1 路地裏に初恋
恋とは何かー。
これは僕が小学生の頃から挑んできた人生で最も難解な問いだ。この19年間、僕の頭脳と美貌を駆使して得られないものはなかった。何かのコンクールに出れば1番は確約されたも同然だし、受験だって日本一と謳われる大学に首席で合格。いつしか周りからは〝王〟と呼ばれるようになった。誰からも尊敬され、憧れられていた。
例えば、僕は幼稚園からずっと、同じクラスになった女子の大多数に告られてきた。
当たり前だ。こんなに美しい容姿で何でもできて、おまけに名前もかっこいいときた。鈴宮天音。ほらね。イケてるって思ったでしょ。流石、僕の両親だ。
女を何度も取っ替え引っ替えして、何度かナイフで刺されそうになっても、一人ひとりに誠実に、寛容に向き合っているように振る舞えば僕の評判は右肩上がり。留まるところを知らない。
クラスの男子からは最初こそ妬まれもしたが、あいつらは女より扱いが簡単だ。ちょっと褒めて一緒に下らない馬鹿な遊びをすればみんな友達だ。オタク君だって、ちょっとアニメや漫画の話題を振ればペラペラと独りでに喋りだすから、「うんうん、そうなんだ。面白いね。」とか言って盛り上げて爽やかスマイルを返せばもうイチコロだ。
―しかし、僕は多くの人間が知っているものを知らなかった。
それは恋。
少しばかり言い訳をさせてもらうが、周りの人間は自分より馬鹿で醜くて容量がすこぶる悪くて…要するに、取り柄がないのだ。そんな人間共を好きになれるだろうか?そもそも、恋というのは繁殖のためにあるのだろう?こう言ってしまうと色んな人権団体とかに文句を言われそうだが、自分よりも劣っているであろう遺伝子にそう安々と惹かれていいものだろうか?いや、駄目だ。だって、僕の子孫が僕よりも優れていなければ可哀想ぢゃないか。愛子がなんで僕は、私は、お父さんのように上手く生きれないのか、などと劣等感に溺れる人生を送っては可哀想ぢゃないか。
そう、つまり、これは仕方のないことなのだ。
だが、僕はこの世の全てを統べるべき〝王〟だ。そんな僕が知らない感情があるということが心底気に食わないのだ。
何より、「恋」を知らないのに相手の「恋」に付き合うのは何だかままごとをしている幼子のようで滑稽だ。ただ快楽を求める関係として片付けてしまえば、それを僕は欠点として認識してしまう気がしてならないのだ。僕に欠点はいらない。
必ず「恋」を手に入れて見せる!
……と意気込んで僕は今、居酒屋「木偶の坊」でバイトを嗜んでいる。そして、閉店時間が過ぎ、食器を洗っている。僕に洗われた食器は皆、並外れて美しい輝きを放っている。
何故、塾講師やら家庭教師やら、もっと時給のいいバイトをしないのか?――それはとても簡単な話だ。僕が先生になったらかっこよすぎるからだ。
かっこよすぎるあまり、女子生徒を惚れさせてしまう。いくら全知全能の美男とはいえ、それは許されないことだ。だから、こうして大人しく居酒屋のバイトをしている。ちなみに、「恋」の学習のために熟読した少女漫画のうち複数で、居酒屋で何かしら恋のイベントが起こる事例があったという理由もある。
洗った食器を拭き終わり、寡黙な店主に挨拶をして悠然と店を出ると、そこには屈強な男とその背に隠れている女がいた。
(あー、この前ちょっと遊んだ後、「一回だけでいいから」って言われてホテルに行った人か…)
薄々、いや、濃々、自分に用があるんだろうなと思ったが、意図的に無視して通り過ぎることにした。
「おい!」
「…」
「おい!お前だよ!!」
ぐいっと肩を掴まれ、路地裏に引き込まれた。屈強な男が僕の胸ぐらを掴む。
「お前…こいつのことヤリ捨てしたんだって?!」
「…一回だけでいいと言ったのはそちらでしょう。それに、こいつ呼ばわりなんて…可哀想な彼女。」
「喧嘩売ってんのか!!!」
