5.初めての除怨
転校してきてから丁度1か月半ほど経ち、ここの生活にも大分慣れてきた。朗らかに晴れたなあと思っていると、2階の窓から、道行く人たちが心なしか楽しそうに歩いているのが見えた。
最近は早めの梅雨が来たのか曇りばかりだったので、私も今日は自然と目が覚めた。最初は複雑な制服の構造に手間取っていたけど、もうすんなりと袖を通せる。階段を降りて顔を洗い、いい香りが立ち込めるリビングの椅子に腰かけた。タンギンの作ってくれたフレンチトーストとベーコン、コーンスープを飲みながら、雑草や花が生え放題の庭に目を向ける。
「おい、よそ見して変なとこに入っても知らねえぞ。もっとゆっくり食べろ」
「うん。ありがとう、今日も美味しいよ」
「はっ、別にてめえに褒められるためにやってんじゃねえんだ。変な言い方やめろ」
そう言って、私より早起きして朝食を作ってくれるタンギンが、向かい側のテーブルの端に座って長い足を組んだ。相変わらず行儀に関してはマイナスだけど、段々と彼と一緒に過ごしてきて、彼のことが分かって来た。
まず、タンギンはすごく表情が豊かだ。恥ずかしかったり図星だったりしたときは真っ赤になるし、カチンときた時は眉毛が吊り上がる。テレビで犬が飼い主と別れる場面を見ていた時は、涙ぐんでいたのをこっそり見た。ツンツンした物言いに反して、意外と情に厚い。
そして、凝り性でもある。最初は、コーンスープにしろカレーにしろ、市販の物を駆使して美味しいご飯を作ってくれていた。それだけでも十分ありがたかったけど、最近はコーンスープにクルトンを入れたり、カレーを何種類もの粉から作っていたり、腕に磨きが掛かっている。正直、食費も倍になっているので、叔母さんたちの悲鳴が聞こえそうなほどだ。
でも、式神は食事を必要としないらしく、味見はいつも私が担当する。わざわざ部屋まで味見用の小皿を持ってきてくれるのだけど、文句の付けようがない最高な味なので、夕方近くのコンコンとドアをノックする音が楽しみなくらいだ。
「ふふ、幸せだなあ」
「はあ?何だよいきなり。のんびりしてるうちに、遅刻しても知らねえぞ」
「だって、こんな美味しいご飯を毎日食べられるんだもん。最近、食事が幸せだよ。タンギンのおかげだね」
「う、うるせえなあ。てめえにまたぶっ倒れられても困るだけだろうが。ほら、早く食え。皿洗うの誰だと思ってんだ」
そんな会話をしつつ、私たちは家を後にして、通学路を歩いた。紫陽花の花が蕾を付けていて、5月なのに早いなと思う。登下校の道には植物がたくさん生えているので、歩きながら季節を感じられて、ラッキーだ。
瀬名高君の家のパン屋さんの前の交差点で足を止め、目の前で飛び交う車をぼんやり見つめる。隣でふわふわ浮いていたタンギンが、ふわあ、と大きなあくびをしていた。
「ごめんね、朝ごはん作ってくれてるから、早起きしてるんでしょ。眠いよね」
「あ?別に。普通に眠いだけだ。最近じめじめしたりからっと晴れたり、めんどくせえ。天気がころころ変わんのは、得意じゃねえんだよ」
「そうなの?私も、雨の日はあんまり得意じゃないんだ。気圧病って言うのかな、頭が痛くて」
青になった信号の方へ、足を進める。最近は周りの人に怪しまれないよう、真っすぐ前を見たまま彼と話すようにしている。顔を横に向けてしまうと、完全に見えない空間に喋りかけている人になってしまうからだ。
「あー、分かるわ。つうか、てめえも眠れてねえんじゃねえの?俺が眠いってことは、お前自身がよく休めてない証拠だろ。なんだよ、早く寝ろよ」
「え、私寝てるはずなんだけどな。結構深い睡眠取ってると思うんだけど・・・・・あ、でも最近はよく夢を見るんだ。何の夢だったかは覚えてないんだけど」
「へー、夢ですか!人間はレム睡眠とノンレム睡眠があるらしくて、夢はぐっすり眠れてない証拠らしいですよ!何でも、気温差が原因の一つになってるとか。断金さん、夕陽ちゃんのためにも、布団を薄目の物に交換してあげるといいかもしれませんね!」
「あー、確かに今出してるの、毛布っぽいもんな、暑くて眠りが浅くなってんのか・・・・・・・って」
隣を見たタンギンが口を止める。私もつい、足を止めてしまった。自然と私たちの間にいた男の人が、ニコニコしながら痣の付いた顔に白い手袋を当てる。可愛く丸まった目を上開けて、あ、といいアイディアを思いついたように笑った。
「あとは、お香を炊くとかどうですかね?いい香りがすると、リラックス効果もありますから!夕陽ちゃんはホワイトムスクの香水をよく使っているので、お部屋に置いてみるのもありですね!」
ね?という顔で、隣のマクモさんが笑いかけてくる。こうして見ると意外と背の高い彼は、ごく自然に、しかし異様な禍々しさを放ちながら私の手を取った。ぞわっと一気に鳥肌が立つ。
すると、パーーーーッ!!!とクラクションが耳に突き刺さって、私は我に返った。すぐ傍で、運転手の苛立った顔が車から覗いている。信号を見ると赤に変わっていて、私は急いで横断歩道を渡り切った。彼に気を取られて横断歩道の途中で止まってしまった。
「てめえ、いつからそこに居やがった!!」
歩道に出るなり、タンギンはマクモさんに向かって回し蹴りをかましていた。彼は攻撃をひらりとかわし、楽しそうには浮き上がっている。ケラケラと笑い、ふてくされた顔でこちらを見た。
「えー、強いて言うなら、お二人が仲睦まじく玄関を出たあたりからですかね?すっかり仲良くなっちゃってて、僕妬けちゃいます。まさかこんな短期間で距離を縮めるとは、でもまあ想定内ですかね」
森林君の暴走の件以来、『廃絶』やマクモさん、黒い悪意を見ていなかったので、完全に油断していた。瀬名高君も、常日頃からパトロールのため街を練り歩いているらしいが、最近はお家のパン作りを手伝うことに精を出していた。まさか彼と離れているタイミングで襲来が来るとは。しかも彼は、私の付けている香水も知っていた。きっと、家も監視されていたのだろう。嫌な気分が胸に浮かんでくる。
「・・・・・・マクモさん。急に来られると、困ります。せめて横断歩道中は止めてください。死ぬところでした」
