22.合点
「・・・・・・台心?」
甘楽君の放った言葉を、レイちゃんが反芻する。木の枝を棒代わりにして最後の一段を上り切った台心先生は、私たちを見て口も目もぽっかり空けたまま、糸が切れたようにぱたりとその場に倒れた。私たちの横をすり抜けて、甘楽君が先生を抱き起こしている。周りで頂上を目指していた人たちが何事かと見やっていた。
「ちょ、兄さん!大丈夫ですか!?」
「ぜえ、ぜえ、なんで、ぜえ、甘楽が、ぜえ」
「はっきり喋ってください!そもそもなんで兄さんがここにいるんですか!?」
「ぜえ、ぜえ、ちょ、待って・・・・・・」
「兄さん!!」
「お前、待ってやれや。鬼か」
先生を頂上の隅にあるベンチに座らせ、何とか介抱する。力のある瀬名高君が先生を担いでいる様子を見て、ショウゼツさんが実体化するか迷っていたけど、一応台心先生の前だから止めておこうという話になった。しかし、シンセンさんの主である甘楽君のお兄さんが彼なのだとしたら、もしかしたら彼も式神が見えるのではないだろうか。
「いや、兄さんは式神は見えません。それどころか、主としての能力も全くありません」
「ほう、台心君は物事を非常にはっきりと言うんだね。ふむ、台心という名に君と付けると、まるで台心先生を同級生として呼んでいるようで違和感があるね」
瀬名高君の声に、虫の息だった台心先生が目を開ける。私たちでさえ疲れたのだ、体力がないで有名な先生にとって、この登山は地獄だっただろう。先生は生徒たちが巡る各名所に行きパトロールをするらしいけど、若いからという理由でここの見回りを任されたのかと想像してしまう。でもこうして甘楽君と合流できたのだから、運がいいという他はない。
「ふう、大分落ち着いたわ。ありがとな、瀬名高。お前は頼りになるなあ」
「兄さん、他人に情けない姿を見せないでくださいよ。僕も恥ずかしいじゃないですか」
「お前は相変わらずだなあ。この前この情けない様子が全校に知れ渡ったから、もういいんだよ」
「ふふふ、台心、教師という仕事に並々ならぬ情熱をかけているらしいよー」
台心先生の言葉に、レイちゃんがにやにやしながら甘楽君に話しかける。どうやら男の子なのに小さくてセーラー服というちょっと珍しい彼の制服が気に入ったようで、心なしかレイちゃんが楽しそうだ。眷属に憑りつかれてしまった影響は残っていないらしく元気そうで、術をかけた張本人は明後日の方向を向いている。こういう所を見ると、他人に興味がないのだと分かった。
「いやあ、台心先生は元から素晴らしい先生だったが、それが証明されたわけだ!自分の仕事に希望を持って取り組めるというのは、素晴らしいことですよね!」
「瀬名高・・・・・・俺、誤解してたよ。ただ変な奴ってわけじゃなかったんだな」
「兄さん、自分の生徒の前で俺という人称はどうかと思いますよ!」
「それより台心が生徒を変な奴呼ばわりしたことを咎めるべきじゃない?」
わちゃわちゃと楽しそうな集団だけど、私は袖をまくり上げて腕時計を見る。もう清水寺に向かわなくてはいけない時間だ。先生が持っていたバインダーがベンチに置いてあって、覗き見ると私たちの班だけがチェックマークがついていなかった。おそらく、いつまで経っても私たちを見かけないから、とここまで登って来てくれたのだろう。もし入れ違いになっていたら先生の努力は無駄になってしまうのだけど、そこは黙っておく。ちらりと式神たちの方を見ると、みんなシンセンさんと話すのを止めてしまったのか、それぞれの主の元に行っていた。横を見てタンギンに視線を送ると、彼はちょっと拗ねたようにため息を吐いていた。
「なんだよ。もう神仙とは話さねえ。あいつ、俺のこと好きじゃねえんだよな。俺もあいつのこと嫌いだけど」