「売ってるのはそちらでしょう?警察呼びますね。」
「うるせえ!こr…」
如何にも小者のそれなセリフを言い終えるよりも、僕がスマホで緊急通報をするよりも前に、男は僕の目の前から吹っ飛んでいった。
「ごちゃごちゃごちゃごちゃ…うるっせぇんだよ!静かに酒も飲ませてくれないのか?え?おいおい?何黙ってくれてんだよ?身分証だせよ!舐めてんのか?」
先程まであんなに強気だった男が女と共に一体何が起こったんだ、と目を白黒させている。かく言う僕もさすがに二度見した。屈強な男に見事な蹴りを入れたのは日本酒の一升瓶を片手にした美女だった。夜の街を背にする彼女は逆光のせいもあってかなりの迫力があり、何より綺麗だった。映画のワンシーンみたいだ。
男女が恐る恐る身分証を出すと彼女は舌打ちをした。
「おいおい、大人しく従うなよ。つまんねえな。お前らみてぇな雑魚を侍らせてもなんも楽しくねえから、身分証はいらねえよ。さっさと帰れ!」
屈強な男と女はそそくさと帰っていった。
「何?まだいたの?君もそそくさと帰りな。」
美女が近づいてくる。…綺麗だ。
「あの!ありがとうございました!おかげで警察沙汰にならなくて済みま…」
お礼を言い終える前に急に腕を引かれて、美女が走り出した。夜の街の人並みの間を縫って走るのは初めてで、そして、前を走る彼女の姿は本当に美しい。でろんでろんに酔っているだろうに体幹が全然ブレていない。揺れる髪が絹のように繊細で、僕は超最先端技術をふんだんに詰め込んだVRに紛れ込んでしまったのかと、本気で思った。
…走っているせいだろうか。いや、走っただけでこれほどうるさいだろうか。胸の鼓動が耳の鼓膜を激しく叩く。ああ、痛い痛い。耳が、胸が、手が、全身が。身体中が痺れて力が抜けそう。
彼女は一本の街灯がないほど小さな公園で足を止めた。
「ハァハァ…。急に走り出してすまない。警察の存在を忘れてたよ。」
彼女はあははっと爽快に笑う。さっきは暗くてよく顔が見えなかったが、酒のせいか、走ったせいか、顔がほんのり赤い。
「…可愛い。」
「よく言われる。君も良い面してるね。」
彼女の返答で自分が口に出していた事に気づいた。
「やっ…いや、確かにそうだけど…。…あ、あの!!!…連絡先、交換して下さい!!!」
な、何やってんだ僕。何頭下げてお願いしてんだ僕?
「いいよ。ほれ。」
なんだコレ!なんだよ!コレ!初かよ!
僕、こんなんだったかよ?誠実で寛容なプレイボーイだったろ?!
「…べ、紅さんって言うんですね。」
「そうだよ。武藤紅。君は?」
「…天音。鈴宮天音。」
こう名前を告げるとかっこいいとどこかで聞いたのだが、紅さんはどう思うだろうか。流石の僕でも恥ずかしいやつになってしまったかもしれない。
「君、案外面白いやつなんだね。」
彼女はそう言って一升瓶を呷る。彼女は自由奔放という言葉がよく似合う。きっと僕からもすぐ去ってしまう。明日には僕のことを忘れているだろう。
…そんなのは、嫌だ。もうすぐ夏だというのに肺に入る空気が少し冷たく感じる。身体が熱い。鼓動がうるさい。…ああ、そうか。これが「恋」か。
「ねえ…紅さん。走って疲れたでしょ?ちょっとあそこで休もうよ。」
僕は震える手で夜の街を指差す。紅さんは僕の指差す方へ振り向く。振り向いたときに揺れる髪が綺麗だ。夜の街の光が揺蕩うあなたの瞳が綺麗だ。酒で濡れた口が煌めいて、星空みたい、いや、星空よりも綺麗だ。あなたの光だけをつないで星座を作りたい…。そして、世界中にこれは僕が見つけた僕だけの星座です、と叫びたい。ああ、「恋」をすると頭がおかしくなるというのは本当だったのか。普段なら気持ちが悪いと脳内会議にかけるまでもなく一蹴する言葉がするする出てくる。
「…ふーん。」
紅さんはにやりと笑った。目が合った。僕は今、どんな顔をしているだろうか―。