「えー?僕的には死んでいただいた方が効率が良かったんですけどね。その方が、僕たちの仲間として受け入れるのに手っ取り早いですから!でもうちのボスはなぜか、生きたままの君を欲してるんですよー。仲間にしたがってるのに殺さないなんて、意味分からないですよね?肉体なんてどうせ朽ちていくだけなんだから、さっさと捨てちゃえばいいのに」
さらりと衝撃的なことを言って、マクモさんは私を見下ろした。可愛い丸い瞳が、不気味な黒に覆われていて、目が離せない。私が何か言う前に、タンギンのコートに視界を遮られる。
「うわっ、あぶな!久しぶりに見ましたよ、その武器。止めてくださいよ、刺さると痛いんですから、それ。あー怖、今日はもう退散しましょうか。ではまた!」
何をしたのか、マクモさんが逃げ腰で空に飛んでいく。輝く太陽の光を受けて真っ黒に照らされた彼は、楽しそうに私に手を振って消えていった。
肺の空気を吐き出し、タンギンを覗き込む。その手には、小さなカードが握られていた。
「タンギン、守ってくれてありがとう・・・・・・それ、何?」
「あ?ああ、これか。お前がやっと力を吸い上げられるくらい体力ついたからな、やっとこいつを出せるようになった」
そう言ってタンギンはにやりと笑い、指の間に器用にカードを挟み、私に見せてくれた。それは、花札だった。何となく見たことのある牡丹や蝶の柄が、金色の縁に彩られていて、とても綺麗だ。
「あれ、これってもしかして、ガラス?」
「あー、まあそんなもんだ。花札の柄を象ってるらしいな。こうして見ると、綺麗なもんだなあ」
タンギンが学校へ歩みを進めながら、持っているカードを空に透かす。私も小走りに彼に追いつき、花札を覗いた。赤色に艶めく部分が反射して虹色を生み出していて、本当に宝石のようだ。
「それが、タンギンの武器?それで戦うの?私が体力を付けたから、それが出せるの?」
「あーー、いっぺんに聞くな。ほら」
タンギンが振り返り、私に花札を一枚渡してくれる。椿の赤と金の虫が描かれた、綺麗な札だ。
「これ、くれるの?」
「まあ、なんかあった時役に立つだろ。俺が使えんなら、てめえも使えるだろうし。ほら、行くぞ。後は盤渉と底抜け元気野郎に解説してもらえ」
「あ、ありがとう。大切にするね」
照れたのか、タンギンはスタスタと先に行ってしまう。壊れないよう大切にハンカチで包み、ポケットに入れる。心なしか温かく感じて、私は彼を追いかけた。
私たちは足早に学校に着き、教室で黒板を拭いていた瀬名高君と話した。丁度今日彼は日直で早く到着していたらしく、運良く彼と二人で話すことができた。
「ふむ。どうもマクモは、君が一人でいる時を狙っているようだね。プライベートも知っていたらしいし、どこかで監視していたのかもしれない」
「嫌だなあ・・・・・・落ち着かないし、正直、まだ瀬名高君がいない時に『廃絶』に会うと、怖いんだ」
素直な感想を零すと、彼は驚いたように目を見開き、快活に笑った。この彼の明るさが、どこまでも私の心を照らしてくれる。所々跳ねた髪をさらにぴょんっと跳ねさせて、彼は胸を逸らした。
「はっはっは、嬉しいことを言ってくれるね!まあ、僕も何回も除怨に協力して来たとはいえ、『廃絶』の対処の仕方は知らないから、何か仕掛けられたら死なばもろともだけどね!」
全く安心できないことを言って、彼は「僕たちにはバンシキたちがいるから大丈夫さ」と付け足した。バンシキさんはいつもの如く、瀬名高君の隣でひっそりと佇んでいる。横で、タンギンが愚痴をこぼしていた。
「全く、節操ってもんがねえのか、あいつらは。最近はなりを潜めてやがったが、莫目の奴、気配を消すのが上手くなってねえか?」
「・・・・・・もしかしたら、そのボスに力を与えられているのかもしれない。『廃絶』のメンバーは彼以外にも見たことはあるが、ボスはまだ知らない。私たちの近くに隠れているとしたら、厄介だ」
珍しくバンシキさんが長く言葉を紡ぎ、柳眉を上げて私たちに視線を向ける。何を考えているのか分からないその顔は、私を少しじっと見ただけで、すぐ瀬名高君に向けられた。
「・・・・・・光。少し力を使ってもいいだろうか。式神の『品物』について説明を頼む」
「ああ、もちろん!任せたまえ!」
頷いた瀬名高君を見て、バンシキさんはすっと手を横に持ち上げた。すると、光の粒子が集まり、段々と彼の手に、扇子が現れ始めた。彼はそれをパッと綺麗に広げると、私に見せてくれた。
澄んだ川に、桜の花びらが浮かび、綺麗な線を描いている様子が描かれている。夜桜に満月が煌々と照っている景色は、見ているだけで心が洗われるようだ。
「確か、これ、バンシキさんが除怨で舞っていた時に使っていた気が・・・・・・」
「その通りだ、椿君!式神には一人一つ、除怨の際に使う道具を持っている。『品物』と呼ぶらしいが、正式名称は別に覚えなくてもいいだろう。で、バンシキが使うのはこの扇子だ。で、おそらくタンギンは花札かな?うむ、実に美しい!君はどうやってこれを使うんだい?」
解説の後、瀬名高君が興味津々な様子でタンギンに聞く。確かに、花札でどうやって除怨をするのだろうか。でも、それは私にも知らない。
「俺ら、まだ除怨したことねえからな。まあそん時分かるだろ」
「何と!教えてくれてもいいじゃないか!気になって仕方がないよ!!」
「あー、そんな近づいてくんな!鬱陶しい!!」
二人がわーわー言い合っているのを見ていたら、横にバンシキさんがいた。ついびっくりして身を引いてしまう。音もなく隣に来るのは、マクモさんも彼も変わらない。まあ式神は実体化しないと物に触れられないのだから、当然と言えば当然だけど。
「・・・・・・椿」
「は、はい」
未だに真っすぐ前を見たままのバンシキさんを見上げる。彼はこの3人の中では一番背が高く、ずっと彼と話していたら首が痛くなりそうだ。多分塩味君くらいあるから、190センチはありそうだ。
「・・・・・・君は、『廃絶』のボスを知っているか?」
「え、知らないです。向こうは私のことを知っているみたい何ですけど・・・・・・」
「・・・・・・そうか。つい先日まで式神すら見えなかった君が、どうして『廃絶』に認知されているのか。私はそれが気に掛かっている。彼らは総じて音もなく、気配もなく、証拠もなく、人の悪意を増幅させていく。だから、気が付かない所で近くに潜んでいるかもしれない」
