23.修学旅行最終日
2泊3日の修学旅行もとうとう最終日となり、私たちはお笑いと活気の都市、珈木県にやって来た。午後にはもう帰る準備をしなくてはならないので、今からの行動は主に食べ歩きがメインになる。
昨日に引き続きよく眠れなかった私は、ふらふらな足取りでレイちゃんの後ろに付いていった。基本班のメンバーで固まるので、後ろにはにやにやを隠そうと唇を噛んでいる熊田さんと、にやにやを隠そうともせずに必死にペンを走らせている利田さんがいる。二人の視線の理由は、横に、明らかに私たちに話しかけたそうに顔をしかめ、目を泳がせている台心先生がいるからだ。本来なら主任である彼がクラスの先頭に立って引率をするのだろうが、彼は初日にバス酔いで後ろの列に並んでいたので、なんとなくその流れで副担任の先生が引き続き前を歩いている。そんな適当でいいのだろうかと先生を見やると、彼はこちらに並んできた。レイちゃんの方を指さしてきたので、私はレイちゃんの肩を叩いてこちらに呼び寄せる。
「何、台心。あの後、甘楽君を無事に送り届けた?」
「ああ、まあ。あと、こんな手紙を預かってて・・・・・・碁色。くれぐれも、甘楽に変なことを吹き込まないでくれよ。もう考えただけで胃が痛い・・・・・・」
先生は水色のワイシャツの上から胃を擦っている。よく見ると目元にくっきりと隈が出来ていた。話によると、昨日の夜、男子部屋で遅くまでカードゲームに付き合わされて、鈴木先生に台心先生もろとも怒られていたらしい。廊下まで響く説教の声にレイちゃんと部屋から覗き見た時、彼らが廊下で背中を丸めている様子に、彼女は爆笑して写真を撮っていたのを覚えている。
「変なことって何よ。甘楽君真面目そうだし、台心の適当さを見習って、って伝えといて」
レイちゃんは先生から手紙を受け取ると、その場ですぐ開けた。途端にふっと笑みが零れている。その表情から書いてある内容が想像できて、微笑ましい思いでいっぱいになる。
「あと、椿。なんか甘楽がお前に謝っておいてほしいって。仲間を悪く言ってごめん、って。ごめんな、甘楽はちょっと言い方に棘があるから、誤解されることが多いんだけど・・・・・何言ったかは分からないけど、根は優しい奴だから、許してやってくれ」
台心先生が気まずそうにこちらを見て、きちんと頭を下げてくれる。こういう所はやっぱり大人だ。私は手を振って否定した。こんなつもりじゃなかったし、台心先生は悪くない。それに、あの時の甘楽君の表情から、彼がすごく後悔しているのが見て取れたので、そんなに怒ってはない。
「頭を上げてください、先生。甘楽君が優しい子だって言うのは、もう分かってますから。それに、先生は悪くないです」
「俺の身内のことだからな。まあ、なんだ、碁色を筆頭として甘楽と仲良さそうだし、これからもよろしくやってくれると嬉しい」
先生はそう言って笑った。途端に周りから黄色い歓声が上がる。私は頷いて、この際だから先生にそうやって私に笑いかけるとまた目を付けられるから控えてほしい旨を伝えた。さっきから美依ちゃんがちらちらこちらを見てきて気まずいのだ。さらに、熊田さんと利田さんもノートにペンを走らせているし、レイちゃんもこちらを見て呆れているし、台心先生といると人の目が怖い。
「そ、そうか。迷惑なら控えることにするわ。なんかごめんな」
「いえ、そうじゃなくて。気持ちは嬉しいんですけど、その、先生はモテるから、変に注目されるとちょっと・・・・・・」
「でも、個人で話さないといけないこともあるし・・・・・・」
先生が一瞬顔を曇らせる。それは、私に生徒と噂されることを憂いている目でも、面倒ごとに関わりたくない目でもなく、私に対しての憐れみの色が見えた。私はどう返していいのか分からず黙っていると、レイちゃんが海老反りでこちらに話しかけてきた。この空気から助け出してくれるのはすごくありがたい。
「ねえねえ、甘楽君可愛いとこあるじゃん!友達の作り方教えてほしい、だって!なんだよー、つんつんしてる癖に、やっぱり中学生なんだなー」
「そ、そんなことが書いてあったんだね。私も、教えてほしいな。レイちゃん友達いっぱいいるから」
「そんなことないよー、私だって小学生の頃は友達いなかったし・・・・・・はは、式神と話せるって言ってハブられて以来、人に嫌われないために話術を身に着けた日々が懐かしいわ・・・・・・」
「れ、レイちゃん・・・・・・なんか、ごめんね」
全体的に重苦しい空気のまま進んでいくと、副担任の先生が足を止めたのか、列が止まった。どうやら今から2時間ほど、自由行動でこの珈木商店街を観光できるらしい。食べ歩きやお土産など、最終日で思い残すことのないように、と先生が声を張っていた。本来の主担任は気まずそうに口をつぐんでいる。
「ではー、2時間後にここに戻って来てねー。はい、解散」
「よし、タコ焼き食べに行こうぜ!」
「あれ、鬱岐限定のお土産、ここでも売ってる!」
「近くに映えスポットあるよね、そこ行こ!」
みんなが自由に解散する中、私はレイちゃんと一緒に一旦ご飯を食べて、その後にお土産を見ることにした。この商店街は全国でも有名で、異常に大きくて派手なオブジェがお店の看板に付いていたり、お店の人が入り口で呼び込みをしていたりと、活気が溢れている。観光客が多いので、流されてしまうとみんなと合流しにくくなってしまう。私はレイちゃんと手を繋ぎ、ひとまず食べ歩きのお店が並んだ道沿いの、端っこのたこ焼き屋さんに並んだ。
「ほんっとーにここ、人が多いね。こんなんでクラスのみんなと合流できんのかな」
「ね。私人込みあんまり得意じゃないから、ふらふらしちゃう」
「そう言えば夕陽ちゃん、隈すごくない?昨日眠れなかった?」
レイちゃんが心配そうにこちらを見てくる。昨日シンセンさんたちに会ったこともドキドキしたけど、何より一番印象が強かったのが、森林君がマスクを取って、しかもその舌にはピアスが2つも付いていたことだ。正直、いつも授業の合間は静かに寝ていて、話しかけられても一言しか返さなくて、チャラい人が嫌いそうで、現に声が大きめのレイちゃんを嫌っている彼が、まさかあんなにトリッキーな人だったとは思わなかった。何なら今年一番びっくりしたかもしれない。おそらく私しか知らないであろうこの重い情報をどうしたらいいのか分からず、さらに彼がどうして私にその情報を寄越してきたのか真意も読めず、昨日は浅い睡眠を繰り返すうちに朝が来てしまった。私の健康状態はタンギンにも影響してしまうので、昨日とは違いふらふらな彼が怒ってくるかなと思ったけど、「いや、仕方ねえ。昨日は色々ありすぎた」と同情してくれた。タンギンらしからぬ優しさに心が救われつつも、なぜか森林君の新情報にタンギンがダメージを受けていて、ちょっとその様子が面白かった。
