1945年半ば~1946年初頭の「戦線膠着から核実験成功」
Ⅰ. 戦線の膠着(1945年春〜冬)
西部戦線 ― フランス・ベルギー・南ドイツ
• 連合国(英・仏自由軍・米・一部イタリア義勇軍)は、1944年後半からドイツ西部への
反攻を開始。
• しかしこの世界ではドイツの背後にソ連の物資支援があり、兵站が史実より強固。
• 1945年春にはライン川東岸で戦線が完全に固定化。
• 両軍は電撃戦を断念し、第一次世界大戦を彷彿とさせる塹壕陣地戦に移行。
ルール工業地帯は「ヨーロッパのヴェルダン」と呼ばれる焦土と化し、
英独双方が1日に数千人単位で損耗。
空軍は燃料不足と迎撃網の発達により、戦略的優位を維持できず。
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イタリア戦線 ― ムッソリーニの「南方防衛戦」
• 北イタリアにはドイツ義勇軍とソ連顧問団が進駐し、「ロンバルディア人民共和国連
邦」を建国。
• 南イタリアではムッソリーニが「イタリア自由政府」を率い、英米の支援で抵抗を継
続。
• アルプスを挟んで対峙する両勢力は、数百キロに及ぶ山岳陣地を築き膠着。
この戦線は象徴的意味を持ち、ムッソリーニは“赤化ヨーロッパに対する盾”として西側の
英雄扱いを受ける。
だが実際の戦況は地獄。輸送不能な山岳地で補給に苦しみ、冬季には凍死者も続出。
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東アジア戦線 ― 朝鮮・満州・中国
• ソ連軍は1944年秋に満州を突破し、翌年春には北朝鮮半島に進撃。
• 日本軍は「釜山防衛線」に撤退し、膠着状態に。
• 日本海での海上優勢は確保していたため、上陸戦は阻止できたが、地上戦線は泥沼化。
• 一方、中国大陸では中華民国が崩壊。
共産党軍が長江以南を制圧し、**「中華人民共和国」**を宣言(1945年末)。
日本は長江下流域・華南沿岸・台湾・海南島を保持するも、
「占領というより前線」という状態。補給は常に逼迫。
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世界全体の情勢
• 欧州・アジアの両戦線で「勝者なき戦争」が続く。
• 米国では戦費膨張が国家予算の50%を超え、戦意に陰りが見え始める。
• 英国もロンドン再空襲や物資不足で厭戦気運が拡大。
• 一方、独ソ陣営も経済は破綻寸前。農村の荒廃と都市飢餓が蔓延。
まさに「第二の1918年」、
各国が戦いをやめたくてもやめられない、出口なき総力戦の極点に達していた。
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Ⅱ. 核兵器開発の進展(1945年夏〜1946年初頭)
「マンハッタン・パシフィック計画」
• アメリカの原爆開発は史実同様ロスアラモスを中心に進行していたが、
日本の物理学者・工学者を招き入れ、**共同開発「マンハッタン・パシフィック計画」**
として再編。
• 戦争の長期化により、ルーズベルト後継の大統領(推定トルーマンまたはデューイ)は
「この戦争を終わらせるための究極兵器」として開発予算を急増。
日本側の理論物理支援(京都帝大・理化学研究所系研究者)により、
爆縮型の設計改良が史実より約半年早く完成。
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連合国の分担体制
• 米国:理論・資金・プルトニウム精製
• 日本:精密加工・起爆装置開発・遠隔観測機器
• 英国:ウラン濃縮・爆撃運搬手段(ランカスター改造機)
これにより、太平洋での共同実験体制が整う。
日本海軍が観測艦を派遣し、米海軍と共同で監視を行う体制が確立。
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ソ連・ドイツ陣営の状況
• ソ連は核開発情報をスパイ網で入手していたが、戦時経済の逼迫で十分なプルトニウム
生産ができず。
• ドイツは実験炉の構築段階で止まる。技術的には優秀でも資源・精製施設が壊滅してお
り、完成は絶望的。
• このため、「核開発はできるが運用不能」というジレンマに陥る。
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1946年1月16日:マーシャル諸島での初の核実験成功
• コードネーム:「プロメテウスI」
• 爆弾の出力は約20kt(広島型と同程度)。
• 太平洋上の無人環礁に投下され、観測艦隊により完全記録。
• 成功報告がホノルルに届いた時点で、
米英日首脳(トルーマン、チャーチル、東条後継政府代表)は**「戦争終結のための新外
交方針」**に合意する。
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Ⅲ. 結果:核による政治主導権の移行
• 1946年初頭、米英日は「戦争を終わらせる力」を唯一保有する陣営となる。
• 軍事的には膠着していても、政治的には主導権が完全に逆転。
• ソ連・ドイツ側もこの情報を察知するが、対抗手段を持たず動揺。
• 以降、世界の焦点は「核使用を伴う終戦の決断」へと移る。
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要約すると:
泥沼化した世界大戦の中で、唯一の“出口”として登場したのが核。
それは勝利の手段ではなく、戦争そのものを終わらせる“政治兵器”として登場した。