ゆっくりと、考えを嚙み砕きながら言っているのは分かるけど、彼の言いたいことが上手く読み解けず、私は彼の目を見つめる。深い藍色の髪に対して、氷のような透明な白の瞳は、静謐な圧を持ってこちらを見ていた。ふと悲しい考えに行きついて、私は恐る恐る口を開く。
「もしかして、私が『廃絶』に内通していると思ってるんでしょうか・・・・・・?」
疑われているなんて思いたくないけど、思考が卑屈な方にどんどん陥ってしまう。こういう所に、昔のトラウマの鱗片が出てくる。相手に期待しておいて、相手が自分を良く思っていなかったら、その時の衝撃は倍になって返ってくる。それなら、下がっているハードルを自分から下げておく方が良い。
しかしバンシキさんは驚いたように目を開くと、ぶんぶんと手を振った。勢いよく、しかも急に手を振ったので、持っていた扇子が明後日の方向に飛んで行ってしまう。慌てて拾い上げ、彼は長い髪を少し整え、息をついた。
「・・・・・・私が言いたかったのは、今まで椿が出会った中で、怪しい人物がいなかったか振り返ってみてほしい、ということだ。すれ違った人、話した人、目線が合った人。それら全てに注意してみると、『廃絶』が君を欲しがっている理由の一端が見えてくるかもしれない」
「な、なるほど。心配してくれたんですね・・・・・・すみません、勝手に卑屈になっちゃって」
「・・・・・・いや、私は会話が苦手だから。言葉が足らなかった。私は君を心配している」
そう言うと、バンシキさんは私の頭をゆっくりと撫でてくれた。こんな年になって、お父さんがいたらこうして褒めてくれたのかも、なんてまた感傷的になってしまう。優しい重みに、私はきっと動いて見えないだろう口元をほころばせた。
「ありがとうございます。嬉しいです」
「あ!!椿君が笑っているよ!!ほらタンギン、君も彼女の式神なら、表情くらい読めるようになるんだ!」
「はあ!?くそ無表情だろうが!!でもなんか腹立つ空気なのは分かる!!おら盤渉、餓鬼じゃねえんだからそいつの頭なんか撫でんな!!」
タンギンが騒いでいるのを見ながら、私は記憶を巡らせた。バンシキさんの言う通り、今まで会った人の中で怪しそうな人が、『廃絶』と関係しているかもしれない。人とは限らないかもしれないけど、そんなことを言っていたらきりがないので、ひとまず出会った人を思い返してみる。私と関わった人なんて、数えるくらいしかいないだろう。
地元では、叔母さんと叔父さん、永遠さんくらいしか記憶にある人がいない。ここでは、瀬名高君とバンシキさん、タンギンは別として、萌ちゃんと森林君は被害者だから除外する。レイちゃんと塩味君はそうあってほしくない。あとは、校長先生とか・・・・・・・
「・・・・・・」
私はすぐ首を振る。流石に関係ないだろうと思う。でも、最近感じていた違和感がどうしても拭えなかった。
「ね、ねえ、瀬名高君」
「ん?何だい」
「あの、台心先生って」
「お、またお前らか。朝から早いな。つうか仲いいなあ」
彼の名を出そうとした時、丁度目の前の扉が開き、本人が顔を出した。つい息をのんで固まってしまう。そんな私の様子に気が付いたのか、先生はにこっと笑った。本当に、顔だけはいい人だ。
「どうした、椿。驚かせたか?今日は顔色いいみたいだな。安心安心」
「先生、おはようございます!先生も早いですね」
「今日も元気だな、瀬名高。先生は早起きしすぎて疲れちゃったよ。今日は5限に避難訓練があるんだけど、先生疲れちゃった。あーあー、誰か職員室に資料取りに行ってくれないかなー」
「分かりました、僕が行きましょう!任せてください!」
先生の誘導に見事引っかかった瀬名高君はキラキラと笑うと、弾丸の如く教室を出て行った。あの元気はどこから来るのだろうか。先生が「なんか申し訳ねえな」とぼやいているのが聞こえる。
教卓から離れようとすると、ポン、と肩を叩かれた。プリントを差し出してきた先生が、手を前に出して「頼む」と笑っている。私は黙ってうなずき、整列された机にプリントを配り始めた。『おはしも』という定番の文字が赤いフォントで象られている。
私の中では、今まで出会った中で一番怪しいのは台心先生だ。正直今まで先生という存在とあまり関わってこなかったから分からないけれど、彼は私に対して対応が丁寧すぎる気がする。みんなにもこうだったら、私のただの思い上がりだからいいけど、他の人とはちょっと違う雰囲気があるように思える。
そんなことをぼんやり考えていると、「台心!!」と元気いい声と共に、女の子がクラスに入って来た。この前先生に怒られていた時に来た子だ。確か、赤羽さんと呼ばれていた気がする。耳元でくくったツインテールに、校則ではアウトであろう短いスカートが揺れて、私はなぜか目を逸らしてしまう。
「おー、赤羽。おはよう。どうした、なんか用か?」
「別にー、台心いるかなと思って来てみただけ!暇そうにしてんねー」
「他の先生に見つかったら怒られるから先生付けてくれー。あと、スカート短すぎ。主任の鈴木先生に怒られるぞ」
「やだ台心、どこ見てんのー!変態じゃん!」
繰り広げられるカップルのような会話に、私はちらりと式神たちを見た。バンシキさんは瀬名高君に付いていったのだろうけど、あろうことかタンギンもいなかった。辺りを見回すうちに、背中がほんのり温かいのに気が付く。きっと、彼は眠っているのだろう。朝食を作るために実体化しなくてはならないのだから、きっと疲れているのだ。優しいな、とふと先生たちの方に視線を向ける。
途端に、胃がすくんだ。先生は赤羽さんと話しつつも、私の方をじっと見ていた。つい席を巡っていた足を止めてしまう。監視されているような居心地の悪さに、視線が逸らせない。
すると、楽しそうに話していた赤羽さんが先生の目線に気が付いたのか、彼女も私に目を向けてきた。瞬間、ぐっと顔を歪め、冷たい目になる。何回か向けられたことのある視線だから慣れてはいるけど、彼女のはこれまで受けてきた睨みの数倍怖い。
「ねえ、またあいついるじゃん。何なの?」
赤羽さんがワントーン落として先生に聞いている声が聞こえてくる。なんかもう散々だな、と最後の席までプリントを置き、余りを教卓付近に持っていった。近くで赤羽さんを見ると、小柄で気が強そうで、可愛らしい。目は獣みたいだけど。
「これ、余りです」
「お、サンキュー。この子は椿。この前うちに来た転校生だよ。まあ、もう馴染んでるけどな」
