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35.雙調との一日

「おっはよー!!ねえねえ椿、朝だよ朝!ほら起きて起きて!」

男性の低音にしては元気のいい声に、無理やりにでも意識が覚醒する。目をこじ開けると、そこにはパッションピンクとペンキのように明るい水色がぼんやり広がっていた。

「・・・・・・ソウジョウさん、おはようございます。起きるので、どいてくれませんか」

ガサガサの声で言うと、私は覆いかぶさるようにして前のめりになっている彼の肩を軽く押した。彼の一番の特徴でもある、綺麗にリボン結びになっている横髪を揺らして、ソウジョウさんはニコリと笑って上体を起こした。朝から派手に起こしてくる彼に、そう言えばショウゼツさんも似たようなことをしてきたな、となんだか懐かしくなる。

「椿、今日俺学校ついてくよ!いい主が見つかるかもしれないし!よーし、もう行こ!」

「ちょっと待ってください。まずは、私の上からどいてくれますか」

「えー?なんか椿にしてもミモザにしても、人間ってほんとに簡単に折れそうだよねー!もう少し力入れてみたいけど、俺にはそんな力残ってないからできないやー」

「・・・・・・だったら、実体化なんてしてんじゃねえ!!」

可愛く首を傾げる彼の後ろで、タンギンが鬼のような、というかほぼ鬼の形相でフライパンをかざしているのが見えて、一瞬で目が覚める。ブンッと言う鈍いスイングの音に、こっちにまで風が来て、冬なのに一瞬で汗が拭き出た。

「きゃー、怖いよ断金!おはよ、フライパンなんて持っちゃって、すっかり人間の奴隷って感じだね!そんなことしてて疲れないの?式神の義務でもないのにさ!」

カラカラ笑ってソウジョウさんがすっと実体化を解く。体は軽くなった分、彼の言葉がずん、と心に重くのしかかってきた。朝から嫌だな、と重い腰を持ち上げて、制服と鞄を持って扉を開ける。

「・・・・・・これは、俺の仕事だ。なんにも知らねえてめえが口挟んでくんじゃねえよ。文句があんならここから出ていけ」

「えー?文句なんてないよ!ほら、椿行っちゃったよ!行こ行こ!俺、普通の公立高校って初めて行くんだ!」

公立高校の意味は分かるんだ、と話半分で階段を降りて、洗面台の前に立つ。

この行動ももう慣れたけど、やっぱり私の無表情は慣れなかった。自由に笑えたらなと思いつつ、顔に水を叩きつけて、髪をとかす。

「あ、俺人間の髪結えるよ!なんたって毎朝ミモザの髪を結ってたのは俺だからね!」

「わ!ソウジョウさん」

「ほら、やってあげる!椿は顔がいいんだから、もう少し可愛くなろうとしなよ!」

鏡に映らない彼は急に現れるや否や、ぱっと実体化すると櫛を私から取り上げて、にっこりと笑った。美容師のように手馴れた手つきで私の髪を丁寧にとかし、肩からさらさらと零れていく。セットはおろか普段髪は自分で切っちゃうので、この構図が自分がお客さんになったようで、ちょっと特別に感じる。ミモザちゃんも、長い髪を綺麗におさげにして三つ編みしていた。人間に対して散々な物言いをする割に、人間の髪を結えたり、公立やフライパンの意味を知っていたり、ソウジョウさんはなんだか不思議な人だ。私はルンルンで私の髪を編み上げていく彼を見上げつつ、怖いけどちょっと彼に魅力を感じていた。





「・・・・・・」

「タンギン、なんでさっきから私のことちらちら見てるの?」

「はあ!?見てねえし!勘違いすんな!」

「それは、椿が普段と違って可愛い格好してるからじゃない?うん、いい出来!」

通学路を歩きながら、ふわふわと私の周りを浮いている式神を交互に見る。心なしかタンギンの頬が赤い気がして、私のこの恰好を意識してくれてるのかなと思うと、ちょっと嬉しい。ソウジョウさんは、さっと私の前に出て、自分の作品に納得したように満足げに頷いた。

彼のおかげで、私の髪はいつもと違って、顔の横の髪はそのまま残しつつ、耳のラインだけ三つ編みして、うなじの後ろで他の後ろ髪と一緒にお団子にするという、随分凝った可愛い髪型になっていた。最初見た時はすごく嬉しくて、つい本心でお礼を言った。ついでに、制服の着こなしも、普段ネクタイを結んでいるのをリボンにしたり、スカートの丈を短くしたり、女子高生らしくなっていた。いつもと違う自分に、なんだか気分も明るくなる。ちょっとそわそわするけど、みんなはどういう反応をしてくれるのか気になった。

「ちょっと足が見えすぎじゃねえか?体冷やすぞ」

「なーに言ってんの?今時はこれくら露出してもおかしくないよ!断金ってほんとーに時代錯誤だよね!もう少し自分から現代の人間の流行りを学んだら?」

「はあ!?んなことねえよ!馬鹿にすんな!!」

そんなことあるよ、と心の中で突っ込みつつ、私は学校に到着して、靴を上履きに履き替える。丁度校舎に向かおうとした時、「椿?」と誰かに呼び止められた。

顔を上げると、目をまん丸にして固まっている台心先生が廊下に突っ立っていた。出勤前だから気を抜いていたのか、黒いスーツの上からジャージというなんとも格好つかない恰好をしている。

「台心先生。おはようございます」

「お、おお・・・・・・なんか今日、いつもと違うな」

「はい。髪をアレンジしてもらったからでしょうか」

この髪にして初めて反応をもらうので、自分の髪を崩れない程度に触りつつ、彼を見る。彼はそっぽを向きながら、手を首に当てて早々に立ち去ってしまった。ぽつり、と声が聞こえる。

「いや、似合ってんじゃないの?」

振りかえると、彼はいつのもように適当にひらひらと手を振っていた。

褒めてくれたことが嬉しくて、じわじわと手先が温まってくるのを感じる。知らない間に、普段と違う自分が他人にどう見られるか、と緊張していたみたいだ。

「何、今の人。随分イケメンじゃない?あれにつけば、可愛い女の子がわらわら寄ってきそう!でも俺可愛い女の子興味ないし、あいつは主の才能ゼロだからだめだね!」

「なんだあのすけこまし先公」

散々な言い様を聞きつつ、早くレイちゃんと瀬名高君来ないかな、と教室に入って、誰もいない席に座る。早く着すぎたなと教科書を机に突っ込んでいると、どさ、と重そうな音がして、ドアを振り返った。そこには真っ赤な顔でぽかんと口を上げた塩味君と、普段よりちょっと目を見開いている森林君が立っていた。朝練習の前に荷物を教室に置いていこうとしたのか、体操着のままそこに立ち尽くしていたので、私は軽く声をかける。席替えで彼の真後ろになってしまったことを思い出して、ちょっと気まずい。

