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32.本当の気持ち

改めて思うと、私はショウゼツさんとそこまで話したことがない。

彼が主から離れて療養している時は傍にいたことはあったけど、それきりで特に二人で会話を交わす、ということはなかった。太陽のように明るいレイちゃんとおおらかなショウゼツさんのペアは仲が良いな、と微笑ましく思っていたけど、彼女が彼に対する思いを知ってしまうと、なんだか彼に話しかけにくくなってしまった。しかも今は、そのレイちゃんを好きな人までも現れている。

三角関係だな、と思っていると、前をずんずん歩いていたショウゼツさんがくるっと振り返った。勢いを止められず、彼に追突してしまうけど、彼の分厚い体が受け止めてくれた。こうして触れると、タンギンやバンシキさんと違って、ショウゼツさんは実体化すると空気を圧迫していると錯覚するほど存在感がある。私は上を見上げ、口を横に広げてにこっと笑う彼を見た。

「おっと、急に止まってすみませんっす。夕陽さん、改めて、ちょっとの間だけどよろしくっす!」

「はい、ショウゼツさん。こちらこそ、よろしくお願いします」

「なんだか夕陽さんとこうしてマンツーマンで話すのは久しぶりな気がするっすねー!俺と夕陽さんが初めてあった時ぶりくらいっすかね」

「私もそれ、思ってました」

彼はごく自然に私を人込みから遠ざけると、渡り廊下から脇道に逸れて校舎の隅にあるベンチまで誘導してくれた。足元にちょっと雑草が生えているけど、一息つくには十分だ。こんな所に座る場所があるだなんて知らなかった。エスコートし慣れているなと思いつつ、腰を下ろしてほっと息を吐く。人込みはあまり慣れないので、丁度良かったと、ちょっとばかし引きつっていた足を伸ばす。

「はーあ、ちょい休憩しましょ!俺、夕陽さんに聞きたいことがありまくりなんすよー」

「そ、そうなんですか?私も、ショウゼツさんと話したいことがあります」

私たちは顔を見合わせて、ふふっと笑った。自分が上手く笑えているかは分からないけど、彼は何も気にしていない様子で、腕を持ち上げてぐーっと伸びをした。気合を入れたのか、ぶんっと腕を振って膝に乗せると、体ごと私の方を見た。思わず、私もかしこまって彼の方を向く。逆光だからか、彼の表情は切羽詰まっているように見えた。

「あの、夕陽さん。答えたくなかったら答えなくていいんすけど」

「は、はい」

「夕陽さんって、ぶっちゃけ断金さんのことどう思ってるんすか?」

「う、ごほごほ!」

思わぬ質問に、戸惑いの言葉が喉に詰まって思わずむせてしまう。彼は慌てたように背中を擦ってくれるけど、さっきまで腕相撲をしていたからか力に制御ができておらず、発火しそうなくらい摩擦を感じる。

「い、痛いです、ショウゼツさん。大丈夫ですよ」

「あ、すみませんっす!レディーの体に触るなんて、失礼でしたね」

「そ、そうではなくて、力が強いんですが・・・・・・で、私が、タンギンを、どう思ってるか、ですか?」

ショウゼツさんは私の背中から手を離すと、また待てを命令された犬のように目線を下げた。耳なんてないはずなのに頭の上にしょげた犬の耳が見えるようだ。彼はいつも笑顔なので、ここ最近彼の顔が曇りがちなのが気になる。

「そうっす。夕陽さんは今までの断金さんを知らないから分からないと思うっすけど、断金さんが主のためにここまで尽くしてるの、初めて見るんすよ。ましてや、自分の得にもならない家事を手伝うだなんて。あの人は、夕陽さんやレイさんが思ってるより、冷たい人っす。それこそ、主の体調も予定も全部無視して、除怨に連れまわすくらいには」

彼の言葉に、私は口をつぐむ。私の知らないタンギンのことは、今まで何回か聞いては来たけど、今のタンギンを見ていて、そんなに冷たい人だとは思えなかった。私の表情を読み取れるだけで、私にとってはかけがえのない存在だ。みんなといると忘れがちだけど、私は楽しいも怒りも悲しみも、全て表現できない。たまにガラスや鏡に映る自分の無表情に、それを思い出して勝手に暗くなってしまうことだって何回もある。だけど、瀬名高君をはじめ、ここには感情のない私を気味悪がって嫌うどころか、理解しようとしてくれる人や、実際に分かってくれる人がたくさんいる。

一番傍にいるタンギンが、私の気持ちに気付き、何かしようとしてくれるだけで、私はとても嬉しいのだ。だからこそ、タンギンがついた主は一番死亡率が高いというのも、信じてない。何より、信じたくない。

「・・・・・・前に、マクモさんから、タンギンの主は死亡率が一番高い、と聞きました。それは、本当なんでしょうか」

「・・・・・・夕陽さんは、どう思うっすか?」

「私は・・・・・・嘘だと思います。タンギンは自分勝手だし、口が悪いし、すぐ舌打ちとかため息つくし、態度だって良くないです」

「はは、散々っすね」

「でも、彼が人を殺す存在だとは・・・・・・私には、思えないんです。だって、優しいから。私から見える彼は、寄り添ってくれるから」

もし言葉が目に見えていたら、消えてしまうくらいのか細い声が、自分の口から漏れる。決して自信がないわけではない。それでも、彼が頑なに口にしない彼の過去について迫るのは、私にとっては勇気がいることだった。

雑草の生えた地面を見つめていると、はは、とショウゼツさんが笑う声が聞こえて、顔を上げる。彼は眉を下げつつも、釣り目を下げて首を傾けた。まるで、言うことを聞かない子供を憐れむような目だった。

「・・・・・・舌打ちは、おそらく鸞鏡さんの癖が移ったんすよ、だから、目を瞑ってあげてほしいっす」

「ランケイさんとタンギンは、コンビを組んでいたことがあるんですか?それも、詳しく知りたいです・・・・・・タンギンの、過去のことも」

ショウゼツさんはすっと立ち上がり、私に手を伸ばしてきた。よく分からずも手を伸ばすと、ぐっと力強く握り返され、立ち上がる。

すると、どこからかソースの良い匂いが鼻を掠めた。彼はにっと笑い、お腹にぽんぽん、と手を当てる。食べ盛りの男子高校生の姿をした彼は、「一旦、飯食いましょ!」と私の手を引っ張った。男の子が自分の前を笑ってリードしてくれているなんて、青春の一ページのような甘い光景かもしれない。でも私は、またタンギンの過去について聞けなかったと残念に思った。それでも、なんだか今日のショウゼツさんは、全てを話してくれる気がして、私は大人しく彼に付いていった。





「うわー、屋台もたくさんあるんすね。なんか煙がもくもくしてるっすけど、夕陽さん、煙たくないっすか?」

「はい、むしろ、この煙が良い匂いで、引き寄せられちゃいます」

「そうなんすねー。俺はレイさんの味覚の好みしか分からないんで、この煙が良い匂いなのかは判別つかないっす」

ショウゼツさんが連れてきてくれたところは、丁度校門から校舎までの駐車場だった。さっきレイちゃんとバンシキさんの話を聞いて初めて知ったけど、部活動も出し物をやっているらしい。衛生上の問題からか、どれも火を通した食べ物ばかり売っていたけど、どこからともなく香るソースのこの匂いは、どうやらバスケ部が出している『根性焼きそば』からきているようだった。

近くまで行ってみると結構賑わっていて、前に8人ほど並んでいる。ふと、屋台の中で白いタオルを頭に巻き付けている、背の大きな人物と目が合った。

「あれ、椿さんじゃん!!やっほー」

「塩味君。や、やっほー」

気さくな挨拶にどう返したらいいのか分からず、オウム返ししてしまう。隣でふっとショウゼツさんが笑ったのが聞こえた。

「あれ、この前に除怨対象だった少年の友達っすよね。なんか、こっちに手招きしてるっすよ。ほら、行こうっす」

「え、でも、列が並んでるのに、いいのかな」

「気にしない気にしない!横入りして焼きそばもらうわけでもないんすから!」

ショウゼツさんに背中を押され、私は塩味君の傍に行くと、彼はメンバーと焼きそばを焼く係を交代して、私の元まで来てくれた。彼から香ばしい香りがして、思わず息を吸いたくなる。彼は軽く汗を拭うと、爽やかな笑みを浮かべた。バンシキさん並みに背の高い彼と目線を合わせると、自然と太陽も目に入るので眩しい。

「ごめんね、邪魔するつもりじゃなかったんだけど」

「邪魔だなんてそんな!むしろ、俺は屋台にずっといたから、お化け屋敷に全然参加できなかったんだよねー。なんだっけ、メイドお化け屋敷だっけ?椿さんもメイド服着たの?」

「うん。着た」

「ぶっ、嘘!?って、ごめん!!」

へらへら笑いながら麦茶をぐいっとあおった彼にそう返すと、彼は霧吹きみたいにブッと吹き出して私を見た。その行き先は見事に私に降りかかり、私の周りがソースの匂いから麦茶の匂いになる。

気温はむしろ暑いくらいだし、そんなにびちょびちょにはならなかったけど、シャツが若干透けてしまった。下着が見えちゃうなと思いつつ、まあ誰も私のことなんて見ないか、と自然乾燥を待つことにする。

「ちょ、マジでごめん、椿さん!!これ、使って、って、俺の汗がついたタオルなんて貸せないし・・・・・・」

「夕陽さん、とりあえずこれ、羽織ってくださいっす!女の子がそのままじゃ、良くないっすよ」

塩味君が慌てふためいていると、さっきから黙っていたショウゼツさんが見かねたのか、いつも肩から掛けている白い学ランを羽織らせてくれた。彼専用なのだろう、かなりぶかぶかで、自然と萌袖になってしまうし、すごく服と体に空間が開いている。でも、うちの制服はブレザーだし、ましてや白の学ランなんて着る機会もないから、なんだか式神になれたような気がして、ちょっと嬉しくなった。ショウゼツさんは心配そうにしていたけど、割れた腹筋が見えるくらいの短ランを着ている彼が、普段肩から下げている布の正体が分かって、二重に嬉しい。

「ど、どうしたんすか、ぼーっとして。もしかしてそれ臭いっすか!?」

「つ、椿さん。その人って、誰?」

塩味君が新しいタオルを手に持って、ショウゼツさんをガン見している。確かに見ようとしなくても見えてしまうほどの体格と背格好だから、驚くのも無理はないだろう。

私はこの際だからとショウゼツさんを紹介することにした。しかし、カモフラージュのために苗字が咄嗟に出てこない。タンギンの時はつい自分の苗字をつけてしまったけど、ここでまた椿ショウゼツと言ったらまた何か突っ込まれそうだ。

「この人は、えーっと。えーーーーっと」

「俺は田中太郎っす!椿さんの友達っす、よろしく!」

ショウゼツさんは何食わぬ顔でそう言うと、すっと逞しい腕を塩味君に差し出した。彼は呆気にとられながらも、自分の右手を上げて握手に応じている。スポーツ選手たちが試合前に挨拶してるみたいだなと思いつつ、ショウゼツさんがさらりと偽名を言ったことに対して、この人は実体化慣れしているんだろうなと思った。タンギンに比べたら、現代慣れし過ぎていると言ってもいい。

