イタリア戦争(1976〜1977)前半 “統一”を掲げた北の電撃進撃と、南の崩れながらの抗戦
Ⅰ. 戦争前夜:イタリアはすでに二つの国家だった
地域 体制 経済 社会構造 国民感情
北イタリア(ミラノ・トリノ・ボローニャ) 社会主義共和国(計画産業国家) 工業力高
い・労働組合が支配 都市中産階級が組織化 「我々こそ本来のイタリア」
南イタリア(ローマ・ナポリ・シチリア) ムッソリーニ死後の暫定保守政権 観光・農業
中心で貧困 マフィア・教会が各地域を統制 「再統一より生活が心配」
最大の構造差は 「北は組織国家、南は個人政治」。
ムッソリーニ死後、南は政治的空白と経済不安に揺れていた。
北にとってこれは:
「歴史的統一の大義と、軍事的好機が同時に到来した状態」。
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Ⅱ. 開戦(1976年6月16日)
北イタリアの電撃作戦 Operazione Garibaldi
作戦目的:
「ローマを落とせば戦争は終わる」
兵力構成
• 北イタリア陸軍:機械化3個軍団
• 戦車部隊中心(FIAT・IVECO製)
進撃軸
北イタリア
↓ (ポー川を突破)
[パルマ] → [フィレンツェ] → [ローマ]
開戦48時間の成果
• ポー川渡河成功
• パルマ・レッジョエミリア陥落
• 南イタリア軍、組織的防衛に失敗
理由:
北の強み 南の弱み
機械化された高速軍 旧式歩兵中心で自動車化不足
統制された戦略指揮 指揮系統が分裂し命令が遅延
住民の協力(統一賛同地域) 地域ごとに忠誠対象が違う
→ 南は軍事以前に国家が統一されていなかった。
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Ⅲ. フィレンツェ陥落と心理戦(1976年6月25日)
北イタリアは宣言する:
「ローマは我らの母、イタリア民族は再び一つになる」
この宣言は、
• 北の兵士にとって 宗教的使命感 を与え
• 南の市民にとって 「抵抗しても無駄」という無力感 を生んだ
住民感情
地域 感情
北中部 「ついに統一が来た」→ 協力的
ローマ 「戦場が自分の街に来ないでくれ」
ナポリ・シチリア 「ローマより生活が先だ」→ 静観
南は国家的団結を形成できなかった。
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Ⅳ. ローマ北方戦線(1976年7月〜12月)
ここで戦争は“機動戦”から“補給戦”へ
北軍はローマの50km北方まで前進する。
しかし、ここで進撃が停止する。
理由は補給。
北イタリア側の問題 内容
補給線が細長い 戦車・燃料を北部から運ばねばならない
鉄道が破壊される 南ゲリラ・マフィアが輸送線を妨害
食糧供給が足りない 奪った地域は貧しく徴発が効果薄
→ 北は ローマを包囲できるが、制圧はできない 状態に入る。
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Ⅴ. 南イタリアの戦略転換
「正面戦を捨て、街と山で粘る」
南は軍事的に劣勢と理解し、次を選ぶ:
1. 市街戦による防衛拠点化
フィレンツェ・ローマを「石の要塞」に再構築
2. マフィアと教会ネットワークを動員
食糧配給と情報戦で市民統治
3. 米英への外交依存戦略
「ローマ陥落は地中海バランス崩壊」と訴える
特に重要なのは:
南イタリアは“反共の象徴”となり、
英米が見捨てられない存在になったこと。
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Ⅵ. 国際反応(1977年初頭)
国 反応 理由
米国 ローマ陥落阻止を優先 地中海の制海権保全
日本 朝鮮戦争後で疲弊、直接関与せず ただし武器と物資は供給
英国 地中海艦隊をシチリアに配置 イタリア全赤化を恐れる
ソ連 黙認(公式には不介入) 北イタリアは“理論的には同志”だが、戦争拡大は望まない
この段階で イタリア戦争はヨーロッパ秩序の中心問題になる。
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総括:戦争前半の構図
北イタリア 南イタリア
攻勢側だが補給が持たない 守勢だが地形と国際支援で粘る
「統一」という強い理念 「ローマ防衛」の象徴的抵抗
軍は強いが国家は若い 軍は弱いが社会ネットワークは強い
勝敗はついていない。
だが“時間”は南を助け、北を疲弊させていった。