「お、おはよう、塩味君、森林君」

「あ、お、おはよう、椿さん・・・・・・」

「・・・・・・」

塩味君が真っ赤になっている理由が私の恰好だとすると、恥ずかしくて顔を下に向ける。でも、私が彼の好意を無下にしてしまったのだから、そんなの私の思い違いだと思いなおした。せっかく彼がいつも通りに接してくれているのだから、私も最大限応えたい。

「・・・・・・椿さん、なんかいつもと違うね。な、塩味」

「え?あ、ああ。そうだな。なんていうか、その」

デカいエナメルバッグに前と後ろを挟まれ、なんという席替えだと思う。塩味君はぐっと唇を噛むと、バッグの中に手を突っ込んでタオルを取り出し、言葉をその場に置き去るように教室を出ていってしまった。

「じゃ、森林、先に行ってるから!」

「あ・・・・・・」

さっきまでそこにあった彼の姿に、やっぱりちゃんと謝りたいと思う。今だって本調子じゃないし、彼だって学生生活の後ろに自分が告白して振られた奴がずっといたら嫌だろう。でも、どうしたらいいのか分からない。もう強制的に席替えするくらいしか考えがない。

そんなことを考えていると、森林君がじっと私を冷たい目で見下ろしているのに気づき、急いで顔を上げた。彼には結果は伝えてないけど、きっともう本人から聞いているだろう。友達を振った相手なんて、いい思いはしないだろうに、目の前にいるものだから、目に付いて仕方ないだろう。

さっきからだろうばかりだけど、なにせ森林君は私ばりに表情が動かないし、さらにマスクで隠しているので、本当に何を考えているか分からない。何も感じ取れないまま、首がじわじわと痛くなっていく。

「ど、どうしたの、森林君。朝練、行かなくていいの?」

窓から入る朝日を一身に浴びた彼は真顔で私を見つめたまま、ふっと息を零して目を細めると、何も言わずに教室を出ていった。静かな空間に一人取り残される。さっきの息が笑いなのかため息なのかと頭を整理する前に、日直の阿部君が誰もいないと思ったのか、でかい独り言を言いながら扉を勢いよく開けてきた。

「あー、めんどくせー、って、椿さん!?おはよ。今日髪違うね」

「あ、阿部君・・・・・・おはよう。そうなの、ちょっとおしゃれにしてもらったんだ。それより、日直の仕事手伝うよ」

阿部君は球技大会の時に男子バレーで活躍していた明るい男の子だ。サッカー部で呼鳥先輩に懐いていたり、レイちゃんによくちょっかいをかけていたり、なんだか犬みたいだと思う。彼が抱えていた大量のプリントが目に入り、私は立ち上がって教卓へ向かった。彼はにっこり人の良さげは笑い方をして、プリントを種類ごとに山を作った。

「お、サンキュ。今日のこの量、えぐくない?昨日は一枚もなかったんだし、台心も配るタイミング分けてほしいよなー」

「あはは、確かに」

二人で一緒に、私が窓側から数学の宿題を、阿部君が廊下側から三者面談のお知らせを机に置いていく。彼とは特に話すことが思いつかないのでしばらく無言の時間が続き、どうしようかとふと顔を上げると、黒板の前でソウジョウさんが目をかっぴらいて私たちを凝視していた。せめて見るなら笑わずに目を細めていてほしい。意外とこの顔が視界にあるとびっくりする。ましてや水色のリボン髪だから余計目に付く。

「椿さん。ちょっと質問してもいい?」

「え、うん」

丁度お互い席の中央で集合した時、阿部君が急に口を開いた。思わずうなずくと、彼はししっと笑って私が手を置いていた机に紙を置いた。

「サンキュ。じゃあ、一個目」

「い、いくつかあるんだね」

「せっかくだからね。その一、椿さん、文理選択はどうするかもう決めてる?」

「私は今のとこ、文系かな。数学苦手だし、国語と英語は好きだから」

「それはバッチリ文系だね。ちなみに俺は理系」

「そうなの?クラス別れちゃうかもね」

「ま、いつでも会いに行けるしさ。って、口説いてるわけじゃないよ。瀬名高にぶっ殺される」

なぜ瀬名高君の名が、と彼を振り向いたけど、彼はまた言っちゃったとありありと顔に出ていたので、見なかったことにする。プリントを端まで配り終えたので、次は学級新聞だ。沢城先輩が頑張って作ってくれているのと知ってから、なおさら隅まで読み込むようになってきた。彼女は文才もあるらしく、端に書かれた彼女の一言コメントがいつも秀逸で面白い。

「じゃあ二つ目。気になる異性のタイプってあるの?あ、俺個人の感想ね!決して誰かに聞いてこいとか言われたわけじゃないからね!」

「そんな焦らなくても・・・・・・そうだね。家庭的で、いつも傍にいてくれる人が良いな」

「へえ、結構はっきり決まってるんだね。もっと悩むか、答えられないと思ってた」

阿部君が目を丸くしてこちらを見る。彼は同じ作業が苦手なのか、日誌を教卓の上に広げていた。日直のペアは熊田さんなので、きっとできる仕事は片付けてくれているのだろう。

「そうかな」

「うん。言っちゃ悪いけど、俺の中で椿さんって結構ふわふわしてるというか、自分がないって感じのイメージだったんだよね。でも話聞くと、これがいいとかこれしたいってのがハッキリと決まってて、意外だなと思って。で、話してみたらやっぱり意外としっかりしてるからさ」

「そっか・・・・・・阿部君は、好きなタイプはいる?」

「え?俺はもう可愛くて優しい子ならなんでも。そっかー、家庭的かー。瀬名高って料理できるし、いいんじゃない?ちょっと馬鹿だけど」

「瀬名高君か・・・・・・」

阿部君がこちらの様子を窺うようにちらっと見てくる。ひたすら紙を置く作業に慣れてきて、試験監督のように素早い手さばきで配っていた時、瀬名高君は今何をしているのだろう、とふと思った。

もうすぐで8時だけど、もう支度は済ませたのだろうか。今日の朝ご飯もパンなのかなとか、制服のネクタイが曲がっていたらバンシキさんが治してくれそうだなとか、色んな想像が湧いてくる。

