ローマ市街戦(1978年2月〜1979年1月) “永遠の都は、再び囲まれた”
Ⅰ. 攻防の前提
ローマは軍事的に弱く、政治的に強い都市であった。
側 欲するもの 目的
北イタリア ローマを占領したという象徴 統一の正統性を得る
南イタリア ローマを保持すること 政権の生存と国際的承認の維持
バチカン 市民保護と宗教権威 戦争の中で道徳秩序を守る
つまり、ローマは 軍事目標ではなく、政治的心臓 であった。
ローマを失うことは国家の死を意味した。
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Ⅱ. 市街の要塞化(1978年末〜1979年初頭)
南イタリア政府は、北軍到達前に都市を戦場化する。
主要防衛拠点
ティレニア海
↓
[オスティア] — [ローマ外環防衛帯]
↓
[サン・ピエトロ大聖堂]
[ヴィットリオ・エマヌエーレ通り]
[コロッセオ周辺砲兵陣地]
[テルミニ駅軍需補給拠点]
防衛体制の特徴
要素 内容
防衛主体 南軍 + 市民義勇団 + 退役軍人 + 教会系自警団
補給 シチリア・ナポリ方面(海上補給)
作戦思想 街を捨てない。石壁を利用し、通りごとに戦う。
ローマは「遺跡の街」ではなく
“壁が戦う都市” へと変貌した。
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Ⅲ. 北イタリア軍の攻撃計画
作戦名:Operazione SPQR(元老院とローマ人民)
北は「ローマ市外で決戦せず、包囲と浸透で疲弊させる」計画を採用。
戦術 内容
① 包囲 ローマを物資的に締め上げる
② 政治工作 「南政府は無能」と宣伝、降伏を誘導
③ 限定的突破 主要大道沿いを押し上げる“通路制圧戦”
進撃ルート
• 北方:フラミニア街道
• 北西:カッシア街道
• 北東:ティブルティーナ街道
→ 古代ローマの街道が再び戦争に使われる。
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Ⅳ. 市街戦の実相(1978年6月〜11月)
1. 市民空間が戦闘空間へ
ローマでは、戦場と生活が区別されない。
場所 戦争の形
コロッセオ周辺 南軍砲兵が石壁に陣地化、遺跡は半壊
トラステヴェレ マフィア系民兵が路地戦を展開
テルミニ駅 物資の心臓。市場がそのまま軍需基地化
バチカン周辺 「非戦闘区域」だが、実質避難民キャンプ
ローマは戦術単位ではなく、生活単位で戦われた。
2. 住民の構造
層 行動 動機
市民義勇団 自宅を守る 故郷への忠誠
マフィア 物資・治安・調達を掌握 影響力拡大
司祭・修道会 避難・食事・記録・埋葬 人道的使命
ローマは 「政府がなくても動く都市」 だった。
3. 北軍の苦戦
• 戦車は狭い路地で役立たず
• 市街戦は 一通り進むごとに抵抗線が出現
• 「街全体が堡塁化」した状態
北軍の死傷は、戦闘より 狙撃・罠爆弾・待ち伏せ によるものが多い。
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Ⅴ. バチカンの“見えない抵抗”
ローマ戦の中心に、実は バチカン外交 があった。
バチカンは正式には中立を宣言した。
だが、実際には:
行動 実態
調停声明 南側士気の精神支柱
避難民収容 兵站後方支援に等しい
文化財保護名目の移送 武器・通信機材の秘匿輸送
つまり:
バチカンは戦っていた。
ただし武器ではなく、精神・情報・社会組織で。
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Ⅵ. 市街戦の転機(1978年12月)
北軍は戦術的に勝てていたが、戦略的には詰んだ。
限界 内容
人的損耗 若い兵士の戦意が消耗
補給 ミラノ〜トスカーナの補給線が過伸張
国内世論 「ローマは取れないのでは」という疑問
国際圧力 英米が ナポリ方面から反攻準備 開始
北軍は ローマを奪えないまま、包囲を維持せざるを得ない状態 になる。
“ローマは死んでいない。ただ包まれているだけだ。”
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Ⅶ. 市街戦の意味:
勝負は勝敗ではなく、耐久力だった
北イタリア 南イタリア
軍事は強いが、社会的根が浅い 軍事は弱いが、都市共同体が強い
「統一」という理念で戦う 「この街を失わない」という意志で戦う
ローマは陥落しなかった。
ローマは“支えられ続けた”
。
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総括
ローマ市街戦とは、都市と国家のどちらが“社会的自明性”を持つかを競う戦いだった。
北はローマを奪えず、南は失わなかった。
それだけで戦局は決まった。
この停滞こそが、
次に起こる「ナポリ上陸 → 南軍反攻」への舞台 となる。