「昨日はシンセンと会ったり、山登りしたり、大変だったもんね。結局清水寺にも行けなかったし・・・・・・よし、今日は悔いのないように楽しんで、また鬱岐に来た時に、リベンジで清水寺行こう!」
レイちゃんが明るくそう言って、にかっと笑ってくれる。式神最強の彼を平気で呼び捨てにしているこの子の明るさにはすごく救われる。私は深く頷くと、丁度たこ焼きの注文の列が先頭に来たので、私はお財布を取りだした。
「わあ、すごーい!タコが丸々一匹入ってる!!」
「小さいタコだね。見た目のインパクトがすごい・・・・・・」
天気は快晴とは言え、秋の珈木はちょっと肌寒かったので、たこ焼きの船の形をした容器から焼きたての温かさが伝わってくる。小さいタコがひっくり返って、丸いたこ焼きの中にお花の形で収まっている。湯気が真っ白く立ち上ってきて、食欲を刺激された。私たちは人込みから離れ、人のいない英会話スクールの店の前に立ち止まった。早速食べようと、二人で手を合わせる。
「いただきます」
「いっただきまーす!うわー、あつあつで美味しそー!」
竹ぐしを刺すと、タコがプルンと本体だけ取れて、たこ焼きの生地と分離してしまう。私は慌てて身と生地を同時に刺すと、そのまま素早く口の中に持って行った。途端に熱さが襲ってきて、口を開いて熱を逃がす。
「あ、あふ!って、うふふ、ゆうひひゃんとわたひ、おんなじ恰好ひてるね」
レイちゃんもたこ焼きが熱かったのか、ちょっと目に涙を浮かべながら幸せそうに頬張っている。なんだか嬉しくて、口にあるタコの身をゆっくりと咀嚼した。
他にも食べ歩きしたかったので4個入りを頼んだけど、あっという間に食べきってしまった私たちは、ぶらりとお土産屋さんを見ることにした。これで修学旅行も終わってしまうと思うと、少し寂しい。こんな気持ち初めてだった。
「わ、このストラップ可愛くない!?真ん中にハートがついてるし、ここが透明になってるよ!このふわふわの生地の奴もいいよねー」
「ふふ、レイちゃんはハートが好きだね」
ちょっと歩いた先にあるお土産屋さんに早速入るなり、レイちゃんはキーホルダー売り場に食いついた。彼女の選ぶものはキラキラしていたり、形が可愛かったり、いかにも女子が好きそうなものだ。私も女子だけど。
「そりゃそうよ!ハートは心臓!心に込めた女心を表現してるんだから、可愛くないはずがないじゃない!」
レイちゃんはそう言って指でハートマークを作ると、いつの間にか傍にいた人が腕を組んでこくりと頷いていた。
「そうですね、可愛いかは置いておいて、心臓をささげるほどの情熱を表現している点では、僕も賛成です」
「そうよね、分かる・・・・・・」
レイちゃんが甘楽君にそう言って、二人で頷き合う。そして、私とほぼ同時に二度見した。彼の横にはシンセンさんもいる。彼がゆっくりと瞼を開けて緑の目が見えた瞬間に喉が張り付くのを感じて、私は声にならない声が口から出た。
「っ!」
「な、甘楽君!?なんでここにいんのよ!!」
さっと、ボディーガードのようにショウゼツさんとタンギンが出てきて、私たちの前に立つ。甘楽君は心外そうな顔をして、ふふんと不敵な笑みを浮かべた。今日はセーラー服ではなく、ハイネックの中華っぽいジャケットを羽織っている。中学生にしては大人っぽいけど、何せ顔が女の子のように可愛いので、町の雰囲気も相まって、ちょっとコスプレっぽく見えた。
「それ、本人に言ってやれよ」
「絶対無理」
「甘楽さんと神仙さん、連日なんなんすか!?何か言い忘れたことでもあるんすか!?」
ショウゼツさんの焦った口調にも全く動じす、無機物を見るような目でシンセンさんは私たちを見た。透き通ったガラス玉のような瞳には、私たちの戸惑っている顔が鏡のように反射しているだけだった。
「僕は偵察に来ただけですよ。廃絶ホイホイさんがこの関西にいる以上、彼らも彼女におびき寄せられて姿を現すかもしれませんから!しかもこんな人込み、もし廃絶が来たら皆さんじゃ手に負えませんよね?だから、僕たちがここにいる間にも皆さんを助けてあげようと思って!」
甘楽君は自信満々にそう言って、得意そうに天を仰いだ。レイちゃんとショウゼツさんは苦笑いをしていて、タンギンは中学1年生に向けるべきではない視線を向けている。こんな時でもシンセンさんは、退屈でも愉悦でもなく、ただただ無関心にこちらを見ているだけだった。
「・・・・・・つまりは、廃絶にウォンテッドされてる夕陽ちゃんがいるから、ここに奴らが来るかもしれないってこと?」
「で、俺たち3人では力不足だから、甘楽さんと神仙さんが来てあげた、ってことっすか?」
「ええそうです!察しが早くて助かりますね!!さあ、どこを見て回りましょうか!人が多そうな場所に行ったら廃絶も来やすくなりますかね?」
「何それ。手紙はあんなに可愛かったのに、実物は独裁者じゃない」
「・・・・・・だからあいつ、友達いねえんじゃねえの」
「しっ!駄目だよタンギン、そんなハッキリ言っちゃ」
レイちゃんはちょっと困った顔をした後、仕方ないという風にため息を吐き、甘楽君の手を取って私の手に握らせた。すごく冷え切った小さい手だ。もしかして、ずっとここで私たちを待っていたのだろうか。途端に彼が真っ赤になっていることも気にせず、レイちゃんが今度は甘楽君の手を自分が握ると、くるっと後ろを振り返った。
「そう言うことなら仕方ないわ。私たちと一緒に観光したいなら、この人込みで迷子にならないようについてきて。ほら、行くわよ」
「ま、待ってください!!僕は子供じゃないんです、こんなことしなくったって平気ですよ!!」
「はいはい、じゃあ私たちが迷子になっちゃうから、こうしてるの。ほら行こ」
「ちょっと!!ご、碁色さん、話を聞いてくださいって!!」
甘楽君はそう言いつつも、私とレイちゃんの手を離さないまま、レイちゃんの行く方向へと3人縦に並んで人の流れに混ざっていった。そう言えばレイちゃんは弟がいることを不意に思い出して、一人納得してしまう。
「なるほど、だからレイさんは少年の扱いに慣れてるんすね」
「わ、びっくりした。ショウゼツさん、レイちゃんの隣にいなくてもいいんですか?」
「だって、この列の順番でいくと、俺の後ろに神仙さんがいることになるじゃないっすか。昨日はあんなに喋ってたのになんか今日は何も言わないし、式神界の二強が自分の後ろにいる圧って、耐えがたいもんっすよ」