「椿さん、こんなかっこいい友達がいたんだね。知らなかったよ」

「う、うん。昔から仲が良くて」

「へえ。そっか、転校生だもんね。そっちに友達がいてもおかしくないか」

塩味君は眉を下げながら、私にタオルを差し出してくれた。女子に飲んでいた麦茶をかけたことを気にしているのか、さっきより元気がない。せっかくのお祭りなのに私のせいで悲しい思い出にさせてしまうのだけは避けたいなと思っていると、ショウゼツさんが助け舟を出してくれた。

「そうっす、俺、ここの焼きそば買うんで並んでくるっすよ!夕陽さん、後で合流しましょ!」

「あ、いいですよ。迷惑かけちゃったし、無料で二人分渡します。椿さんも、ほんとにごめんね」

「だ、大丈夫だよ。全然気にしてないし。ほ、ほら、初めて学ラン着れて嬉しいし」

私のフォローに塩味君はキョトンとして、ははっと噴き出した。やっと彼の笑顔が見られてほっとする。彼はメンバーに2つのパックを持って、焼きそばを盛ってもらうと、わざわざ袋に入れてくれた。よく見ると輪ゴムがはち切れそうなくらいぱんぱんに詰めてくれている。上にちょこんと乗った紅ショウガがとても食欲をそそられた。

「お詫びじゃないけど、これ、どうぞ。田中さんの分も」

「ありがとう。私の方こそ、なんかごめんね。味わって食べるね」

「はは、ぜひ。うちの焼きそばは学校一だって、代々有名らしいから」

気が付くと、ショウゼツさんは傍にはおらず、さっきのベンチで席を確保してくれているみたいだった。この人込みの中たどり着けるかなと思っていると、塩味君が首に手を当てながら、横をじっと見ていたので、私の視線をそちらに向ける。何があるのかと見ていると、彼が口を開いた。


「あ、あのさ。椿さんって、この後予定ある?」

「え?」

「良かったらさ、夕方、ちょっとだけ時間もらえない?碁色さんとか田中さんとかと過ごすんかもだけど、ちょっとでいいから」

その言葉の意図を汲み取れないほど、私は鈍感じゃなかった。心臓が跳ねて、顔が段々熱くなってくる。彼は私と顔を合わせず、横を見ているけど、顔はちょっと赤いように見えた。これは、屋台の湯気で火照っているのか、別のことで赤くなっているのか、色々な想像をしてしまって、私は言葉に詰まってしまった。こういう時、なんと返したらいいのだろうか。今までは永遠さんの会話術を真似していたけど、彼とのこういったやり取りなんてしたことがなかったので、模範解答が見つからない。

「あ、あはは。ごめんね、困らせちゃったね。忘れて。じゃ」

「あ、えっと。し、塩味君」

踵を返そうとする彼に、私は咄嗟に彼を呼び止めてしまった。彼の顔が見られない。俯きつつ、彼の足を見ながら、何とか声を絞り出した。頭が重くて持ち上がらない。

「そ、その。夕方、だよね。どこで、待ってればいいかな」

「!マジで!じ、じゃあ、連絡するよ。ライン交換していい?」

塩味君は声のトーンを倍明るくさせて、携帯の画面を差し出してきた。慌ててスマホをいじるけど、普段連絡先なんて交換する機会がないから、どのボタンを押せばいいか迷ってしまう。すると、塩味君がぐっと屈んで、私の画面をのぞき込んできた。

顔が一気に近くなって、思わず一歩下がろうとする。けど、後ろの屋台の柱にぶつかって、そのまま彼の操作を間近で見ることになってしまった。あの誘いの後でこの急接近は、流石の私も緊張してしまう。彼の切れ長の目が真剣に画面に向いている。少し色の抜けた茶髪の髪が太陽で透けている。頬の横にはほくろがついているなんて、今までは気が付かなかった。さっきも一緒にいたのに、彼の見えなかった一面がどんどん見えてくる。

「はい、これでオッケー。じゃあ、可愛いスタンプ送っとくね・・・・・・椿さん?」

塩味君が顔を離してぱっと笑う。頭の中がぐるぐるして、画面に映る猫のイラストを見ていると、彼はまた顔を傾けてこちらを覗いた。顔が一気に赤くなり、屋台の柱に思いっきりぶつかる。ゴン、と鈍い音と痛みが響くけど、そんなこと気にならないくらい、頭の中で色んな感情と考えが巡っていた。

そうだ、てっきり夕方は恋愛成就のジンクスがある花火が上がるから、塩味君の呼び出しは恋愛系だと思っていたけど、これで違ったらとても恥ずかしい。心優しい同級生の善意を勝手に好意だと思ってしまうなんて、穴があったら入りたい。きっと、バスケ部関連での悩み相談や、森林君の今後についての相談かもしれない。彼が大人しそうなのにマスクの下にはバッチリ校則違反していることを、知ってしまった仲間かもしれない。

「椿さん、大丈夫!?動揺させて、ごめんね」

塩味君は私の代わりに顔を歪めて心配してくれる。流れるように私の後頭部を擦ると、軽くぽん、と頭を撫でられた。思わず上を向くと、彼はふにゃっと笑って、逆光でもわかるくらい顔を赤らめていた。

「じゃ、夕方になったら連絡する」

そう言って、彼は屋台の中へと戻っていった。焼きそばはすごく繁盛していて、受け取り待ちの人たちが傍で溜まっていたので、急いで移動する。頬が熱くて、頭がふわふわする。この感情の処理の仕方が分からなくて、私は一目散にショウゼツさんの元へ向かった。





「夕陽さん、で、オッケーするんすか?」

「う、げほげほ!!」

ショウゼツさんが頬に手を当ててにやにやしながらこちらに話しかけてきたので、焼きそばがひゅっと変なところに入って、むせてしまう。彼は準備よく先ほどのタオルと水の入ったペットボトルを差し出してくれるので、受け取って喉の違和感を押し流す。はあ、と一息ついて彼を睨むと、ショウゼツさんがいつもしている歯を見せた笑いをして、こちらを見ていた。

「夕方に呼び出しなんて、もうほぼ告白宣言じゃないっすか。彼、確かに夕陽さんに気がありそうでしたっすもんね」

「え、どこで分かりました?そんな素振りありましたか?」

「結構あったっすよ。何かにつけて夕陽さんとレイさんの方に話しかけに来てましたし、よくちらちらこっち見てましたし。夕陽さんはそういうの気が付かなさそうっすねー」

「・・・・・・全然知らなかった。でも、これが私の勘違いだったら恥ずかしいから、そう言うのじゃないって思ってる」

私はまだパックに山盛りの焼きそばに箸をおいて、口を拭う。

人から嫌われ続けた人生だったので、ましてや告白なんて一度もされたことがない。

私の何がいいのか分からないし、こんな私にでも話してくれる塩味君を、私が好きになるのは分かるけど、彼が私を好きになるのは、よく分からない。喋りも上手くないし、地味だし、レイちゃんみたいに可愛くないし、面白くもない。好きになるきっかけもピンとこないし、謎が多すぎる。

すると、ショウゼツさんはにやにやを止めて、寂しそうに口元を緩めると、ふと空を見上げた。日差しが強くなってきて、足元の雑草が黄緑になる。真っ青な空に浮かぶ雲は点々と連なっていて、秋の空だと感じる。

「・・・・・・人間って、いいっすよね。相手の気持ちを理解できないまま、誰かを好きになって、上手くいったら一緒にいて、同じくらいの時に死ぬ。俺には、決してできないことっす」

「・・・・・・式神は、死なないんですか?」

私の問いに、ショウゼツさんはぐっと上を向いて目を閉じた。赤目が消え、長いまつ毛が際立つ。シャラ、と彼の耳から下がったらせん状のピアスが音を立てた。鎖の先についている金色の輪っかが、鋭く光って一回転する。

「死なない、というより、存在はしてるけど、忘れられた時、俺らは死んだも同然っす。人間みたいに心臓が止まったら死ぬ、みたいな自己完結より、人間次第で俺らは死ぬんすよ」


忘れられた時、式神は死ぬ。

私はその時、本当に目の前の緑の彼は私とは違うということと、存在しているのに死んだ扱いを受ける彼らの同情とで、言葉に詰まった。そのくらいの衝撃だった。ショックではないけど、現実を改めて首筋に突き付けられた感覚だ。

「・・・・・・ショウゼツさんは、人間になりたいですか?」

「・・・・・・はは、すげえこと聞くっすね。うーん、そうだな」

彼は赤い目をカッと見開いた後、体を起こして乾いた笑いを発した。手をすっと伸ばしてきて、焼きそばを指している。すっかり干からびた麺に、慌てて箸を動かして口に含む。さっきまでしていたソースの味が薄れた気がする。

「俺は人間になりたいっすよ。ちょっとしたことで悩んだり、苦しんだり、傷ついたりするし、ちょっとしたことで死んじゃうっすけど。でも、気持ちを見透かせない相手と感情が一緒だった時の嬉しさとか、限られた時間で愛する人と過ごせたり。儚いけど美しい人間の生涯を見ていて、そう思うっすね」

彼はそう言って、頭の後ろで手を組んだ。

私は口の中に麺を入れつつ、彼らの存在は一体いつからあるのか、そもそも彼らは何なのか気になってきた。

思えば、『タンギン』『ショウゼツ』『バンシキ』という名前は、日本の名前っぽいけど、発音が式神と人間で違う気がする。はっきりとした違いというより、それこそ生きている世界が違うからこその違和感だ。

私は焼きそばをなんとか食べ終わって、隣でくつろいでいるショウゼツさんに向き合った。彼は私の視線に気づいて、こちらを見る。太陽がさんさんと照っていて、彼の真っ白な肌に反射している。人間ではないその白さを見つめ、私は口を開いた。

「ショウゼツさん。式神って、そもそもなんなんですか?修学旅行で鬱岐に行った時、伏見稲荷について詳しかったのは、神社に由来があるからですか?」

「お、鋭いっすね。っつっても、俺もそんなに詳しくないから、分かんないっすよ」

「それでも、いいんです。私は、皆さんを知りたいんです」

彼は一瞬真顔になると、すぐニヤッと笑って、周りを見やった。辺りはお祭り騒ぎとまでは行かなくとも、みんなはしゃいで笑って通り過ぎていく。ずっと座って真剣な顔をしているのは、私たちくらいだ。

「いいんすか?せっかくの学園祭なのに、ずっとここにいて」

「いいです。教えてください」

「・・・・・・じゃあ、後で断金さんについてどう思ってるか、教えてくれたらいいっすよ」

「・・・・・・分かりました」

彼は満足そうにうなずくと、私にスマホを出すように言った。素直に従って、検索画面を開く。

「そこに、俺らの名前を打ち込んだら分かるっすよ。俺らがもともと、どういう存在なのか」

私は試しに、タンギン、と打ってみる。虫眼鏡マークをタップしても、Wi-Fiがないからかずっとぐるぐるしていてもどかしい。

すると出てきたのは、日本音楽の音階だった。全く知らない単語の羅列の中に、それっぽい単語を見つける。


「『断金』・・・・・・?タンギンは、音なんですか?」

「音そのものじゃないっすけど、俺らの名前は十二律が由来っす。できたのは今から1500年前くらいっすかね」

「1500年!?じゃあ、タンギンが今の単語を知らないのは・・・・・・」

「いや、俺らはその時から今までずっといるんすよ?時代の流れについていけてないのは、断金さんがついていこうとしてないだけっす」

彼らの名前の由来に辿り着けただけでも、私にとっては大きな収穫だった。道理で聞いたことがない名前ばかりだと思っていたけど、まさか音楽が関係していたとは思わなかった。音楽なんて授業でしか習わなかったので、短調や長調くらいしかピンとこない。歌うのは好きだったけど、中学校でクラスのみんなから嫌われて以来、歌うのは止めてしまった。永遠さんの前でだけ歌ったことがあるけど、それも今となってはうろ覚えだ。