教卓の影からタンギンがすごい形相で睨んできたのが見えて、ハッとして動きだした。すると、何を思ったのか阿部君はキラキラ顔でこちらに近づいてきた。手にシャーペンを持ったままだ。

「え、何々?瀬名高に興味ある?あいついい奴だからさ、気にかけてやってよ!俺、あいつの幼馴染なんだよね」

「え、そうなの?初めて知った」

「そうそう。うちの学校は田舎だからほぼほぼ小学生から顔なじみの奴がそのまま進級するんだ。だから椿さんとか塩味みたいに、他県から来た奴が珍しいの。転校生が来るってなったら、もう学年問わず音速で学校中に知れ渡るからね」

「確かに、初登校の時、有名人にでもなっちゃったってくらいみんなから注目されて、びっくりしたな」

「はは、でしょ?あん時の椿さん、目が泳いでたもんね」

「は、恥ずかしいから忘れてくれると助かるな。で、瀬名高君とは何年生くらいから一緒なの?」

山になっていたプリントを配り終え、阿部君の近くで話そうと教卓の横に行く。彼はうーんと上を向いて、ふんふんとシャーペンを振った。日誌はまだ一文字くらいしか書いてなさそうだ。

「俺、一番一緒にいたかも。幼稚園からかな。あいつ、ちびの時からパン屋手伝ってて健気だったなー。それに、今みたいにいっつも明るくてさ。もう、園内ではアイドル扱いだったよ」

彼の言葉に、光景が容易に想像できて、思わず笑ってしまう。きっと、黄色い帽子に木の枝で指揮棒のように振り回しながら、小さい体で今みたいに演説していたのだろう。なんだか可愛くて、写真が見てみたくなる。

ふと顔を上げると、阿部君がこちらを見て目を見開いていた。どうしたの、と言葉を出す前に、がらっと大きく扉が開け放たれる。そんなに強く開けたら跳ね返ってくるのにと思ったら案の定ドンと当たり、うっとうめき声を上げていた。

「あ、瀬名高!おはよ!ちょうど今お前の話してたんだ!」

「おはよう、阿部君、椿君!って、僕の話かい?なんだか恥ずかしいね、もう存分に話してくれたまえ!」

花が咲いたように空気が明るくなり、私は手を留めて彼を見る。私を見てにこっと笑う彼のネクタイはやっぱりちょっと不格好で、隣でバンシキさんがいつ治していいものかと手をあわあわさせているのが見える。彼も彼で、ずっと教卓の傍にいるソウジョウさんを一瞥すると、汚れたものを見るような目でふいっと逸らした。長い艶やかな髪がつるんと弧を描く。無表情なのにここまで感情が分かるなんて、バンシキさんも意外と分かりやすい。

「はは、いいのかよ。お前が小さい頃さ、アイドルみたいだって言ったら、椿さん笑ってたぜ。スマホとかに写真残ってねーの?」

阿部君の言葉に、驚いた顔の瀬名高君と目が合う。きっと、私も表情が表に出ていたら同じ顔をしていたのだろう。だって、私が笑っていたことなんて、阿部君には分からないはずだから。つい、自分の頬を触ってしまう。教卓にいるタンギンを振り返ると、馬鹿、と言う風に前を向け、とジェスチャーしてきた。しまった、今は阿部君の前だった。

「ん?椿さん、誰か来た?」

「いや!それより阿部君!僕の幼い頃の写真は家のアルバムにある!近々来てくれたまえ、美味しいパンと一緒にごちそうしよう!」

「おー、サンキュ。あ、やべ、三者面談の紙が落ちたわ」

阿部君の声とともに、ガラッと扉があき、台心先生が入ってくる。朝から疲れた顔をした彼は、手にまた大量の、面談シートを抱えていた。





「えー、ここにこの公式を当てはめると、Aが導き出されるので」

「へえー、なにこの三角形!この文字列なに?うわー、チョークで文字書くの楽しそう!あれ、この人寝てない?」

1時間目の数学で台心先生が棒読みで教科書を読み上げていく中、ソウジョウさんはみんなに見えないのをいいことに、教室をぶんぶんと飛び回っていた。レイちゃんと瀬名高君は背後にいるのでどんな顔をしているのか見えないけど、タンギンが堪忍袋の緒が切れたようにソウジョウさんにとびかかった。水色に金と白が加わってまた視界がやかましくなる。

「おいてめえ!!じたばたうるせえんだよ!!おさげ女のとこにいたってこんな光景十分見てただろうが!」

「えー、ミモザのとこはホワイトボードに書いてたよ?それにノートもタブレットだったし!こんな古風な教室、久しぶりに見た!」

「た、たぶれっと?なんだそれ」

「断金やば。こんな現代技術に置いてかれてるなんて、かっわいそ!これは君も苦労するね?夕陽さん!」

彼の問いかけに、私はこっくりとうたた寝している塩味君の背中を集中して見続ける。

タンギンと初めて会った時の頃を思い出して、なんだか懐かしい気持ちにはなるけど、もう経験はしたくない。私は必死に黒板の文字をノートに書き連ねる。式神が二人ついている代償か、体力は今のとこ大丈夫だけど、ひたすらお腹が空いている。


なんとか1時間目を乗り越えて2時間目の教科書を引っ張り出していると、レイちゃんが私の机に吹っ飛んできた。眉が吊り上がり、顔が鬼のようだ。きっと、視界にカラフルな彼が映り込んでいたのが癪に障ったのだろう。後ろから瀬名高君も困り顔でついてきた。

「ねえ、あいつ超邪魔なんだけど!!ただでさえつまんない授業がもっと集中できないじゃん!!」

レイちゃんの声に、まだ教卓で授業の後片づけをしていた台心先生が胸を抑える。クリティカルに刺さったなと思っていると、ふわっと当本人がこちらに飛んできた。言っちゃ悪いけど、こんなにぶんぶんと飛び回っていると蠅みたいだ。

「ねえねえ、碁色神社の娘!君みたいな力の強い人間に、物理的な力しか使えない弱い式神がついてるなんて、もったいないと思わない?もう少し、見る目を養った方がいいんじゃない?」

レイちゃんは見たことないくらい、ソウジョウさんを冷たい目で睨みつけた。

そこらの人間ならこの顔で見られたら逃げていくだろう。ショウゼツさんもなにか言いたげだったけど、レイちゃんが静かに怒っているのを見て、少し安堵したような表情をしていた。彼女は怒りはまだ収まっていないようだったけど、ふう、と息を吐いて、完全に何もなかったように私を見ると、私の綺麗に巻かれた髪を指さした。

