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1.出会い

ダダダダダ、ダダダダダ・・・・・・ダダダダダ、ダダダダダ・・・・・・

機械的なアラーム音が聞こえて、スマホに手が伸びる。基本的に二度寝すると起きられなくなるので、閉じたままの目をこすって、なんとか体を起こした。

今日は初の登校日だ、と思った途端、意識が覚醒した。迷わず布団を引っぺがし、カーテンを開ける。

窓を開けると、スズメのさえずりが聞こえてくる。うるさいくらいの鳴き声で、田舎に越してきたな、と実感する。

顔を洗って、歯磨きをして、パンを焼いて、テレビを付ける。

流れ作業の途中でも、初登校の緊張は抜けない。なんとなく、地に足が着いていない心地になる。口に入りそうにないパンをお皿に置き、着替えることにした。

私が通う、県立光影高等学校の制服は、セーラー服とブレザーが合体したようなデザインだ。

ワイシャツを着て、ネクタイを締める。セーラー服のような形の襟がついたジャケットを羽織り、ひだの多いプリーツスカートを履く。髪を櫛でとかし、お気に入りの香水をつける。

鏡に映る自分の顔は、憎たらしいくらいの無表情だ。こんなに緊張しているのに、汗一つかかず、じっと冷静に自分を見つめ返してくる。

家を出ようと玄関を開けると、丁度近所の子供が「行ってきまーす!!」と叫んでいるのが聞こえる。その後の、お母さんと思われる、「しーっ、静かにしなさい!」という声も。

道を歩くと、通り過ぎた小学生が友達に「おはよー」と声をかけている。

そういえば、私は物心ついた時から、一回も誰かに「行ってきます」や「おはよう」を交わし合っていない。

最初は叔母さんたちから言ってくれたが、ある時から返事をくれなくなった。だから、私も言わなくなった。

完全に昼夜逆転していた永遠さんは朝に寝ていたので、挨拶は必ず「こんにちは」か「こんばんは」だった。

朝に誰かが傍にいるって、ありがたいことなんだよ。

横を通り過ぎる小学生たちに言ってやりたかったけど、彼らはあっという間に向こうへ行ってしまった。

輝く朝日を浴びながら、私は辺りを見回す。丁度目の前の信号が赤になり、私は足を止めた。

見たことのない風景でも、今置かれている状況が分かった。

「やっぱり、迷ったな」

途中、怪しいとは思っていたけれど、なぜか足が止まらなかった。しかし明らかに周りに小学生しかおらず、道を間違えたことを悟った。

このままだとこの子たちと一緒に小学校に行くことになる。私はスマホを取り出して、高校への道を調べた。

地図が読めない私は、アプリを開いても正直ピンとこない。現在地が行ったり来たりして、まるで右往左往する蚊のようだった。

とっくに青に変わっていた信号がまた点滅し始めた時、私は不意に、甘い香りを感じた。


こんがりと焼けたクッキーのような、香ばしくて優しい甘さ。思わず辺りを見回すと、丁度隣に、メロンパンを頬張っている美青年が立っていた。手には、これまた山盛りのパンが詰まった袋を下げている。ブレザーを着ているから、学生だろうか、年齢は一緒くらいだ。

私は驚いた。本当にパンを食べながら登校する人なんているのか、と。

私の視線に気が付いたのか、彼がこちらを見て、にっこりと会釈をしてきた。口にパンの欠片を付けながら。

ぺこりと頭を下げ、私は足早に青に変わった横断歩道へ進む。今は漫画に出てくるような謎の青年に構っている場合ではない。転校初日から遅刻して、浮きたくなかった。

そんな私の手に、かさ、と何かが触れた。

見ると、それはパンだった。黄金色の焼き目のあるアップルパイが、可愛い包装紙に包まれている。顔を上げると、先ほどパンをむさぼっていた青年が、パンを私の手に握らせていた。思わず足が止まる。