私は画面をスクロールして、彼らの名前の説明を読む。

バンシキさんは盤渉、ショウゼツさんは勝絶、と書くらしい。そう言えば、最初の頃瀬名高君がバンシキさんの漢字について教えてくれた気がする。名前について知っていたのだから、彼らの由来は音楽であることを知っていたのだろうか。

音階はそれぞれド、レ、ミ、ファ、ソ、ラ、シと半音合わせて12個あるけど、タンギンはレの♯に当たるみたいだ。その他に知っている名前は、『下無』さんと『上無』さん、『神仙』さん、『鸞鏡』さんくらいだ。日常では使わない漢字もたくさんあって、知らない世界にとても興味が湧いてくる。

すると、すっと画面と目の間に大きな手が挟み込まれる。ショウゼツさんは困り笑いだったけど、彼らの存在の謎が一個解けた私は、なんだか気分が高揚していた。嬉しい、と言うのが正しいだろうか。どうしてこんなに嬉しいのだろうか、と考えるけど、それの答えは分からなかった。

「夕陽さん、見すぎっすよ。なんだか恥ずかしいっす。ほら、目が悪くなっちゃうっすよ。ストレートネックなんてなっちゃったら、元に戻すのは難しいんすから」

「ショウゼツさんはなんでそんなに現代の言葉に詳しいんですか?前にいた主さんは、おばあさんだったんですよね」

「まあそうっすね。俺は人間の流れに置いてかれるのが嫌だったんで、自分から勉強しに行ってたっす。街中に行ってテレビ見たり、主に話しかけて今流行ってるものを知りに行ったり。ほんと、面白いっすよ。技術の進歩がどうであれ、人間心理は変わらないんすから」

「心理?」

私のオウム返しに、ショウゼツさんは私の手から空のパックと割り箸を抜き取ると、すっと立ち上がった。同時に手を差し出してくるので、つい自分の手を重ねる。すっぽり覆われてしまいそうな彼の手は、とても冷たかった。

「一人の人間が、誰かを好きになる時、相手も自分のことを好きかどうか不安になる。だから、相手を知ろうとするんすよ。夕陽さんが俺らを知りたがってるのは、俺らのことが好きだからなんすかね?」




思えば、学校の授業で一番好きだった教科は、音楽だったかもしれない。

昔から、永遠さんの家のグランドピアノで、永遠さんが伴奏で、私が歌を歌っていた時があった。あの時は、なんだか自分を解放できる唯一の幸せな時間だった。

小学校3年の頃、学校で合唱コンクールがあった。大会にも出場する大きなイベントで、ソプラノ、アルト、テノール、バスの4人が前に出て歌う場面がある、難しい曲だった。

そのオーディションが行われた時、私は立候補した。歌うのが好きだったし、永遠さんはいつも私の歌を褒めてくれていたから。

ただ、クラスの子の反応は違った。能面のような私が歌うのが面白かったのか、普段大人しい私が目立とうとしているのが気に障ったのか、オーディションの時、教室の陰からずっとくすくすと私の出番だけ笑っていた。それが男の子だったか女の子だったかは、覚えていない。でも、楽器の陰から聞こえる耳障りな声が、私の喉を締めていった。

結局、オーディションで私の出番が来ても、声が出なかった。

泣きながら家に帰り、永遠さんに訴えると、永遠さんは無言で私の頭と喉を撫でてくれた。ランドセルを私の肩から降ろして、ぎゅっと優しく抱きしめてくれた。くるくるの髪が首に当たり、くすぐったくて笑ってしまったのを覚えている。


『夕陽ちゃんの歌を聞けないなんて、可哀そうな子たちだね。もう、歌は僕の前でしか歌わなくていいよ。その代わり、僕の前では聞かせてくれる?夕陽ちゃんの、綺麗な声を』

そう言った彼はグランドピアノに向かって私を連れて行ったけど、黒く鈍く光るその巨体に、その嫌な記憶が蘇ってきて、私は歌うのを辞めてしまった。

それ以来、授業でも日常でも歌は歌わない。テストで怒られようと、何を言われようと、声が出なくなった。歌う自分を拒否されたあの時から、音楽を楽しむ心は、私の中から消えてしまったのだ。





「夕陽さん、ほら見てっす!吹奏楽部が楽器作り体験してるみたいっすよ!行ってみるっす!」

ショウゼツさんがぎゅっと私の手を握った感触で、ハッとして前を向く。そこは部活動の出し物が並ぶエリアで、ぽつんと一つのテントだけ人が並んでいないゾーンがある。

ショウゼツさんは痛いほどの力で私をそこへ引っ張ると、顔を上げた吹奏楽部の子たちがきゃ、と黄色い声を上げた。ショウゼツさんは不思議そうにしているが、イケメンの彼は自覚がないらしい。

「こ、こんにちは!楽器作り体験にようこそ・・・・・・って、あれ?あなた、どこかで会ったことある?」

受付にいた、髪に手作りのクラリネットの画用紙を飾った女の子が、私の顔を見て首を傾げる。確かこの人は、美依ちゃんが台心先生に告白していた時に、クラスで練習をしようとしていた吹奏楽部の子の中にいた。髪飾りのおかげでパッと記憶が結びつく。でも彼女は思い出せなさそうなので、首を振って参加表に名前を書き込む。

「そっかー。1年生の子なんだね。隣の彼は?見たことないイケメンだけど。うちの制服じゃないし、他校かな」

「はいっす!今日はせっかくの学園祭なんで、遊びに来ちゃったっす」

「いいねー、君体格もいいし、うちにスカウトしたいくらいだよー。チューバとかどうかな、肺活量ありそうだし」

「えー、誘われちゃったっすけど、俺別の学校なんで!で、ここは楽器を作れるんすか?」

彼の質問に、クラリネットの子の後ろで控えていた子たちがわっとこちらに集まってくる。久しぶりの来客も嬉しいだろうし、こんなイケメンならなおさらだろう。彼女たちは透明な試験管のような細長い筒状のケースと、何やら小さい部品がいっぱい入った箱を持ってきた。その部品は大小様々なカラフルな丸いビーズの他、鈴や、ただの丸い鉄球や消しゴムなど、とにかく小さくて可愛いパーツを集めたみたいだった。

「このケースにこのちっちゃい奴らを入れて、シェイカーみたいにして振るんです!するとあら不思議、世界でたった一つの楽器になります!どうです、楽しそうでしょ」

「いいっすね!振るくらいなら俺でもできるし、透明で綺麗っすね!ね、夕陽さん!」

「・・・・・・はい」

思ったより棒読みの声が出てしまって、口を塞ぐ。吹奏楽部の子たちが何かを言う前に、かき消すようにショウゼツさんが口を開いて腕まくりをした。

「よーし、見ててくださいっす、俺らがめっちゃかっこよくていい音が出る楽器を作ってみせますから!」

「お、いいねー!君声もデカいし、なおさらスカウトしたいくらいだよー!」

「なんすかこれ、消しゴム?これ、音出るんすか?」

「それね、この子がもうやけくそで入れちゃったの!ちなみに音は全然出ません!」

お客さんも私たちしかいなかったので、彼女たちは席に着いた私たちと一緒にオリジナルのシェイカーを作るみたいだった。相当暇を持て余していたのだろう。

私もケースを手に取って、何を入れようかと箱を見つめる。ざっと見ても50個くらいあるパーツに、指がつい止まってしまう。差し込む日差しにキラキラ光る小さな粒に、何を入れようか、何色を入れようか、どれを入れようか。多すぎる選択肢に対抗できるほど、今の気持ちは整ってはいなかった。

「ふふ、迷ってる?」

顔を上げると、目の前には頬杖を突いてひらりと手を振って座っている、頬月まいちゃんがいた。

文化祭でクラスの実行委員も務めている彼女は、そう言えば吹奏楽部だったかもしれない。昨日急遽レイちゃんの代わりに脅かし役を務めた時、とても褒めてくれた彼女は、真ん中で分けた髪を片目にかけつつ、とん、と机に振っていた手を置いた。

「やっほ、椿さん。あんま話したことないけど、昨日はありがとね。あの後、あの真っ白な布のおかげで、来る人大分ビビらせられたから、うちは初日であんなに繁盛したんだよ。影の立役者だね」

「・・・・・・頬月さん。こちらこそ、楽しかったよ。ありがとう」

「いえいえ。それにしても、椿さんにこんな彼氏がいるなんて、知らなかったな」

「か、彼氏?彼氏じゃないよ」

「ふうん?そうなんだ。椿さん可愛いからいると思ってたけど」

頬月さんの声はすごく落ち着いていて、話がすっと入ってくる。目線は下でビーズを器に入れているけど、決してくぐもらない声に、私も真似して、彼女が取った赤のビーズをケースに入れた。コロン、と涼やかな音が入っていく。ちら、と頬月さんを見ると、彼女は私の方をガン見していた。ぎょっとして、ついケースを落としてしまう。

「あ、ごめんね。びっくりさせちゃって。ケースに一個しか入れてなくてよかったね」

「う、うん・・・・・・私の顔に、何かついてたかな。それとも、何か変だったかな」

彼女はううん、と首を振ると、ケースを置いて頬杖を突いてこちらをにこにこ見た。楽しそうな彼女の意図が読めなくて、口をつぐむ。今日はなんだか新鮮な体験ばかりだ。

「いや、椿さんとずっと話してみたかったんだけど、機会がなくてさ。ずっとレイとか瀬名高とかといるから、そこに割って入るのもな、って。椿さんは、知らない人と話すの苦手?」

「え、えっと。苦手というより、怖いかな。私なんて話してもいいことないのに、なんで声かけてくれるんだろう、って思う」

私の回答に、頬月さんはむっと眉をしかめると、ぐっと身を乗り出してこちらに顔を寄せてきた。釣り目の彼女の目に、塩味君が頭をよぎる。どうしてここの子たちは、私に興味を持ってくれているのだろう。

「椿さんてさ、自己評価めっちゃ低いよね。なんでそんな可愛いのに、私なんか、って言うの?それだと、椿さんを好きになった人が可哀そうだよ。椿さんのこと好きなのに、椿さんは自分のことが嫌いなんだから」

彼女の核心を突いた言葉に、喉が詰まる。

そんなの、表情が表に出なくて、みんなから気持ち悪がられてきたからに決まってる。普通じゃない、みんなと違う、と無視されて、いじめられてきたから気付いたのだ。私はおかしい。それなのに、どうやって自分のことなんて好きになれと言うのか。

「か、可愛くなんてないよ。頬月さんの方が可愛いし、かっこいいよ。クラスの実行委員もやってるし、部活にも入ってるし。すごいよ」

「ありがと。そんなすごいことしてないよ。楽しそうなことを勝手にやってるだけ。椿さんは楽しそうだな、って思うことないの?」

赤色のビーズが入ったケースを見て、私はタンギンが除怨をする時に舞う、花火の色を入れていくことにした。彼女からの質問は、上の空だ。どうしてこんなことを聞いてくるんだろう。