「ねえ夕陽ちゃん!朝から言おうと思ってたんだけど、今日のヘアアレンジめっちゃ可愛い!!普段髪下ろしてる人が結ぶとレア感増して最高に可愛いよね!!自分でやったの?」

私とタンギンは気まずそうに目を逸らした。それで通じたのか、レイちゃんとショウゼツさんがえ、と言葉にならない声で驚いている。まさかこんな鬼畜な言葉を発する彼が、ヘアアレンジの天才だなんて想像つかないだろう。彼の性格だと、髪をむしり取りでもしそうなのに。

「た、確かに今日の椿君はいつも以上に可憐な印象を受けるね!なぜだろう、今日は肌寒いと天気予報で言っていたのに、体が火照ってくるようだ!」

「うそでしょ、瀬名高。夕陽ちゃん髪結んでんじゃん」

「はっ!本当だ!!」

レイちゃんのまた冷めた目線に瀬名高君が驚くという漫才のようなやり取りを見ていると、「椿」と前から声がした。見ると、授業の片づけを終えて立ち去る準備ができている台心先生が、こちらに手招きをしていた。レイちゃんとちらりと目が合うけど、行っておいで、と頷いてくれたので、私も首を縦に振って黒板の前に行く。みんなももう私たちが話すことについてあまり気にしていないのか、視線は感じなかった。

「悪いな、談笑中に。2つ、話がある。一個目はまあ忘れないうちに言うけど、これ、甘楽から手紙預かった。この前うち宛に送ってきて、何かと思ったらお前に渡せって。何お前ら、文通でもしてんの?」

彼が手に持っていたのは、藤の花の模様がうっすらついた、すみれ色の長方形の封筒だった。一番最初に彼から手紙をもらった時は、無機質な茶封筒だったので、ちょっと仲良くなれたのかな、と嬉しくなる。受け取ったそれはほんのり冷たくて、彼の力の強さがこもっているようだった。

「ありがとうございます。別にそういうわけではないですよ。それに、本当に文通したい相手は私じゃないと思います」

「え、あいつ好きな奴でもいんの?俺にそういう話ひとつもしてこないんだけど。そうか、あいつももうそんな年頃か・・・・・・で。二つ目は、これだ」

台心先生が気持ちを先生モードに切り替えて、私に紙を見せてくる。『三者面談』と書かれた紙に、私はなるほどと思った。私の場合、二者面談になってしまうから、叔母さんたちを呼ぶか、二者でするか、という相談だろう。

「椿は祖父様方に扶養してもらってる身である以上、その方たちに立ち会ってもらうのが普通だけど・・・・・・別に、無理に三者にする必要はない。入学の時に立ち会ってもらった男性の方でもいいと思うぞ」

先生を見上げると、無表情の中に気遣いが感じ取れて、優しい人なんだろうなと思う。親がいない生徒なんて厄介だろうに、こんなに目を下げて心配してくれるなんて。私が母親の面会を断ったことで、家族関係が良好ではないことはもうバレている。でも、永遠さんに来てもらうのは、もうできないかもしれない。どうしようかと迷っていると、ポン、と三者面談の紙を丸めて叩かれた。自然に下がっていた顔を上げると、彼はにこっと笑って歩き始めた。

「大丈夫だよ、椿はしっかりしてるし、祖父様方には電話で内容を伝えることもできるしな。日程は特に考慮せずに組むけどいいか?」

「・・・・・・はい。ありがとうございます」

「おう。じゃ、2時間目も頑張れよ」

そう言って先生はひらひらと手を振って教室から去っていった。私に手紙を渡すために一旦教卓に授業道具を置いたのを忘れているけどいいのかな、と追いかけようとしたら、すぐにさっと道具を取ってまた帰っていった。くすくすと近くの女の子たちが笑っていたけど、私の顔をちらっと見て、ちょっと戸惑ったような顔をしていた。きっと封筒の中身が気になるのだろうけど、三者面談の紙を持ってじっと動かない私に、関わっていいのか分からなかったみたいだ。私も、どうすればいいのか正解が分からず、A4の紙をじっと見続けた。レイちゃんが私を引っ張って席に座らせてくれるまで、頭がずっともやもやしていた。





「ねえねえ、あんたって親いないの?死んだ?」

4時間目が終わってレイちゃんとご飯を食べようと席を立ちあがった時、ぱっと目の前にソウジョウさんのパッションピンクの目が逆さ向きに現れた。

びっくりしてついまた座ってしまう。でも、彼の顔はいつもみたいに笑顔ではなく、純粋に質問だという風に真顔だったので、あまり不快な気持ちにはならなかった。

「あんたちょっと、何聞いてんのよ!デリカシーってもんないわけ!?」

レイちゃんが煙を払うように手を振りながら、眉を吊り上げてソウジョウさんを追い払おうとする。ガッと私の手を掴んで、「行こ!!」と教室を出ていくと、屋上の扉前の階段まで二人で走り抜けた。

ついた頃には二人とも息が切れていたけど、はー、とレイちゃんが一気に吐き出して私を見た。彼女が代わりに怒ってくれるのは、ちょっと嬉しい。

「ねえ、やっぱあの式神、良くないよ!精神衛生上的に!!」

「そ、そうだね。でもさっきは、本当に疑問に思ってるっぽかったよ」

「夕陽ちゃんは優しすぎるんだよ!!あんなデリケートな質問、普通ど初っ発にしてこないって!!あー、イライラする!!なんなのあいつ!!ショウゼツのことだって馬鹿にするしさ!!」

「怒ってくれてありがとう、レイちゃん」

レイちゃんはどかっと階段に座ると、むすっとした顔のまま足を組んでお弁当箱を広げた。私も座ろうとした時、ポケットに入れっぱなしの封筒の存在を左足に感じて、レイちゃんにさっき先生と話した内容を伝えた。なんで手紙をポケットに入れていたのか自分でも謎だったけど、こうして教室を離れて今二人で話せるのだから、結果オーライだ。

ひょこりと、様子を窺うようにショウゼツさんとタンギンも出てきたので、タンギンに瀬名高君たちを呼んできてもらうことにした(めっちゃ舌打ちとため息を繰り返していた)。ショウゼツさんは眉を下げて笑い、レイちゃんの足元に腰かけた。

「レイさん、夕陽さんも言ってたっすけど、俺の代わりに怒ってくれてありがとうっす。俺もすかっとしたっすよ。それに、雙調さんの言ってることは事実っすから、俺は何も言えないんすよ」