「他人に興味がないシンセンさんがタンギンのことは嫌いって、特別な存在ってことだよね。本当に嫌いなら、話もしないし無視すると思う。そういうものだよ」
「お前、闇深えよ。つうか、この先公本当にただもんじゃなかったんだな」
「確かに。一人で悪意を払いのけたのも、納得だよね」
私の言葉に反応したのか、お兄ちゃんに小言を言っていた甘楽君が、大きい目をさらにまん丸にして勢いよく私の方を振り返った。その場にいた全員がびっくりして彼を見る。
「え、兄さんが悪意に襲われたんですか!?いつ!?なんでそれを早く言わないんですか!?」
「え、えっと。甘楽君、耳良いね」
「言ってる場合ですか!?あなたの脳は飾りですか!?」
「ほらほら、甘楽。落ち着けって」
台心先生は瀬名高君がおでこに乗せたハンカチを外して起き上がると、甘楽君の肩に手を置いた。彼が誰かに似ていると思ったら、台心先生だったのだ。こう見るとここが似ている、とは言い難いけど、兄弟と言われれば納得はいく。
「台心、そう言えば祭りの時に弟いるって言ってたもんね。あの時は雨宿町に甘楽君がいたの?」
「ああ。でもこいつ、来るだけ来て『部屋が汚い』の一言だけ残して去っていったぞ。逞しいから一人で雨宿町まで来たことは心配はしてないけど、友人関係が心配になったわ」
「だって、事実なんだから仕方ないですよ。元から片付けが苦手だった兄さんが一人暮らしするって家を出た時から、僕は心配だったんです。早く鬱岐に戻ってくればいいんですよ」
そう言って、甘楽君は拗ねたように口をつぐんだ。頬が少しむにゅっと膨れて、すごく可愛い。レイちゃんは何を言うでもなく写真を撮っていて、甘楽君にはたかれている。先生はふと優しく笑うと、ぽん、と甘楽君の頭に手を置いて撫でた。兄弟のいない私からしたら、すごく羨ましい光景だ。
「心配してくれてありがとな。今日俺がここに来たのも、お前のことだから、なんか不思議な力でも使ったんだろ?お前はすげえよ」
「ふむ・・・・・・台心先生は、甘楽君が不思議な力を使えることをご存じなのですか?」
瀬名高君の問いかけに、先生はやば、という顔をして視線を逸らした。生徒の前で変なことを言ってしまった、と思っているのだろう。でも、私たちが馬鹿にしない人たちだと思ってくれたのか、ため息を吐いて肩を落とした。
「・・・・・・俺の実家は、神にお供えする品物を作る家業を営んでいるんだ。分かりやすく言うと、お守り作ったり、紙垂作ったり、そんな感じ。で、俺は全く興味も才能もなかったから、家を出て教師を目指した。でも、甘楽は違った。才能があるっつうかなんつうか、こう、神みたいなもんが昔から見えてるみたいだった。ちょっと言葉では説明つかないことも出来てたもんな」
先生は甘楽君を見ると、彼はお兄さんに褒められて嬉しくなったのか、ふん、と胸を張った。セーラーのタイがぴょこんと跳ねる。きっと神というのは式神だろう。ということは、甘楽君は昔から主だったのだろうか。
「へえ、そうだったんだ。例えば、どんなことがあったの?」
「そうだな・・・・・・甘楽が作ったお守りを買った人がすごい幸運に見舞われて全部売り切れになったとか、甘楽に行った相談事は全部叶ったりとか、神と会話ができるとか・・・・・・色んな説があったけど、話題になる前に甘楽は身を隠して、見世物にならないようにしてたんだ。あの選択は本当に賢かったな」
台心先生は甘楽君を見ながら笑っていたけど、本人は顔を曇らせ、何かを我慢しているようにぎゅっと拳を握りしめている。瀬名高君は大げさに頷くと、バンシキさんをちらりと見やった。彼も頷いていて、何か意思疎通をしているようだ。
