1970年代後半までの北イタリアと北朝鮮の発展
北イタリア社会主義共和国の発展(1948〜1975)
Ⅰ. 成立とソ連の後押し(1940〜1950年代)
• 「赤い兄弟戦争」後、北イタリアはソ連がヨーロッパ南部の足掛かりとして育成した。
• トリノ、ミラノ、ジェノヴァを中心とする北イタリア工業地帯が基盤。
• ベリヤ期(1950年代)は、社会主義圏内の「工場国家」として位置づけられる。
重点投資分野
分野 内容
自動車 ソ連資本でFIATが社会主義国向けに生産再編
機械・工具 東欧・ソ連へ輸出
鉄鋼 北部重工業地帯の再編強化
電子工学 チェコスロバキアと共同研究
→ 北イタリアは “ソ連ブロック内の工業中核” となる。
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Ⅱ. 社会構造の形成(1960〜1970)
• 都市労働者主体の政治システムが定着。
• 党は中産階級化した労働者の支持を得て安定。
社会像
• 住宅は「集合公営住宅都市型」。
• 労働者は年金・医療・教育すべて無償。
• イタリアの「都市生活の美意識」が社会主義文化と融合。
→ **“豊かな社会主義”**が実際に成立した稀有な例。
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Ⅲ. 1970年代:再統一を掲げた「積極的社会主義」
• 経済成功から**「イタリアは本来、社会主義国として統一されるべき」**という世論が
高まる。
• 1972年、トリノ政府は「イタリア民族再統一宣言」を発表。
• 南部はムッソリーニ死後の政治混乱の真っ最中。
→ 1974年:イタリア戦争へ突入。
北イタリアは経済力で強かったが、
「ゲリラ戦・補給断絶」で最終的に敗退(1976〜77)。
ただし、北イタリアの工業力と労働文化はその後も維持される。
敗戦後も、欧州社会主義圏内では「技術と生産の都」として機能し続ける。
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北朝鮮の発展(1950〜1975)
Ⅰ. 成立の特殊性
北朝鮮は戦後において、
中国共産党残党の軍事技術者 + ソ連の軍事顧問団 + 朝鮮戦争経験
というトリプル要素によって育成された国家。
→ 北イタリアが「工業国家」なら、
北朝鮮は “軍事動員国家”
。
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Ⅱ. 経済構造(1950〜1970)
⚙ 重点育成される産業
分野 役割
重工業 戦車・火砲・装甲車の大量生産
化学工業 火薬・燃料・繊維
原子力研究 ソ連・中国技術支援で研究炉を稼働
土木動員産業 “人民突撃隊”による大量労働投入
→ 北朝鮮は「戦時体制のまま経済計画が続く国家」となる。
食糧・生活水準
• 国民生活は豊かではないが、
• 飢餓を避けられる程度には供給は維持。
• 都市部は軍需工場が支えるため比較的安定。
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Ⅲ. 国家イデオロギーの形成
• 金日成は「民族統一」と「反日米」を掲げるが、
• 実際には “北朝鮮は中華共産革命の生き残り最後の旗を継ぐ国家” としての自負が強ま
る。
→ 1960年代後半には、
北朝鮮は “革命の聖地” と自己規定する。
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Ⅳ. 1970年代:戦争準備国家の完成
• 軍事予算がGDPの40%を超える。
• ミサイル部隊・機甲部隊が大規模再編。
• 国境地帯に地下トンネル網と戦略道路建設。
→ 1972年:南へ侵攻(第二次朝鮮戦争)
北朝鮮軍は初期に南部制圧に成功し、
ソウルは再び炎上する。
しかし、日米の海洋・航空優位により戦線は最終的に押し返される。
戦後、北朝鮮は飢餓と孤立の中で疲弊――
しかし体制は崩壊しない。
それは 国家そのものが「動員装置」だから。
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北イタリアと北朝鮮の比較表
項目 北イタリア 北朝鮮
発展タイプ 工業都市経済 軍需動員国家
理想像 「豊かな社会主義」 「永続革命国家」
主な支援国 ソ連(経済・技術) ソ連+中華残党(軍事)
社会生活 都市的で比較的豊か 兵営社会、生活は厳しい
軍事行動 イタリア再統一戦争 第二次朝鮮戦争
結果 敗北、だが国家と工業は存続 膠着、体制は存続し続ける
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歴史的評価
北イタリアは「豊かすぎた社会主義」、
北朝鮮は「戦い続けるしかない社会主義」だった。
両者は同じ陣営に属していたが、
どちらも“秩序社会主義帝国(ソ連)”に満足できなかったという点で、
同じ「革命の残り火」だった。
そして、その残り火が
1970年代の二つの戦争へと繋がるわけです。




