中華民国の崩壊(1945〜1946年)
■ 背景:欧州大戦の激化とアジア戦線の孤立
1945年、欧州ではドイツ=ソ連連合がイタリアと西部戦線を攻勢中であり、
連合国(日英米)はその対応に追われていた。
このため、アジア方面への支援は限定的となり、日本は朝鮮戦線防衛を最優先。
中華民国への軍事支援は兵器・燃料ともに急速に減少していった。
一方で、中国共産党はソ連からの莫大な支援を受ける。
・満州に設けられた「ソ中共同補給線」
・旧日本軍の鹵獲兵器の譲渡(戦車・砲兵多数)
・顧問団としてのドイツ軍参謀団派遣(独ソ協調の象徴)
これにより中共軍は一挙に正規軍規模へと拡大し、「人民解放軍(PLA)」を名乗る。
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■ 長江戦線の崩壊
1945年8月、毛沢東率いる共産軍は「華中決戦」を宣言。
満州・華北から長江へ南下し、重慶・武漢を結ぶ防衛線を攻撃した。
蒋介石は史実同様、内部分裂した軍閥の調整に苦しむ。
とくに四川軍閥と中央軍の対立が深刻化し、命令系統が崩壊。
日本軍が派遣した軍事顧問団も、後退戦での統制不能に頭を抱えた。
同年10月、共産軍が漢口・武漢を陥落。
国民政府軍は長江南岸へ撤退し、「長江防衛線」は瓦解。
この敗北は中華民国の命運を決定づけた。
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■ 重慶陥落と「南西防衛線」
1946年初頭、共産軍は西南戦線を展開。
ソ連空軍による「義勇航空団」が重慶上空を爆撃、
ドイツの輸送部隊が成都方面へ兵站を供給。
これにより、国民党の本拠地・重慶は孤立する。
2月、重慶市街で激しい市街戦が展開。
日本の軍事顧問団が撤退を助言するも、蒋介石は抵抗を命令。
しかし3月、重慶は陥落。国民政府は瓦解した。
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■ 中華民国政府の亡命
4月、蒋介石は妻宋美齢らとともに昆明へ退避。
ここで英米の航空機により脱出が行われ、
蒋は最終的にフィリピン(マニラ)へ亡命する。
米国政府はこれを「自由中華民国政府」として形式的に承認。
蒋は「中華民国の正統は我にあり」と声明を発表したが、
実質的には亡命政権であり、政治的影響力は急速に失われた。
国民党軍の残余はビルマ・雲南方面へ逃れ、
一部は日本軍に吸収・再編され「自由中国義勇軍」として存続する。
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■ 中華人民共和国の成立
1946年5月1日、北京にて「中華人民共和国」建国宣言。
主席:毛沢東、副主席:周恩来。
この新政府は直ちにソ連とドイツから承認を受け、
続いてスペイン、東欧諸国が相次いで承認。
西側諸国(英米日仏)は「亡命中華民国政府」を支持。
こうして、中国は東西冷戦の最前線国家として
完全に分断された形で戦後世界秩序に組み込まれていく。
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■ 結果
項目 結果
蒋介石政権 崩壊、亡命政権として米比に存続
毛沢東政権 中華人民共和国を成立させ、ソ連・ドイツブロックに加盟
日本 朝鮮半島南部と東アジアの反共防衛線を主導
米英 アジアでの「赤化封じ込め」政策を正式化
世界構造 欧州・アジアの双方で「東西赤化境界線」が形成される




