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新大東亜共栄圏の成立(1947〜1951)

序章:共産圏の拡大とアジアの空白(1947年)

第二次世界大戦の停戦後、世界は依然として不安定であった。

欧州ではソ連の影響圏が東欧に広がり、ドイツは共産政権のもとに再建される。

一方、アジアでは中華人民共和国が崩壊し、内陸部は無政府状態に陥った。

その空白を埋めるのが、本土をほとんど損なわずに終戦を迎えた日本であった。

敗戦国ではなく、戦勝国の一角として停戦協定に署名した日本は、東アジアの唯一の安定

勢力として、

米英から「地域秩序の管理役」を期待されるようになる。

---

第一段階:アジア諸国の独立支援(1947〜1949)

1947年、日本は停戦後の「東亜安定化政策」を閣議決定。

理念は単純であった――

「帝国による支配ではなく、アジアの自立による共栄を図る」

日本は軍事力を抑制し、外交・経済・技術を軸に地域への影響力を再構築していく。

• インドシナ:越南国(バオ・ダイ王政)独立を支援。日本顧問団が国家再建を主導。

• インドネシア:スカルノ政権樹立。日本の技術協力と米国資本で経済回復。

• マラヤ・ビルマ・タイ:英連邦と協調して自治独立を推進。

• フィリピン:米国と共に自由陣営の防衛線に組み込む。

この過程で、日本は旧共栄圏地域の治安維持・経済再建を事実上掌握。

その政治的・経済的結びつきは、やがて**“共栄圏の再編”**として結晶していく。

---

第二段階:東京経済会議(1948年)

1948年、東京にて日本政府主催の「東亜経済復興会議」が開かれる。

参加国は、インドシナ、インドネシア、タイ、ビルマ、マラヤ、フィリピンの6か国。

オブザーバーとして米・英・豪が参加した。

ここで掲げられたのが、**「アジアの自立と共栄のための五原則」**である:

一、各国の独立を尊重し、政治的干渉を排す。

二、経済の相互補完によって富を共有する。

三、共産主義による侵略に対し、連帯して防衛する。

四、文化と教育を通じてアジア的精神を再興する。

五、海洋を結ぶ平和の道を共同で護る。

この会議は、旧「大東亜会議」(1943年)の理念を明確に継承しながらも、

**支配ではなく協調を掲げた“民主的共栄圏構想”**として各国に受け入れられた。

---

第三段階:ホノルル会談(1950年)

冷戦の緊張が高まる中、米国は日本に太平洋地域の防共拠点を任せる方針を正式化。

同年、ハワイ・ホノルルにて日・米・英の三国首脳会談が開催され、

アジア・太平洋の新たな枠組みを協議。

結果、

**「ホノルル協定」**が締結され、次の取り決めがなされる:

1. 日本を中心とする「東亜共栄連盟(Greater East Asia Co-Prosperity Alliance)」を正

式に承認。

2. 米英は「オブザーバー国」として参加し、経済・防衛両面で助言を行う。

3. 加盟国は相互防衛条約(ASEA Pact)を締結し、共産圏の浸透を防ぐ。

4. 東京に「東亜協議評議会」を設置し、年次首脳会議を開催する。

この協定により、日本主導の新共栄圏は合法的・国際的な地位を得た。

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第四段階:正式発足 ― 東京宣言(1951年)

1951年4月、東京にて「東亜共栄連盟」正式設立。

加盟国:日本・インドネシア・ベトナム・タイ・マラヤ・ビルマ・フィリピン・韓国・台

湾。

準加盟国:ラオス・カンボジア・シンガポール。

オブザーバー:米国・英国・オーストラリア・カナダ。

日本首相(例:幣原喜重郎系後継)が開会演説でこう述べた:

「我らは、帝国の過去に学び、共栄の未来を築く。

この大東亜共栄圏は、もはや征服の名ではなく、自由の同盟として存在する。

西洋と東洋の調和こそ、真の平和への道である。」

宣言は全会一致で採択され、以後、東京は「アジアの国際都市」として再出発する。

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政治・経済体制

組織構造

分野 機関名 概要

最高機関 東亜協議評議会(Tokyo Council) 各国首脳による年次会議。全加盟国平等。

執行機関 東亜経済開発機構(EADO) 経済復興・産業融資。米英資本参加。

防衛機構 東亜防共協定(ASEA Pact) 各国の軍事協力。米英顧問参加。

通貨協調 東亜決済基金 円・ドル併用の決済制度。

経済連携

• 「東京=バンコク=ジャカルタ=マニラ」を結ぶ経済回廊構想が進行。

• 円が事実上の地域基軸通貨となり、日米両通貨体制が形成。

• 各国の港湾・鉄道・工業団地は日本主導で整備。

• 教育・司法・行政制度の日本式モデルが導入される。

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加盟国と役割(1951年時点)

国名 立場 主な特徴

日本 盟主国 政治・経済・技術支援の中心。米英との橋渡し。

インドネシア 南方経済の要 石油・ゴム供給国。日本との経済結びつき強。

ベトナム(越南国) 東南アジアの政治中枢 王政安定。日本の顧問団常駐。

タイ 中立的調整国 地政学的要衝。外交バランスを取る。

マラヤ連邦 英連邦と二重所属 錫・ゴム輸出国。英日連携の象徴。

ビルマ 橋渡し国 中印間の緩衝地帯。防共中立政策。

フィリピン 米国の前哨基地 日米協調の象徴。太平洋連携の要。

大韓民国 北防線の防波堤 日本・米支援で再建。共栄圏の軍事前線。

台湾 日本自治領 経済・防衛拠点。日米共用の軍港。

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理念的変質 ― 「帝国」から「連盟」へ

旧来の大東亜共栄圏が掲げた「アジアの解放」は、

この新共栄圏では「アジアの自立」として再定義された。

• 支配的帝国主義 → 相互依存的地域主義

• 文化優越 → 文明交流と共存

• 軍事覇権 → 経済協調と安全保障連携

こうして日本は、征服者から調停者へ、帝国から連盟盟主へと立場を変えた。

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歴史的意義

1. アジアの独立が「日本主導の協調」で実現した初の事例

2. 欧州の衰退を背景に、太平洋が世界の政治・経済中心へ移行

3. 米英を巻き込んだ「三文明調和圏」構想が成立

4. 冷戦の早期安定化:欧州=赤い境界線、アジア=青い連盟圏

5. 日本が“戦後秩序の創設者”として史実以上の国際的地位を確立

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結語(歴史書調)

一九五一年の春、東京は再び世界の注目を浴びた。

かつて「侵略の象徴」であった大東亜の名が、

今や「共栄と自立の理想」として再び掲げられたのである。

東亜共栄圏はもはや帝国の夢ではなく、

西と東を結ぶ新しい秩序の現実となった。

そしてこの瞬間、日本は、破壊ではなく調和によって世界を動かす力となった。

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