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フランス人民戦線政府

序章:フランス人民戦線政府の成立(1936)

1936年、フランスでは社会党のレオン・ブリュム率いる人民戦線(Front Populaire)政

権が成立。

社会党・急進党・共産党の連立で、労働者保護や失業対策を進めたが、

経済停滞と右翼勢力の反発で、国内の分裂が深まる。

史実でもこの政権は短命だったが、

この世界では隣国スペインで革命政権が成立したため、

「フランスも次だ」とする左右両極の緊張が一気に高まる。

---

1937–1938年:スペイン赤化の衝撃と「恐怖の連鎖」

• 1937年、スペインでフランコ派が敗北し、マドリードに「スペイン人民共和国」が樹

立。

• パリでは労働者・学生による連帯デモが発生。

「次はフランスの番だ」「ピレネーの向こうに希望がある」とのスローガンが叫ばれる。

しかし、これに対し中産階級・農民層・カトリック教会・軍部が強烈に反発。

「ボリシェヴィズムがピレネーを越える」と恐怖が広がり、

社会全体が急速に右傾化していく。

---

1938年:軍部の動きとブリュム内閣の崩壊

• 陸軍参謀総長 マクシム・ヴェイガン は、

スペイン情勢を受け「共産主義封じ込め」を主張。

特にパリ・マルセイユ・リヨンにおける共産党活動の抑制を求める。

• ブリュム首相はこれに抵抗したが、

経済危機と議会内の不信任で辞任。

後任に穏健派のダラディエ(急進党)が就任。

→ ダラディエ政権は事実上の**「反共連立政府」**となり、

警察・軍部・教会を動員して左翼運動を抑え込む。

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1939年:赤化運動の挫折

共産党の分裂

• フランス共産党(PCF)は、スペイン共産党やソ連との連携を深めたが、

同時に「ドイツ共産党の衛星化」を嫌う国内派が分裂。

• 特にリーダー格のモーリス・トーレスがドイツの路線に反発し、

一部は地下活動化するも、全国的蜂起には至らず。

→ 「革命を指導する中心」が存在しなかった。

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軍部・警察の徹底的統制

• ダラディエ政権は**治安法(Loi de Défense Nationale)**を制定。

ストライキ・デモを一部禁止、共産党系出版物を検閲。

• 軍・警察・教会が情報網を共有し、地方の赤化運動を徹底的に弾圧。

• 軍部内では「反ボリシェヴィズム特務局」(実質的な秘密警察)が創設され、

共産党・労組系指導者を事前拘束。

→ 史実のヴィシー体制の前駆のような、強権的防衛体制が構築される。

---

社会構造の違い

スペインでは大地主支配と農村の貧困が共産革命の温床となったが、

フランスでは土地制度が比較的分散しており、

農民層の多くが「小自作農」=保守的・反共的だった。

都市部パリ・マルセイユで一時的なストは起きたが、

地方の支持が得られず「全国的革命」には発展しない。

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英国との連携と外圧

• 英国はスペインの赤化を非常に警戒しており、

フランスに「共同封じ込め政策」を強く要請。

• 1939年に英仏間で**「ピレネー安全保障協定」**が締結され、

イギリスが直接フランス南部に軍事顧問団を派遣。

→ 実質的な「英仏同盟」の始まり。

この国際的支援が、フランス政府に政治的安定を与えた。

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結果:赤化未遂と「権威的民主主義」体制の成立(1940)

1939年末、スペイン国境ではソ連・ドイツ支援の部隊が

「革命輸出」を目指して国境越えを試みたが、

仏・英・伊の連合部隊によって撃退される(ピレネー小戦争)。

これを契機に、フランスでは「国を守るには強い政府が必要だ」との世論が高まり、

ダラディエ政権は憲法改正で大統領権限を強化。

→ 1940年に「第三共和政の終焉」とともに、

**「第四フランス国家(État National Français)」**が成立。

• 民主主義的要素を残しつつも、強い行政権と反共主義を明確化。

• 英・伊との三国協力体制の中核を担う。

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総括:なぜ赤化しなかったのか

要因区分 具体的内容 意義

社会構造 中間層・自作農の多さ 革命の大衆基盤が弱い

政治判断 ダラディエによる強権的安定化 内戦を回避

軍部の姿勢 対共で統一 政府転覆を許さず

国際環境 英国・イタリアの後押し 外交的支柱の確保

共産党の分裂 指導部対立・路線不統一 革命が不発に終わる

結果、フランスは**“自由主義と反共主義の折衷国家”**として生き延び、

欧州で唯一、「赤化とファシズムの中間」に立つ「秩序国家」として機能するようになり

ます。

---

以後フランスは、

「スペインの赤化を許した失敗を繰り返すな」という国是のもとに、

欧州反共同盟の中核を担うことになります。

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