「・・・・・・楽しそうなこと?そうだね・・・・・・」

「何でもいいんだよ。こうやってちまちまビーズ入れるのとか、美味しいもの食べる、とか」

赤色が入ったケースに、オレンジ、金色、黄色、緑、黄緑、水色、とビーズを入れていく。自分でも不思議なほど、タンギンが放っていく光の色を覚えていた。

楽しいと思うことを、頭の中に浮かべる。と言っても、特段このイベントがいい、というものはない。ふと、頭に人がよぎって、口を開く。


「・・・・・・家族みたいな人と言い合いして帰って、ご飯食べて、学校行って、クラスのみんなと会って、お喋りする。これが、一番楽しいかな」

「椿さん・・・・・・」

「って、多分こういう回答じゃないよね。ごめんね、ちょっとずれちゃって」

「ううん、とても素敵だと思う。なんか、椿さんっぽい答えだね」

頬月さんはそう言って、ケースから箱へと動かしていた手を止めた。私も、青、紫、藍色、そしてピンクのビーズを入れた所で、手を止める。顔を上げると、彼女は頬を掻いて眉を下げて笑った。

「いや、そのさ。椿さんて、歌うのが好きなのかと思って。うちらって、全校集会の校歌斉唱の時、体育館の端で演奏するでしょ?その時、椿さんの声がすごい綺麗でさ。私クラリネットだから、クラスの端で並んでる子と一番近いんだ。結構大きな音で演奏してるはずなのに、すんごい透き通った声が聞こえるから、みんなで誰だろうねって探してたの。そしたら、この前の音楽の授業で確信したよ。あ、この声、椿さんだって」

その言葉に、顔がどんどん熱くなっていく。

確かに、私は身長が大きいので、集会で身長順に並ぶときは端にいることが多い。うちは体育館の中央から壁に向かって横に並ぶから、壁側で毎回校歌を演奏している吹奏楽部の子たちとは距離が近いのは事実だ。太鼓もトランペットもあるから、声なんて聞こえないと思って何も考えないでいたけど、まさか声が漏れているとは思わなかった。しかもそれを聞かれていたなんて。誰にも届いてないと思っていたから何も考えずに歌っていたのに。

「そ、それは、私じゃないんじゃないかな。別の子って可能性もあるかも」

「ううん、だって校歌真面目に歌ってるの、瀬名高と椿さんくらいだし。それに、私の耳はごまかせないよ」

ふふ、と得意そうに首を傾げる頬月さんは、自分の持っていたケースに青色のビーズを入れ始めた。彼女は青が好きなのだろうか。

隣からショウゼツさんと女の子たちの笑い声が聞こえる。私はタンギンの除怨で出てくる光の色が詰まったケースにコルクを締めて、蓋をする。差してくる太陽の光に当てると、十二色の色がそれぞれ反射して、混ざり合って、とても綺麗だ。タンギンにあげたら、気づいてくれるだろうか。彼自身が音なのだったら、私が出す声の中にも彼は含まれていることになる。それさえ忘れなければ、式神のことを忘れることはないんじゃないだろうか。

とんとん、という音に顔を上げると、頬月さんが3粒くらいしか入れてないケースを片手に、私に手招きしてきた。彼女の目的は、私に声のことを聴くことだったのかもしれない。

「ねえねえ、今から音楽室行かない?歌ってみてよ」

「え、今から?私、この後レイちゃんたちと合流するんだけど・・・・・・」

「いいじゃん、ちょっとだけ。時間は何時、とか決まってるの?」

「えっと、17時になったら交代、かな。後夜祭の片付けもあるし」

「じゃあまだまだ時間あるじゃん!ほら、行こ?」

頬月さんは結構強引なタイプらしく、私の手を取ると立ち上がらせようとした。嬉しさと戸惑いに何も言えずにいると、ショウゼツさんが横からひょっこり顔を出して私を見た。私が作ったケースの中身にピンと来たのか、一瞬視線が頬月さんから私の手元に移る。

「あ、夕陽さん、どこ行くんすか?俺も連れて行ってくださいよー」

「ごめんね、彼氏さん。一瞬、椿さん借りてもいい?」

「うーん、今はデート中っすからねー。俺もついてく、って条件ならいいっすよ」

「椿さん、彼氏さんの前で歌える?」

頬月さんのまっすぐな目に、私は思いっきり首を振った。そもそも歌いたいなんて言ってない。

好きなものはとことん好きになるタイプなのか、頬月さんはむーっと頬を膨らませると、諦めてくれたのか私の手を離した。私はショウゼツさんの元に逃げ帰り、彼の大きな背中に隠れる。

「はは、ちょっと強引すぎちゃったね、ごめんね。でも、今日近くで話してみて、やっぱりあの声は椿さんだって確信したよ。今度は、歌ってね。なんの歌がいいとかある?私、ピアノも弾けるから、伴奏できるよ。今度、カラオケも行こう」

そういって笑う頬月さんに、ショウゼツさんは立ち上がって私を見下ろした。なにがあったんすか?と言葉にしなくても顔で伝わってきたので、私は首を傾げる。

頬月さんはショウゼツさんの手元を見ておお、と小さく声を上げた。私も彼が持ったケースに目を向けると、そこには明るいオレンジのビーズが、大小問わず入っていた。中には補色になる水色のハートが紛れていて、誰を想像して作ったのかが一発で分かる。

「彼氏さん、センスいいね。振るとぐちゃぐちゃになっちゃうからシェイカーとしては使えないけど、置物としてはいいんじゃない?」

「でしょ?俺、センスあるっすよね。あ、もうこんな時間っすね。夕陽さん、そろそろ行きましょうか」

「は、はい」

なぜか敬語になってしまったけど、私は持っていたタンギン色のケースをポケットに入れて、椅子の位置を戻そうとした。


その時、突然、クラリネットの音で校歌の前奏が流れてきた。

頬月さんが演奏してるのかと横を見ると、彼女もびっくりした顔で音の方向を向いている。見ると、あまりにもお客さんが来なくて暇を持て余した部員が、勝手に自分たちの楽器で演奏し始めたようだった。ばちを持った子が椅子の端を叩いてリズムを刻み、クラリネットとフルート、トロンボーンの子がそれぞれハーモニーを奏でていく。楽器はやっぱり音が大きくて、時々通り過ぎる人たちが何人か振り返っていった。

「さくーらまーう やまかどのー とおーくみればー あーおいきぎー」

音程がばっちり取れた歌声は、頬月さんだ。呟くようにして歌う彼女は、髪がかかっていない方の目で私をちらりと見る。私も歌え、ということだろうか。こんなにまで私の歌を絶賛してくれた彼女に、何か恩返しをしたくて、私は口を開いた。

でも、声が出てこない。集会の時に歌えていたのは、誰も聞いてないと思っていたからだ。今は違う。私の歌を確実に聞いている人がいる。そう思うと、喉がぐっと締まって、声が出ない。手が震えて、動悸が早くなる。

下を向きかけた時、ぽんと肩に手が置かれる。見上げると、ショウゼツさんが赤い目を楽しそうに吊り上げて隣に立っていた。

「ふじーのはながー まいおどりー みちなきみちをーすすみつつー」

彼の低くて伸びやかな声が校舎に響き、歩く人たちが足を止める。聞いていて心地いい歌に、喉の苦しさが引いていくのを感じた。うちの校歌はサビになるとソプラノ、アルト、テノール、バスで分かれるという珍しい本格的なパートわけがされているので、ここからは音が分かれるはずだ。

でも、頬月さんは器用にもアルトを歌った。ショウゼツさんはもちろんバスなので、メロディーが欠けている不格好な音楽が続く。音の綺麗さも相まって、すごくもどかしい演奏だ。私はつい、この音楽を完成させたくて、口を開いた。


「あかーきひかりと あおいつきー についのそらにーほしはふるー」

校歌の歌詞の意味をじっくり考えたことは今までなかったけど、なんで自然の美しさを歌っているのだろう、と不意に疑問に思う。確かに田舎でビルや街灯が少ないので、夕焼けや星は綺麗に見える。他無県の時は顔を上げようなんて思わなかった。

「ちをふみしめてー われらはこうえいこーうこー」

ふと周りを見ると、吹奏楽部員が楽器を手に私をまざまざと見ていた。ショウゼツさんは後ろで顧問の顔をしてにこにこしている。


「やっぱり、あの声はこの子だったんだ!すごいよね、楽器の中でも声が通って聞こえるなんて!」

「椿さんだったんだね。どうやって発声してるの?お腹から声出してもそんなに澄んだ声にならないんだけど」

「あ、この子って春に来た転校生の子?音楽学校でも行ってたの?」

急な注目に、私は居ても立っても居られなくなって、人の合間をすり抜けてその場を後にした。待ってー、と声が聞こえるけど、恥ずかしくて照った頬を冷ますためにも、少し走りたかった。

「夕陽さんって歌上手かったんすねー。一瞬琴でも鳴ったのかと思いましたっす」

「わ、ショウゼツさん」

足早に歩く私の横を、何事もなかったかのようについてくる彼に、私は顔を背けた。時計を見ると、もう14時だ。そろそろクラスの出し物を片付け始めるころだと思い、私はショウゼツさんと自分たちのクラスに向かった。

大分お客さんも落ち着いてきて、みんなも撤収作業に入ったのか、床のそこかしこに折り紙やら段ボールやらが落ちている。ちょっと傾き始めた日を踊り場の窓から見ていると、ショウゼツさんが不意に口を開いた。


「断金さんは、夕陽さんのことを、憎からず思ってると思うっす」

先を上る彼が、一段上から私を見る。日が当たらない彼は、力が弱まってきたのか、実体化を解いたようで、足元には影がなかった。寂しそうに眉を下げて笑う彼は、一段しか違わないのに足元を軽く見て、私との距離を惜しんでいるようだった。

「俺たちは式神。人間に忘れられたら死ぬ、人間とは相いれない存在っす。そんな俺たちが人間に介入するのは、本来可笑しいことなんすよ。見えなくてもいいものが見えるって、人間からしたら、不気味でしょ?」

茶化した語尾を付けない彼は、本心を言っているような気がして、私は彼の元へと歩いた。でも彼は、私から遠ざかりたいのか、もう一段上に、見えない足を進めた。

「ましてや、俺たちの目的は人間に害をなす廃絶を根絶すること。つまり、人間のために動く道具っす。そんな俺らが、人間の力を借りて除怨するって、ちょっと理不尽だなって思う式神もいるんすよ。断金さんだって、そう思ってたと思うんす」

「・・・・・・ショウゼツさんは?」

つい、口を挟んでしまう。さっきまで安心感のあった大きな体が、私に覆いかぶさってくるかと思うほど暗くて、少し怖い。

でも、人間ではない赤い目に緑の髪をした彼を、見続けた。彼はふっと諦めたように息を漏らした。それがため息なのか、笑い声なのかは分からなかった。

「・・・・・・俺は、たまにっすかね。人間のために除怨してんのに、人間に忘れられたら死ぬなんて、そんな理不尽な話あるか!って」

何と言ったらいいのかわからないけど、今のショウゼツさんはすごく、人間っぽかった。

人間を助けているのに、人間から忘れられたら死んでしまって、さらに人間には本来見えない存在だなんて、なんの見返りもない慈善活動のようだ。でも、それに嫌気が差すのは、私には決しておかしくないことだと思う。その感覚は、人間も式神も同じでいい。