「え、えっと、何でしょうか?」

そう問うと、彼は輝かんばかりの笑顔になって、こう言った。私には絶対できない笑顔だ。

「おはよう。素晴らしい朝だね。こんな日は、僕みたいな美しい人と、美味しいパンで、君の新しい門出を祝おうじゃないか!」

「・・・・・・・・・・・・」

私は自分自身で、変わっているという自覚があった。感情が一切表に出ないことは、十分普通じゃないだろう。しかし、世の中は広いものだ。出会った瞬間から、変わっているとはっきり分かる人がいるなんて。

私は瞬時に、関わると面倒くさそうと判断し、逃げる体制を取った。パンをやんわりと彼に返し、じわじわと距離を取る。

「ありがたいんですけど、これ、お返しします。お腹が空いていないもので・・・・・・では、これで失礼します。さようなら」

一方的に喋り、私は一目散にその場から走り去った。彼は追いかけてこなかった。

遠くからクラクションが聞こえ、あの人はあそこに立ちすくんでいるのかな、と少し気になった。しかし、遠くに同じ制服を着た学生たちが見えたので、私はさっきの体験を振り切るように、彼女たちを追いかけた。




校門の前には、口元に髭を生やしたおじさんが立っていた。朗らかに門をくぐる学生と挨拶をかわしている。

彼は私を見ると、待ってたよ!と言わんばかりに、そのクリームパンのような手をぶんぶんと振ってくれた。

私は驚いた。わざわざ校門で私を待ってくれる先生がいるなんて、親切な高校だと思った。

その先生の元まで駆け寄り、お礼を言う。

「すみません、校門まで迎えに来てくださって・・・・・・」

彼は嬉しそうに口を開いた。笑った衝撃で、灰色のスーツのボタンが一個はち切れそうになっている。

「ほっほっほ、わざわざ走ってきてくれて、ありがとうね。待ってたよ、転校生の、椿夕陽さん」

彼がそう言った途端、周りの生徒がさっ、といっぺんにこちらを向いた。大量の目に、心臓がぎゅっと縮まる。

「!?」

何事だろうか、私は転校する前から、変人だと噂されていたのだろうか。

そんな不安が頭をよぎったのも束の間、彼らはテーマパークで着ぐるみを見つけた子供の様に、好奇心に満ちた目でこちらに集まってきた。

「え、この子が転校生か!可愛いー」

「へー、何年生なんだろ」

「どこから来たのかな?後で聞いてみよー」

みんなの視線を一気に浴びて、私は全身から汗が噴き出るのを感じた。恥ずかしくて下を向く。

「おや、どうしましたか?虫でもいましたかな?」

先生も私につられて下を向く。私は照れたのだが、何せ顔に出ていなかったのだろう。私は自分のポーカーフェイスぶりに呆れた。

「いえ、何でもありません」

「そうかそうか。ではさっそくだけど、ちょっとお話があるから、校長室に来てもらってもいいかな?」

「はい」

その先生はすごく優しかった。私の靴箱の場所を教えてくれたり、途中で私が付いてきているかちらちら確認してくれたり。目が合うたびに、安心させるようににこっと笑ってくれる。

緊張で縮こまっていた心が、じわじわと緩んでいくのを感じる。永遠さんが言っていたように、この高校は全体的に優しそうな人が多かった。

校長室に着くと彼はノックもせずにガチャリと扉を開けた。そして、ずんずんと進んで、正面に陣取っていた格調高い空っぽの椅子に腰かけた。ふう、と軽く汗を拭いている。

「え、校長先生だったんですか?」

思わず出た言葉に、私は急いで口をつぐむ。そういえば、一度、この高校に入学すると決めた時、挨拶に行ったことがあった。でもその時は校長は不在で、代わりに副校長が手続きをしてくれたのだ。