「・・・・・・ふうん」
先生の紹介に不服そうにしつつ、赤羽さんはじろりと私を睨むと、ぷいっと顔を逸らして先生のいる教卓に体重をかけた。嫌われたなあ、とため息をこらえ、私はどこか心が休まる場所にでも行こうと教室を出て行こうとした。
「あ、椿。放課後、話あるから残っててくれる?」
先生の声が飛んできて、私は振り返った。朗らかな日差しを背景に、何を考えているのか分からない目と、早くどっか行けと言わんばかりの目が迎え撃ってくる。
「・・・・・・何の話ですか?」
「これから三者面談があるんだけど、それについて。ちょっと確認しておきたいことがあるからさ」
「・・・・・・分かりました」
そう言って、私は足早に廊下に出た。何となく、彼が嘘を吐いたことだけは分かる。転校生だからとか親がいないからだとか一人暮らしだからだとか、気にかけてもらう理由はいくらでもあるけれど、何せ人に気にかけてもらった経験がないので、どうしても戸惑ってしまう。鬱陶しいわけじゃないけど、永遠さんくらいしか支えてくれた記憶がないし、彼はごく自然と寄り添ってくれた。
「・・・・・・なんか怖いって思っちゃうのは、私の性格が悪いのかな。ねえ、タンギン」
廊下の隅で背中にいる彼に話しかける。けど聞こえてくるのは、静かな寝息だけだった。安心ような不安のような気持ちが溢れ、ふう、とため息を零しつつ、騒がしくなり始めた教室に戻った。
「ねえ、椿さん。ちょっと話があるんだけど」
お昼休み、手を洗おうと扉を開けた瞬間、赤羽さんが仁王立ちをして待ち構えていた。驚きで声も出ないでいると、むんずと手を掴まれ、ずるずると空き教室に引きずり込まれる。レイちゃんに断りを入れられてないと思いつつも、振り払う気にもなれず、大人しく付いていった。ぴしゃん、と扉を閉めた彼女は、光線でも放ちそうな勢いで私を睨みつけ、ずんずんと近づいてきた。比例して私も後ろに下がってしまう。
「ねえ、あんた台心のこと好きなの?なんで周りうろちょろしてんのよ」
やっぱりそういうことか、と内心納得しつつ、私はどうしようと考えを巡らせた。人の恋愛に巻き込まれること以前に人と関わってこなかった私は、こんな時の対処なんて分かるはずがない。私は叩かれたら逃げようと、必死に窓ガラスに背を預けた。
「そ、そんなんじゃないよ。ただ、先生が私を気にかけてくれてるから・・・・・・」
「はあ!?台心が悪いって言うの?つうか、思い上がり過ぎでしょ!!」
被害者口調はだめだ、適当に口を滑らせすぎたと反省する。きっと私は無表情で動じていなさそうに見えることも、彼女の怒りに火を点けているのだろう。
「いや、私、両親いなくて一人暮らしだから・・・・・・保健室の先生から食べなさすぎって注意があって、それで健康面について心配かけちゃったことがあって・・・・・・」
「何よそれ。心配されたがってるんじゃないの?台心はみんなに優しいの。あんたが特別なわけじゃないから!!」
「あ、そうなんだ。そうだよね」
「・・・・・・は?」
純粋な納得が口から出てしまい、赤羽さんがポカンとする。ほぼ壁ドンに近い体勢を少し緩めたのか、距離が離れて呼吸がしやすくなる。正直、彼女の香水の香りはあまり得意ではない。
「え、えっとね。私、台心先生が私にだけこんな過保護なのかな、なんでだろうなって思ってたんだけど、みんなにもそうなんだね。そうだよね、勘違いしてたから、解けて良かった。ありがとう、赤羽さん」
必死に思ったことをオブラートに包んで伝える。自分でも何を言っているのか分からなくなったけど、赤羽さんは突いていた手を緩め、気まずそうに目を逸らした。
「・・・・・・台心は、そういうとこあるから。あいつ、わざとじゃないって言ってても、距離近かったり、変に気にかけてくれたり、普通に好きにさせるようなことするし。はあ・・・・・・なんなの、あいつ」
頬を赤らめ、怒気を含めて零す彼女を見て、本当にこの子は台心先生のことが好きなんだな、と感じた。女子ならではの勘なのか、本気な気持ちが伝わってくる。教師と生徒は叶わない恋かもしれないけど、好きになってしまったものは仕方ないんじゃないか、と謎の応援の気持ちまで湧き上がって来た。
「そ、そうだよね。だから、私は先生のことなんにも思ってないよ。赤羽さんのこと、応援してるから。誰にも言わないから・・・・・・頑張って」
そう言うと、彼女は目を少し潤ませ、しおらしく口を尖らせた。この感じの方が普段より可愛いのに、と思ってしまう。
「・・・・・・ほんとに?」
「うん。私、好きな人できたことないから。でも台心先生のことは間違いなく好きじゃないよ。むしろ、ちょっと怪しい」
「・・・・・・それはちょっと語弊があるような気がするんだけど」
「・・・・・・確かに。え、えっと。先生としてはすごいと思うけど」
「分かった・・・・・・・じゃ。連れ出して、ごめん」
慌てる私をよそに、赤羽さんは空き教室から出て行った。振り返りざま、照れたように小さく謝る彼女を見て、私は悪い人じゃないんだな、と思った。それでも気が抜けたのか、ずるずるとしゃがみ込んでしまう。燦燦と照る日光がずっと背中を焼き続けていて、少し痛い。
「おーおー、女の喧嘩は怖ええなあ。言うだけ言っといて、詫びもなしかよ。金寄越せ、金」
後ろの温かみが少し引き、その代わりにずっと私の中で寝ていた彼が姿を現した。足元が透けているから、実体化はしてないのだろう。
「・・・・・・タンギン。見てたなら、助けてよ」
「いーや、俺もあの先公は何か怪しいとは思ってるんだ。あいつ、『廃絶』のボスなんじゃねえの?」
「!!」
今まで悩んでいたことをズバリと言い当てられて、私は口をつぐんだ。そうだ、私が出会った中で怪しいのは、抜群に台心先生だ。私を気にかけているのは、最近新しい主としてタンギンと一緒にいるから、と思えば辻褄が合う。瀬名高君はあらゆる言動が派手だから、監視しなくても目に入るし。
「私も、そう思う。怪しいかは分からないけど、なんか不思議な感じがする・・・・・・」
「直感は大事にしろよ。てめえは今、普通の奴が見えなくてもいいものが見えるようになってんだ。神経が過敏な分、危険も察知しやすいんだからよ」
「・・・・・・それって、タンギンの主として、『廃絶』の気配を感じやすくなってるから?」