「別に、私はショウゼツのこと弱いなんて思ってないし、物理で強いってめっちゃ助かるし!!もし私に瓦礫が降ってきたとしても、守ってくれるってことでしょ?」

確信を持った目でレイちゃんがショウゼツさんを見上げる。彼はぐっとなにかを飲み込んだように一瞬息詰まり、強く頷いた。

「それはもちろんそうっすね。そもそも、そんな危ない目に遭わせようとはしないっすけど」

「そうなの、そういうとこなの!私はショウゼツを自分の式神として選んだこと、全く後悔してないから!」

「レイちゃん・・・・・・」

「レイさん・・・・・・俺、泣きそうっす」

「もう泣いてるじゃねーかよあほ」

タンギンが何をやってるんだというあきれ顔でこちらに戻ってきた。瀬名高君たちも状況がつかめないままポカンとしているし、レイちゃんとショウゼツさんは赤くなった顔を見せまいとそっぽを向いているし、なんだかカオスだ。

でもこの環境が、私には心地いい。私は瀬名高君に手招きをして、私の上段に座ってもらった。上にレイちゃんと瀬名高君、下に私がいるという逆三角形の形にはなるけど、手紙を見せる上ではこの恰好の方が便利だ。私は封を開けて、甘楽君からのメッセージに目を通した。

「へえ、あの子素直なとこあるじゃん!」

「ふむ、碁色君、読み上げてくれないかい?僕からの向きではよく見えなくてね」

「いいよー。えー、コホン。『拝啓 秋も深まり木の葉舞う季節になりましたが、いかがお過ごしでしょうか?』って、固っ。『まあ、椿さんたちのことですから、なんだかんだ言って上手くやってるんでしょうけど。最近は断金も会議に出ているようで、態度に改善の傾向が見られて、結構なことです。』言われてるよ、タンギン」

「うるせえなあガキの癖に。いいから続けろ」

「えー、『さて、一つお願いと言うか、気にかけてやってほしいことがあります。それは、平調が雙調と行動を共にしていることです。』・・・・・・・これって」

レイちゃんが言葉を区切って私と目が合う。私も瀬名高君を見ると、彼は頷いた。式神の現状を、最も力の強い彼らは、把握しているのだ。

『丹野ミモザは決して力の弱い主ではないですが、人間を軽んじる態度を取る雙調の近くにいることで、平調の力が弱まっていると、神仙から聞きました。力の強い雙調はあの性格なので主ができても長続きせず、もう主を作らずに5か月が経過しています。どうか、雙調から平調を引き離してほしいことと、雙調の主を見つけてやってくれませんか。関西にいるし、親から長期間の遠出は禁じられている僕には、出来ることが限られてしまいますので。もし何か力になれることがあったら、兄さんにこの返信の手紙を渡してください。いかんせん、僕には携帯電話がないので、こうして手紙を送ることしかできないのです。どうか、頼みます。

追伸 僕がこの手紙を書いたのは、11月1日です。どうせ兄さんはポストを見ないので、この手紙がそちらにわたる頃にはもう12月になっているでしょう。でもご安心を、時期を見て、神仙の力で丹野ミモザたちの状況を確認しますから。碁色神社に行くように促すと思いますが、あの女の人にもよろしく言っておいてください。では。台心甘楽』」

レイちゃんがすべての文章を読み終わる頃には、最近起こったことについて合点がいっていた。だからミモザちゃんたちはわざわざ碁色神社に来たのだ。もう一か月前には、既に甘楽君から警告があったのだ。しかも、台心先生のことまで分かってるなんて、苦労の多い、しっかりしてる弟さんだなと思う。

「あの先公、郵便一か月も見ねえなんてやばすぎだろ。だらしねえ」

「ふむ、もう甘楽君はこの状況を知っていたのか。ということは、丹野君たちが来たのは彼の助言から、だったということだね」

「そうね。ここまで把握してるってことは、もうソウジョウが夕陽ちゃんについてるってことは知ってるんでしょ。全部こっちにというか、まあ丸投げっちゃ丸投げだけど、彼も中学生だもんね、先輩の私たちが支えてあげないとね!って私の名前くらい書いてほしいけど!」

「えー、僕のせいで平調の力が弱まったのー?」

ほんわかした空気も束の間、手紙を覗き込んできたソウジョウさんに、その場にいた全員が固まった。

大きな目で紙を見た彼は、リボン結びの横髪を頬に付け、うーん、と何かを考え込んでいる。でもきっと、いつものように何も気にしないだろうと、私は手紙を丁寧に畳みなおし、封筒の中に入れた。その拍子に、かさ、ともう一枚の紙がポケットから落ちる。

「あれ?夕陽ちゃん、何か落ちたよ。三者面談?」

「あ、ありがとう。そうなの、みんなに相談なんだけど、三者面談、誰を呼ぼうかな、って・・・・・・」

私の言葉に、みんながソウジョウさんと同じようにうーん、と考え込む。この話題を臆せず話せるのも、私がみんなを信頼しているからだ。信頼しているから、一緒に考えてくれると思った。

「入学の手続きは、その、永遠さんが立ち会ってくれて・・・・・・でも、もう彼に頼ることは危ないだろうし」

横目でタンギンを見ると、鋭い銀の瞳がこちらをすでに捉えていた。背筋を刃物で撫でられたような寒気を感じ、急いで顔を背ける。やっぱりタンギンは、私が永遠さんと会うことは断固反対みたいだ。

「でもさ、絶対に誰かが参加しないといけない、ってことなのかな?台心と二人って絶対気まずいけど、進路とか普段の生活態度とかを指摘するんだったら、別に夕陽ちゃんは問題ないしいいでしょ」

「ふむ、ただ椿君の扶養は仮にも誰か大人が担っているんだろう?だったらその方に来てもらうのが一番じゃないのかな」

「せ、瀬名高が真面目なことを言ってる!」

「ひ、光さんが真面目なことを言ってるっす!」

「じゃあ、僕が出ようか?」

明るい声で、ソウジョウさんが自分を指さす。急に現れた存在に、一瞬の間の後、みんなの声が一致した。


「「「はあ???」」」

「えー、そんな嫌な顔する?僕だって、人間の世界に溶け込むのだって慣れてるしー!カタカナ使えない断金が出るよりかは、現代日本の人間っぽいことを言えるよー!」

「お前は人間が話す上での能力が圧倒的に欠けてんだよ!!それ以前の話だろうが!!」

「タンギン。多分それ、コミュニケーション能力って言うのよ」

「止めといたほうがいいと思うっす。いくら現代に慣れている式神と言ったって、所詮生きている環境も時間も、存在すら違う物体なんすから。しかも台心先生なら、なんか勘づきそうじゃないっすか?それこそ、また怪しまれるっすよ」