「なんか言ったか、勝絶?」
「なんでもないっすーー!!あー、珈木楽しいなー!」
手を引かれつつ後ろを振り返ると、助けを求めているショウゼツさんと苛ついた顔のタンギン、それにちょっと微笑んでいるシンセンさんがふよふよと宙を浮いて私たちについてきていた。瀬名高君が見たらとんでも珍道中に見えるだろうなあと思う。彼にも連絡した方がいいのだろうけど、人込みを掻い潜りながら片手でスマートフォンを操作できるほど、私は器用じゃない。
ふくれっ面の甘楽君の手をぎゅっと握り返すと、彼がちらっとこちらを振り返ってきた。昨日タンギンへの悪口を咎めたのを気にしているのか、ちょっと遠慮がちに口を開いている。
「な、なんですか。もう謝りましたからね。兄さんに伝言は頼みました」
「うん、聞いたよ。台心先生、胃を擦ってたけど。お兄さんを大切にね」
「そんなの、分かってますよ。兄さんがまさか悪意に感化されそうになっていたなんて、知りませんでした。だからこうやって今日、ここに来たんじゃないですか・・・・・・」
拗ねたように顔を赤くする甘楽君に、私はなるほどと納得した。彼はお兄さんのことが心配で、修学旅行の最終日にこうして守りに来たのだ。なんだかんだ言って先生が好きなんだな、と家族の絆を感じる。
「はっ、神仙だったら鬱岐からでも除怨できんだろうが。夕陽、こいつは今日俺らを邪魔しに来たんだよ。せっかくの旅行だっつうのに、鬱陶しい」
タンギンの悪態に、甘楽君の目つきが変わり、ムキになったように口を尖らせた。その間にも、レイちゃんは一人楽しそうに街を見回っている。ショウゼツさんも並び順には諦めがついたのか、レイちゃんの傍で女子トークに花を咲かせていた。
「なんですか、僕たちは廃絶を引き寄せるあなたたちがいるからここに来たんですよ!?こんな人込みに廃絶のボスが欲しがっている人材がいたら、悪意を仕掛けてくるのなんて目に見えてるじゃないですか!!」
「だから、もしそうなったとしてもてめえらなら浄化できんだろっつってんだよ!わざわざてめえらがここに来る必要はねえだろ!?知らねえ奴と観光して、しかも昨日試してくるような真似しやがる奴らと会いたい奴がどこにいんだよ!!」
「僕だってわざわざ休日にこんな所なんて来たくなかったですよ!!こっちは家の手伝いで忙しいんです、普段呑気に遊び惚けているあなたたちとは違うんです!」
仲裁をしてくれそうな瀬名高君やショウゼツさんがいないこの状況に、私は心を無にして、何もしないことにした。この言い争いの元凶でもある私が何かを言った所で、火に油を注ぐだけだ。でも、甘楽君の言葉が少し胸に刺さる。確かに、私がこんな人込みにいると、もし廃絶が人々の悪意を増長させてきたら、その被害はとんでもないことになる。元から観光地や旅行は行かないけど、なんだかちょっと悲しくなってきて、私は掴んでいた甘楽君の手を離した。甘楽君とタンギンが同時に私を見る。
すると、さっきまで黙っていたシンセンさんが急に口を開いて、私の顔のすぐ近くに寄ってきた。見る人全てを魅了してしまうような彼の瞳に、心臓が縮まる。
「甘楽は、君たちとこの珈木を回りたかったんだ。彼の両親は旅行に行く人柄ではないし、いつも彼は学校で一人だから、観光地を誰かと回ることに憧れていたんだよ。僕にはその気持ちは分からないけど、今日はこうしてついてきたんだ。椿夕陽さん、ぜひ一緒に回ってやってくれないかい?」
「し、シンセン!そんなことは・・・・・・」
甘楽君が顔を真っ赤にして自分の式神に掴み掛かる。実体化しているわけではないので、シンセンさんは楽しそうにふふっと笑うと、するっと彼の横を通り抜け、空高くに飛んで行ってしまった。主に何も言わずに離れる式神はあまり見たことがないので、これも強い彼らの特権なのだろうか、と思う。
「はっはーん。なるほどなあ。てめえ友達いなさそうだもんなあ。俺たちと一緒にいたかったってわけだ。はっ、ガキがよ」
「き、貴様・・・・・・!いくら強いからって、黙っていれば・・・・・・」
図星だと言わんばかりに顔を赤らめた甘楽君は、わなわなと唇を震わせ、目に大きな涙をためていた。流石にもう収めた方がいいだろうと、二人の間に入ろうとしたその時だった。
「おいお前、どうしてくれんだよ!!」
男の人の怒号が商店街中に響き、歩いていた人達が足を止める。声がした方を見ると、怒りで顔を赤くした男の人と、たこ焼きを持って青ざめているうちの制服を着た女の子がいた。あの独特の立て巻きハーフアップはほのかちゃんだ。彼の白いワイシャツにはべったりとソースが付いていて、口角泡を飛ばして喚いている。
「これから取引先と商談に行かなくちゃならねえってのに、何してくれてんだ!よそ見してんじゃねえよ!!」
「ご、ごめんなさい・・・・・・」
周囲の人はざわめきつつも関わるまいと顔を背け、歩き始めた。段々と彼らの周りに人がいなくなっていく。私は咄嗟に男性の頭の上を見た。廃絶が悪意を増長させているのかと思ったけど、特にマクモさんもホウキョウさんもいない。ということは、純粋にこれはトラブルだ。男の人の怒号に手が震えてしまうけど、ほのかちゃんが泣きじゃくっているのに、自分だけ知らんぷりはできない。私は台心先生を呼んで来ようと思い、振り返ると、もうレイちゃんの姿はなかった。ずんずんと肩を怒らせ、彼女らに近づいている。隣で青くなったショウゼツさんが実体化して追いかけていっていた。
「ちょっと、おじさん!そんなに怒鳴らなくてもいいでしょ!?泣いちゃってるじゃん、可哀そうだよ!」
「ああ!?このガキが前を見もせずに突っ込んできたのが悪いんじゃねえか!こっちは仕事なんだよ、遊び惚けてるてめえらと違ってなあ!」
「でもここ、右側通行のレーンじゃん!おじさんのお腹のとこにソースがついてるってことは、おじさんの方からほのかちゃんに突っ込んできたんでしょ!?逆走してたら、そりゃぶつかっちゃうよ!!」
レイちゃんの推理が図星だったのか、おじさんは一瞬言葉に詰まると、真っ赤な顔をさらに赤くして、言葉にならない声で怒鳴った。申し訳ないけど、スキンヘッドも相まってすごくタコっぽく見える。
「言ってる場合か。あいつ、どうすんだろ。ありゃあハート女にも勝絶にもどうしようも出来ねえだろ」
「タンギン・・・・・・そうだね、私先生呼んでくるよ」
「ちょっと待ってくれるかい」
降ってきた声に顔を上げると、そこにはシンセンさんが、まるで天使のようにふわりと空から舞い降りてきた。長い赤髪をたなびかせる姿はこの世の物とは思えないのに、しっかりと私と目を合わせてくる。さっきまでの無関心な目とは大違いで、心なしか楽しんでいるように見えた。