「なるほど、じゃあ家業は甘楽君が引き継いでいるということですね!いや、素晴らしい!やっぱり向き不向きはありますからね、台心先生は先生になれて良かったと思いますよ!」
「瀬名高・・・・・・お前、泣かせに来てる?」
私はシンセンさんを見る。彼は相変わらず上の空だったけど、視線はこちらを向いていた。私と目が合っても何もリアクションを返してこないので石像か何かかと勘違いしてしまいそうだ。ちょっと恐怖を感じて彼から視線を外す。一方甘楽君は先生と瀬名高君が話している間、黙って俯いたままだ。ふと、彼の口が開く。
「・・・・・・そんな、いいものじゃない」
私だけに聞き取れたのか、みんなにも聞こえたのかは分からない。でも彼のこの言葉は、助けを求めているようにも聞こえた。私は彼を見続けると、彼もまたこちらを睨み返してきた。右だけ少し長め髪も相まって、本当に女の子みたいに可愛らしい。
「なんです?僕に用でも?」
「・・・・・・いや。家業、って、ここにいる中で私だけ無縁だから・・・・・・大変そうだなって」
「ここの中で、って、この人たちは全員実家が何かやってるってことですか・・・・・・って、そうか、瀬名高さんはパン屋、碁色さんは神社ですもんね」
「うん。きっと、私には分からない大変なことが多いんだろうなって。そういうのって、継ぎたくない時もきっとあるよね」
私の言葉に、彼はちょっと目を開くと、何か言いたそうに口を動かした。そうじゃない、と返ってくるかと思ったけど、彼の反応を見るに、家業を継ぐことに完全に肯定的なわけじゃないらしい。
その様子に気付いたのかは分からないけど、横で私たちの話を聞いていたレイちゃんがうんうんと激しく首を縦に振っていた。彼女と甘楽君はちょっと状況が似ている気がする。
「うんうん、分かるよ、甘楽君。私も神主なんて全く継ぎたくないし、あんな古いとこ、さっさと出たい。そしてバイトして可愛い服買って都会に出たい」
「・・・・・・別に僕は何も言ってませんけど。それに、僕は全く継ぎたくないってわけでもないんです。でも」
甘楽君は少し下を向いて零した。つま先で砂をじゃりじゃりといじり、腕を後ろに組む。
「・・・・・・友達が、できなくて」
「分かる!!!!」
レイちゃんが甘楽君の腕を掴み、全力でゆする。顔を輝かせ泣きそうな彼女に、甘楽君はのけぞって若干引きつつも興味がありそうな顔で尋ねた。彼女の大きな声に、瀬名高君たちもこちらを見てポカンとしている。
「家が古くて固いと、友達も気軽に呼べないし、汚いと馬鹿にされて輪から外されるし、ちょっとでも変なことすると家が神社だからって言われるし、ろくなことないよね!!もう苗字が変わってるから家が何かやってるんだってことはバレちゃうんだけど、そうして嫌なことがあったから、私も必死に隠してきたの!!」
「そ、そうだったんですか・・・・・・まあ、気持ちは分かります。特に僕たちの仕事は神聖なものなので、家に人は呼べませんね」
「そうだよね、そうだよね!!」
レイちゃんは甘楽君の体から手を離すと、くーっと今までの辛い記憶を堪えるように拳を握った。でも、ふっと私たちの方を見ると、少し明るい顔になって甘楽君をまっすぐ見つめた。彼女と彼は身長が近いので、目がばっちり合っている。
「でも、まあ、こうして主になったのは、ここにいるみんなにも会えたってことだし・・・・・・良くはなかったけど、悪くもない、かな」
そう言うレイちゃんの表情は横からしか見えなかったけど、とても可愛くて素敵なものなのは分かった。甘楽君は下を向いて固まると、急に髪をわしゃっとかきあげ、顔を上げた。男の子らしい強張った顔だったけど、頬は真っ赤だ。