彼はそんな私の様子に、あっけらかんと笑った。

「ほっほっほ、みんな一度はそう言うんです。その反応が面白くて、転校生の子にはいつも秘密にしているんですよ」

彼はそう言った後、一転して真剣な顔になった。彼の背にある窓から差す日光が、彼の威厳を醸し出すように照らしている。

「さて、改めて。光影高校にようこそ。私が校長の、木交長太です。君のご両親の件、伺っているよ。その後の、境遇のこともね。今のところ、何か、不自由に感じることはないかい?」

入学手続きの際、校内見学をしておいでと言われ一旦その場から離れたのだが、その時に付添人として来てくれた永遠さんが、事情を話してくれたのだろう。

彼の配慮に、心が温かくなる。私のことを気遣ってくれる人がいるだけで、私が幸せだった。

「お気遣い、ありがとうございます。生活費用も祖母たちから貰っていますし、今は大丈夫です」

私が頭を下げると、彼は微笑んだ。目元の皺がきゅっと垂れて、心の底から笑ってくれているのが伝わってくる。

「だったらいいんだ。今後も、何かあったら何でも言ってくれていいからね。この学校の子たちは優しいから、きっと、楽しい学校生活を送れると思うよ」

彼は私が部屋を出る時も、いそいそと立ち上がって見送ってくれた。こんなに権威の高い人が生徒に優しくしてくれるのは予想外過ぎて、少し戸惑っていた。

校長室を出ると、目の前には顔立ちの整った男性が、壁に寄りかかっていた。煙草でも吸いそうな勢いで、けだるげに息を吐いている。

扉が開いたのに気が付くと、その人は急にピシッと姿勢を正した。彼の目線の先には、校長先生が立っている。

「おお、台心先生!来てくれたのだね、いやあ、よかった。この子が、新しく来た、椿夕陽さんだよ。椿くん、この人は台心先生。君のクラスの担任の先生だよ」

校長先生が丁寧に説明してくれる。私はさっきのだらしない態度とは打って変わって、爽やかな笑顔を浮かべた先生を見た。台心、というのが苗字だろうか。変わった苗字だ。

彼は私に近づき、ミントの香りでもしそうな声でかがみこんできた。ちょっと距離が近い。

「校長、ありがとうございます。椿さん、だったかな?やあ、初めまして。私は台心透夜。1-Cの担任だ。これからよろしくね。さあ、さっそくクラスまで案内しよう。校長、それでは、失礼いたします。さあ行こう!」