「・・・・・・見えないものって、人間はそもそも見えないし、見ようともしてないんだと思います。だって、見る必要がないから。でも、それって寂しいですよね」

「・・・・・・どういうことっすか?」

ショウゼツさんが赤い目に戸惑いの色を浮かべている。彼はきっと自分自身の存在について語っているのだろうけど、私はそれを、自分の表情に置き換えてしまっているから、話がすれ違ってしまうかもしれない。それでも私は、『見える』という言葉に何回も苦しめられてきた。そこにあっても見えない悲しみは、どんな言葉でも表現できない。

「『見える』に限った話ではないですけど、存在しないものを信じられるって、すごく勇気がいることだと思うんです。だって、周りとは違うことを主張しているから、傍から見たらただの変な人です。で、自分も変な人だと思われたくないから、変な人とは距離を置いて、仲間外れにするんです」


一旦言葉を区切って、黙ったままの彼を見る。

ショウゼツさんは私を真剣な目で見つめ、続きを促すようにこくりと頷いた。窓の向こうから、ダンス部が中庭でパフォーマンスをしているらしく、低音が響く音楽が聞こえてくる。

「・・・・・・そんな中、変な自分を信じて、仲間になろうとしてくれたり、歩み寄ってくれる人は、きっと、周りに迎合することより、別の何かを信じられる、強い人なんだと思います。だから、見えないものを信じないし、信じようともしない人も、理解しようとしない人は、可哀そうだって思います。目に見えることだけが正しいとは限らないのに」

「・・・・・・夕陽さんって、たまに哲学みたいなこと言うっすよね。俺にはちょっと小難しかったっすけど、とにかく、夕陽さんは、見えないはずの俺たちを信じてくれてる存在、ってことでいいんすかね?」

「もちろんです。ショウゼツさんだって、表情が変わらない私の感情を、汲み取ろうとしてくれるじゃないですか。私は、目に見えないことこそ、本当に大事なものが隠されてると思ってます。自分が見えないものだから、かもですけど」

ショウゼツさんはふっと笑うと、逞しい腕を持ち上げて、ぐーっと背伸びをした。そして、あ、と言う顔をしたかと思えば、ささっと私の方に近づいてきて、保護するように腕を伸ばす。

「傍にいとかないと、また夕陽さんはさらわれちゃうっすからね。特に力の弱い俺が傍にいる時なんて、恰好の餌食っすよ。ほら、教室行きましょ」

「そんなことないです。とっても心強いですよ」

私をエスコートするように、彼は隣で手を差し伸べつつ階段を上ってくれる。教室に向かう景色は、少し減ってきたお客さんが楽しそうに笑っていたり、壁に貼られた折り紙を男女のペアが笑いながら剥がしていたり、青春が詰まっているように見えた。

ふとポケットに振動が走り、スマホを見ると、レイちゃんからペアの変更のあみだくじが来ていた。見ると、また私とショウゼツさんがペアだったので、顔を見合わせる。すぐ教室に着いたので、もう集まっていたレイちゃんと瀬名高君の傍に行った。

「二人とも、遅くなってごめんね」

「ねえ聞いてよ夕陽ちゃん!!タンギンったら、美術部の似顔絵会で横でぐーすか寝てんの!熊田さん苦笑いしてたよ!?」

「ご、ごめんね、うちのタンギンが」

「なんか犬みたいっすね」

「ああ!?今なんつった!?仕方ねえだろ、じっとしてんのも一苦労なんだよ!」

「しかし、バンシキは和服がとても似合うね!演劇部の衣装試着会で着た袴は誰よりも似合っていたよ!これは、世間に袴ブームが来る予感がするね」

「・・・・・・光も、スーツ、似合っていた」

「え、瀬名高君、スーツ着たの?」

思わず反応してしまうと、二人がくるっと振り返って目が合った。口を挟んでしまった、と後悔するよりも前に、瀬名高君が前のめりで目をキラキラさせながら私に話しかけてくる。

「そうなんだよ!僕のスーツもこの上なく様になっていたが、バンシキの袴がとても美しかったんだ!隣にいた女子なんて、連絡先を聞きたがっていたよ。バンシキは携帯は持っていないのにね」

「そ、そうなんだ。私も二人の姿、見たかったな」

三人でにこにこしていると、レイちゃんがまだ組んでないペアと組もう、と提案してきた。そうなると、私はバンシキさん、レイちゃんはショウゼツさん、瀬名高君はタンギン、と言うことになる。時計を見るともう15時近くだったので、出し物を回るというよりかは、教室の出し物の片付けがメインになる。レイちゃんは頬を膨らませていたけど、瀬名高君はげっそりとしたタンギンに向かって豪快に笑っていた。

「夕陽ちゃんと出し物回りたかったなー。あー、ほんとに早く寝とくんだった」

「そうっすよ。これからは健康面にビシバシ指導していくっすからね」

「お、お手柔らかに・・・・・・」

「はっはっは!タンギン、僕は前々から君とこうして二人で話し合いたいと思っていたんだ!よろしく頼む!!」

「・・・・・・うるせえ。俺もう帰る」

「待ってくれたまえ!!」


幸い、みんながあらかた片付けを終えてくれていたのと、やっぱり夕方の花火の準備をしているのか、教室にはあまり人がいなかったので、式神たちがいても大騒ぎになることはなさそうだった。

私は横で立っているバンシキさんを見上げると、彼は優しくにこ、と笑った。彼といると、すごく落ち着く。昨日の廃絶の騒ぎや、今日の心のもやもやも晴れていくようで、癒しの能力を持っているというのも納得だ。

「よろしくお願いします、バンシキさん」

「・・・・・・椿。よろしく」

作業を分けた方が効率がいいだろうということで、レイちゃんとショウゼツさんは黒板を綺麗にする係、瀬名高君とタンギンはひたすら教室に置きっぱなしのごみをごみ捨て場まで運ぶ係、私とバンシキさんは隅にぐちゃぐちゃに置かれた、壁に貼りつけてあった黒い布を畳む係となった。

それぞれが作業を開始し始めた時、とんとん、と肩を叩かれる。見ると、バンシキさんが黒い布の端っこを私に差し出していた。声をかけてくれてもいいのにと思いつつ、私はそれを受け取って、バンシキさんが離れていく。布と同じくらい角が揃った藍色の髪がたなびき、いつ見ても綺麗だな、と思った。元から私も彼もべらべら喋るタイプではないので、ただひたすら二人で布を小さく折っていく。

「・・・・・・すまない」

「え?」

畳まれれば畳まれるほど二人の距離が縮まっていくので、彼は私が丁度隣に来たタイミングで口を開いた。眼を逸らしつつ、彼は腕の長さくらいまで縮まった布を私から受け取り、綺麗に折りたたんで床に置いた。タンギンや瀬名高君と違ってボリュームが小さいので、耳を傾ける。

「・・・・・・私は、喋りが上手い方ではない。椿を、退屈させてしまっていたら、申し訳ない」

「いえ、そんなことないです。私こそ、ずっと黙っていて、ごめんなさい」

それからまた、布を二人で持って畳んで、という作業に入ってしまう。レイちゃんたちの方からは何か言い合っていたり、笑い声が聞こえてきたり、楽しそうだ。普段聞き手側に回る私たちなので、話題を作り出そうとすることに慣れていない。気まずくはないけど、バンシキさんが気まずいんじゃないかと思って、私は口を開いた。

「・・・・・・バンシキさんは、さっき袴を着たんですよね。どうでした?」

「・・・・・・主が着ている所しか見てこなかったので、新鮮だった。意外と重かった」

「バンシキさんも、何千年前からいるんですよね」

伏し目だった彼の目が驚いたように見開かれる。私はさっき、ショウゼツさんから彼らの名前の由来を聞いたことを話した。バンシキさんは私の話を聞き終わると、ゆっくりと布を持ったままの腕を降ろした。そんなに長いわけでもないので、私は彼の手から布を受け取って小さく畳んでいく。やっぱり自分の腕だけじゃ足りなくて、床に置いて皺を伸ばした。

「・・・・・・私たちの名前の由来を人間に教えるのは、禁止事項ではなかっただろうか」

「え、そうなんですか?ショウゼツさん、スマホで検索してとまで教えてくれましたけど」

「・・・・・・覚えていない。私たちは、制約が多いから」

「そうなんですか?」

バンシキさんは教卓が載っている壇上に腰かけると、ぽんぽん、と隣を叩いた。座りながら布を畳もうとしているのだろうと思うけど、難しそうだ。私は彼の隣に座り、わーわーと言い争っているタンギンと瀬名高君を見た。傾きかけてきた日差しが本来照らすはずのない人物に影を作っていている光景を見るのも、今日が最後だ。別に、本当に最後ってわけではないんだけど、昨日ずっと実体のある彼らと一緒に過ごしていたから、急に存在が消えてしまうようでなんだか寂しい。

「・・・・・・私たちは、自分たちの存在について、しっかり知っているわけではない。だから、式神同士で情報の共有が必要だ。最近は、出来ないことの方が多いことが分かっている・・・・・・暗黙の了解もあって、何が禁止で何が禁止でないのか、たまに忘れてしまう」

バンシキさんは目を閉じて、布をつまんだ。情報の共有のために、毎月式神は会議を開いているのだろう。必要なことなのに、自分の主のために、ずっと廃絶のボスと対面したことを黙っていたのだから、バンシキさんは相当瀬名高君を守りたかったのだろう。

そう思うと、バンシキさんは私が永遠さんの傍にいた時から、彼がボスと分かっていたのだろうか。いや、ボスは『本物の永遠』と言っていたし、その時は、彼自身が永遠さんの見た目だったのかも分からない。しかし、全ての式神と主の前でそのことを罪に問われていた彼に、その話を掘り返すのも気が引ける。私が黙りこくっていると、バンシキさんが顔を傾けて視界に映り込んできた。なんだか猫のようだなと、ふと気が緩む。

「・・・・・・椿。すまない。会話をしにくい話題だっただろうか」

「いいえ・・・・・・」

「おい底なし元気馬鹿、そのごみはここに乗っけてけよ!途中で台車から落とされたってこっちが困んだよ!」

「はっは、すまない!恩に着るよ、タンギン!流石、君は頭の回転が速いね!」

「頭の回転なんてもんでもなんでもねえだろ!ほら、これで終いにすんぞ!ったく、なんでわざわざ実体化してんのに雑用に付き合わされねえといけねんだよ!」

「いやはや、助かるよ、タンギン!君とこうして行動を共にできて、とても嬉しいよ!普段は話せないことも、今なら言えそうだね!さあ、言ってみたまえ!」

「おい盤渉!!そこ代われ!お前の主、俺じゃ扱いきれねえ!!」

わーわー言いつつも、台車に山盛りのごみや段ボールを積んで教室から出ていく二人に、私とバンシキさんは揃って手を振って見送る。

昨日、偽物の永遠さんに襲われた時に真っ先に頭に浮かんだ彼らの後姿をぼうっと見ていると、バンシキさんは立ち上がってまた布を畳み始めていた。私も急いで片方の端と端を持って、彼の角と合わせる。タンギンより背の高い彼は手も大きくて、手がすっぽり覆われてしまいそうだ。

顔を上げると、バンシキさんは楽しそうに話しながらチョークを消しているレイちゃんとショウゼツさんを見つめていた。背が小さいレイちゃんがジャンプして上の方を消そうとするけど届かなくて、ショウゼツさんが代わりに消している。そんな彼に負けじと跳ねる彼女に、彼もジャンプしてさらに上を叩くと、黒板消しに付いた粉がぶわっと舞って、レイちゃんが咳き込み、二人笑い合っている。まるでカップルのような姿に、私も視線を取られつつ、表情が変わらないバンシキさんの感情が読めなくて、私は彼の学ランを引っ張った。