「椿夕陽さん、一度断金と除怨をしてみようとしてくれないかい?実際にしなくていいから、力を引き出そうとする最初で止めてくれればいい」
「除怨を、ですか・・・・・・?悪意は今ないのに?」
「おい、ふざけんな。俺とこいつが無駄に疲れるだけじゃねえか」
タンギンが横から口を挟む。シンセンさんは微笑んだまま彼を見て、いたずらっぽくニヤリと笑った。美人の笑顔はすごく怖い。
「この旅行を楽しく終えようと思うのだったら、僕の言うことを聞いた方がいい。このままだったら、断金、君は良くても、人間同士に障害が発生することくらい、君も分かるんじゃないのかい?」
シンセンさんの言葉にタンギンはチッと舌打ちすると、不服をそのまま表したような顔をして私に近づいてきた。私は彼を見つめると、はああ、とため息が返ってくる。
「ほれ、やるぞ」
「う、うん。でも、改めて意識して除怨するってなると、どうしたらいいのか分からない・・・・・・」
「へーきだ。俺の目を見てろ」
私より背の高い彼はそう言うと、私の目をぐっと覗き込んできた。普段横目でごみでも見るような冷たい視線とは違い、体の中身ごと抉ってくるような深い銀の色に、一瞬鳥肌が立つ。
すると、タンギンの体はみるみるうちに光り出し、冷たい空気を纏い始めた。いつも除怨をする時は、目の前の苦しんでいる人を助けたい一心でタンギンを見てるため、こうして除怨をしようとする彼をじっくりと見るのは初めてだ。タンギンはふう、と軽く息を吐くと、目を閉じて、人差し指と中指を立てて顔の前に持ってきた。すると指の隙間がうっすらと光り、四角い形状のカードが現れ、やがて花札特有の赤と金、黒い線が浮かび上がってきた。
不意に服の裾を引っ張られると、さっきまで黙っていた甘楽君が顔を白くして傍に寄ってきた。タンギンに力を貸しているためか、少しふらついてしまう。甘楽君は私を支えつつ、怯えた顔をしながら小さな声でつぶやいた。
「・・・・・・シンセンが誰かのために動くなんて、考えられません。あなたは一体何をしたんですか?」
「私は・・・・・・何もしてないよ。今はただ、シンセンさんの言う通りに、力を貸しているだけ」
「そう、ですか・・・・・・」
除怨をしようとしている式神の主に話しかけるなんて、普段同じことをしている甘楽君ならしないだろう。でもそうしてきたということは、今、彼でさえも不安に感じてしまうことが起こりかけているということだ。私は一層気を引き締めて、いまだに光ったまま動かない自分の式神を見つめた。これから何が起こるのだろうか。もしかしてシンセンさんは、この力に寄せられて、廃絶が来ると思っているのだろうか。
「じゃじゃーん!そのまさかでーす!夕陽ちゃん、お久しぶりですねー!」
「うっ!!」
いつからそこにいたのかはもはや分からない。目を上げると、そこには逆さづりのマクモさんがいた。可愛くて大きな目に、凶悪な表情を浮かべた彼は、白い手袋で私の頬を一撫でした。鳥肌より先に、悲しさが骨の髄を貫いてくるような感覚がして、私は地面に倒れ込んだ。手に持っていたたこ焼きが地面に散らばる。でもそんなこと気にしていられないくらいに視界が歪んで、私は涙を零していた。心の中で、地の底から反響するような不気味な声が聞こえる。
『夕陽』
『おいで、夕陽』
『あなたがいなくて寂しいよ』
姿は見えないのに体中に響く声に、私は彼らを追い出そうと腕を擦った。しかし、上着を脱ごうが、手を掻こうが、不快な声がずっと耳に響いてくる。私は普段泣けない顔から涙を零しながら、歪んだ視界にぼんやり見えるマクモさんを捉えた。彼は貧乏ゆすりをしているようだったけど、次第に地面にしゃがみこんだこちらに近づいてくる。
「夕陽さん、大丈夫ですか!?」
甘楽君がマクモさんを払いのけようとするけど、手は空をかいたようで、諦めて私の背中を擦ってくれる。それでも、悲しい声は止まらない。彼とはショウゼツさんとレイちゃんが除怨中に彼をショッピングモールの壁に叩きつけた時以来会っていなかった。あの時の怪我は相当なものだっただろうし、回復に努めていただろうか。でも、今までよりもさらにパワーアップしている気がする。
「いやー、こんな式神の巣窟みたいなとこ、来たくなかったんですよー?でもボスが、僕たちをおびき寄せたがってるって言ってたから、仕方なく来てあげたんです!感謝してくださいよ、ねっ!!」
マクモさんの声が急に跳ね上がり、私は状況を見ようと目じりを擦った。彼は宙に舞い上がり、シンセンさんと対峙している。彼は先ほどと同じように楽しそうに微笑んだまま、苛ついたのを隠そうともしないマクモさんを見つめていた。私は目の端で、ショウゼツさんがおじさんに掴み掛かろうとしているレイちゃんを止めているのを見た。おじさんもタンギンが出した神聖な空気に感化されたのか、笑いながら平謝りしている。あっちの風景を見ると、頭に響いてくる悲しい声も幾分かましになった気がする。
「先日はそこの筋肉雑魚にしてやられちゃいましたからねー。ボスから力を分けてもらわずに、自力でパワーアップして帰ってきました!で、あんたが噂に聞く神仙、って奴ですかー?そのにやついた顔、今すぐ蹴飛ばしてやりたいですねー」
シンセンさんは何を返すでもなく、黙って下に目を向けた。その視界は、間違いなく私を見ている。こんなボロボロの姿見られたくなかったけど、すると彼は何を思ったのか、一瞬で顔から笑いを消した。雰囲気が変わったのを察したのか、マクモさんも動作を停止している。
「な、なんですか?夕陽ちゃん、無様に泣いちゃって可愛いですよねー!僕が彼女を欲しがっている理由、何となく分かる気がしますー」
「・・・・・・」
黙ったままのシンセンさんは、マクモさんをじっと見ると、興味を失くしたようにふっと下に降りてきて、私の前に浮かび上がってきた。まるで神が降臨したように思えて、一瞬悲しい声が聞こえていることすらも忘れてしまう。背中に感じる甘楽君の手の感触だけが、この世に私の存在はまだあるんだと実感する最後の手がかりだった。
「椿夕陽さん、苦しませてしまって、ごめんね。でももう大丈夫。ほら」
そう言ってシンセンさんはパチン、と指をはじいた。
