第二次朝鮮戦争末期(1978〜1979) 停戦交渉とソ連の仲裁、そして“新たな世界秩序”
Ⅰ. 1978年春:戦争は止まっていないが「動けない」
戦線状況
• 連合軍(韓国・米国・日本)は 38度線付近に達し、平壌を狙える位置。
• 北朝鮮は 山岳・トンネル・地下司令壕 による“第二防衛網”を構築済。
しかし
側 進めない理由
連合側 これ以上進めばソ連参戦ラインに触れる
北朝鮮側 軍事資源が尽き、攻勢作戦能力がない
国際政治状況
中国は 分裂状態(毛沢東死亡後、複数軍閥が自立し内戦)。
→ 「中国が停戦を仲裁する」道は完全に消失。
ここで浮上するのはただ一国。
ソ連である。
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Ⅱ. ソ連の介入理由:威信回復とユーラシア秩序の確立
1970年代のソ連は、ブレジネフ期に入り 帝国として安定したが、停滞していた。
• 1960年代:欧州赤化の勢いはピークを過ぎる
• 1970年代:経済は膨張せず、国際的求心力は低下傾向
そこでソ連政治局はこう判断する:
「大国とは、戦争を勝つ国ではない。
戦争を止める国である。」
つまり 仲裁外交により“世界秩序の主権者”となる ことが目的。
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Ⅲ. 停戦への第一歩:モスクワ秘密ルート(1978年7月)
会談参加者(非公開)
• ソ連外務省 対アジア局
• 韓国外交部特使(釜山政府代表)
• 日本外務省「特別アジア連絡班」
• 米国国務省アジア担当大使
ソ連はこう提示する:
1. 38度線に近いラインで戦線を固定する
2. 北朝鮮政権は存続させる
(=金日成体制を「敗者として崩壊させない」)
3. 韓国の領域は 戦前より拡大せず現状維持
4. 国際監視団は設置しない
(=「内政不干渉の原則」でメンツを保つ)
これは明白に 北朝鮮に有利 である。
しかし連合側にも一つの利益があった:
“無制限の戦争拡大を回避できる”
ソウルを失わず、九州も交易も守れた。
それで良い、と判断する空気が形になる。
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Ⅳ. 北朝鮮内部の反応と金日成の選択
北朝鮮は戦争再開が不可能だった。
項目 状態
兵力 使い捨て動員により消耗
経済 鉱山と工場が爆撃で停止
社会 粛清による恐怖統治で限界
勝利は不可能。しかし敗北は認められない。
そこで金日成は、停戦を次のように演出する:
「これは戦術的中断であり、民族解放のための時間である」
つまり 勝利でも敗北でもない“保留”として受け入れた。
北朝鮮は崩壊を免れた。
だが、その代償は 国民生活の荒廃と精神的固着 であった。
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Ⅴ. 1979年3月1日:ハバロフスク停戦会談
会場:ハバロフスク陸軍士官クラブ
議長:ソ連外務大臣グロムイコ
宣言骨子
項目 内容
停戦ライン おおむね 38度線
政権承認 南北双方を 合法政府 と承認
駐軍 南=米・日軍駐留継続 / 北=ソ連軍駐留拡大
再戦防止条約 形式のみ。拘束力は弱い。
しかし、最大の象徴はこれ:
停戦の署名は、南北ではなく、
ソ連・米国・日本 が代表して行った。
つまり:
• 韓国も北朝鮮も “自主国家ではなく、半島の管理対象” となった
• そしてその “管理権を握ったのはソ連” だった
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Ⅵ. 結果:ソ連の威信の回復
効果 内容
国際的地位 「大国は戦争を止める国」という象徴を得た
欧州 北イタリア・ドイツ共産圏がソ連を再び“中心”と認める
アジア 中国の分裂に代わり、ソ連が東アジア覇権国として定着
プロパガンダ 「モスクワは平和を作る」キャンペーンが展開される
ソ連は、戦争に直接勝ったわけではない。
だが 世界秩序を左右できる存在として復権した。
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総括
第二次朝鮮戦争は、勝者なき軍事戦争であったが、
ソ連が政治的勝者となった戦争であった。
• 半島は廃墟となり
• 南北は共に傷つき
• 日本は再軍備国家になり
• アメリカは撤退できず
• そしてソ連は 新たな国際秩序の審判者 となった




