第二次朝鮮戦争 中盤
釜山防衛線と仁川逆上陸作戦(1976年8月〜1977年3月)
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Ⅰ. ソウル陥落後の情勢(1976年7月)
北朝鮮軍は開戦からわずか3日でソウルを占領。
しかし、そこで戦争は 電撃戦から補給戦へと性格が変化する。
条件 北朝鮮側 韓国側
補給 陸路依存。鉄道・道路は破壊多く細い。 海上補給が自由(日本・米軍港湾ルート)
兵士士気 勝利への高揚 退却続きの疲労と不安
政権中枢 安定(金日成独裁) 釜山政府は動揺するも機能維持
国際支援 中国から弾薬 米日から兵器・石油・輸送・制空権
結論:
ソウルを取った北朝鮮だが、戦争に勝ったわけではない。
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Ⅱ. 釜山防衛線(Pusan Line)形成
防衛線位置
釜山・大邱・浦項・晋州を結ぶ 「逆U字型防衛境界」。
北朝鮮
↓
[大邱]──[浦項]
| \
[晋州]───[釜山]
防衛の要点
1. 山岳地帯が多く、装甲突破が難しい
2. 海上からの補給が無制限
3. 日本の佐世保・門司・福岡が前線補給港として機能
動員
• 韓国は徴兵年齢を17歳まで引き下げ
• 釜山民衆は港湾で米日物資を荷揚げし、**「国民総兵站体制」**が成立
社会心理
「ここが落ちれば民族が消える」
釜山は今までの朝鮮史で存在しなかったほどの団結社会となる。
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Ⅲ. 日本・米国の戦争本格参戦
1. 日本
• 日本軍 → **「防衛支援軍」**として釜山へ派遣
• 艦隊・航空支援部隊が対馬海峡〜釜山を制空制海
日本世論の空気:
「ここを守れなければ、次は九州が戦場になる」
2. アメリカ
• 空軍・海兵隊先遣隊が佐世保から直接釜山へ
• 政治的には「北の勝利は東アジアの均衡崩壊」と判断
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Ⅳ. 戦況の転換点:北の補給限界(1976年9月〜12月)
要因 内容
装甲部隊の損耗 予備戦車がほぼ枯渇
砲兵弾薬不足 中国からの補給は半ば滞る
軍内部統制の緩み 兵士の「ソウルで終わったはず」という期待が裏切られる
北朝鮮は 進撃を停止 → 消耗戦へ転換 するが、これは最悪の選択だった。
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Ⅴ. 仁川逆上陸作戦の発案
会議場所:東京・市ヶ谷合同戦争計画室(1976年12月25日)
参加:
• 日本統合幕僚会議
• 米海兵隊太平洋司令部
• 韓国軍参謀本部
作戦の核心
「前線で押し返すのではない。後方の中枢を切断せよ。」
つまり:
• 仁川に奇襲上陸 → ソウル奪還 → 北軍補給線を逆に包囲する
史実の1950年仁川上陸作戦の再現だが、規模は3倍。
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Ⅵ. 仁川逆上陸作戦(1977年3月4日〜3月16日)
参加兵力
国 兵力 主力
日本 約4.5万 海自輸送艦隊+機械化旅団
アメリカ 約6万 第1海兵遠征軍+空挺師団
韓国 約9万 首都奪還志願兵・海兵第2師団
作戦手順
1. 夜間・海霧下の上陸(仁川潮汐を再利用)
2. 市街地を速やかに制圧
3. ソウルに向けて漢江沿いに突破
4. ソウル市街戦(3日間)
結果
• ソウル奪還、政府復帰
• 北朝鮮軍は補給網を断たれ、釜山戦線は自然に北へ押し戻され始める
戦争の主導権は完全に 連合側 に移った。
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総括(中盤の意味)
北朝鮮 韓国・米国・日本
初動圧勝 → しかし補給が続かず失速 釜山で時間を稼ぎ、仁川で戦略逆転
ソウルの象徴的価値は高かったが維持能力が不足 「ソウル奪還」で国家正統性を取り戻
した
戦争目的が揺らぐ 戦争目的が明確化(北の進撃を押し返す)
ここから戦争は「北の攻勢」から「南の反攻」へと移る。