その途端に、一瞬ピタっと時が止まった感覚がする。それがどういう感覚なのか実感する前に、ざあっと空気が動き出し、私の胸に響いていた悲しみの声はぴたりとやんだ。すうっと心が晴れて、気持ちが楽になる。それは私だけではなく、甘楽君も目を見開いて驚きつつも安からな顔をしているし、道行く人も、おじさんも、レイちゃんも、その場にいたすべての人が、上を向き、幸せそうな微笑みを称え動きを止めていた。まるで信仰していた神が降り立ったかのような光景に、不気味ささえ感じる。水滴が水面に落ちて水面を作るように、シンセンさんを拠点として、神聖で穏やかな気持ちが辺り一帯にさあっと広がっていった。シンセンさんの声で、私はハッと我を取り戻した。
「君の長をここに呼んできてくれるかい?」
マクモさんもハッとすると、一気にぐっと顔を歪めて髪を掻きむしった。本来の彼が出てきて、また心臓が委縮する。辺りの人が動きを止めている分、レイちゃんとショウゼツさん、傍にいる甘楽君、そしていつの間にかいなくなっていたタンギンが、瀬名高君とバンシキさんを連れてこちらに来ているのがハッキリと分かった。
「なんで僕がそんなことをしないといけないんですかあ?それとも、あなたの相手では僕では力不足だとでも?」
「そうだ。早くしてくれるかい?」
平坦と言葉を零すシンセンさんに苛ついたのか、マクモさんはブチ切れたように口角を上げると、どこからか大鎌を取り出して刃を大きく振るった。風圧で、店の入り口に飾られていた大きな蟹のオブジェにひびが入る。その威力に、私は甘楽君の手をぎゅっと握った。
「うっせえんだよ、てめえら。ボスを呼び出すだなんてクソめんどくせえことするかよ!てめえらは大人しく地面で死んどけや!」
マクモさんはそう吐き捨てると、ぐるりと鎌を振り被って、私たちの方にめがけて飛んできた。マクモさんは私たちのように人間の物も触れるし、あの鎌が本物であることを私は知っている。私は反射的に、甘楽君を腕の中に抱え込んで、マクモさんに背を向けた。すうっと背中に鋭く空気が動いた予感がして、私は彼の背中をぎゅっと抱きしめた。
ここで死ぬとは思わなかった。タンギンがいてくれたら守ってくれたかもしれない。もしかしたら、来てくれて、寸前のタイミングで間に合うかもしれない。ブンッと鉄が勢いよく振りかざされる音に、私は心から助けを求めた。ぎゅっと目を瞑る。
一瞬、静寂が訪れる。ガッ!!と鈍い音がアスファルト伝いに振動し、私はうっすらと目を開けた。そこには、私に振り下ろされるはずだった鎌と、満足そうに笑みを浮かべたシンセンさんがあった。彼は自分の背丈よりも大きな柄を、汚い物でも触るかのように指でつまんでいる。
上を見上げると、マクモさんが振り被った腕を抑え、悶え苦しんでいる。何があったのかと辺りを見回すと、停止した人込みの頭上で、タンギンが何かを投げたポーズを取っていた。かなり距離があるので、何をしたのかは分からない。
「花札を投げるだなんて、品のないことをするね、断金は。椿夕陽さん、そう思わないかい?」
シンセンさんは普段よりもトーンを上げて、仲間の活躍を見上げている。もしかしてタンギンはあの距離から花札をフリスビーのように飛ばし、マクモさんの手に当てたのだろうか。彼の持つ鎌は人間にも効くため、それが通行人の人に当たらないよう、シンセンさんが受け取ったのだ。言葉いらずの華麗なチームプレーに、私は体温が戻ってきたのか、どっと気が抜けてしまった。胸辺りで、もぞもぞと何かが動いているのを感じる。
「く、苦しいです、夕陽さん・・・・・・」
甘楽君がちょっと赤くなった鼻と擦りながら、気まずそうにこちらを見上げていた。さっきからずっと抱えたままだったので、咄嗟に組んでいた手を離す。
「ご、ごめんね、甘楽君。ずっとぎゅっとしてた」
「いえ、別に・・・・・・ありがとう、ございます。守ってくれようとしたんですよね。僕は、あなたに意地悪しか言ってないのに」
「それは・・・・・・関係ないよ。私がマクモさんにやられちゃってた時、背中擦ってくれたじゃない。甘楽君が悪い子じゃないって、もう分かってるから」
彼は顔を真っ赤にして、ばっと下を向いた。手に付けていたのか、ぶかぶかのミサンガをいじり、下を向いている。中学生というだけで幼いと思っていたけど、彼から伸びる腕は意外と逞しかった。
「な、なに言ってるんですか。下手したらあなた、死んでたんですよ。それを、僕のために・・・・・・」
「何ごちゃごちゃ言ってんだ!おい神仙、すぐ片付けんぞ!!」
見上げると、私たちの丁度頭上にタンギンが浮かび上がり、こちらに向かって牙を剥いていた。こうして甘楽君を庇えたのも、きっと彼が助けてくれると信じていたからだろうな、と自分の式神を見て思う。声をかけられたシンセンさんはふっと苦笑すると、鳥居の前で会った時と同じ風に笑った。こう見ると、シンセンさんはなんだかタンギンといる時だけ楽しそうに笑っているような気がする。
「断金、君は僕が嫌いなんじゃないのかい?協力なんてできるのかい?」
「うるせえ、嫌いなんて一言も言ってねえ。大体、てめえの方が俺らに突っかかって来たんじゃねえか」
「さあ、どうだろう。おっと」
「・・・・・・くっそお!!」
タンギンたちが言い合っている間に、苦しそうなマクモさんがシンセンさんの元にある鎌を取り返そうと飛んできた。彼の手には血こそ流れていないものの、手の甲に花札が貫通していてすごく痛々しい。シンセンさんはそれを何ともない顔でひらりと避けると、何かを手に握りしめ、そのまま鎌をツン、とつついた。すると、鎌はバギッと嫌な音をして縦に割け、落ちていった破片は跡形もなく地面へと消えていった。一瞬でマクモさんが真っ青になる。
「あーーーー!!それ、ボスからもらったのにーーー!!!どうしてくれるんですか、絶対僕怒られますってー!!」
「だっはははは、いい気味だなあてめえ!もう粉すら残ってねえじゃねえか、だっせえ!!」
タンギンが品もなくお腹を抱えて大爆笑しているのを見て、冷たい視線が横から突き刺さる。甘楽君の「君の式神、どうなの?」という気持ちがありありと伝わってきて、私は少し恥ずかしくなった。
「た、タンギン、人を笑うのは良くないよ」
「そうですよね夕陽ちゃーん!僕悲しいですー!鎌も折られちゃって、手にもこんなことされちゃってー!あ、もらったハンカチ、まだとってありますよー!今日はおいてきちゃったので、次会った時に返しますねー」
「え、あなた廃絶にハンカチを貸したんですか・・・・・・?」
甘楽君のドン引いた声に私の心が折れそうなことも知らず、マクモさんが私に笑いかけてくる。彼が私に近づいてくるのを見て、タンギンが止めにいこうとするけど、シンセンさんが彼の肩を持って静止していた。言い争っている間にも、マクモさんは地上へと降りてくる。彼は式神が実体化するよりも人間らしくて、しっかりと影がアスファルトに浮かんでいた。彼がにこっと笑うと、頬についた印象的な痣もぐにゃりと形を変えている。