「・・・・・・すまない。ぼうっとしていた。椿、何かあったか?」

「えっと・・・・・バンシキさん。バンシキさんって、人間のこと、どう思いますか?」

「・・・・・・」

無表情からでも伝わる彼の戸惑いの感情に、私は慌てて手を振って否定する。言い方を間違えてしまったかもしれない。今、何を考えて、レイちゃんとショウゼツさんを見ているのか気になっただけだ。それが、今日のショウゼツさんとの話も相まって、よく分からない質問をしてしまった。

おろおろしている私に、彼はちょっと頬を緩ませて、布を持っていた私の手ごと包み込んだ。

ハッと顔を上げるけど、彼は何も感じていない様子で私を見つめ返してくる。透明な瞳が私の邪念を反射してきて、真顔の自分への嫌悪がさらに沸き上がってきた。

「人間のことは、よく分からない。でも、椿と光、碁色のことは、大切に思っている」

「・・・・・・あ、ありがとうございます。ちょっと、距離が近いかもしれないです」

「・・・・・・そうか。すまない、私はちょっと変わっているらしいから」

「それ、誰から言われたんですか?」

「・・・・・・断金からは、常に言われている。その他にも、勝絶や、神仙からも。光からは、言われたことがない」

黒い布を私の手から抜き取ると、彼は器用に四角に畳んで、まだ畳んでいない最後の布を持ち上げた。これが一番大きな布らしく、背の高い彼が持ち上げてもだぼだぼと床についているので、私はしゃがんでなんとか端を探す。

「・・・・・・椿は、断金のことをどう思う?」

「えっと・・・・・・ちょっと短気だけど、私の傍にいてくれる、大切な存在です」

「そうか・・・・・・じゃあ、光のことはどう思う?」

「え!?」

淡々と零す彼の問いに、私はつい言葉に詰まってしまう。

別に、言葉にするのが難しいわけでもない。瀬名高君はいい人だ。明るくて、みんなに優しくて、面白くて、私の表情を分かってくれる人。そう思うと、タンギンと同じくらい大切な人だ。でも、どう思う、と改めて聞かれたら、口から言葉が出てこない。

「えっと・・・・・・」

「少し、質問が難しかっただろうか。じゃあ・・・・・光のことは、好きだろうか?」

「え!っと・・・・・・」

ぼっと顔が熱くなり、思わず布を落としてしまう。大きな声が出てしまったからか、ん?と黒板の前にいたレイちゃんたちがこちらを振り返る。私は急いで布を拾い上げると、もう角か分からない布の端をバンシキさんに押し付けた。なんてことを聞いてくれるんだ。

「ば、バンシキさんは瀬名高君のこと、好きですか?」

「・・・・・・ああ。主としても、人間という存在としても、好ましく思っている」

「そ、それは、恋愛的な意味ですか?」

「・・・・・・私は、恋愛をしたことがないから、分からない」

「式神って、人間を好きになったりするんですか?あるいは、式神同士とか・・・・・・」

ずっと頭の上にはてなを浮かべていた彼は、ぴたっと動きを止めると、次の瞬間、私の視界を真っ黒に埋め尽くした。

「わっ!」

体の感覚的に、バンシキさんが持っていた大きな布を私の上に被せたのだろう。彼なりのおふざけのつもりなのかもしれない。意図が分からず戸惑いもあるけど、聞こえてきた騒がしい二人の声に、私は丁度良かったと布を深く被り直した。今、顔色を見られると気まずい。

「おい、元気馬鹿!!なんで袋が破けそうなのが分かってるんに投げんだよ!!ぶちまけられた中身拾うん、くそめんどさかっただろうが!!!」

「はははっ、すまない!あそこまで散らばるとは思わなかったね!いや、色紙が舞う様子は実に綺麗だったね!」

「あー、くそ。もう疲れた・・・・・・って、夕陽はどこだよ。もしかしてこれか?」

「た、タンギン」

文句たらたらの彼が近づいてくる音がして、私は視界が真っ暗な中後ずさる。昨日も布を被っていたし、最近暗い視界の中でも動けるようになってきた。今は、タンギンはいいけど、瀬名高君の顔を見るのが恥ずかしい。

「なんだこいつ、布がそんなに恋しくなったのか?あほみてえだからやめとめや」

「・・・・・・私が被せた」

「はあ??何してんだお前。俺らがせっせと労働に勤しんでる間に、なにいちゃついてやがんだ!!」

「・・・・・・すまない」

「まあまあ、いいじゃないか!バンシキも椿君と長く話す機会もなかったし、親睦が深まった、ということで!なあ、椿君!」

「あ、うん」

「ん?もしかしてそうでもないかい?」

瀬名高君の声が近づく度に、つい足が後ろへと下がってしまう。このままだと転びそうだなと、自分の今までの鈍くささを思い出し、布を上へと持ち上げた。


「・・・・・・光。光は、椿のことをどう思う?」

「へ?」

「はあ?」

視界が明るくなっていく中、大真面目な顔でバンシキさんが質問し、瀬名高君とタンギンがポカンと口を開けているのが見える。私もきっと同じ顔をしていただろう。質問の意図を理解し始めたのか、段々と瀬名高君も顔色が赤く染まり始める。私は彼と同じようになった顔を隠そうと、再び布へと戻ろうとした時、がしっと腕を掴まれた。

見ると、タンギンが慌てるでも恥ずかしがるでもなく、すごく不機嫌な顔でこちらを覗き込んできた。美人の真顔は怖いと言うが、彼の顔は美しく、冷たかった。

「・・・・・・何話してたんだよ」

「た、タンギン。痛いよ」

「俺のいねえ所で」

「・・・・・ば、バンシキさんに、瀬名高君のこと、好き?って聞いてただけだよ」

「ば、バンシキ!また君は、突拍子もないというか、藪から棒というか、驚き桃の木山椒の木というか!」

「全部同じ意味だよ、馬鹿」

タンギンが大きな声でボケた瀬名高君にあきれ顔で突っ込み、私の手を離す。彼に握られた右の手首が、じんじんと痛む。

こんなに力が強かったなんて、それにあんな顔をするなんて、私は何か悪いことをしてしまっただろうか。瀬名高君のボケがなければ、あの後どうなっていたのだろうか。体がぞくぞくして、肩からかかった布を被り直す。横で瀬名高君が、目をぐるぐるしてしどろもどろになりながらあちこちを指さしていた。

「僕はもちろん、椿君のことを憎からず思っているさ!それは、バンシキ、君も同じだろう?」

「・・・・・・ああ」

「だろう!?もちろん僕は、バンシキ、君のことも、タンギンも、碁色君も、ショウゼツも、この世の人間をすべからく大事に思っているさ!僕はパンが嫌いな人以外は愛するよ!!」

「偏見がひどすぎるだろ・・・・・・はあ、盤渉、お前どうしたんだよ。急に」

「・・・・・・人間の存在について、考えていた」

「なに、お前どうした急に」

タンギンがバンシキさんに突っかかっていると、瀬名高君が式神の様子を見つつこちらに来た。

彼は、ひどい言い方をすると空気が読めなさそうなのに、意外と周りの機嫌に敏感だ。布を体から剥いで、私は彼を見る。どうした?と大きな目で聞いてきたので、分からない、と首を振った。

「椿君、一体バンシキと何を話したんだい?」

「えっと・・・・・・人間のことをどう思うかとか、瀬名高君が好きかどうかとか、かな」

「ふむ・・・・・・特段、変な会話をしていたわけではないんだね。じゃあ、さっきはタンギンの逆鱗に触れたことを言ったのかい?」

「言ってない、と思う・・・・・・バンシキさんが瀬名高君に、私のことをどう思うか聞いただけ、かな・・・・・・ちょっと、普段と違ったよね」

「ああ、タンギンはかなり怒っているように見えたからね・・・・・・もしかして、嫉妬しているんじゃないのかい?」

「嫉妬?誰に?」

瀬名高君を見上げると、彼はばちっと私と目が合い、片手で顔を抱えるようにして、ちょっと気まずそうに顔を逸らした。この行動だけなら悲しかっただろうけど、彼の頬がちょっと赤くなっているのが見えて、なんだかこっちまで緊張してしまう。

「それは・・・・・・バンシキか、僕にじゃないのかい。君が他の男の話をしているのが、気に食わなかった、とか」

「そんなの・・・・・・これから、瀬名高君を話題にだしたら、ああなるってことかな。除怨の協力とかクラスのこととか、絶対私の生活で瀬名高君の名前は出てくるよ」

「そ、それは嬉しいな。ただ、別にわだかまりってほどでもないが・・・・・・さっきの態度は、気になるからね。今日中に、彼とちょっと話し合ってみてもいいかもしれないね」

「う、うん・・・・・・あの、瀬名高君」

彼はん?と言った様子で、いつもの笑顔で答えてくれる。彼は、今日の夕方、何か予定があるのだろうか。誰と過ごすとかは、特に決まっていないのだろうか。

昨日と今日の学園祭、とても楽しかったけど、瀬名高君と回れていないのが唯一の心残りだ。お互い予定もあったし、ボスの襲来で式神とペアで行動する、というのも仕方ないけど、少しだけでもいいから、彼と何か思い出を残したい。もう出店はどのクラスも片付けてしまっただろうから、あとは、後夜祭の花火だけだ。

「どうしたんだい、椿君」

「え、えっとね。ゆ、夕方・・・・・・あ」

この単語を口に出して、思い出したことがある。そうだ、私は塩味君に、レイちゃんは千木良先輩に呼び出しがかかっているのだ。しかも、二人とも私がタイミングをセッティングしなければならない。そろそろ日も傾いてきたし、教室の窓からはキャンプファイヤーと花火の準備でわいわいと人の声が聞こえるし、準備をしなければならない。

「そう言えば、僕は呼び出しがかかっているんだった。同じ風紀委員の先輩らしいけど、あんな人、いたかな?」

「え」


一瞬、視界から色が消える。そう思えてしまうほど、世界が止まった。

「え、なにそれ瀬名高!!それって、絶対告白じゃん!!」

「お、碁色君!いやー、告白ではないだろう!僕はその人と面識がないんだよ?」

「でもさ、一目ぼれって場合もあるじゃん!良かったね瀬名高、モテ期が来て!」

「なんだよ、底なし馬鹿にモテ期だあ?」

「いいじゃないっすか、少年!青春っすよ!」

うっきうきの声が飛んできて、レイちゃんとショウゼツさんが近くに寄ってきていた。二人とも幸せそうで羨ましい。レイちゃんはもちろん、ショウゼツさんもきっと、レイちゃんのことが気になっているのだろう。式神と人間の恋愛は許されるのだろうか。でもこれから、レイちゃんには別の人の思いを受け止めれもらわなければならない。

というか、瀬名高君はこれから別の先輩と過ごすのだろうか。処理しきれず流してしまったけど、このタイミングでの呼び出しなんて、十中八九告白だろう。声をかけようにも、わっと盛り上がったこの空間では、口を出せなかった。

自分の手を見たら、小さく震えていた。胸に手を当てて、一呼吸置く。

とりあえず、レイちゃんに声をかけなければ、と彼女の元に行こうとすると、コンコン、と教室の扉がノックされる音がした。全員で振り返ると、丁度そこには、千木良先輩が立っていた。もう袴を脱いでブレザーを着た先輩は、いつも全校集会で見たことのある、普通の男子高校生だった。