「そうですか!よかったですね!僕には友達はいないままですけど!!」
「じゃあ、私がなってあげる。甘楽君の友達」
レイちゃんが笑って手を差し出す。私は二人のやり取りに陰に隠れて見入っていると、傍にショウゼツさんと台心先生が私の後ろからひょっこりと顔を覗かせ、タンギンがずるずるとバンシキさんを引っ張ってきた。現場に残ったのは、父親のように謎に自信満々の瀬名高君と、誰にも興味なさそうに足元に来た猫を見つめているシンセンさんだけだ。
甘楽君は逡巡するように目を逸らし、髪をかきあげた手で首を抑えた。ほっぺから伝染して顔全体まで真っ赤になった彼は、照れ隠しか、指一本だけレイちゃんに差し出した。
「ちょっと、何それ!?ほら、握手しようよ!」
「・・・・・・あなたと友達になりないなんて、言ってませんから」
「ええー!?こんなに同じ悩み共有できる子、他にいないよ!?お互い愚痴言って行こうよ!ほれほれ!」
「ちょ、止めてください!セクハラで訴えますよ!」
「え、私が訴えられんの!?ぐっ、ギリ勝てなさそう・・・・・・」
なんだかんだ仲よさそうに話すレイちゃんたちに、ショウゼツさんは興奮冷めやらぬ様子でバンバンと私の肩を叩いてきた。台心先生は、目頭を押さえ、背中を震わせている。
「ちょっと、夕陽さん、あの二人展開早くないっすか!?これは恋の足音が聞こえるっすよー!」
「い、痛い」
「甘楽も、年頃だからな。ついにあいつにも好きな人が・・・・・・大きくなったなあ」
「ふ、二人とも、静かに。聞こえちゃうよ」
「甘楽めっちゃ耳良いから、もう聞こえてると思うけど」
「なおさら駄目じゃないですか」
「・・・・・・甘楽。もう行こう」
いつの間にかシンセンさんがレイちゃんと彼の間に立ち、静かに言った。レイちゃんは影から見守っていた私たちに手招きすると、真っ先にショウゼツさんが向かった。同じ仲間とは言え、自分の主を操ったシンセンさんを警戒しているのだろう。私も急いで彼女の元に向かう。
「甘楽、友達出来てよかったじゃないか。つうか、なんでお前、ここにいるんだ?今日は学校のはずだろ?」
「・・・・・・じゃ、僕はここで」
「おいおい、甘楽?」
兄の忠告をよそに、甘楽君は私の方に来て、びしっと指を指した。見た目は幼いけど、最強の式神を従え、彼に力を貸している彼は、瞳に凛とした光を宿していた。
「いいですか?椿さん、また会いに来ます。あなたは廃絶の存在を暴く重要参考人です。今日の様子だと廃絶に繋がったスパイではなさそうですけど、きちんと監視させてもらいます。また会いに来ますからね、いいですか」
「何回会いに来るって言うんだよ。暇人め」
タンギンが横で舌打ちする。甘楽さんはぎろりと彼を睨むと、ふいっと顔を背けていってしまうと、「君はいい人です」と瀬名高君の肩を叩き、そのままスルーした。ぞんざいな扱われ方をしても、瀬名高君ははっはっはと高笑いをしてノーダメージのようだった。つくづく愛すべき変人だなと思う。
甘楽君はレイちゃんの前を通り過ぎる時一気に頬を赤くして睨みつけていたけど、何も言葉は交わさなかったようだった。最後に台心先生の前に来て、彼のスーツを引っ張る。先生は膝に手を突いてかがむと、優しく笑って自分の弟を見た。見たことないくらい安らかな顔だ。学校では絶対見られない。
「いいですか、兄さん。何か変なことや危ないことがあったら、真っ先に僕に言ってくださいね。僕は携帯を持っていないので、はがきを送ってください。でもそれだと時間がかかるから・・・・・・うーん、念を送ってください。すぐに飛んでいきますから」
「はは、分かった。まず最初に甘楽に助けを求めるよ。父さんと母さんに、甘楽に携帯買ってやるように言っとくから。またこっち遊びに来てな、部屋綺麗にして待ってるから」
