1946年初夏の「ホノルル宣言」発表
背景:世界の疲弊と政治的行き詰まり(1946年春)
欧州戦線の膠着
• 西部ではルール地方を挟んで英米仏連合軍と独軍が対峙。
どちらも防御陣地を突破できず、焦土と化した都市の中で数十万人規模の戦死者を出し続
けていた。
• ドイツでは徴兵年齢が14歳まで下がり、ベルリンでは食糧配給が崩壊。
• ソ連はポーランドとバルト方面で反乱鎮圧に追われ、南部戦線(ルーマニア・ハンガ
リー)では燃料欠乏で航空機の稼働率が2割以下に。
• 戦争継続は現実的に不可能になりつつあったが、双方とも“勝利なき終戦”を恐れて撤退
できなかった。
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アジア戦線の泥沼
• 朝鮮半島では釜山防衛線を境に日本軍とソ連・中共連合軍が睨み合う。
• 日本は海上優勢を維持しており、ソ連は海軍力不足で上陸戦が行えない。
• 一方で中国戦線では、中共が長江流域を掌握し、広西・雲南を巡って激戦が続く。
• 中華民国は崩壊、亡命政権が米国で反共演説を行うに留まった。
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連合国側の焦燥
• 米国ではルーズベルト後継のトルーマン大統領が就任後、戦費の天文学的膨張に直面。
国民は「この戦争をいつ終わらせるのか」と問い始めていた。
• 英国ではロンドン空襲の再開と食糧配給制で労働党政権の支持率が低下。
• 日本でも、戦線維持のための人的・資源的負担が限界に達していたが、
「中共・ソ連の侵攻を止める唯一の壁」として撤退できず。
三国とも、「戦争に勝てないが負けることも許されない」という共通の政治的袋小路にい
た。
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決断の時 ― マーシャル実験の報告(1946年4月)
• 1946年4月、マーシャル諸島での核実験「プロメテウスI」が成功。
• その爆発映像とデータがホノルルに集約され、米英日三国の首脳が緊急会談を開催。
• トルーマン(米)、チャーチル(英)、近衛文麿(日本)を中心に、
**“戦争を終わらせるための政治兵器としての核使用”**が議題となる。
トルーマンは「戦争を終わらせるための力」を示すべきと主張。
チャーチルは「文明の存亡に関わる」として使用に慎重。
近衛は「使用は最終手段。ただし警告の形で存在を明示すべき」と中間案を提示。
議論の結果、「警告としての宣言を先に発し、それでも従わねば使用する」という妥協案
に落ち着く。
これが後に「ホノルル宣言」として発表される。
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ホノルル宣言(1946年6月2日発表)
発表場所
ホノルル海軍基地内「国際平和会議ホール」
(米太平洋艦隊司令部を臨時首脳会談会場として使用)
宣言の名義
アメリカ合衆国・大英帝国・大日本帝国による共同宣言
(後に「ホノルル三国宣言」とも呼ばれる)
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宣言の主旨(要約)
「人類の運命に関するホノルル宣言」
本宣言は、欧州・アジアの戦火がもはや文明の存続を脅かしていることに鑑み、
すべての交戦国に対し次の通告を行う。
一、これ以上の戦争継続は、人類文明を地上から消し去る。
二、我らはその破滅を防ぐため、決定的な新兵器を保有するに至った。
三、速やかに無条件停戦を受諾する者には、平和と再建の機会を与える。
四、これを拒否する者には、未曾有の破壊をもって応えるほかない。
我らの目的は征服にあらず、
ただ人類を無意味な死滅から救うためである。
1946年6月2日 ホノルルにて
アメリカ合衆国大統領 ハリー・S・トルーマン
大英帝国首相 ウィンストン・チャーチル
大日本帝国首相 近衛文麿
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世界の反応
ドイツ・ソ連
• ベルリンとモスクワは即日「資本主義陣営の虚勢」として黙殺声明を発表。
• スターリンは「英米日は負けを恐れて神話を作り上げた」と演説。
• ヒムラー率いるSS指導部は「最後の総力攻撃」を準備。
中華人民共和国(毛沢東政権)
• 「帝国主義の最後の悪あがき」と非難。
• しかし重慶陥落後、内陸都市でも補給が断たれ、軍内部では動揺が広がる。
イタリア自由政府・フランス自由圏
• 熱烈に支持。特にムッソリーニは「新たなローマの声」と称賛し、
ホノルルを“文明防衛の聖地”と呼ぶ。
自国民の反応
• 米国では「これで息子たちが帰れる」と歓迎の声。
• 英国では「終戦が近い」という期待が広まるが、戦争継続派の反発も残る。
• 日本では「神の火を手にした」と報じられ、国威高揚の象徴となる。
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結末への伏線
• その3週間後、宣言を黙殺したドイツに対し、
**ハンブルクへの原爆投下(7月4日)**が実施される。
• 続いてミュンヘンにも2発目が投下され、ベルリン政府は事実上の統治不能に陥る。
• ソ連は動揺の中でスターリン暗殺事件が発生し、停戦交渉へと進む。
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つまり――
「ホノルル宣言」は単なる降伏勧告ではなく、
**“核兵器という新文明の秩序宣言”**として機能したというのがこの世界の特徴です。




