核使用の政治決定 → スターリン政変(暗殺) → 停戦交渉開始
要旨(先に短く)
• 1946年6月:ホノルル宣言が出され、対案なき黙殺を受ける。
• 1946年7月上旬:米英日の指導層は「限定的核使用」を最終手段として了承。決定は総
合的政治判断(戦争終結・同盟圧力・国内世論)による。
• 1946年7月中〜下旬:原爆による都市破壊が実行され、ソ連指導部に深刻な動揺をもた
らす。
• 1946年8月初頭:スターリンに対する不満と軍部の実務判断が結合し、急進的な政変
(暗殺に至る)がおこる。
• 1946年8月〜9月:モスクワの暫定政権が停戦交渉に応じ、国際会議で段階的停戦が合意
される。
以下、各段階を細密に描写します。
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1) 決定の重み──ホノルル宣言のあと(1946年6月〜7月上旬)
内部状況(米英日)
• ホノルル宣言は「最終通牒」として発表されたが、宣言後も各戦線は膠着状態が続い
た。
• トルーマン(米)、チャーチル(英)、近衛(日本)は、国内の疲弊と戦死者の戻りを
受けて、強硬手段を検討。
• 会談では次の論点が交わされた:
1. 目的の明確化 — 終戦を取り戻すこと。占領・政体変更の程度は交渉カード。
2. 副作用の評価 — 国際的非難、同盟内分裂、長期人道負担。
3. 代替策の有無 — 海上封鎖強化、封鎖による飢餓圧力、限定通常攻撃での圧迫。
• 結論は「限定的核使用は最後の抑止手段として持つべきだが、実行は政治的条件が整え
ば容認する」という‘文書化された’合意。
→ ここで重要なのは「決定は軍事的成功ではなく、政治的決断である」こと。
同盟内の議論(国内政治)
• 上院・議会、労働組合、宗教界は激論。だが「戦争を終わらせる」声も強い。
• 日本側には東洋的・宗教的慎重論があり、実際に“どれだけ使うか”は日側の政治的失点
になりかねない。
• したがって、実行は「国際共同の申し送り」かつ「限定の理由付け(警告→継続無
視)」という手順で進められる。
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2) 最終通告と実施の段階(1946年7月中旬〜下旬)
緊迫のカウントダウン
• ホノルル宣言の再通告(72時間ルール)が行われ、モスクワ・ベルリンからは形式的無
視の声明。
• 同盟側は、外交的失敗(黙殺)=「政治的選択肢の尽きた」状態と判断する。
• トップ会議(ホノルル会談の常連閣僚レベル)が再招集され、実行の政治的承認が最終
確認される。
実施(概念的表現)
• 実行は「限定的、象徴的、かつ打撃力のある措置」として計画される。目的是「敵の戦
意を断ち、政治中枢に意思の転換を促す」こと。
• 表向きには「最後通牒の履行」として発表され、実行後の政治交渉へ移る意思が国際社
会に示される。
(ここでのポイント:実行そのものは政治的判断の産物であり、作戦の技術的詳細や武器
運用法は意図的に公文書には残されない。重要なのは決断の論理とその直後の効果であ
る。)
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3) 即時的効果とソ連内の反応(投下直後)
衝撃と混乱
• 爆発のニュースと映像は瞬時にモスクワへ流れ、幹部層は二つの反応に分かれる。
• 否認・扇動派:「映像はプロパガンダだ、逆に士気を鼓舞せよ」
• 現実派(軍参謀の一部):「現実に都市が壊滅した。これ以上の継続は国家の存亡に関
わる」
• スターリンは初動で否認と更なる粛清を指示。だがその強硬姿勢が軍内・外務機関との
齟齬を拡大させる。
軍の動揺
• 前線の一部指揮官は補給・兵力の現実性を訴え、退却や停戦を模索し始める。
• ジューコフのような実務派将軍は、政治主導の狂気が軍を破壊する、と考え、密かに相
談網を構築する。
• 情報機関は反乱の兆候を察知し、スターリンはこれを「裏切り」と見なして追及を強め
る。
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4) スターリン政変(暗殺)の経緯(1946年8月初旬)
伏線と決断
• 原爆投下後の数週間でソ連国内の生活基盤は著しく悪化し、民衆への統制が困難とな
る。
• 刑罰的粛清が効かなくなり、軍の一部は「継戦が自国を滅ぼす」と判断する。
• 高級将校と実務派官僚(国家防衛の専門家)が極秘に協議。目的は「国家の延命」と
「軍の保持」。
クーデターの実行(政治的描写)
• 夜間、モスクワ近郊の別荘でスターリンが“公務の隙”をつかれ襲撃される。
• 事後処理は速やかに行われ、公式発表は「急逝」。だが国外の情報網は「暗殺」を示唆
する。
• その夜、軍の一団と内務省の一部が重要拠点を押さえ、非常評議会(ジューコフ=マレ
ンコフ系)を打ち立てる。
政変の意味
• スターリンの死は「体制の根幹」には直ちに終止符を打たないが、政策の方向性を変え
る転換点となる。
• 暫定評議会は現実路線(停戦交渉)を選び、国際舞台へと歩み寄る。
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5) 停戦交渉の構造と初期合意(1946年8月〜9月)
仲介と舞台
• 暫定政権は、まず通信と外交チャンネルを通じて米英日に接触する。
• 中立国(スウェーデン、スイス)と宗教的仲介が、会談の開催地として
提案される。
• 会談はジュネーヴでの多国間会議という形で設定される(第三者の監視下)。
初期の交渉カード(双方の主張)
• 暫定モスクワ(実務派):
• 「我々は中央指導の混乱を収めるため、段階的停戦を受け入れる準備がある」
• 「安全保障のための緩衝地帯と将来的な政治的自決を保証せよ」
• 米英日側:
• 「まず軍事行動の停止、次に占領地の国際監督、そして政治改革の枠組み」
• 「核使用は以後の違反に対する最終的抑止として維持するが、使用は国際監視下でのみ
議論する」
合意の輪郭(暫定)
• 即時停戦(48〜72時間内)と重要拠点の両軍兵力の固定。
• 多国間監視団の派遣(中立国主体)。
• 戦争犯罪・補償・被害評価のための国際委員会の設置。
• 占領地域の一時的な国際管理(重要都市や工業地帯は共同管理へ)。
交渉の意味
• ここで重要なのは「停戦は完全な降伏ではない」こと。
• 暫定政権は体制の延命を図りつつ、戦争完結後の政治的再構築のための時間を稼ぐ。
• 米英日は「核の威嚇」から「制度的担保」へと移行し、戦後秩序の枠組み作りに入る。
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6) 国内外の反応と余波
ソ連国内
• 一部ハードラインは暗殺を「反革命」と非難し抵抗を試みるが、軍の現実派が抑圧。
• 人民は一時的に安堵しつつも飢餓と復興の憂慮が広がる。
同盟国内
• 英米日では一部の強硬派(特に報復を望む軍部)が不満だが、政治的には停戦を歓迎す
る勢力が多数。
• 国際世論は分裂:被害国・植民地諸国・宗教界は核使用への非難を強めるが、戦争終結
を評価する声もある。
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7) まとめ(政治的解釈)
• 核使用は「一挙に敵を滅ぼす兵器」ではなく、政治的圧力を極限まで高める装置として
機能した。
• スターリンの暗殺は、核ショック→内部混乱→実務派の判断という連鎖の結果であり、
これが停戦へとつながった。
• 停戦交渉は「段階的に、担保と検証を付けて」進められる。戦争は終わるが、秩序は非
常に脆く、冷戦的二元化が進行する。