「そう言えば、僕の術、どうでしたー?君のお母さんとお父さんに久しぶりに会えて、嬉しかったでしょ?」
思考が、停止した。
一瞬、息をするのも忘れてしまう。
あれが、お父さんとお母さんの声だった。
あの不気味で、聞いているだけで正気を失いそうな音が、彼らの声だった。
「ゆ、夕陽さん!しっかりして、吸って、吐いて!」
黒ずんでくる視界に、甘楽君の声と手の感触がする。耳からは、いろんな人の声が聞こえてきた。
「てめえ、こいつに何聞かせやがった!!」
「おっと、危ないですねー。聞かせるも何も、僕は彼女が一番会いたい人と会わせてあげただけですよ?念願の再開です、何が悪いんですか?」
「椿君、大丈夫かい!?一体何があったんだ?」
「あなたは、確か、瀬名高さん・・・・・・ゆ、夕陽さんの呼吸が荒くなってしまって・・・・・・どうしたらいいんでしょうか」
「莫目。遅いわ。もう帰るわよ」
「そうっすねー。まあ、俺は今日、これだけの式神の力が合わさったらどうなるのかを見るために派遣されたようなものなので!結果は残念でしたけど、まだ主は死んでないのでまた見られますよね!生きてるうちに見させてくださいね!」
「てめえ・・・・・・てめえらのやり口は、主に攻撃することじゃねえだろ!一体何をしようとしてやがんだ!!」
「ちょ、落ち着いてくださいっす、断金さん!こんなとこで彼と戦いでもしたら、ここら辺一帯無事じゃ済まされないっすよ!?ただでさえ落ちてきそうな看板がたくさんあるのに・・・・・・神仙さんも止めてくださいっす!」
「あ、気づいちゃいました?そこの短気な奴なら乗っかってくれると思ってたんですけど、残念ですー。方響、ボスはなんて言ってました?」
「終わったなら、早く撤収するように、とおっしゃってましたわ」
「なんかキレてそうですねー、はーあ、めんどくさ。じゃあさっさと帰りますか!またね、夕陽ちゃん!!」
その声を聞いたところで、私の意識は途切れてしまった。
次に目が覚めた時に目に飛び込んできた光景は、駅のホームだった。どうやらここは地下のホームにある休憩所らしく、室内は色の付いたガラスに囲われ、同じ形をした椅子が並んでいる。向こうには黄色い背景に無機質に「0出口」と書かれた看板が蛍光灯に照らし出されているのが見えた。何事かと反射的に体を起こすと、横でスマホをいじっていた台心先生がぎょっとして私を見ていた。彼が何か発する前に、「夕陽ちゃん!!」とレイちゃんが飛びついてくる。駅内なので喧噪もそれなりにあったけど、瀬名高君の慌てた声もはっきりと聞こえてきた。
「椿君、目を覚ましたか!気分はどうだい?旅行中にパンは持ってこれなかったから、これを飲んでくれ」
「夕陽ちゃーーん・・・・・・良かったあ、心配したんだから」
レイちゃんが駆け寄って来てくれて、瀬名高君がしじみのお味噌汁の缶をくれる。見かけたことはあるけど買う勇気が出ない自販機の飲み物ランキング第1位のそれは、まだ仄かに温かくて、何も入っていないお腹が鳴りそうだった。彼は私の手を握って、王子様のように私をきらめいた目で見上げた。久しぶりの彼の顔に、すごくほっとする。
「椿君、君は無茶をしすぎだ。今年で一体何回倒れているんだい?帰ったら僕のうちのパンを食べて、良く寝て、一緒に走り込みをしよう。とにかくゆっくり休んでくれ」
「走り込みはどうかと思うけど・・・・・・確かに、夕陽ちゃん結構な頻度で保健室行ってるよね。辛かったら私に言ってね。といっても、私は大抵夕陽ちゃんが辛い時に一緒にいられないんだけど・・・・・・」
「碁色君、僕たちは体力をつけるべきだ!何かあってからでは遅い、助けを求める人々の元へすぐ駆けつけられるように、一緒に走ろう!」
「ええ?私運動嫌いなんだけど」
瀬名高君とレイちゃんが言い合っているのを見ていると、ちょんちょんと肩を叩かれ、台心先生がじろりと私を見つめていた。そう言えば甘楽君がいない。彼は大丈夫だったのだろうか。
「先生、甘楽君は?」
「あいつ、またお前らのとこに邪魔しに行ったらしいな・・・・・・後で叱っとくから、許してほしい。甘楽は親に連絡して迎え来てもらったから大丈夫だ」
「良かった・・・・・・今って、まだ新幹線待ちでしょうか?というか、もう行っちゃってますよね・・・・・・すみません」
時計を見ると、午後1時だった。12時に駅に集合だったはずなので、ここにいる人たちは私を看病するために待っていてくれたのだと悟る。先生は何回目か分からないため息を吐くと、じっとりとした目で私を見た。近くで見ると長いまつ毛や目の形が甘楽君に似ている気がする。私は目を逸らすと、彼は私の視線の先に顔を移動させてきて、少し怒ったように顔をしかめた。
「椿たちは何かこそこそやってるなと思ってたし、今だから言うけど、甘楽からお前らを見ておくように言われてたから、一応観察はしてた。でもなあ、それとは別に、椿は心配すぎる。もうちょっと自分の体を大切にしてくれ。こうも倒れられると、本当に目が離せないぞ」
先生のいつもより低い声に、彼が本当に心配してくれているのが分かる。中学生の時は体は丈夫な方だったけど、体質も変わるものだ。でも今は4月の頃とは違って、タンギンが家事をしてくれているので、病気や風邪は全く無縁だ。純粋に私の体力がないのだろう。もしくは、タンギンに力を貸す負担が大きくなっているのか。
「・・・・・・ご迷惑おかけして、すみません」
「謝るんだったら、もう倒れず、元気に笑って過ごしててくれ。次に倒れたら、校長先生に言って指導してもらうからな」
「え。そ、それはちょっと」
思わぬお叱りに反省していると、レイちゃんが先生の気を逸らすように「あ!」と大きな声を出した。みんなが振り向くと、大きな綿あめを持っている女の子が目の前を通り過ぎていった。自然と彼女たちを目で追ってしまうと、レイちゃんが甘えた声で先生に話しかけた。
「ねえ台心―。あれ、美味しそうだねー。楽しい修学旅行の思い出が、説教で終わるだなんて悲しいと思わない?」
「あ?まあ、そうだな・・・・・・」
おかげで自由になれたので、瀬名高君がくれたお味噌汁の蓋を開ける。ふわっと出汁の香りが溢れ出て、ほっとした。関西と関東では出汁の味が違うと言うけど、本当なのだろうか。
「あー、ねえ台心。あそこに可愛い綿あめ屋さんがあるよー。新幹線待つ間、買ってよー」