そうして、先生は甘楽君の頭をわしゃわしゃと撫でた。照れたように彼が逃げようとしているけど、先生はいたずらっぽく笑ってやめなかった。兄弟っていいな、と心の底から思う。傍で様子を見ていたシンセンさんは、無表情ですっと踵を返した。
こうして、彼らは先に頂上から降りていった。先生にはシンセンさんは見えないので、弟が一人下山する様子を少し後ろからついていくらしい。去り際に、レイちゃんに先生がぼそっと零した。
「・・・・・・家業を弟に押し付けるなんて、最低な兄だよな」
「・・・・・・別に、嫌に思ってないって言ってたし、いいんじゃない」
レイちゃんはそう淡泊に返すと、台心先生の背中を思いっきり叩いた。体力のない彼は結構吹っ飛び、何とか倒れずバランスを取っている。
「ほら、弟が待ってるよ、着いていきな!」
レイちゃんの言葉に、先生は苦笑すると、ひらりと手を振って鳥居の中に消えていった。こうして、台心先生がちょっと怪しい存在だった理由が解消されたのだ。
「しかし、台心がシンセンの主の兄とは・・・・・・でも、才能はなかったって言ってたよね」
レイちゃんが下山しつつ、顔をこちらに向けて私たちに話しかけてくる。横でショウゼツさんが実体化して、彼女と私の分までリュックを持っていてくれた。瀬名高君は彼女の言葉に頷くと、真剣な顔で顔に手を当てた。
「ふむ。でも椿君の話では、先生は自分で悪意を跳ね返したという。決して、才能がなかったわけではないのだろう。もしかしたら碁色君のように、きっかけがあって式神を信じられなくなってしまったのかもしれないね」
「あいつに才能はねえよ。ただ、普通の奴より感が鋭いだけだ。その暁に、あいつは弟に俺らの情報を漏らしてたんじゃねえのか?そうじゃなけりゃ、夕陽にあんなに突っかかってこねえだろ」
「甘楽君に、私たちのことを話してたってこと?何のために?」
「そりゃあ、神が宿ってそうな怪しい生徒3人組がいるってことくれえ、近況報告でもした時に言ってんだろ。それで甘楽って奴は、俺らの存在と廃絶に繋がりがありそうな夕陽を結び付けたってわけだ」
タンギンが吐き捨てるように言う。ショウゼツさんにつられたのか、彼も実体化して階段を降り続けていた。今はたいして人もいないので、騒ぎになる心配もない。彼の耳から下がったオレンジ色の宝石が段差の度に揺れて綺麗だ。バンシキさんも状況を整理しているようで、瀬名高君の後ろをうっすらとついてきてはいるけど、何も話さなかった。
「んー、なんか私台心のことあんま好きじゃなかったんだけど、甘楽君に家業を押し付けてたからってのもあるかもしれない」
「そ、それは関係あるかな・・・・・・」
「まあ、久しぶりの神仙さんに、ちょっと疲れたっす。あの人、人にあんま関わらないから、どうやって人に話しかけたらいいか知らないと思うんすよ」
「その結果が、主に眷属を憑依させて、大洪水を起こして俺らをさらって別世界に行くってことかよ。人付き合いが苦手にも程があんだろ」
「タンギンに言われたくはないと思う・・・・・・」
「ああ!?」
彼の攻撃を上手くよけつつ、私はぼんやりと思った。これで、私に関わりのある、廃絶のボスらしき疑いがある人は一人消えた。するともう、永遠さんしかいなくなってしまう。やっぱり彼が廃絶なのだろうか。でも、そうならどうして、今まで私に何も危害を加えてこなかったのだろうか。それに、どうして敵である式神がいる街へ、私を行かせたのか。考えれば考えるほど分からなくなってきて、私は重力に任せてポンポンと階段を下っていった。
「ちょっと、夕陽ちゃん早くない!?よーし、私も負けないよ!」