私は彼の圧力とも言える念の強さに負け、大人しく付いていった。校長先生にお礼を言い、長い廊下を渡っていく。校長は終始、ニコニコして見送ってくれた。

台心先生は私を置いていくようにスタスタ廊下を歩いていく。私は小走りになりつつも、必死に角を曲がった。

突然、何かに正面からぶつかる。誰かと思えば、台心先生だった。

急に止まったりして、どうしたんだと彼を見上げると、当の本人はまた、あのけだるげな雰囲気に戻っていた。目からハイライトが消えている。

「・・・・・・君、名前なんだっけ」

単調な声に驚く。さっきまではミュージカル俳優さながらの声量だったのに。

「・・・・・・えっと、椿夕陽です」

「そっか。今日初登校だよね。緊張してる?」

意外と普通の会話が成り立っていることに驚きつつも、私は歩幅を合わせてくれている彼の隣に立った。彼は早速、ネクタイを鬱陶しそうに緩めている。

「・・・・・・してないと言えば嘘になります」

「はは、そっか。まあ、リラックスしといてよ。うちのクラスの子たちは、いい子ばっかだからさ。まだ一週間しか経ってないからわかんないけど」

流れる様に適当な発言をする先生を横目で見つつも、悪い先生ではなさそうだ、と思った。表と裏がちょっと激しいだけで。


そんなことをしている間に、いつの間にか教室に着いていた。「1-C」のプレートが、やけに冷ややかに見える。

「じゃあ、ここでちょっと待ってて。俺が入ってー、って言ったら来てね。別に、急に乱入してきてもいいけど」

へらへら笑う彼に、黙ってうなずく。彼のおかげで、朝の緊張は大分解けてきていた。この態度を見ていると、緊張しているのが馬鹿みたいに思えてくる。

先生はガラガラと扉を開け、みんなに席に着くように促した。そのまま壇上に上がり、教卓に出席簿を置く。

「はい、日直ー。号令ー」

しかし、みんな挨拶は上の空だった。なぜなら、転校生である私が、開けっ放しの扉からがっつり見えていたから。

面白いくらいにポカンとしているみんなの目がこちらを向いていて、私は戸惑う。乗り出すように起立する人やらこちらを向きながら礼をする人やらで、挨拶と言うよりは単に立ち上がっただけだった。

「あれ、みんな挨拶はどうした、挨拶は。って、あー、転校生が気になってんのか。すまん、扉あけっぱだったわ」

先生は髪をぼりぼり搔きながら、私に手招きする。適当だなあ、と呆れつつも、私は教室に足を踏み入れた。月日がたった木の匂いと人の匂いが、体全体を覆ってくる。

クラスの視線を痛いくらいに感じて、自然と背中が縮こまる。正面を見れずに、私は私の名前を黒板に書く先生を見た。

意外と字が綺麗な台心先生は私の視線に気づくと、「どこ見てんだよ」と笑った。段々へらへらした態度の先生にイラついてくる。

頑張って正面を向くと、みんなの興味津々な目がじっとこちらを見ていた。私は毛穴という毛穴が開いていくのを感じた。

「そりゃ、みんな気になるよな。じゃあ転校生を紹介するぞー。椿夕陽さんだ。はい、よろしくー」

先生はそう言うと、「えーっと、席は・・・・・・」と名簿を見た。途端に、クラスがざわついた。

「えー、先生、本人からの挨拶は!?」

「なんで先生が挨拶するんだよ!!」

「椿さんごめんね、この人本当に適当だから」

見渡す限り、みんな笑ったり、困っていたり、表情豊かだ。私みたいに顔が動いていない人なんて誰もいない。私は予想以上に温かいクラスに、顔を覆いたくなった。今、私は困り笑いをできているだろうか。

「じゃあ椿さん、この適当な先生のことはほっといて、自己紹介どうぞ!」

「おい、誰が適当だ」

元気な男の子が立ち上がり、私に挨拶を促してくる。先生も文句を言いながら、私をじっと見てきた。

私は精一杯柔らかい雰囲気を醸し出しながら、口を開いた。乾燥で喉がぴりつく。

「・・・・・・椿夕陽です。他無県から来ました。よろしくお願いします」

途端に、下げた頭を上げたくなくなる。

しん、と息をひそめた空気が、耳をキンと刺した。淡泊な挨拶だと思われたのだろうか。余計なことを話しても、ただ顔が動かないのを見られるだけだと思って、出来るだけ最小限にしたのに。

きっと、不愛想で、冷たくて、面白くなさそうだと思われているのだろう。私は唇を噛みしめた。ここでも失敗してしまった。前を見れない。後悔がじわじわと視界を侵食してきた時だった。

不意に、明るい声が飛んできた。どこかで聞いたことがあるような、馴染みのある声だった。


「先生!彼女は少々緊張しているようだ。先に、僕たちから自己紹介をしようではないか!」


顔を上げる。全員の視線を自分のものだと言わんばかりに集めながら、その人物は私に向かって指を指した。イケメンと断言しても差し支えない彼は、私を見てニコッと笑い、手を大きく伸ばした。

