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ソ連の復興とベリヤの権力掌握(1946〜1953)

Ⅰ. スターリン暗殺と権力の空白(1946年)

背景:

• 第二次世界大戦の最終段階、連合国による原爆使用・戦線崩壊が進む中、

スターリンは強硬な継戦を主張し、周囲との対立を深めていた。

• 原爆による衝撃と国内疲弊により、軍・NKVD内部で「戦争終結を望む派閥」が台頭。

暗殺事件:

• 1946年2月、スターリンがクレムリン執務室で急死。

• 公式発表は「脳卒中による急死」だが、実際には**NKVD内部クーデター(ベリヤ派主

導)**による暗殺。

• 暗殺後、モスクワは3日間通信途絶、政府機能は一時停止。

直後の混乱:

• スターリン派(モロトフ、ジダーノフら)とベリヤ派(治安・科学技術部門)が対立。

• 前線では軍が混乱し、一時的に戦闘指揮が失われる。

• ベリヤはNKVDを掌握し、モスクワ放送を占拠して緊急声明を発表。

「祖国の混乱を収め、平和と秩序を取り戻すために暫定委員会を設立する。」

こうして、ソ連は“事実上の軍政国家”へと移行する。

---

Ⅱ. ベリヤ暫定政権の成立(1946〜47年)

体制の再編:

• ベリヤは「国家安全保障委員会(Gosudarstvennyi Komitet Bezopasnosti, GKB)」を

創設し、

内務省・NKVD・軍参謀本部を統合。

• 彼自身がその長官兼首相となり、国家の全権を掌握。

• 政治的粛清は即座に停止。代わりに「生産と秩序」を最優先とする現実主義政策を打ち

出す。

主要施策:

1. 戦時徴用の解除と復員促進

→ 前線兵士1,200万人を国内再建労働に転用。

2. 治安安定化

→ NKVD残党を統合して国内の暴動を即座に鎮圧。

3. 外交休戦の指示

→ ドイツ共産党政府(KPD)との交渉を再開、戦争終結を容認。

この「継戦中止・秩序回復・現実主義」という三本柱によって、ソ連は混乱から脱し始め

る。

---

Ⅲ. ベリヤ政権の確立(1948年)

新憲法(1948年憲法)

• スターリン体制の恐怖政治を公式に否定。

• 党の独裁を維持しながらも、政府・経済機構に**技術官僚層テクノクラート**を登

用。

• 「社会主義の安定化段階」を宣言し、革命輸出を放棄。

経済再建

• 1948年に「戦後再建五カ年計画」を発表。

• 特徴は、スターリン時代の重工業偏重からの転換:

• 工業:エネルギー、機械、鉄道通信の整備

• 農業:集団農場の自主管理化、トラクター・灌漑の導入

• 都市:被災地(西ウクライナ・白ロシア)の再建

→ 戦災の少なかったウラル・シベリアが経済中枢となり、

「内陸産業国家」として急成長。

結果:

• 1949年:工業生産、戦前比130%を突破。

• 1950年:エネルギー生産、史実比1.4倍。

• **“復興の奇跡”**と呼ばれ、欧州共産圏(ドイツ・北伊)に代わり、ソ連が共産圏の経

済中枢に返り咲く。

---

Ⅳ. 科学技術立国路線(1949〜1953)

「ユーラシア科学計画」

• ベリヤは科学技術の優位こそ国防の基礎と断言。

• ドイツからの亡命科学者、ポーランド・チェコの技術者を集め、

**「ユーラシア科学庁(EAS)」**を設立。

• 核・ジェット・電子計算・宇宙物理の研究を統括。

核開発

• ソ連版原爆計画「アリョン計画」が本格化。

• 1952年、初の臨界反応成功。1953年、初の核実験達成(史実より1年早い)。

• 成功後、ベリヤは「核保有=戦争抑止」を宣言。

「力なき平和は幻想である。だが、力ある平和は永遠だ。」

→ 以後、ソ連は「現実主義的軍備国家」へと変貌。

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Ⅴ. 政治体制の安定化 ― ベリヤ主義国家

標語:「秩序・合理・科学」

• 恐怖政治を排しつつも、厳格な管理国家を維持。

• 宣伝の主題は“人民の幸福”ではなく、“国家の合理”

国内政策

• 集団農場の生産高増加(5年で30%上昇)

• 都市再建と住宅建設(「新モスクワ計画」)

• 大学・研究所ネットワーク拡充

• 宗教弾圧緩和、ロシア正教会を限定的に復活

→ 社会全体は「恐怖の終焉」と「技術的統制」の間で安定。

国民は沈黙して働き、国家は静かに巨大化していった。

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Ⅵ. 国際関係:独ソの分裂とユーラシア外交

ドイツとの関係悪化

• ドイツ共産政権は理想主義的で、ベリヤの現実主義を「裏切り」と非難。

• ソ連は逆にドイツを「危険な急進主義国家」と見なし、距離を取る。

• 1950年代前半には、**“共産圏内冷戦”**が成立。

新外交方針「三環戦略」

1. 内環: ソ連圏(中央アジア・カフカス・シベリア)=直接支配

2. 中環: 東欧=緩衝地帯(衛星国)

3. 外環: 中東・南アジア=影響圏拡張

→ ソ連はドイツとは異なり、軍事侵略よりも影響圏の浸透を重視。

これにより、冷戦構造は「米英日 vs ドイツ vs ソ連」の三極均衡へ移行。

---

総括:ベリヤ体制の意味

項目 内容

政治 一党独裁のまま恐怖政治を廃止、官僚技術主義国家へ転換

経済 戦災軽微+合理化で最速復興。内陸産業国家として発展

科学 核・航空・電子分野で米国に接近。史実より早期の核保有

外交 革命路線放棄。現実主義的国家主義へ転換

社会 安定と無言の服従。粛清なき監視社会

世界的地位 欧州共産圏を凌駕、ドイツと対立する“第二の共産大国”

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