「う。ま、まあ、そうだけどよ」
「あ、別に責めたわけじゃなくて。でも、ちょっと警戒してみてもいいのかも・・・・・・」
「ああ。お前にスタミナがついて、俺も除怨できるくらいまでには回復したけどよ、悪意なんて触れねえに越したことはねえんだ。根っから叩き潰すには、ボスをやっちまう他ねえ」
いつになく真剣な顔でタンギンが呟く。彼の背景にある過去と経験がそうさせているのかと思うと、なぜか私も苦しくなって、声をかけられなかった。
しかし、段々と廊下を全力ダッシュする音が近づいてきて、私たちは顔を見合わせ、ドアを振り返った。程なくして、スパーンと引き戸が開け放たれる。
「あーー、いた!!夕陽ちゃん、大丈夫!?赤羽に連れ出されたらしいけど、何もされてない!?」
レイちゃんが息を切らしながら、私を見るなり駆け寄ってきてくれた。揺さぶられるというよりシャッフルされ、違う意味で意識が遠のく。
「だ、大丈夫だよ。見つけてくれてありがとう・・・・・・どうしてここが分かったの?」
「え?えーっと、さっき捕まえて本人から聞いた」
「逞しいね・・・・・・」
「ほら、ご飯食べに行こ!今日は避難訓練があるから、絶対授業伸びるよ。あー、お腹空いた!」
教室に一人佇むタンギンを横目に、私はレイちゃんに引っ張られるがまま、廊下を走っていった。
《実験準備室で火災が発生しました。火災が発生しました。直ちに窓を閉め、ドアを開けてください。生徒諸君は先生の指示に従い、落ち着いて廊下に整列してください》
けたたましく鳴る火災報知器の音はいつまで経っても慣れない。女子の何人かはうるさそうに耳を塞ぎながら、私たちは廊下に並んだ。男子は、笑いながらお喋りしたりあくびをしたりしている。
「おーい、喋らないでくれよー・・・・・・30、全員いるな。よし、こっちから上履きのまま校庭に出ろー」
台心先生の声に沿って、みんなが移動し始める。校庭の砂を上履きのまま踏みしめるのは、少し特別感があって楽しい。学級委員が人数を数えている間、ジャリジャリとつま先で地面を削っていると、隣を通りかかった台心先生が「こら」と笑いながら声をかけてきた。前にいたレイちゃんがふふっと笑ったのが聞こえる。
大人しくしゃがみ、クラス代表の生徒が消火器を使って赤い三角コーンを的に実演しているのを見つめる。火事だ、と叫ぶらしいけど、恥ずかしがりつつも、意外とみんなちゃんと叫んでいる。うちのクラスは瀬名高君が代表で、校庭中に響き渡る声で叫び、一瞬でコーンを倒していた。まるでサーカスの曲芸のような早業に、みんな笑って拍手している。彼は丁寧にお辞儀までしていて、横で待機している先生たちも笑っていた。流石だなあ、と乗り出していた身を引っ込める。
すると、台心先生が他の先生たちと共に消火器を持って出てきた。途端に黄色い歓声が上がる。慌てたように静かに、と口に指を当てる彼のしぐさは逆効果で、アイドルさながらの声援を浴びつつ、先生たちの実演が始まろうとした。
《・・・・・・憎い》
「!!」
喉が詰まるような声に、私は咄嗟に胸を抑えた。黒い感情が渦を巻いて湧き上がって来て、後ろに目をやる。
すると、ぎゅっと肩を掴まれる感触がした。タンギンが黙って頷き、真っすぐ前を見据えている。みんな先生たちの実演に夢中だから気づかれないだろうと、私はこっそりその場から逃げ出し、辺りを見回した。
《何でみんなあいつを見るの。あいつは私だけの物なのに》
声が脳に響く度、うずくまりたくなる衝動に駆られる。でも負けていられない。同じように苦しんでいる人を、全校生徒の中から見つけなくては。
「おい、大丈夫か?」
「・・・・・・大丈夫。タンギンが付いてくれているから」
「はっ、そりゃどーも」
《あいつを見るのは私だけでいい。他の奴らはいらない》
声に覚えがあり、私は隣のクラスを見た。人の塊の中、黒い煙が巻き上がっている。
「赤羽さん!」
私は駆け出し、うずくまって頭を抱える彼女の背中を擦った。彼女の思いが聞こえる度、視界が揺らぐ。
周囲の人は全員、異常な程先生たちを見つめていて、こっちに気を向けようともしていない。咄嗟に瀬名高君を探す。けど人だかりが邪魔で彼が見当たらない。
「っ、瀬名高君!!」
ようやく見つけた彼の姿に、私は血の気が引いた。黒い煙に取り巻かれ、膝をついている。必死に取り払おうとしているけど、立ち上がれていない。バンシキさんが冷静に扇子を扇ぎ、タンギンも私より彼の方がやばいと思ったのか、加勢しに行っていた。
瀬名高君が苦しんでいる、という事実が予想以上にショックで、私は言葉が出なかった。でも足元から聞こえる赤羽さん自身のうめき声に、私はハッとして彼女に呼びかけた。
「赤羽さん、大丈夫だよ。あなたの声はきっと先生に届く。ちゃんとアピールもしてるんだもん、赤羽さんはすごいよ。だから・・・・・・」
《・・・・・・あなたに何が分かるの》
「うっ!!」
ぐっと肺が圧迫され、私は地面に倒れ伏した。ゆっくりと赤羽さんが顔を上げる。ひどく歪み、憎しみに溢れた顔で私を睨みつけた。さっきの照れた顔の面影がまだ残っている顔に、涙が出てきそうになる。
《先生から気に入られて、可哀そうな立場でちやほやされて。全てが籠の中で守られてきたようなあんたに、何が分かるのよ!》
頭が割れるような痛みに、私は必死に耐えた。なんで毎回こんな目に遭わないといけないのだろう。人の悪意、なんて簡単に言葉にできるけど、実際に触れるのは格が違う。これを瀬名高君は今まで一人でやっていたのかと思うと、尊敬する。でも今は、その彼が苦しんでいるのだ。私が頑張らなければ。ぐっとお腹に力を込めて立ち上がり、うずくまる赤羽さんの上に腰を下ろしている彼を睨んだ。いつの間に、という驚きすらも湧いてこない。私はこの人を許せない。
「どーもです!なんでそんな怖い顔をしてるんですかー?」
「赤羽さんを解放して。今すぐこんなことは止めて!!」
「んー、何をそんな怒っているんです?うちのボスはですね、よくあなたのことを『天使』って言うんですよ。僕からしたら、勝手に悪意を沈めてしまう悪魔にしか見えないんですけどね。困るんですよね、勝手に仲良くなられちゃうと!」
マクモさんは全く悪びれもせず、優雅に片足をプラプラさせている。人の上に座るという最悪な行動以前に、赤羽さんがこんな扱いを受けていることに、私は強く苛立った。