「あの。君、碁色レイさん、だよね」

「え?私?そうですけど」

「ちょっと、話したいことがあって。今、時間、いいかな」

「え??あ、はい」

レイちゃんが頭に?を浮かべた状態で、先輩の元に近づく。先輩は私に軽く手を振って頭を下げると、レイちゃんと一緒にどこかに行ってしまった。先輩は、自分からレイちゃんを呼んだ。その勇気がすごくて、私は唖然としてしまった。

「え、今のって、絶対告白っすよね!?夕陽さん、どう思うっすか!?」

「え、えっと・・・・・・」

「碁色君は可憐な女性だからね!好感を得やすいのも納得だ!」

「好感?反感の間違いだろ」

「・・・・・・ちょっと、タンギン!?今、なんつった!?」

「うわ、こいつ、帰ってきやがった!!早く行け馬鹿!!」

私は教室の壁にかかった無機質な時計を見る。もう5時を回っていた。塩味君は、私のことを迎えに来てくれるのだろうか。それとも、ただのからかいだったのか。場所を指定していなかったのは、それ目的だったのかもしれない。だったら、もうなんでもいい。それより、瀬名高君だ。彼は、先輩の告白をOKするのだろうか。

「せ、瀬名高君」

「ん?」

「その、え。っと」

「ど、どうしたんだい、椿君」

「その。こ、告白、OKするの?」

「ああ、いやー、そうだね。何せ告白なんてされ慣れてないから、彼女の思いは受け止めるつもりではあるよ」

「そ、そっか・・・・・・」

胸につかえた思いが喉まで圧迫して、一番言いたいことが言えない。ふと顔を上げると、タンギンがさっきの冷たい顔をしてこちらを見ていた。何でそんな顔をするのか、と思っていると、彼は私の気持ちに気付いたのか、はあ、とため息を吐いて、言いたいことを言え、と瀬名高君を顎でしゃくった。私は頷いて、口を開く。行かないで、と、この5文字だけでいい。

その時だった。

ガラ、と教室の引き戸が開けられた音がする。振り返ると、そこには高身長のシルエットが、軽く息を切らしながら、私を見た瞬間、逆光でも分かるくらいに笑った。

「あ、いた!椿さん!」

「し、塩味君・・・・・・」

その屈託のない笑顔に心が跳ねつつ、私はそんな中でも、どうしても瀬名高君にかかった呼び出しが気になって、思わず彼の方向を見た。彼はやっぱり何もわかっていないようで、赤ちゃんみたいに純粋な笑顔でん?と返してくる。全くこの人はと思いつつも、私は扉の前の彼の方へと向かった。

彼は走って探してくれたのか、軽くおでこの汗を腕で拭っていた。申し訳なさが沸き上がり、私はタンギンがいつも持たせてくれている花札をハンカチから上手く引き抜いて、彼に渡した。

「ごめんね、探してもらっちゃったみたいで。これ良かったら使って」

「いやいや、呼び出したのは俺の方だし!つうか、いいの?俺、今日椿さんに麦茶ぶっかけたばっかりだけど」

「ふふ、確かに」

大きく笑う塩味君を見ていると、自分の感情を代弁してくれている気がして、気が楽になる。彼は遠慮がちにハンカチを受け取ると、そのままポケットに入れて、軽く首を傾けた。夕陽が差し込む窓大きく黒い枠を作り、幻想的な雰囲気が漂う。

「じゃあ、ちょこっと、一緒に来てもらってもいい?」

「う、うん」

彼は私を振り返らず、まっすぐ前に進み始めた。歩幅が大きい彼に付いていこうと、私も足を踏み出す。ふと、教室の中を見ると、瀬名高君が驚いた様子でこちらを見ているのだけは見えた。大きな瞳に黄緑の光が灯り、まるで彼も式神かと錯覚する。もっとじっくりと見たかったけど、なぜか流れ作業になってしまった。

彼は、私たちに起きていることを分かるのだろうか。でも鈍感だから、きっと気付かないだろう。塩味君についていく中、廊下で私を引き留める声がしたらいいのにななんて思うけど、現実は思い通りにはならなかった。諦めて前を歩く彼に走り足で追いつくと、階段の踊り場で急に塩味君がぐるりと振り返って、思わず追突してしまう。軽く背中を支えられて、私を上を見上げた。

「わ!ごめん、椿さん!」

「う、ううん。私こそ、突撃しちゃってごめんね」

「いやいや、全然衝撃なかったよ。椿さん、細いから。俺を押しても、多分びくともしないよ」

「あはは。細くはないけど、塩味君は頑丈そうだよね」

喋りつつ、階段を上がっていく。キャンプファイヤーのせいか、上に行くにつれて気温が暑くなっていっている気がする。彼は優しく笑い、顔を私の方に向けながら口を開いた。

「よく言われるけど、俺そんなに筋肉ないんだよね。筋肉付けたい所を重点的に筋トレしてる感じかな。無闇に鍛えても、体重くなるだけだし」

「そうなんだ。バスケって、脚力重要そうだよね。たくさん走ってるイメージ」

「そうなんだよ!流石椿さん、分かってるー」

「あはは、何それ」

軽い談笑をしていると、いつの間にか屋上の扉前まで来ていた。飛び降りの可能性があるから閉鎖されている屋上は、みんな青春の憧れの場所として、先生たちに開放するように抗議しているらしい。この時間帯だから誰かしらいるかと思っていたけど、しんとした空気と、空気に浮いた埃が夕陽に照らされて、空間に色がついて見える。

二人黙って、扉に付いている窓から見える屋上を見る。限られた枠の中からでも、結構な広さがあることが分かるので、床に寝っ転がって思いっきり伸びをしてみたい。

「あのさ。椿さん」

塩味君が改まって、私に向き合う。

心臓が跳ねて、私は彼をまっすぐ見ることができず、唇を噛んだ。なんとか体は彼に向ける。彼は首に手を当てて目を逸らしていた。これで告白じゃなかったら、とっても恥ずかしいと思ってしまうくらい、告白される空気だ。

「な、何?塩味君」

「・・・・・・こ、この前さ!応援来てくれたじゃん。星状とのやつ」

彼が咄嗟に思い出したように、パッと手を広げる。この前というか、私がまだ除怨をしたことがない時だから、結構前の頃だ。彼が話したいことはこれではないんだろうな、と私は彼を見上げた。

「う、うん。確か、私が転校してきて間もない頃だったよね」

「そうそう。そうだ、そう言えば椿さん、最初、俺のことしおあじ君って呼んでたよね。あれおもしろかったなー。思い返してみても笑い出てくるわ」

「そ、そんなこともあったね。あの時、塩味君って人気者なんだな、って実感したよ。応援の歓声、すごかったもんね」

「いや、あれは純粋に、同級生がいっぱい来てくれただけ。今年の夏も、いいとこまで行ったんだけどなー」

「大会があったの?」

「そう。うちはいつも全国行ってたんだけど、今年は行けなくてさ。来年の春は絶対行く、って監督が今から張り切ってるよ。おかげでいっつも、体のどこかしらが筋肉痛なの」

「大変だね。でも部活って、なんかいいよね。青春って感じで」

「はは、確かに。椿さんは、部活入らないの?運動部のマネージャーとか。うち来る?女マネージャー禁止だけど」

「禁止なの?なんで?」

「誰が付き合ってるだのなんだのあるとめんどいから、って監督が直々に断ってる。別に、いいと思うけどな」

塩味君は疲れたのか、しゃがんで屋上の扉にもたれかかった。私も同じ体勢を取ると、目線がいつもより合わせやすくなる。外からわー、と大きな歓声が聞こえる。きっと、キャンプファイヤーの火がともったのだろう。


「・・・・・・あのさ」

「・・・・・・うん」

「・・・・・・俺、椿さんのこと」

「・・・・・・」

「・・・・・・す、すごく、綺麗だなって」

思わぬ『す』だったけど、純粋に綺麗と言われたことが嬉しくて、顔が段々熱くなっていく。お世辞にしても、こんなに照れながら言われると、本気だと思ってしまう。何か返さないとと口を開くけど、何も出てこない。彼はこちらを伺うようにちらりと見た。扉で影になった顔でもわかるくらい、彼の顔は赤かった。

「・・・・・・まず、美人だし。いつもクールかと思ったら、突然結構毒を吐くから、見てておもしろくてさ。あと、他人を気遣える優しさもあるし」

「・・・・・・あ、ありがとう。私、そんな褒めてもらえる人間じゃないよ」

「いや、椿さんは美人だし優しいし、面白いよ」

力強い彼の断言に、顔を上げる。彼はまっすぐ私を見ていた。どうしたらいいのか分からず、ただ彼の切れ長の目を見つめ返す。

「俺、椿さんのこと、結構、好き、かも」


改めて言われた言葉に、私は自分の顔が赤くなってると言い切れるほど、顔が火照っていくのが分かった。

心臓がうるさくて、目から出そうだ。いたたまれなくて、顔を抑える。手も熱いので冷やしにはならないけど、それでも、前を見ていられない。

人に、初めて面と向かって好きと言われた。顔をゆっくり上げると、彼の真剣な目がこちらに向いていて、思わずまた顔を下に下げてしまう。すると、ゆっくりと彼の手が伸びてきたのが見えて、反射的に顔を上げた。

「・・・・・・俺、本気だから」

頬に触れそうになったところで、ぴたり、と止まり、彼は手を引っ込めた。どうして彼は手を引いたのだろうか。あのまま触られていたら、どうなっていたのだろうか。驚きで動けなかった私は、ハッとして顔を下に向けた。返す言葉が見つからなくて、声を絞り出す。

「・・・・・・私、塩味君が思ってるほど、いい人じゃないよ」

「椿さんはいい人だよ。それに、そんなの、これから知っていけばいいだけの話じゃん」

「面白い話も出来ないよ。暗いし、変わってるって言われるし」

「たまにする会話が面白いし、暗くなんてないよ。俺、落ち着いてる人の方が好きだし」

「それに・・・・・・顔だって、変わらないし」

「別に、なんとも思わないよ。クールで素敵じゃん」

自分への嫌悪の言葉が、全て誉め言葉で返ってくる。

私は火照る顔を抑え、塩味君を見ようと顔を上げた。彼は私をまっすぐ見つつ、少し悲しそうに笑っていた。窓から入る夕陽の光が彼の顔に影を作る。

「でもさ。椿さん、きっと好きな人がいるでしょ。勝ち目、ないよね。見てて分かるもん。さっきだって、一緒にいたでしょ?」

「だ、誰のこと?」

「瀬名高。好きな人の好きな人なんて、見てれば分かるよ」

彼はそう言って、はあ、とため息を吐き、手を後ろに突いた。顔は笑っているけど、私の答えを待たずとも、結果は分かっているようなそぶりだ。

「俺が言うのもなんだけどさ、瀬名高ってはっきり好きって言わないと分からないと思うよ。あいつ、鈍感だし。ちょっと変わってるけど、いい奴なんだよなー」

告白なんてされたことないから、こういう時になんて返せばいいのか分からない。心がぐるぐるして、胸がドキドキする。正直、とても嬉しい。表情が変わらない私を気持ち悪がるどころか、普通に接してくれて、好きとまで言ってくれるなんて。

