚陸艇は 夜霧と漁船の影に紛れて接岸
• 北イタリア守備隊はローマ戦線に兵力を集中しており、当地は 薄い防衛配置
市街戦が始まる
ナポリは路地と高台の街。
守備には理想的、奪回には最悪。
しかし、ここで 決定的な要素 が発生する:
ナポリ市民が、北軍に協力せず、連合軍側についた。
理由:
• 北イタリアは「解放者」ではなく「徴発兵站者」として見られていた
• 生活が悪化し、市民が北軍を憎んでいた
市民の蜂起
• 工場労働者 → 防衛線を背後から破壊
• 港湾労働者 → 揚陸作業を手伝う
• 修道士 → 北兵士に降伏勧告し、退路を案内
• マフィア → 北軍指揮官を拉致し、連合軍へ引き渡す
ナポリは 都市全体が戦える共同体 だった。
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Ⅴ. 戦局転換
ナポリ解放 = ローマ解放の始まり
1979年6月:ナポリ完全奪還成功
→ ここで連合側補給能力が 戦争前の“正常国家規模”まで回復
地中海補給ルート
ジブラルタル → マルタ → シチリア → ナポリ → ローマ
北イタリア軍は ローマ包囲を維持する能力を失う。
• ローマ包囲軍は 食糧・燃料・弾薬が半減
• 南イタリア軍と英米軍は 徐々に北へ押し上げていく
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Ⅵ. ローマは救われ始める(1979年8月)
北軍内部に生じる変化:
変化 内容
士気の崩壊 「統一は成らぬのでは」という失望
民衆支持の低下 住民は北軍を占領者として扱い始める
退役労働者階級の離反 北の思想的基盤が揺らぐ
ローマでは市民が祈り、鐘が鳴り続けた。
「ローマは再び生きる」
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総括
北イタリア 南イタリア+英米
ローマを包囲したが保持できなかった ローマを守れず、しかし ナポリを失わなかった
統一理念は強かったが、補給が続かなかった 軍事は弱かったが、社会が折れなかった
戦争は軍ではなく“都市と補給”が決めた。
ナポリ奪還により、
ローマの解放は時間の問題となる。