ショウゼツさんの指摘に、私は頷く。

正直、ソウジョウさんが私の親として同席するのなら、誰も呼ばずに先生と面談した方がいい。私は身をタンギンの方に寄せると、彼は膝に頬杖を突いてため息を吐いた。彼の顔を見ていると、汚れた心が浄化されていくようだ。だからこそ、タンギンは親の代わりになることは難しいだろう。こんな綺麗な人、どこのモデルだ、なんて騒ぎになるだけだ。しかも台心先生には、家政婦さんである、と顔が割れている。

「最悪、俺が出る。別に必要ねえなら、お前ひとりで行ってこいや」

「どうせこの人、心配で二人の間の教卓に腰かけて監視してるっすよ」

「なんだ勝絶」

「わわわ、ごめんなさいっす!!キックは止めてっす!」

不思議そうにみんなの言い合いを見ていたソウジョウさんを、私は見つめる。彼と目が合うと、特に笑いもせず、じっとこちらを見てきた。怖いと思うと同時に、ぞっとお腹から何か不快な空気が込み上げてくる。何かおかしいと声を上げるより前に、階段の下から声が響き渡った。


「うわああ!!」

みんなが勢いよく階段下に駆け降りると、そこには全く予想とは違う景色があった。

「は?何騒いでんのよ、阿部」

「碁色!それに椿さんに瀬名高も。って、それどころじゃないんだって!先生にこき使われて、空き教室の掃除をしてたら、なんかが窓のとこにいたんだって!」

阿部君が腰を抜かしたのかしゃがみこみ、顔を青ざめさせながら教室を指さしている。確かにこの第二化学準備室は、今は使ってないので締め切っているはずだ。ここを使うことなんてあるかな、と開きっぱなしのドアの中を覗き込む。遮光カーテンのせいで部屋は真っ暗だけど、うっすらと机や椅子が積み上がっているのが見える。特に、おかしい様子はなかった。


瞬間、ぐいっと体が前に倒れ込むのを感じた。

声も出なかった。私が引き戸のサッシを踏んだところを中心にして、ぐるりと体が一回転する。真っ黒な世界が、見えているのかいないのか区別がつかない。ただ気分は全く嫌な気持ちはせず、ただここは入っていはいけない空間だったんだと悟った。体が入浴剤のように、ほろほろと崩れていっているみたいだ。痛みもないけど、恐怖もない。粉塵上になる自分の手を見て、私は喉を開こうとした。


「ねえ」

ぐっと、喉に何かが引っかかる。縄か紐かと思ったら、固めの布が首を撫でた。冬独特の分厚い制服が、後ろに引っ張られる。

「こんなきもい世界にさくっと足を踏み入れちゃうなんて、馬鹿なんじゃないの?」

その声と共に、ぐっと体に重心がかかり、実体を取り戻す。ハッと目が覚めた時には、何もない真っ黒な地面に、私を抱えて着地する人がいた。その人の特徴的な髪が頬に当たり、くすぐったい、と実感する。彼は顔を上げて笑うと、私の頬を引っ張った。

「いひゃい」

「困った人のところには自分の身の危険も顧みず突っ込みます!私っていい人でしょ!ってアピールしたいの?そんなことしなくても、廃絶から存在を知られている以上、もう悪あがきは無駄だよ!」

ソウジョウさんが笑顔で吐いた言葉が、元から傷ついていた私の心の表面を容赦なくひっかく。

助けてもらったのに、私は反射的に彼を突き飛ばしていた。それでも彼はニコニコ笑う。それが怖くて、こけそうになりながらも彼から距離を取った。

でも、体に何かがするっと巻き付き、倒れ込む。何もない黒い空間でも、床はあるようで、手を突くとじっとりとした嫌な湿り気を感じた。胴体の紐を見ると、何かカラフルなリボンが、何重にも巻き付いていた。

「なんで逃げるの?死にたいの?お前が死んだら、僕がどんなに批判されることか!あーあーめんどくさ。なんでこんな思いしなきゃいけないんだろ」

彼が頭の上で腕を組むと、シャラン、と乾いた鈴の音がいくつも聞こえた。あの音は鈴がたくさんついた、確か神楽鈴だ。鈴がついた柄の下側に付いたリボンが、私に幾重にも巻き付いているようだ。赤緑黄色とあるが、今の私には触手にしか見えない。

「離してよ、ソウジョウさん。私のこと、死んでもいいと思ってるんでしょ?」

「そんな自暴自棄にならないでよー。ますます見殺しにしたくなるじゃん。でもしないよ、断金に滅多打ちにされるからね!」

「そんな理由で?あなた、人間のこと、なんだと思ってるの!?」

自分でも珍しく荒い声が出る。床に這いつくばったまま彼を見上げると、ピンクに光った目がぐうっとこちらに近づいた。

恐怖で声も出ない。彼の思うがままに頬を鷲掴みにされて、彼の額に私の額が当たる。

「人間なんて、動く肉でしょ。僕たちのこといいように作って、楽しんで、ほっといて忘れて。最後まで責任取れないなら、生むな」

彼はそう言い残すと、ざっと神楽鈴を振り払った。私の体からリボンが抜けたけど、起き上がる気になれない。そのまま彼は前に進むと、シャン、と鈴を振り、何かを唱えた。


『律と呂の間たる光よ、我を崇め、拝み、我を弾け。さすれば、我が月光を与えよう』


低く、だけど通る澄んだ声が、何もない空間に壁を作ったように響く。すると、不思議なことに、空間にぽつ、ぽつ、と、淡い黄色の光の粒が見え始めた。さああっと涼しい風が吹くと、次の瞬間には、満天の星空と田園風景が広がった。

「わあ・・・・・・」

「あ、僕の除怨見るの初めてだっけ?大抵の人間って、最初は僕のこと邪見にするけど、僕の除怨見たら一転して尻尾振って付いてくるんだよねー!椿も僕のこと、見ててよ!」

そう喋る彼は楽しそうに笑うと、天を仰いでくるっと一回転ターンした気がした。目の端で動いているから、気がするだけだ。それほど、周りの景色が美しすぎた。

鈴虫の音、思わず息を吸い込みたくなるような涼やかな青い匂いのする風。星粒が零れたのかと錯覚するほど艶めいた草の葉と、まっすぐ届く、優しく強い星の光。来たことないし見たことないのに、懐かしくて涙が出てくる景色に、私は目が離せなかった。