「止めて!どいてよ!!」
私はマクモさんの肩を掴んだ。けど、彼はそんな私の行動を読んだのか、ぐっと彼の方に引っ張られてしまった。必死に踏ん張って抵抗するけど、彼に触れた部分が、溶けていくような感覚に襲われる。
「っ!!離して!!」
「嫌ですよー。せっかく君がこっちに来てくれたっていうのにー。この機会を逃したら、僕ボスにぶっ殺されちゃいます!あー、考えもなしに僕に触るなんて、馬鹿すぎて可愛いですねー」
彼の声が耳元で聞こえ、全身に鳥肌が立つ。死ぬ、と直感で感じた。直感を信じろ、とタンギンの言葉が聞こえる。彼の名前を思い出した時、ハッと私は気付いた。
今朝、彼からもらったお守り。こんな時でも、ポケットの中で温かく光っている。
私はマクモさんに掴まれた手と反対の手で自分のポケットを手繰り寄せ、花札を手探りで掴んだ。彼は完全に勝ちを確信しているのか、何かべらべら喋っている。今がチャンスだ。
「っ、えい!!」
私は思いっきり、花札をマクモさんに叩きつけた。彼の胸元に当たった札は、穏やかな光を放ち、私の周りを縁取り、マクモさんにめり込んだ体が元に戻っていく。
「ぐっ!?くっそ、先回りされたってことか・・・・・・・あああ、いちいちめんどくせえ奴だなあ!!!大人しく来いよ!!!」
マクモさんは一瞬苦しんだ顔をした後、急に眉を吊り上げて掴みかかって来た。穏やかな彼とは想像もつかないくらい豹変した彼の目に、思わず硬直する。
「いやー、先回りしとくもんだな。よくやった」
次の瞬間には、マクモさんが地面に顔をつき、周りの黒い霧が霞むくらいの眩い光をまとって、タンギンが目の前に立っていた。ひどい安心感に、涙腺が緩みそうになる。
「た、タンギン・・・・・・」
「何声震わしてんだよ。あの底なし馬鹿も無事だ。お前ら、あいつを封じ込めておく方が得策だって気づいたのか?っつうか、気付くの遅くね?馬鹿なんじゃねえの?」
こめかみをトントン、と軽く叩き、散々に煽り散らかして、タンギンはマクモさんの近くで足を止めた。彼は起き上がろうとしているけど駄目で、眉間に皺を寄せてタンギンを睨んでいる。
「てめえ、よくもやってくれたな・・・・・・こんな力があるだなんて聞いてねえぞ!!」
「そりゃそうだろ。主が式神を信じるほど、力は強くなる。式神が主を守りたいと思うほど、『品物』の力は強くなる。こいつに俺の札を渡したのは、俺の『品物』がバラでも効果があるからなんだよ」
そう言って、タンギンは私の方を見た。彼の姿がこんなにも格好よく、誇らしく、神々しく見える。私は地面にしっかり足を突き、彼に頷き返した。
心の中で祈る。赤羽さんが助かりますように。瀬名高君がまた明るく笑ってくれますように。バンシキさんも無事でありますように。学校のみんなに被害が及びませんように。
この祈りが届きますように。いや、タンギンなら届けてくれる。
タンギンはふと笑うと、赤羽さんとマクモさんの方を振り返って、ゆっくりと花札を動かした。ふっと、世界から雑念が消え、景色が暗くなる。
「ニを司るは壱越」
パン!!
透き通った声と共に、彼が地面に、4枚の札を叩きつけた。美しいオレンジの花火が飛び散っていく。
「一つ越えて、ホを司るは平調。ヘを司るは勝絶。その成りには、下無、双調、鳬鐘、黄鐘、鸞鏡、盤渉、神仙、上無」
黄色、緑、青、赤、と、次々の色を散らせながら、タンギンは札を叩きつけていく。圧倒的な清らかな空気に、身を任せることしかできない。この目の前の光景に、私は少しでも力になれているのだろうか。そんな光栄なことがあるだろうか。
「遅れて、ニの次が、断金。ここに、悪を晴らし、善を持って、お終い」
タンギンが口をつぐむと、世界が一気に浄化されたかのように、黒い煙も霧も消え去った。空も晴れ渡り、さっきまで濁っていた雲が一つもない。夕方の兆しを帯びた光が、優しく降り注いでくる。たっぷりと余韻を持たせ、タンギンがゆっくりと目を開いた。
視界の先にいるのは、本当に私の式神なのだろうか。こんな圧倒的な力を持つ彼が、私の傍にいると思うと、恐れ多い気がしてきた。
「た、タンギン!椿君!!」
瀬名高君が土まみれのまま、こちらに駆け寄ってくる。視界の良さにハッと辺りを見回すと、校庭にいた全員が倒れ、静かに寝息を立てていた。穏やかな日差しを受けながら、みんな幸せそうに目を閉じている。きっと、タンギンの除怨の効果なのだろう。彼がこんなに強かったなんて。
「せ、瀬名高君。大丈夫?」
「ああ。久しぶりに強めの悪意に触れてね。すぐに駆け付けてやれなくて済まなかった。君は大丈夫かい?」
「う、うん。それより、タンギン・・・・・・」
振り返って、真っすぐ立ってジャケットをたなびかせる彼を見つめる。比喩ではなく、本当に神が降臨したように、太陽の光を受けて輝いている。ゆっくりと彼が近づいてくると、私は自然と一歩下がってしまった。
トン、と後ろにいる誰かに背中が当たる。見ると、バンシキさんがいた。彼も同じように、美しい髪で光を反射させながら、私を支えてくれている。そうしているうちに、タンギンが目の前に来た。
「・・・・・・た、タンギン。お疲れ様。すごかったね。わ、私、少しでも役に立てたかな?」
「・・・・・・」
私が気後れしてしまっているのが分かったのか、彼は何も喋らない。彼が少し、寂しそうな顔をしているような気がして、私は思いを巡らせた。彼の力がどんなにすごくても、タンギンはタンギンだ。笑わなくても泣いてなくても私は私なように、彼も彼であることに変わりはない。この思いを伝えたくて、必死に彼に訴えた。
「わ、私も頑張って念を送ったよ。それに、花火も綺麗だったし。あ、あと、最初に瀬名高君の方に行っちゃったの、少し寂しかった!!」
頬が紅潮してくるのが分かる。私は何を言っているのだろう。気分が高揚していて、普段通りじゃない。でも、これが私の率直な思いだった。
「ぷっ」
すると、姿勢を真っすぐにしていたタンギンが急に背を丸めた。何かと手を伸ばそうとすると、彼は跳ね起きてお腹を抱えた。
「あっははははっ!!何だよそれ、変な感想だなあ!!」
呆気にとられる私をよそに、彼は涙を零しながら笑い続けている。後ろで支えてくれていたバンシキさんが、私にそっと耳打ちしてくれた。