ただ、休みの日に、隣に誰がいたら嬉しいかを考える。

部屋を掃除して、洗濯物を干して、ご飯を買いに行くがてらお散歩する日々に、隣にいて笑いあいたいのは。

ふと、金髪が頭をよぎる。

自分でも驚く。想像した光景に、不意に紛れてきた存在に、私は胸を抑えた。今のは、条件が彼に合いすぎてるから、彼が想像できたのだろう。そうだ、きっとそうだ。

「椿さん?」

「あ、ご、ごめんね。ちょっとぼんやりしちゃった。ほら、私こういうとこあるんだ・・・・・こんな変なところも、いいって、言ってくれるの?」

遠慮がちに聞いた質問に、塩味君は優しく笑って頷いた。きっと、今でなかったら、私は彼の告白を受け入れていただろう。

「もちろん」

「・・・・・・そっか」

「・・・・・・椿さん。いいんだ。結果は分かってるから。たださ、はっきりと言ってほしいんだ。ごめんって」

ハッとして顔を上げると、彼は今にも泣きそうな顔をして、無理に口角を上げていた。ぎゅっと太い腕を握り、痛みへの準備をしているようだ。いつも明るくて笑っている彼にこんな顔をさせているのは、私だ。私のせいだ。

私まで泣きそうになり、ぎゅっと拳を握る。彼の気持ちに応えられないのであれば、せめて、誠意を伝えなければ。

「・・・・・・し、塩味君。こんな変な私を、好きになってくれて、ありがとう。でもね・・・・・・私、他に好きな人がいるの。だから・・・・・・ごめんね」

「・・・・・・うん」


夕陽が山に隠れ、暗さが屋上前の踊り場を埋めていく。消え入りそうな彼の声に、私は胸を抑えた。

告白を、断った。

せっかくこんな自分を好きと言ってくれたのに。これで本当に良かったのか、と自分の中で、もやもやが溢れかえる。

でも、私は嘘は吐けない。ただでさえ嫌いな自分が、もっと嫌いになってしまうし、まっすぐ気持ちを伝えてくれた塩味君に失礼だ。人なんて簡単に気持ちに嘘を吐くけど、私は表情が嘘吐きだからこそ、言葉は正直でありたい。

「塩味君。私ね、転校してくる前、ずっといじめられてたんだ」

「え?」

塩味君がぱっと顔を上げる。その勢いで零れた涙の粒を、私は見逃せなかった。

「・・・・・・私、顔が変わらないでしょ?嬉しくても笑えないし、悲しくても泣けない。それが、気持ち悪がられて。小学校も中学校も、ずっと独りぼっちだった。仲良くしてくれたのは、近所のお兄さんだけ。両親もいなかったから叔母さんたちのとこで暮らしてたけど、中三の時、追い出されちゃった」

「・・・・・・だから、ここに越してきたの?」

「うん。その優しいお兄さんが、この雨宿町をおすすめしてくれて。ほんとに私、ここに引っ越してきてから、毎日が楽しいよ。こうして変な私とお話ししてくれて、それだけで本当に嬉しいの」

「つ、椿さんは変なんかじゃないよ!」

塩味君の手が、私の手を包み込む。すっかり冷え切った大きな手に、私の体温が乗り移っていく。手を置いている太ももがすごくくすぐったいけど、私のそのまま、彼の手を握り返した。

「・・・・・・その言葉が、どれだけ嬉しいか。ありがとう、塩味君」

「・・・・・・やっぱり、俺じゃだめかな。椿さんの隣には、いられないかな」

「それは・・・・・・隣には、いてほしいよ。毎日、一緒に授業を受けて、ご飯を食べて、なんでもない話をしたいよ。ただ・・・・・・これは、塩味君が求めている関係とは、また違うと思う」

「・・・・・・はは、そうだね。俺は椿さんと、ずっと一緒にいたいんだから」

「・・・・・・そんなに、私と一緒にいたいの?塩味君の記憶に、残ってるかな」

「俺の中では結構一緒にいたんだけどな。あと、普通にタイプなんだよね」

塩味君は寂しそうに眉を下げて笑うと、私の手をぎゅっと握った。彼のシャツが、私に覆いかぶさってくる。何が起きているか分からないうちに、背中にぎゅっと腕を回される感覚がして、思考が停止した。

「ごめん。クラスでは、普通に話して。でもほんとにさ、結構好きだから。椿さんが嫌って言わない限り、好きでい続けていい?」

「・・・・・・う、うん」

「ありがとう。またね」

塩味君の手が離れ、いつもの制汗剤の香りが離れていく。彼はクシャッと笑って、手を振って階段を下りていった。



彼が消えた空間を、ぼんやりと見つめる。背中に大きな手の感覚が残って、思わず自分で擦った。

永遠さんとタンギン以外に、男の人に抱きしめられたのは初めてだった。多分、お父さんとかもあるんだろうけど、記憶がない。


「・・・・・・告白ごっこは終わったか?」

「なっ、タンギン!?」

「はーあ、いつまで経っても戻ってこねえから何してんだと思えば、あの高身長野郎に告白されてやがるとはな。ま、お前のことちらちら見てたし、納得だわ」

「・・・・・・今のやり取り、ずっと見てたの?」

「だーから、しばらくは教室で待ってやってたんだっつうの。積もる話があるっぽかったから、気ぃきかせてやったんだよ。廃絶がどこから襲ってくるか分かんねえから、離れたくなかったのによ」

タンギンははああ、とどでかいため息を吐いて頭を乱暴に掻く。暗闇でも分かる綺麗な金髪に、私は透けた彼の足元を見た。離れたくなかった、の言葉が、今では違う意味合いに聞こえてしまう。隣にいてほしいというか、隣にいなければならない存在に、私はゆっくりと立ち上がった。

「タンギン」

「あ?なんだよ。ったく、お前は本当に手のかかる・・・・・・」

「実体化、してもらっていい?」

「はあ?んでだよ!昨日と今日で力使いすぎて、へとへとだっつうの!つうか、てめえがろくに飯食わねえからだろうが!!ほら、校庭でキャンプファイヤーの横にアイスあるから、そこ行って」

「ぎゅって、してほしい」


私の言葉に、タンギンが起こった顔をしたまま呆然とする。

恥ずかしいことを言っているのは分かってる。塩味君に抱きしめられたのが嫌だったから、上書きしたい、なんてことではない。

でも、タンギンからの、証が欲しかった。彼は隣にいなければならないと思っていたとしても、私は彼の隣にいたい。日常を想像して、必ず傍にいるのは彼だ。式神だろうが何だろうが、好きとか嫌いとかではなくて、傍にいたい。今は、それを肌で感じたい。

「・・・・・・お前、本当に変な奴だな。俺は式神だぞ?人間じゃねえんだぞ」

「・・・・・・知ってる。知ってるよ。でも、タンギンに、触りたいの」

「・・・・・・」

沈黙が返ってきて、私は恥ずかしくて顔を下げた。

暗くて、透けている彼の足元はおろか、ジャケットすら見えない。なんでこんなことを言ってしまったのだろう、と後悔が押し寄せてくる。タンギンを困らせてしまった。撤回して、早くみんなの元に合流しよう。そうだ、レイちゃんと瀬名高君はどうなっただろう。瀬名高君は、告白をOKしたのだろうか。

彼も、別の人の隣に行ってしまうのだろうか。


すると、ぎゅっと、力強く体が何かに引き寄せられる。耳に、雫型の冷たいなにかが当たる感触がする。ほんのりとお香の香りがする服は、いつも見ている、真っ白なジャケットだった。

「・・・・・・タンギン」

「・・・・・・んだよ。餓鬼みてえな言い方しやがって。ぎゅっと、じゃねえよ。もう少し色っぽく誘えや」

「そ、そんなこと言ったって、どういったらいいのか分からない」

「はいはい、お前は餓鬼だからな。色本でも読んで、勉強して来いや」

「やっぱりタンギン、使う言葉が昔の人すぎ」

「はあああ!?なんつった今!?」

「ちょっと、耳元で怒鳴らないで」

この間も、タンギンは私を抱きしめる腕を緩めなかった。本当の人間のように、背中と腰に回った手が、安心させるようにしっかりと私を支えてくれている。

私も目を閉じて、彼の背中に腕を回した。冷たくて薄い背中の感覚に顔を埋めて、さざ波だった感情を沈めていく。

「ねえ、タンギン」

「なんだよ。もう離していいか?疲れたんだよ」

「もし、お父さんとお母さんがいたら。もし、私が普通に笑えていたら。私は、こうやって誰かにぎゅってされていたのかな」

「・・・・・・」

タンギンはしばらく黙った後、突然ぎゅうっと私の背中に回していた腕の力を強めた。急な圧迫に、軽く咳き込む。

「ごほっ、タンギン?」

「・・・・・・変なこと言ってんじゃねえよ。お前、誰にも彼にもこういうこと言ってんじゃねえだろうな」

「い、言わないよ。タンギンだから、言ってるんだよ」

「・・・・・・これからは、いつでも俺がしてやるよ」

「え?」

「ほら、来たぞ」

耳元でぽつりと告げられた言葉を処理する前に、パッと体を離されて、床にへたり込んでしまう。とんとん、と足音が聞こえて、階段を見ると、そこには瀬名高君がこちらを見上げていた。タンギンと違い、ぱあっと明るく笑って、ぼんやりと差し込む光に影を作って、こちらに来る。私の元まで登った彼は、目線を合わせてしゃがみこんだ。

「椿君!!探したよ。君はすぐどこかに行ってしまうから困るな。でも、それも君が人気者の証拠なのかもしれないね?さながら君は月夜の光を受けて暗闇を照らす、鮮やかな蝶のようだ!!」

「うるせえなあ。なんか逆に安心だわ。お前はいつも通りみてえだな」

「おや、タンギン!って、もう実体化を解いてしまったのかい?君と学園祭を回れて、本当に楽しかったよ。君が優しく、思慮深く、相手のことを考えられる人だと知れて、良かった!」

「もーー、ほんとにこいつは・・・・・・おい、盤渉。いるんだろ、出て来いよ」

すうっと幽霊のように瀬名高君の後ろから出てきたバンシキさんは、彼らのやり取りを微笑して見守っている。

いつも通りのやり取りに、私も立ち上がって混ざろうとした。もう、背中のぞわぞわは消えている。タンギンの腕の感覚が、くすぐったいというより、とても安心できた。

私は、彼のことが本当に大切なのだ。


・・・・・・塩味君のことを断った時、他に好きな人がいると伝えた。でも、その人は、私は誰を思い浮かべていったのだろう。タンギンだろうか。瀬名高君だろうか。それとも。


「夕陽ちゃーーーーん!!!ねえねえ聞いてよ、私告白されちゃったーーーー!!」

「れ、レイちゃん」

いつの間にか階段を上って来たのか、体に打撃が走る。レイちゃんが興奮冷めやらぬと言った様子で私に突進して、目をきらきらさせながら私の上に乗っかっていた。ショウゼツさんがこころなしか晴れやかな顔で、ちょっと眉根を寄せて後ろに付いてきている。レイちゃんの楽しそうな顔に、ほっと安心感が体に満ちる。もやもやが吹き飛ばされて、ちょっとほっとした。

「おや、いつの間にか全員集合だね?じゃあ、さっそくだから、行こうか!後夜祭へ!!」

瀬名高君の掛け声に、みんなが手を掲げる。まだまだ、色濃い学園祭は終わらなそうだった。



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