「あら、ごきげんよう。大分ご無沙汰してしまいましたけれど、お元気でしたかしら?」

室内のように空間に響く女性の声に、ハッとして周りを見渡すと、そこには何もない空間に腰かけてこちらを見ているホウキョウさんがいた。やっぱりこの変な空間は廃絶の仕業だったんだと、式神を見る。流石のソウジョウさんでも、廃絶を前にしたら除怨してくれるだろうを彼を見やると、彼は不気味なほどにっこりと笑い、こちらに歩いてきた。

「な、なに?ソウジョウさん」

「ほら!君の仲間だよ!久しぶりって言ってるし、挨拶してくれば?頭の近況でも聞いてきなよ!」

そう言ってソウジョウさんは私の首根っこを掴むと、ホウキョウさんめがけて私を放り投げた。なのに体は彼が持つ神楽鈴のリボンが巻き付いているから、リボンがビン、と張って前に転げ込む。こんなに自分が物みたいに扱われたことがなくて、怒りでもなくただ戸惑いが湧いてくる。

すると、視界がふっと暗くなり、顔を上げて目の前に座る人物を見上げた。彼女はスカートを太ももに沿わせてゆっくりとしゃがむと、膝に手を当ててぽつりと零した。表情は分からないけど、形の整ったアーモンド形の目を歪ませて、怪訝な顔をしている。

「彼、本当に式神ですの?あまりにも人間に対する行動が私たち寄りではなくて?」

「・・・・・・ホウキョウさんも、そう思いますか?」

「ええ。あれは、トの音の雙調ですわよね。初めて見ましたが、やはりろくでもない、扱いにくい奴ですのね」

ホウキョウさんは苦い顔をして、子供みたいにシャンシャン楽しそうに鈴を振っているソウジョウさんを見た。敵に同情されるなんて、彼はなんて破天荒な人物なんだろう。タンギンが一気にまともに見えるな、と私は呆れつつ立ち上がろうとした。


「待って、椿!」

その声に、反射的に身を地面につける。

と同時に、ほのかな線を描いて舞っていた蛍が、急にピタッと止まり、直線状にホウキョウさんめがけて突っ込んでいった。彼女の体は黄色い剣に刺されたようにへこみ、無数の線に貫かれて宙に浮いている。

「うぐっ」

「ひっ」

初めて女の人の悲鳴を間近で聞いて、咄嗟に目を瞑って耳を覆う。目を背けても、人間が串刺しにされた光景が一瞬で脳裏に焼き付き、血の気が引いていく。

あんなに美しかった光景からの急転直下に、頭がぐらぐらした。ソウジョウさんは何をするでもなく、笑顔でホウキョウさんの元に歩みを進める。

「ねえ、あんた。廃絶の中でも雑魚なんでしょ?そんなんじゃあ僕らの頭に会ったら存在すらできなくなるよ?」

「・・・・・・」

「もう会ったことはあんのかな?僕らの頭に会うことが目的?それとも、人間を一人廃絶に引き入れることが目的?」

「・・・・・・何も答えませんわよ。ここで折れているようでは、ボスに面目が立ちませんから」

冷や汗を流して眉を歪ませつつ、ホウキョウさんはそう言うと、パチンと指を鳴らした。すると、彼女の体はどろどろと溶けていき、床に落ちる度に蒸発して消えていく。

「あ、待ってよー。この子は連れていかなくていいの?」

ぐいっとリボンが引っ張られ、体が徐々に消えていくホウキョウさんの方へと投げ出される。体が崩れていく人の所になんて行きたくなかったけど、前に向かって倒れていくのを止められなかった。

「・・・・・・それには及びませんわ。別に、私の目的は彼女ではありませんもの」

そう言う彼女は、ハイライトのない真っ黒な目を伏し目がちにして、真顔でこちらを見やった。それを最後に、彼女の体は完全にこの空間から消えてしまった。もう少しで地面に叩きつけられる、と衝撃を覚悟したところで、ぐっとお腹に腕が回される。

「あーあー、廃絶の目的を聞けると思ったのになー。失敗しちゃった。でも、こんなに奴らと会話できたのは、まあ収穫だったかな?」

私を抱えるソウジョウさんは、私を見下ろすと、可愛くにこっと笑った。彼の純粋無垢な微笑に、恐怖より先に興味が湧いてくる。

「・・・・・・ソウジョウさんは、廃絶に何かされたんですか?」

「え?いやー?特に何も。ただ、邪魔されたくないってだけ」

「邪魔、ですか?」

「うん!」

彼は私の体からリボンを取ると、ザッと地面を蹴って、勢いよく飛び上がった。私も抱えられた状態だったので、急な浮遊に、とにかく必死に彼の体にしがみつく。混乱に何も言えずに彼を見上げると、彼は一等明るい光をめがけ、ただ真っすぐ前を見つめていた。

「僕、人間は嫌いなの。勝手に僕らを作って、気が付いたら忘れて、その癖に感情だけは立派に持ってて、勝手に暴走して。そのしりぬぐいをすんのは、僕ら式神。ほんっとにめんどくさい。すぐ死ぬしね。でも」

光が段々近づいてきて、体が熱くなっていく。このまま燃え尽きてしまうんじゃないかと、彼に回していた腕に力を込めると、安心させるように、彼も私の腰を、自分の体に引き寄せた。手に持っている鈴のリボンが、川のように波打ち、光沢を強調する。彼の顔を見ると、毛穴一つない陶器のような仮面を引き上げて、純粋な顔で笑った。


「人間の作り出す音楽が、僕は一番好き。心地よくて、身を溶かしたくなる。だから仕方なく、人間の傍にいてあげてるってこと。面白くないものの傍にいるなんて、僕には絶対に無理だからね!」

「・・・・・・音楽」

ソウジョウさんの考えが、初めて自分の中で腑に落ちて、私は彼という式神が、なんて不器用で自分勝手で、純粋なんだろうと思った。自分の式神だったら、絶対に苦労するなと思う。

