**1946~1952年にかけての「東南アジア独立の過程」**
概観:アジアの再生期(1946〜1952)
第二次世界大戦停戦後、欧州諸国は疲弊し、本国再建に追われた。
一方、アジアでは日本が無傷で残り、東南アジア各地に残留していた日本軍・行政官が、
秩序維持と復興を主導していた。
その空白期において、
**「反共と自主独立」**を掲げる民族運動が次々に勃発。
米英は共産圏の拡張を防ぐため、日本の介入を黙認し、結果として——
東南アジアの独立は、史実よりも早く・安定的に・日本主導で進むこととなった。
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フランス領インドシナの独立
1946〜1947年:フランス崩壊の余波
• フランス本国が北部で共産化、南部で自由政府が樹立された影響で、
インドシナ総督府は本国からの命令系統を失う。
• 残留日本軍が治安維持を継続。フエ・ハノイ・サイゴン各地で民族指導者が台頭。
• バオ・ダイ、グエン・ハイ・タックらが日本軍将校と協議し、「自治評議会」を設立。
1948年:「越南国」成立
• 南仏政府はインドシナへの支配権を放棄、形式的な連邦関係を残して撤退。
• 日本の支援を受け、**越南国(State of Vietnam)**が成立。
- 国家元首:バオ・ダイ
- 首都:サイゴン
- 政体:立憲君主制
• 米英はこれを承認。
• 北部では残留共産ゲリラが抵抗を続けたが、中国共産圏崩壊で補給が途絶し、1950年ま
でに鎮圧。
影響
• 日本顧問団が鉄道・港湾・教育制度を再建。
• 越南国は日米の支援で「東南アジア防共連盟(ASEA)」の中核国となる。
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オランダ領東インド(蘭印)の独立
1946年:オランダの撤退
• 本国オランダは戦後復興で手一杯となり、東インドの統治を放棄。
• 日本軍の残留将校(辻政信少将ら架空人名でも可)が治安維持と民政移管を主導。
• スカルノ、ハッタらが日本の支援を受け、独立評議会を設立。
1948年:ハーグ協定
• 日本の仲介により「ハーグ協定」が締結。
• オランダは名目的宗主権を保持する代わりに、実質的独立を承認。
• 日本は経済顧問・治安顧問を派遣し、石油・ゴム産業の再建を支援。
• 米英は反共の観点からこれを全面黙認。
1949年:インドネシア共和国成立
• 首都ジャカルタ、初代大統領スカルノ。
• 日本式の憲法と議会制度を採用。
• 初期内閣には日本人顧問が多数参加。
• 1951年にはASEAに加盟。
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英領マラヤ・ボルネオ
1946〜1948年:英連邦再編
• 英国は本国経済の崩壊により、植民地再統治が不可能に。
• 対共産圏の防波堤として、マラヤ・ボルネオを「英連邦自治領」として再構築。
• 日本との緊張はなく、むしろ経済・防衛で協調。
1949年:「マラヤ連邦」成立
• クアラルンプールに自治政府樹立。
• 英国は外交と防衛を掌握するが、経済政策は自治。
• 日本から鉄道・製鉄・港湾技術が提供され、マラヤは東南アジアの商業拠点に。
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ビルマ(緬甸)
1947年:民族協議会の設立
• 戦中から活動していたアウンサンら民族主義者が日本軍の協力を受けて民族評議会を組
織。
• 連合国軍による介入を防ぐため、日本が中立監視団を派遣。
1948年:独立達成
• 日本と英国の共同調停により独立承認。
• 政体は連邦共和制。首都:ラングーン。
• 反共中立を掲げ、ASEAに準加盟。
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タイ王国
• 戦時中は中立を保ち、日本との協力で防共政策を推進。
• 停戦後、東南アジア防共協力の中心的役割を果たす。
• 1950年、ASEA創設会議の議長国に。
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フィリピン
• 戦中に日本の影響下で自治政府を経験していたため、独立準備が早い。
• 1946年に正式独立。米国の保護下で自由圏の前線基地となる。
• 日本との和解は早期に進み、1950年には経済協定を締結。
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日本の役割:「アジア独立の保護者」
日本は、この過程で単なる軍事力ではなく、
**行政・技術・経済支援を通じて“独立の保証者”**として振る舞う。
• 米国:日本の行動を黙認。反共政策の一環として容認。
• 英国:英連邦維持のため日本と協調。
• 結果、アジアの独立は「反欧州帝国・反共産主義・日本主導」の三重構造で進行。
日本はこの時期、「アジアの共通貨幣構想」や「東亜開発銀行(EADB)」を提案し、
アジアの経済統合の礎を築く。
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総括:1952年時点の東南アジア情勢
地域 独立形態 支援国 体制 備考
ベトナム 立憲君主制(越南国) 日・米 防共親日 日本顧問多数
カンボジア 王政下の自治 日・仏南部 中立 越南国に準加盟
ラオス 王政自治 日 中立 山岳民族の影響強い
インドネシア 共和国 日・米 民族主義 スカルノ政権
マラヤ 連邦自治 英・日 王政連邦 経済成長著しい
ビルマ 共和国 日・英 中立防共 多民族連邦
タイ 王政中立 日 主導国 ASEA創設国
フィリピン 共和国 米 自由主義 太平洋防衛の要
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歴史的意義
• アジアの独立が“欧州の衰退”ではなく“日本主導の再建”によって達成された。
• 東南アジアは一気に「反共防衛線」として形成され、冷戦構造を安定化させる。
• 欧州列強の“帝国主義的後退”ではなく、“多極的移行”として描けるため、政治的整合性
が高い。
• 結果として、史実の1950年代よりも早期にASEAN的枠組みが成立し、
アジアは「経済協調の舞台」となる。