「自分で買ってくれ。先生今月金欠なんだ」
「修学旅行最後の思い出が、お叱りなんて悲しいじゃん。夕陽ちゃんが元気になった記念、ってことでさ!おねがーい」
「・・・・・・椿、なんか味噌汁飲んでんだけど・・・・・・まあ、いいや。ほれ」
こうして、レイちゃんはルンルンで顔より大きいカラフルな綿あめを買ってきた。どうやら思った以上に高かったようで、1人分しか買えなかったらしい。レイちゃんはひたすら先生を引き付けてくれているので、きっと気を遣ってくれたのだろう。その隙に、瀬名高君が私の手から空の缶を抜き取って、片手でぐしゃっと潰した。結構頑丈なつくりだったのに、すごい握力だ。
「あの後、マクモはホウキョウに連れられて消えてしまったんだ。男性と後藤君が揉めていた件は、おそらくシンセンの力によって辺り一帯を浄化したのか、彼は何も覚えてないようで、ただ去っていったよ。彼がまさかあの現場を救ってくれると思っていなかった、と碁色君は話していたよ。だから、全部丸く収まったんだ。僕は少し離れた所で観光していてね、タンギンが呼んでくれなかったら気づけなかった。すまない」
「ううん、教えてくれてありがとう。ほのかちゃんも、無事でよかった。瀬名高君は悪くないよ・・・・・・甘楽君はどうだった?」
「ああ、君にお礼を言っていたよ。シンセンのことについて喋りたそうにしていたけど、台心先生が呼んだ親御さんに引きずられて帰っていったね。彼もお叱りが待っているんじゃないかな」
瀬名高君は笑うと、あ、という顔をしてポケットから何かを取り出すと、私の手に置いてくれた。包み紙に入っていて、中身はよく見えない。手触りからするに、何か小さい物だった。
「まあ難しい話は置いておくとしよう!さあ、開けてみてくれたまえ!君に似合う自信があるんだ!」
「うん・・・・・・わあ、可愛い・・・・・・!」
それは、小さな飴玉が付いたキーホルダーだった。七色の飴が円になって並び、風車のように中心に沿ってくるん、と収束していっている。紐が付いているので食べられないだろうけど、本物の飴かと錯覚してしまうくらいに精巧にできている。
「すごい、綺麗だね。本物みたい」
「それはだね、本物の飴をコーティングしたらしい!お店の人が教えてくれたんだ!」
よく見ると、飴の周りが透明な樹脂で固められている。飴特有の細かい筋が蛍光灯の光で艶めいていて、ずっと見ていられそうだ。私は顔を上げて瀬名高君を見た。一緒に旅行に行ったのにお土産を買ってくれるなんて、思わぬサプライズにさっきまでしぼんでいた心が躍る。
「ありがとう、すごく嬉しい。丁度キーホルダー欲しかったんだ」
「そうだろう!君は鞄にも鍵にも何もつけていないようだったからね、そしてこの飴の七色が君の変わりやすい表情を表現し、透明感が君にぴったりだと思ったんだ!気に入ってくれると嬉しいよ!」
直球で褒められて、頬が熱くなる。しかも彼はお世辞ではなく、本心から言っているのが分かるから、なおさら恥ずかしい。私はなくさないように、急いで家の鍵に瀬名高君がくれたキーホルダーを括りつける。にやけてしまう顔を隠そうと、必要もないのに垂れてきた髪を自分の頬にかけて、悟られないようにする。上を見上げると、まだ瀬名高君は自信満々にこちらを見ていて、にかっと笑った。彼を見ているだけで、さっきの不快な記憶がどんどん消えていく。
「私、表情変わらないよ。生まれつきなの。こんなカラフルな色、似合わないかも」
「おかしいな。君はいつもそう言うけど、僕には君の笑った顔、落ち込んでいる顔、恥ずかしがっている顔、嬉しそうな顔、全部そのまま分かるよ?むしろ分かりやすいくらいだ」
「・・・・・・ほんとに?」
「確かに、夕陽ちゃんはクールだよね。何事にも動じてなくて、かっこいいよ!」
レイちゃんが瀬名高君の陰からひょっこり顔を出す。台心先生もこちらをじっと見てきたので、ちょっと気まずい。瀬名高君は不思議そうに眉根を寄せると、みんなを振り返った。
「ふむ、碁色君と先生には、今、椿君がどういう顔に見えるんだい?」
「え、真顔でしょ。いつもの夕陽ちゃん。可愛い」
「俺も真顔に見えるな。髪でよく見えないけど」
「なるほど。正解は、頬を赤く染めて、恥ずかしがっている、でした!!こんなに大勢に顔を凝視されて、照れない方がおかしいというものだ!はっはっは!」
「瀬名高、あんた照れるって感情知ってるの・・・・・・?」
「顔赤いか?俺には青ざめて見えるんだけど・・・・・・椿、顔上げてくれ」
「・・・・・・嫌です」
私は手で顔を覆った。恥ずかしすぎて顔から火が出そうだ。やっぱり、表情筋が動かないのは変わっていないらしい。でも、どうして瀬名高君だけ分かるのだろうか。明るくて優しくて、私の感情を分かろうとしてくれる、むしろ分かってくれる彼は、本当に私が求めていた人だ。永遠さんは年上なので頼れる存在だったけど、同級生だと、また違う安心感がある。それに、他無県には永遠さん以外に、私が体調を崩しても、こうして別行動になろうと傍でわざわざ待ってくれる人はいなかった。嬉しくて、顔がにやけてしまう。
「あ、椿君は今にっこりとしたよ!きっといいことがあったのだろう!!」
「そんな大きな声で言ってやるなよ。なんか可哀そうだろ」
「瀬名高君、レイちゃん、台心先生・・・・・待っててくれて、ありがとうございます。元気になりました。もう帰れます」
「そうか?瀬名高、椿の顔色は大丈夫か?」
「はい!ピンク色で可愛らしいですよ!まるで化粧をしたみたいです!」
「え、うち化粧禁止なんだけど。ん、碁色。お前いつもより口赤くないか?なんか塗ってるか?」
「よし、帰ろう!!台心、行こ!」
私は改札に向かうみんなに付いていく。キャリーケースを転がす瀬名高君の肩を叩くと、彼は優しく微笑んだ。
「キーホルダー、ありがとう。絶対大切にするね。お返し、何もなくてごめんね」
「いやいや、僕が椿君に買いたかっただけだから、気にしないでくれ!」
「でも、申し訳ないし・・・・・・今度、何かお礼するよ」
そう言うと、彼は一瞬キョトンとした後、にっと笑った。小さく跳ねた彼の髪が新幹線の風で舞い上がり、大きくて安心する目にかかっていた。彼の顔に、胸がぎゅっと締め付けられる。
「じゃあ、考えておくことにしよう!」