でも不思議と、ほうってはおけない人だ。彼に廃絶から助けてもらったからか、あの美しい田園風景を見せてもらったからか、なぜか私は、今までの彼を許すことができた。

「何馬鹿みたいにオウム返ししてんの?知能なくなっちゃった?現実世界に戻るまであともう少しあるし、何か歌ってよ」

「え?歌って、何をですか?」

「そんなん知らないよ。自分で考えて!下手だったら今ここで手を離して死なせちゃう!」

「そ、そんなこと元気よく言わないでください・・・・・・」

急に歌ってと言われても、何も出てこない。うーん、と考えると、ふと最近歌ったことがある歌が頭に浮かんだ。口を開いて、目を閉じる。眩しくて、目が開けられなかった。


「さくーらまーう やまかどのー とおーくみればー あーおいきぎー」

私の声は、この謎の空間でも自然と響いていく。今は一体、どこにいるんだろうか。


「ふじーのはながー まいおどりー みちなきみちをーすすみつつー あかーきひかりと あおいつきー についのそらにーほしはふるー」


頭に何か、ふわっと何かが乗せられる。その形状と質が、ソウジョウさんの髪であることに気付き、彼が私の頭に顔を乗せているのが分かった。歌を気に入ってくれたのかな、と嬉しくなって、喉が開いていく。視界も真っ白になって、光の中に到達したのが網膜の裏でも分かる。


「ちをふみしめてー われらはこうえいこーうこ・・・・・・」

「椿可愛い!!」

ぎゅっと、肺が潰れるくらいの圧が両腕にかかる。

何事かと顔を向けようとすると、やっと視界の光が段々消え、涼しい風が頬を撫でた。遠くから規則的にホイッスルの音が聞こえ、目を開ける。

そこは、変な空間に繋がる前の、普通の第二化学準備室だった。

窓から入る風が、黒い遮光カーテンをなびかせ、青空を覗かせる。積み上がった背もたれのない椅子と、水道が付いた机がしん、とそこに佇んでいた。床に手を突いたまま、私は周りを見渡す。どうやら、ホウキョウさんが作った結界から戻ってこれたらしい。ほっと一息つくと同時に、ポンと肩に何かが置かれる。

「ねえ椿、またあの歌うたってよ!歌詞は意味わかんないけどさ、心地いいんだ!ほら早く、ねえ椿ってば!!」

「ま、待ってください、ソウジョウさん、苦しいですよ」

「椿君!!」

ソウジョウさんから熱烈に肩をゆすぶられて酔いかけていた時、勢いよく扉が開け放たれ、瀬名高君とレイちゃん、阿部君がそこに立っていた。後ろには、化学担当の先生までいるみたいだ。

「夕陽ちゃん、大丈夫!?やっぱさっきのって・・・・・・」

「うん。取り込まれちゃったみたい。でも、ソウジョウさんが助けてくれたよ」

「え!?あいつが!?」

レイちゃんが信じられないという顔で、ふよふよと漂っているソウジョウさんを見る。私は立ち上がると、ソウジョウさんに地面に叩きつけられた時に撃った膝がずきっと痛む。下を見ると、膝から少し血が出ていた。流血していつわけではないしいいかと思っていると、瀬名高君が真顔でつかつかとこちらに進んできて、私の足元に膝を突く。

「椿君。膝から血が出ているよ。これを」

王子様みたいにサッとポケットから水色の薄いハンカチを取り出すと、私の膝に巻き付けた。絶対そんな効能なんてないはずなのに、なぜかひんやりと心地よく、ズキズキした痛みが引いていく。それに対して、顔がどんどん熱くなっていく。こんな王子様みたいな行動、真顔でやらないでほしい。手を顔に持っていくと、軽く汗をかくくらい緊張していた。すごく、すごく、ドキドキしている。

「せ、瀬名高君」

「ん?なんだい?とにかく、無事で良かったよ」

彼はいたって真面目に、ふっと笑う。どうしたらいいのか分からず硬直していると、彼の背後がふっと二つの影が現れた。

「そこまで!!」「何やってんだてめえ!!」

「うわっ!!」

顔を赤くした阿部君と怒りで顔を赤くしたタンギンが、彼の頭にチョップする。二人からの鉄拳を頭に喰らい、瀬名高君は前につんのめり、私の方に倒れ込みそうになる。あと一歩の所で、タンギンが間に入り、彼の体はバウンドした。

「あれ、今瀬名高の前になんかいなかったか?」

「いやいや気のせいだよ!!それより阿部、なんであんたもいんのよ」

「いやいや、俺がここで掃除してたら、変な黒いのが上がってきて、それでお前らが来たんだろ。つい、先生呼びに行っちまったよ」

阿部君の後ろには、あわあわと手を泳がせている、眼鏡をかけた先生が立っていた。前髪が目にかかっていて、なおさら顔が見えない。確か、授業は主に2年生の化学を担当しているので、名前までは分からないけど、長い白衣としゃきっとした立ち姿を見ると、それなりに若い印象を受ける。

「き、君たち。大丈夫ですか?化学室は危険なものがいっぱいあるんですよ。誰ですか、勝手に入ろうとしたのは」

「先生、俺は先生に言われて掃除してたんすよ!」

「そ、その先生ってのは、誰ですか?」

「え?あーっと、ツインテールの女の先生。だったかな」

「ツインテールなんて、うちにいないでしょ・・・・・・あ」

レイちゃんが思い当たったように顔をこわばらせる。私と瀬名高君も、同じ顔をしていただろう。もう既に、この空間に私たちが来るのは、ホウキョウさんによって仕組まれていたのだ。

「まあ、一件落着と言うことだな!先生、お騒がせして、申し訳ございませんでした。僕らは大丈夫なので、先生ももう帰ってもらって大丈夫です!」

「は、はあ。君は確か、瀬名高君だったかな?演劇部のようだけど帰宅部で有名な一年がいると、職員室で噂は聞くけれど。とにかく、最後に備品に危険がないか僕が確認するから、君たちはもう帰りなさい」

「はーい」

ぞろぞろと私たちは退却する。私も教室から出て、先生の隣を通り過ぎようとした。不意に彼の顔が気になって、さりげなく先生を見上げる。

すると、先生の切れ長の目とばちっと目が合って、私は思わず立ち止まってしまった。先生はばっと顔を背けると、教室に引っ込んでいく。グイっと肩を引っ張られて振り返ると、タンギンが眉根に皺を寄せて私を掴んでいた。

「おい、何してんだよ。変なのに絡まれてんじゃねえぞ」

「う、うん・・・・・・」

「何があった?」

みんなが遠巻きになる中、タンギンに視線を移す。彼の顔を見ていると、自分の動揺がすうっと軽くなった。

「あのね。あの先生の目・・・・・・エメラルドグリーンだった。宝石みたいな。先生、日本人じゃないのかな」

「そうなんじゃねえの。ほら、行くぞ。また後で考えようぜ。それより今は、早くあいつらと合流しようぜ。なんがあったんか、共有するぞ」

タンギンに手を引かれるまま、私は冬の廊下を駆けていく。本来見えないはずの彼の力に、ふと安心なのか、冬の寒さなのか、胸が少し冷えたように思いながら、みんなの背中を追いかけた。




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