「・・・・・・断金の除怨は、かなり高度なものだ。だから、主との信頼関係がないと、主にその負担がかかってしまう。あなたと彼は、信頼を結べているようだね」
その言葉を聞いてハッとした。以前マクモさんが、タンギンの主になった人は、一番死亡率が高いと言っていた。もしかしたらその原因は、これなのかもしれない。多くの色を光らせて言葉を紡ぐ彼は、式神や除怨をよくわかっていない私でも、すごいものなのだと分かった。
タンギンと信頼し合えている。この事実が、今回赤羽さんを助けることができたと思うと、私は笑みを零さずにはいられなかった。人を助けるって、こんなに嬉しいことなんだ。人と信頼し合えたこの気持ちは、何物にも代えがたい、大切なものだ。私は胸に手を当てて、温かい思いを噛みしめた。
「しかし、タンギンの除怨は凄かったね!今までの非礼を詫びたくなるくらいだよ!」
「はーあ。って、非礼な行動をしてたって自覚はあるのかよ。まあいい、この機会に俺がどれだけすげえかってことを思い知ったか?って、おい!」
「おっと」
瀬名高君が不意にふらつき、タンギンが咄嗟に支える。この二人の仲も、少しは深まっただろう。良かったと思いつつ、私は一歩踏み出した。すると、がくっと視界が下がって、後ろにいたバンシキさんに脇を掴まれる。また力が入らない。意識すると、自分でも分かるくらいお腹が薄くなっていた。かなりお腹が空いた。
「光。パンを2個、持っているだろうか。一つは君に、もう一つは椿に分けてやってくれ」
「ああ、もちろんだ!!どうぞ!!」
「なんでもちろんなんだよ。マジックか?どこから出てくるんだよ」
バンシキさんに半強制的に口にパンを突っ込まれていると、倒れていたうちの一人が起き上がったのが見えた。私たちは顔を見合わせて、すぐにパンを飲み込む。
「うーー・・・・・・・あ?何で全員寝てんだ?って、椿・・・・・・」
頭を掻いて起き上がった台心先生と目が合って、私はすぐさま目を逸らした。また説教を食らいたくない、というか、みんなが倒れている状態で私たちが起きていたら、私たちのせいにされるんじゃないだろうか。
「せ、瀬名高君。これ、私たちが原因だと思われるんじゃない?ほら、台心先生めっちゃこっち見てるし・・・・・・」
「うーん。まあ、心配には及ばないだろう。実際に僕たちはやっていないし、ほら、赤羽君も目を覚ましたようだよ?」
振り返ると、赤羽さんが辺りを見回して、ぼんやりと遠くを見ていた。私はしゃがんで、彼女に話しかける。彼女は一番苦しんだからだろう、ツインテールも制服も砂まみれだった。
「赤羽さん、大丈夫?どこか具合の悪い所はない?」
「え、椿さん・・・・・・これ、どういう状況?私、台心が出てきて・・・・・・何かやっちゃった感じ?」
悪意を増幅された人は、心当たりはあるらしいけど、何が起こったまでは分からないらしい。私は上手く誤魔化そうと、必死に彼女に訴えた。
「え、えっとね。消火訓練で消火器が爆発して、それで私たちは気を失っちゃったんだ」
「そんなことある?だったら怪我人とか救急車とか来てるんじゃない?」
「そ、そうだよね。えーーっと・・・・・・」
「消火器に不具合があったのは本当だ。僕たちはいち早くそれに気づいて、みんなに伏せるように指示を出したんだ!」
横から瀬名高君がフォローを入れてくれる。台心先生が近づいてきているのが見えているのか、より大きな声で話していた。
「そうだったの?だからみんな、倒れてるってわけ?」
「ああ。そろそろ起き上がっても良い頃だけど、今日は生憎の昼寝日和だろう?みんなこの温かい日差しにつられて、眠ってしまったんじゃないかな?はっはっは!!」
後半がこじつけ過ぎて信じてもらえないと思ったけど、丁度いいタイミングで台心先生が話しかけてきた。みんなも目を覚ましたのか、周りからざわめきが聞こえる。
「瀬名高。今の話は本当か?」
「もちろんですとも、先生!決して怪しくて隠したい事件があったわけではないです!!」
「ますます怪しいこと言うな・・・・・・まあ、とりあえず、いいか。よし、ちょっと先生方と会議してくるから、みんな元の位置に戻れー」
こうして、赤羽さんの暴走はなんとか食い止めることができた。みんなも瀬名高君の言い分を信じたわけじゃないのだろうけど、特に大騒ぎもないまま撤収し、ホームルームを迎えた。噂では、台心先生の登場に合わせてふざけて噴射した生徒がいるらしい、くらいに留まっていた。除怨は私たち以外記憶がなくなってしまうので、今後対策を話し合おう、という結論にまとまった。
そして私はというと、なぜかホームルームが終わった後すぐ、赤羽さんにまた空き教室に連れてこられた。
台心先生も避難訓練の後始末で忙しいのか、すぐ教室を出て行ってしまったし、このまま呼び出しもなくなればいいのに、とぼんやり考える。
「・・・・・・椿さん。私、さっき、台心のこととか、叫んでなかったよね?」
居心地悪そうに、赤羽さんが呟く。砂まみれだった顔も、メイクを直したのか綺麗に元通りになっている。頬を染める彼女に、私は出来るだけぼかして答えた。
「大丈夫だよ。何もなかった。先生が前に出た時の記憶が、強く残ってるだけなんじゃないかな」
「・・・・・・そう。もう私、だめかな」
「な、何が?」
ぐっと、赤羽さんが顔を歪める。大きな目から、ぽろっと涙の粒が零れ落ちた。
「だ、だって・・・・・・台心が前に出た時、すごい腹が立ったんだもん。台心を見てるのは私だけでいいのにって。みんな、私の台心を見ないでほしいって・・・・・・こんなの、普通の好きじゃない。でもおかしいくらいに、そう思っちゃったんだもん・・・・・・」
思いを零す彼女に、何が正解か分からなくて、私はとりあえず背中を擦った。しゃがみ込んだ彼女に、私は目を閉じた。今は私も思い当たる節がある。
「・・・・・・・私も、そう思う時があるんだ」
「・・・・・・椿さんも?」
「うん。よく話しかけてくれる人がいて、私なんかと話してくれて嬉しいなって。でも、その人は人気者だし、誰にでも明るく、光をくれる人なの。だから、私だけが独り占めしちゃいけないんだろうな、って思う。でも、やっぱりその人といると、私の気持ちを分かってくれて、手を差し伸べてくれて・・・・・・・傍にいたいな、って」