こうして、私たちは無事に雨宿町に帰ってこれた。長かったようで短かった2泊3日だったけど、修学旅行をここまで楽しいと思えたのは初めてだった。甘楽君とシンセンさんという新たな仲間にも出会えて、関西に味方がいる心強さもある。帰りは私含めみんな疲れで爆睡してしまったらしく、先生が起こしてくれた時にはもう雨宿県だった。学校に着いたら、引率の保健室の先生に呼び出され、私だけちょっと帰りが遅くなったのは、この際だから記憶の隅に追いやることにする。無事に家について鍵を取り出すと、きらりと揺れるキーホルダーに、嬉しかった思い出が蘇ってきて、つい笑ってしまった。本当にいい友達に巡り合えたなと実感する。
「ほれ、何してんだよ。早く開けろ。早く寝て早く起きてラジオ体操しろ。栄養あるもんたらふく食わしてやるから」
タンギンが横から出てきて、彼の顔が見える。安心してふと気が緩みそうになるけど、もうひと踏ん張りだと錠前を回した。
「私、タンギンのご飯じゃないと元気出ないかもしれない」
「は、はあ!?な、何言ってんだてめえ!急に変なこと言ってんじゃねえよ!!さっさと入れ!そして早よ寝ろ!!」
私は顔を真っ赤にする式神に微笑みつつ、靴を揃えて玄関に上がった。旅行の終わりまで、楽しい日々だった。
どこか遠くの、どこかの建物。
莫目と方響は閉ざされている扉をノックし、返事を待った。分厚い鉄の音が暗い廊下に響き渡る。
「ボスー。お目覚めですかー?もうお昼ですけどー」
「入ってもよろしいでしょうか、ボス」
中から返事はなく、代わりに、ぎし、と木が軋む音がした。そして、ゆっくりと扉が開き、部屋にわずかな光が入る。
「なーんだ、起きてたなら言ってくださいよー。失礼しまーす」
「・・・・・・入ってもよろしいですか?」
無遠慮にドアを開け放って中に入る莫目をよそに、方響がドアの傍に立って動かず、ボスと呼ばれた人物に尋ねる。彼女よりもかなり背の高い彼は、こくりと頷くと、方響は静かに一礼した。
「失礼しますわ」
「ボスー、ボスからもらった鎌、壊されちゃいましたー。見てください、手に傷まで負ったんですよー。もう痛くて痛くて、僕死んじゃいそうでしたー」
「そのまま死ねば良かったのにね、莫目」
「なんでそんなこと言うんですかー!?今回、方響はビビッて神仙の前に現れなかったじゃないですかー!僕は勇敢にもあの式神も人間もうじゃうじゃ蠢いてるとこに仕方なく行ったんですよー!?もう、思い出しただけで鳥肌が立ちますよー。あー、気持ち悪」
莫目がべらべらと喋り散らかしていると、彼はぼりぼりと頭を掻き、さっきまで寝ていたソファに腰かけ、口を開けた。途端に、二人はピシッと姿勢を正し、頭を下げる。彼の空気が変わったことに感づいたのだ。
「お前らの報告によれば、椿夕陽は断金と大分連携が取れるようになり、もう軽度の悪意なら簡単に祓えるようになったらしいな。瀬名高光と盤渉は相変わらず一定の強さを持っているが、遠距離の除怨はできず、その場に行かなくてはならない。碁色神社の娘である碁色戻は一度力そのものを失くしていたが、力の弱い勝絶を補って除怨に成功した、と。ここまで合っているか?」
「はい、ボス!正確な要約、大変尊敬します!」
「そして、その弱い勝絶の除怨により、この莫目は重傷を負いました」
「余計なことは言わないでくださーい。それに、あの時は碁色戻たちを目覚めさせる目的があったんですから、達成はしてるんですー。僕らをほっぽってどっかに行ってた方響とは違うんですー」
「私は、その他の式神を監視する責務があったから」
ボスが咳ばらいをする。二人は上げかけていた頭をまた地面と平行に下げ、彼の言葉を待った。
「そして、彼らは上無と下無の主である房総美麗と接触。今回の遠征では、最強と言われる神仙と、その主の台心甘楽と接触したのか。我々が椿夕陽の近くに台心甘楽の血族がいたのに気づけなかったのは、神仙が気配を消していたからだろう」
「ほんと、やになっちゃいますよねー!あいつ、3000キロ離れた場所からでも除怨が可能なんですよ!?鬱陶しいったらありゃしませんよー」
「・・・・・・」
ボスは組んでいた足を組みかえると同時に、にやりと笑った。高い鼻を境に、顔面の半分に影が落とされる。
「俺もその現場は見ていたよ。そして、今日もな。お前が見事に断金にやられる様子は中々見物だったぞ」
「ボスー、あれ痛かったんですよー。でもボスのお楽しみになれたのなら、これ以上嬉しいことはありません!!」
「そして、方響。残りの式神はどうだった?」
方響はふふっと笑うと、ツインテールを揺らしながら顔を上げ、手で数を数え始めた。小さく細い指で、自分の頬をつうっと撫でている。
「鳧鐘と黄鐘の主が死んだみたいですね。あとは、雙調が療養中みたいですわ。鸞鏡の主も精神が不安定ですので、殺すにはもう一押しかと」
「なるほど、いい傾向だな」
「でもボスー、僕たちは特に何もしてないじゃないですかー!」
そう言って、莫目は勢いよく顔を上げると、痣の付いた頬に手を当て、アイドルのようにウインクした。星がボスめがけて飛んでいくが、彼は嫌そうに顔をしかめて体をのけぞらせる。
「今はSNSがありますからね、悪意が広がり放題なんですよー!自分たちで潰し合ってくれて助かりますー!人間は僕たちのしもべなんじゃないかと思う時もあるくらいですよね、方響!」
「人間は人間ですわ。高尚な私たちと同等の存在になどありえない。その考えができるのは、力が弱い者の証拠ですわよ」
「・・・・・・今、なんつった?」
方響の言葉に、莫目は不快そうに彼女を睨みつけた。彼女も不敵な笑みを浮かべながら彼を捉えている。その様子に、ボスは咳払いをして立ち上がり、二人の間に立った。
「喧嘩しても構わないが、別の部屋でやってくれないか。お前らも大事な組織の一人だ、潰し合うことはしないでくれよ。それこそ、人間みたいに」
ボスの言葉に、二人はぱあっと顔を明るくさせて、仰々しく礼をした。ボスに大事と言われたことが嬉しくて仕方ないようだ。
「わっかりました、ボス!僕は馬鹿な人間とは違うので、大人しくしてます!」
「仰せのままに、ボス」
「いいだろう、もう今日は休んでいい。明日からまた頼む」
「「はい」」
扉を静かに閉じ、莫目は隣で自分の腕を抱えて喜びを噛みしめている方響を睨んだ。彼女もまた、彼を見下すように冷たく見据えている。そしてお互いに何も交わさず、反対方向に歩いていった。
ボスは部屋の中で一人ふう、と息を吐くと、棚に飾ってある写真立ての一つを手に取った。そこには、目を細め、口を思いっきり開けて笑っている、幼い頃の夕陽と、二人の人物が映っている。
「・・・・・・待ち遠しいな」
ボスはそう零すと、写真を元の位置に戻して、部屋を出ていった。真っ暗な部屋には誰もいなくなり、ただひらすらに響く不気味な悲鳴が聞こえるだけだった。