「待ってくれ、椿君!こけたら危ないよ!」
みんなの声が後ろから聞こえる。私は風に身を任せて、段を降りていった。風が心地いい。そう言えば、前にもこんな経験があった。確か、レイちゃんが初めて式神を見た日、瀬名高君と碁色神社の階段を下ったのだ。その時は彼が手を握ってくれた。
そう言えば、シンセンさんの世界に取り込まれるとき、彼と甘楽君の影が誰か別の人に見えた気がする。確か、すごく懐かしいような、切ない気持ちになった。あの声は小さい頃聞いた気がする。思い出そうとするけど、脳に靄がかかったように思い出せない。姿も分からない。声は、何となく聴いたことがある。あの低くて、安心できる声。
「・・・・・・お父さん?」
「夕陽!!」
ぐいっと誰かに抱きかかえられ、振り返ると、タンギンの戸惑った顔がすぐ近くにあった。彼が階段の途中で私を止めたのだ。それがなぜかわからず、首を傾げる。お腹に当たる彼の手の感触がくすぐったい。
「タンギン?どうしたの?」
「お前、勝手にどんどん先に行くなよ。どこまでも下っちまうから、焦ったわ」
「・・・・・・そう」
私の脳はそれどころではなかった。まだ何か思い出せそうで、必死にあの時の記憶をたどる。私のお父さんは、死んでしまったはずだ。お母さんは、夜逃げしてしまったはずだ。でも、それは私が物心つく前に起こったことであって、そう聞かされただけにすぎない。じゃあ、あの感覚はなんなのだろうか。
すると、ふわっとお菓子のように甘くて香ばしい香りが鼻に入ってきた。ついでに、ホカホカの湯気も鼻孔を直にくすぐってくる。見ると、タンギンが紙に包まったコロッケを私に差し出していた。差し出したというか、もう私の唇に衣が当たっているので、私は大人しく口を開く。さくっと小気味良い音がして、口の中にジャガイモの甘じょっぱい味と、油のジャンキーな味が広がった。すごく美味しい。たくさん動いたからか、知らず知らずのうちにお腹が空いていた。
「美味しい・・・・・・これ、どうしたの?」
「・・・・・・てめえには、倒れられると困るからな・・・・・・・」
そう言ったタンギンの横顔は不安そうに影が落とされ、紙を握った手からさく、とコロッケが潰れる音がする。タンギンが心配してくれたことに気付き、私は笑って彼の手に自分の手を重ねた。
「ありがとう、タンギン・・・・・・タンギンも食べる?」
「いらねえ。式神は物食わねえからな」
立ち止まった私たちに追いついたのか、レイちゃんたちの声が後ろから聞こえる。おーい、という声があ!と楽しそうな声に変わり、レイちゃんが私の肩に顎を乗せてきた。少しくすぐったい。
「あ、いいな!って、タンギンが買ったの?お金は?」
「ん?あのババア、イケメンだからやるってよ。良かったな、俺がイケメンで」
「はあ!?あんた、無銭飲食じゃん!式神は法で裁けないけど、主は裁かれるんだからね!?」
「・・・・・・私、お金払いに行ってくる」
慌てて、階段を下りた先にあるコロッケ屋さんに二人で駆けだす。瀬名高君の方を振り返ると、彼は真剣な顔でバンシキさんと何か話していた。私たちは彼の分も買って、無事に伏見稲荷の千本鳥居を下山することができた。
残りの時間的にもう清水寺を観光する時間はなかったので、麓でうろついていた先生にその旨を伝えて早めにホテルに着く。すると意外なことに、塩味君や森林君がもう着いていた。別の班だと同じクラスでも中々話す機会がないので、久しぶりの主も式神も関係ない人の姿に私は少し安心した。
「あ、しおみんたちだ!意外だねー、ギリギリまで観光してそうだったのに」