脳内に浮かんできた人への気持ちを、素直に話す。瀬名高君は人気者だ。私とも親しくしてくれる。でもそれは、式神と暮らす、同じ主としての関係なのかもしれない。でも、彼は私の表情を、気持ちを汲んで、分かろうとしてくれて、読み取ってくれる。だから今私は、こんなに楽しく学校生活を送れているのだ。彼がバンシキさんとタンギンの間も取り持ってくれたから、私はタンギンと信頼関係を築けた。本当に、感謝しかない。
「なんか、言葉に出すと自分の思いを実感できて、いいね」
「・・・・・・椿さん。それ、台心じゃないよね」
「え。違う違う、別の人だよ」
じろっと赤羽さんに睨まれ、必死に抵抗する。でも彼女はすぐ、ふっと目元を緩ませて笑った。目尻に少し涙の痕が残っている。
「あはは、冗談だよ。話、聞いてくれてありがと。私普段一緒にいるグループで、しおらしいキャラでいってないからさ。こういうこと相談できるの、嬉しいかも」
彼女の笑顔が嬉しくて、私も身を乗り出してしまう。つい、ぎゅっと彼女の小さな手を握った。
「わ、私も。赤羽さんとこうしてお話できて、嬉しい」
「な、何よ、改まって。なんか照れるから、手離してよ」
「あ、ごめん」
「全く、椿さんって変な子だよね。でもまあ、嫌いじゃないかな」
そう言って赤羽さんは立ち上がると、よし!という風にスカートをはたいた。くるっと振り返って、ご機嫌そうに笑う。
「私、名前ありさっていうの。ありさでいいよ。私も、夕陽って呼んでいい?」
「も、もちろん」
「ふふ、そんな嬉しそうにしなくても。じゃあね、夕陽。また話そ」
茫然としてしまう。表情が変わらないはずの私だけど、『嬉しそう』な態度が出ていたということは、もう直ったのだろうか。コツン、と頭を叩かれ、見上げるとタンギンが立っていた。除怨で疲れているだろうに出てきてくれたようだ。
「おい、大丈夫か?馬鹿みてえにぼけっとしてんじゃねえ、帰るぞ」
「う、うん。ねえタンギン、私友達また増えたんだ」
「あー、良かったな。ほら立て。今日は俺も疲れたから、コンビニ飯でもいっか」
「うん!私、唐揚げが食べたいかも。ご馳走買おう」
「はいはい、ご機嫌で何よりだよ」
嬉しさが胸の中に充満している。ルンルンで扉を開けると、丁度こちらに向かおうとしていた台心先生に出くわした。訓練の会議が終わったのか、手には紙の束を抱えている。心なしか顔が疲れていた。
「あ、いた。なんか赤羽に連れ出されてたらしいけど、大丈夫だった?」
「はい。仲良くなりました」
それを聞いた先生がきょとん、とした後、ふっと手で顔を抑えて笑った。「良かったな」と付け足し、くるりと踵を返す。私も先生の後を付いていった。
「今日は面談しなくていいや。俺も疲れたし、何より心配いらなさそうだしな」
先生は安心したように笑い、ひらひらと手を振っていた。もしかしたら先生は、私が赤羽さんに絡まれるのを避けようとして、放課後呼んだのかもしれない。私は足を止めて、呼びかけた。
「先生、さようなら」
「おー、気を付けて帰れよー」
本当は悪い人じゃないのかも、とすぐ考えを変えるのは違うかもしれないけど、先生の優しさは本物だ。私は急いで教室に鞄を取りに行った。教室にはレイちゃんを含む数人の生徒と、瀬名高君が話していた。私が教室に入った瞬間に、みんながこちらを振り返って、あ、という顔をする。
「椿さん!!」
「ほら瀬名高、レイ、椿さん来たよ!!」
周りのみんながニヤニヤしながら瀬名高君の背中を押す。私は気恥ずかしさと共に、傍にレイちゃんがいるのに気が付いた。珍しく、気まずそうに口を尖らせている。
「やあ、椿君!一緒に帰ろう!それと、碁色君も一緒だが、構わないかい?」
「う、うん。もちろん」
「・・・・・・お邪魔しまーす」
こうして、私たち3人は通学路を歩いていた。レイちゃんがいるとタンギンたちも出てこれないだろうし、『廃絶』の話もできない。瀬名高君が何を考えているのか分からなくて、私はただひたすら前を歩く2人の後を追いかけることしかできなかった。
「ねえ、夕陽ちゃん」
「は、はい」
いつも帰り道の途中にある神社の前で、レイちゃんは足を止めた。急に話しかけられて、私はつい敬語で返事をしてしまう。ちらっと瀬名高君を見ると、いつも通りニコッと笑みを返してくれた。
「あ、あのさ。今日仲いい二人の間に割り込もうとしたのは、単に意地悪とか冷やかしじゃなくて」
言いにくそうに口ごもる彼女に、私は次の言葉を待った。しばらく沈黙が訪れる。
「・・・・・・レイちゃん?」
「・・・・・・やっぱ、無理!!!ごめんなんでもない!!じゃあね!!」
そう言って、レイちゃんは今来た道を走って帰っていった。この学校には足の速い人しかいないのだろうか、萌ちゃん並みに爆速で、すぐに背中が見えなくなってしまった。
「・・・・・・えっと。瀬名高君。レイちゃん、どうしたのかな」
「はっはっは!やはり大和撫子は恥じらいの精神が強いね!よし、明日は土曜日だね?椿君、明日の午後を、僕にくれないか?」
展開がよく分からない方向に転がっていることしか分からない。でも、レイちゃんのことも彼は知っているみたいだし、また瀬名高君と一緒に過ごせると思うと、何となく私は頷いてしまった。
「わ、分かった・・・・・・」
「よし!では、また明日!」
彼の背中を目で追う。バンシキさんがふと現れて、私に手を振ってくれていた。私も咄嗟に返すと、ざあっと風が吹き荒れ、髪が巻き上がる。
上を見上げると、レイちゃんが足を止めた神社に生えている、鳥居を囲んで茂っている木々が揺れていた。涼しいような寒いような空気に、私は吸っていた空気を吐き出した。
この神社はよく散歩をする時に通る。前に興味本位でお参りとくじ引きをしたことがあったけど、意外と本堂までの階段が長いので2回くらいしか言ったことがない。地元にも神社があって、永遠さんとよく行っていたからか、なぜか懐かしく思える。
「おい、夕陽。もう帰るぞ。明日も約束があんだろ?」
タンギンの声が聞こえて、我に返る。最近よくぼーっとしてしまうので、気を付けなければ。
「うん。コンビニ寄って帰ろ。タンギンの分も買う?」
「俺はいらねえっつうの。あーあ、でも眠いな」
踵を返して、歩道を歩く。疲れと空腹を抱えながらも、私は青く光る横断歩道を渡っていった。