「それが、俺が交通費をキャリーケースの中に入れっぱなしで、金が足りなくなっちゃったんだ。他の奴らとも一緒に行動してたんだけど、森林が付いてきてくれるって言うから、一緒にここら辺で待ってたんだ」
たはー、と困ったように笑う塩味君に、レイちゃんと瀬名高君が可笑しそうに微笑む。もうバンシキさんとショウゼツさんは姿を消していた。タンギンもいない。私はふう、と一息つくと、ホテルの近くに抹茶のドリンクが売っているのを発見した。プラスチックの容器ではなく、木の升で出来た入れ物に入れてくれるらしい。基本は抹茶味だけど、ほうじ茶やいちご味などバリエーションがあるようだ。表面にはふわふわの雲みたいなメレンゲの上に金箔が乗せられていて、なんとなく和を感じる。レイちゃんの肩を叩いて一緒に行こうと提案すると、彼女は物凄い勢いで目を輝かせて食いついてきた。こういう所を見ると、表情が豊かだといいなと思う。
「うわー、あそこインスタの映えスポットで有名なとこだ!!こんなところにあったんだ、夕陽ちゃん天才!!まだまだ時間あるし、行こ行こ!!」
彼女に引っ張られて、その場にいた全員で抹茶の飲み物を買う。みんな定番の抹茶を買っていたけど、塩味君は抹茶が苦手らしく、一人いちご味を買っていた。店員さんが差し出してくれた木の箱には表面張力で今にも溢れそうなほどのメレンゲが乗っている。ホットを頼んだので、手からじんわりと温かさが伝わってきて、冷えた体と心を癒してくれた。レイちゃんたちは器用に片手でスマホを操作していたけど、私は両手を使わないと写真を撮れないので、先に飲んでしまおうと升に口を付けた。横で森林君が私と同じように、スマホでパシャパシャ撮っているみんなを遠い目で傍観している。
ところで、彼は夏でも旅行でもバスケをしている時でもマスクをしているので顔の全貌を見たことがないのだけど、この抹茶はどうやって飲むのだろうか。彼が頼んだのは抹茶のムース付きのラテなのでストローでは吸いきれないし、そもそもホットなのでストローは危険だ。お昼の時も気が付いたらマスクをしている彼の素顔を見たいな、と私は彼を見上げた。不意に、鋭い目線が返ってきて、すぐに逸らす。しまった、見すぎてしまった。そもそも彼がここまでマスクをしているということは、顔を見せたくないからかもしれない。デリカシーがなかったな、と反省し、また抹茶を口に運ぶ。山登りとシンセンさんたちのとの対峙に予想以上に疲れてしまって味覚が鈍ってしまったのか、あまり抹茶の味がしなかった。
「俺の顔、気になるの?」
「えっ!?えっと、いや、その、ま、抹茶熱いから、どうやって飲むのかなーって・・・・・・」
不意を突かれた質問が飛んできて、思わず狼狽えてしまう。森林君は顔を動かさないまま目だけ私の方に向け、ふっと息を飛ばした。笑われたのだろうけど、彼も私並みに表情が分かりづらい。
「別にいいけど、そこまでがっつり見られるのは嫌だ」
「ご、ごめん・・・・・・」
「いいよ。椿さんには借りがあるし」
それは、体育館で他行との練習試合が行われた時、彼が廃絶によって悪意を増長されてしまった時のことだろう。あの時、彼本人もレイちゃんの悪口を口走ってしまったことを自覚しているらしく、それを私が黙っていることに恩義を感じているようだった。意外と律儀だなと思いつつ、クラスでも謎の塊のような彼とこうして喋れるのは、もしかしてレアなんじゃないかと思えてくる。
「俺はもうずっとマスクしてるから、したままでも飲み物は飲めるよ。ほら」
そう言うと、森林君は器用に口元だけマスクをずらして、升を口に運んだ。液体の角度も計算しているのか、すれすれの所でメレンゲが彼の口に吸いこまれて小さくなっていく。私は思わず拍手してしまった。
「おおー、すごいね」
「こんなんで拍手されたの初めてだ」
「マスクか・・・・・・私も一時期はしてたよ」
「へえ。何で?」
彼の間髪入れずに飛んでくる質問に、ちょっと考える。表情筋が動かないから、という言い方は少し変な気がする。感情が顔に出ないから、が一番合っているけど、はあ?と冷たく返されたら立ち直れる気がしないので、もう少し分かりやすい表現を探した。
「・・・・・・自分の顔が嫌いだから」
「ふうん。俺も」
そっけなく返ってきた彼の返事に、私は彼を見上げる。そんなに安くもなかったのに、彼は酒を煽るみたいに一気に升の中身を飲み干した。一瞬、彼の口元が見える。決して肌に傷があるとか、形が整っていないとかではないように見えた。彼はマスクを直して私を見ると、目を細めてふふっと笑った。レアな反応にちょっと嬉しくなるけど、私は笑われるほど変な顔をしていただろうか。もしかして、真顔にしかなれない呪いから解放されただろうか。
「椿さんって、ほんとに笑わないよね。面白くもないのに笑ってる奴よりかは全然いいと思うけど」
「そ、そうかな。私は自分が笑えてないこと、すごく嫌だよ」
「へえ。別にいいじゃん、人の顔なんて所詮作り物なんだからさ」
「・・・・・・だからこそ、一瞬見せる本物の顔が怖いんだよ」
鬱岐らしからぬ暗い雰囲気の私たちに、タンギンが堪らずといった様子で「お前ら、闇深すぎ」と出てきた。森林君に悟られないようにちらっとタンギンを見る。私もここまで重い空気になるとは思っていなかった。少し離れた所では、レイちゃんと瀬名高君と塩味君が、お店の人に頼んだのか、映えスポットを背景に写真を撮ってもらっている。こことは天と地の差だ。
しかし、森林君は何を思ったのか、またふふっと笑うと、今度は私の方に体ごと向いてきた。何事かと私も彼を見上げる。彼は決して悪くない顔立ちでこちらを楽しそうに見ると、ぐっと目を細めて笑って、マスクに手をかけた。驚きの声を上げる間もなく、覆いかぶさってくる影に、私はただ彼の顔を見ることしかできない。
彼はすっとマスクを下に下げ、にやっと意地悪そうに口を引き延ばすと、べっと舌を出した。ただでさえ彼の顔が見えたことが驚きなのに、私のその舌に目を吸い寄せられてしまった。そこには、校則で禁止されているはずの舌ピアスがバッツリと二個付けられていた。焦って森林君の目を見ると、彼は心底可笑しそうに笑って、すぐにマスクを鼻までひきあげてしまった。
「クックック、本当に顔、変わらないんだね。面白」
私の顔が変わらないことの何が楽しいのか全く理解できないけど、森林君はどうやらすごい秘密を私だけに教えてくれたようだった。彼は目を細め私の目の寸前でびしっと指さすと、口元を抑えてすぐに塩味君たちの方に行ってしまった。
「碁色のこと黙っててくれたお礼。誰かに言ってもいいけど、椿さんは言わなさそうだね」
どんどん遠くなっていく彼の背中に、私は横であんぐりと口を開けたタンギンと無言で顔を見合わせた。まさに、今の私の感情はこんな顔だ。言葉が出て来ず、何をしたらいいのかも分からず、とにかく持っていた升の中身を飲み干した。疲れとはまた別で、抹茶の味が全くしない。
「・・・・・・あいつ、廃絶と同じくれえ要注意人物だな」
「・・・・・・私、そんなあほな顔してた?」
「分かんねえ。俺もあいつのベロしか見てなかった」
「わ、私、どうしたらいい?」
タンギンを見ると、彼ははあ、とでっかくため息を吐き、困り笑いをした。彼のこんな表情初めてだ。
「知らねえ」
遠くでレイちゃんが私を呼ぶ声がする。私はとにかく森林君と目が合わないように、そして彼の秘密を絶対話さないと心に誓って、みんなの元に走っていった。