「僕の名前は瀬名高光!!身長178㎝、体重61キロ!家業でパン屋を営んでいる。好きなものは笑顔、嫌いなものはキノコ!どうぞお見知りおきを!!」

美しくポーズを決め、彼は満足そうに目を閉じた。私は唖然とした。みんなも口をポカンと開けている。

私は何より、彼が信号付近で会った、パンを食べていた青年であったことが何よりの驚きだった。こんな偶然があるとは思えない。

しばらくの沈黙の後、ぷっ、と誰かが噴き出す音がした。途端に、クラスが笑いに包まれる。

「あっははは、なんでお前が自己紹介すんだよ!!」

「あんたのことなんて誰も聞いてないわ!」

「椿さん困ってんじゃん!第一印象終わったね、光!」

私はみんなの歓声や罵倒を笑って受け取る彼を見つめた。どうして彼は、あんなに輝いているのだろう。私にはないユーモア、人を惹きつける才能、そして、あの笑顔。

「ほらほら、瀬名高ふざけ過ぎだー。後で職員室来て、プリント運ぶの手伝ってくれ」

「先生、また適当なこと言ってるー」

「大丈夫だよ椿さん、このクラスちょっと変人多いけど、みんな面白いし優しいから!」

最前列の子が声をかけてくれる。同意したように、みんな頷いていた。笑って、私の方を見ている。さっきの失敗の雰囲気なんてなかったようだ。

「・・・・・・はい。楽しそうです」

「じゃあ、椿は一番後ろのそこな。なんか仲良さそうだから、瀬名高、面倒見てやれよー」

「もちろん、僕で良ければ!!」

「椿さん、この人馬鹿だけど、悪い人じゃないからね!」

「そうそう、いい人だよね、アホだけど」

席までの道がまるで花道のように、みんなの笑顔と声で送られる。もしかしたら、すごくいいクラスに当たったのかもしれない。

「じゃあ、各自1時間目の授業に移れー。あ、そうだ椿、ちょっと」

先生の号令で生徒たちは散らばり、私は先生に付いて教室を出た。途中、瀬名高君を見る。彼は私の視線に気づくことなく、小突かれ、笑い合うクラスの人たちに囲まれていた。

きっと、彼は人気者で、クラスの中心にいる人物なのだろう。だから、彼の発言にみんな笑うのだ。さっきも、私の重苦しい自己紹介の空気を変えてくれた。でも、だからと言ってもう関わることはない気がする。きっと私が中心にいると、つまらなくなるだろうから。

そんなことを思っていると、職員室から出て来た台心先生に、ノートやらプリントやらを渡される。今日使う分だけピックアップしてくれたのか、予定表や授業の教材が何冊かあるだけだ。

「どうだ、うちのクラスは」

「・・・・・・・いいクラスです。みんな明るくて、優しい」

「だろ。きっとうまくやっていけるさ。なんかあったら言えよ。俺以外の先生に」

私は先生を見た。彼は胸ポケットに伸ばした手を止め、行き場がないように手を組む。きっと、煙草を探していたのだろう。つくづく、適当な先生だ。

「台心先生以外なんですね。とにかく、ありがとうございます」

「まあ俺でもいいよ。あ、それ、今日の授業の分しか渡してないから。全教科は重いだろうから、瀬名高にでも手伝ってもらって、後で取り来て」

「・・・・・・はい。ありがとうございます」

前を通る生徒が先生を頬を赤らめて見つめている。彼はモテるらしい。でも私にとってはどうでもいいことだ。お礼を言って、私はその場を後にした。




「ねえ、椿さんって何中出身?」

「可愛いよね、化粧品は何使ってる?やっぱ高いやつ?」

「うちの先生イケメンでしょ?椿さんと並んでるとめっちゃ映えてたよ、美男美女で」

「授業着いていけないとことかある?これ、要点まとめたプリント!良かったら使って!」

教室に帰るなり、クラスのみんなが私の周りに集まって来た。好奇心に輝く目に、私はつい縮こまりたくなる。私の机も、人だらけだった。隣の席はお休みなのか、空席なのをいいことに机がどかされている。

「椿さんってクールだよね。表情一つ変えないし!」

ポニーテールの女の子が身を乗り出してくる。やっぱり冷たい顔だっただろうかと急に不安になった。

「そ、そうかな」

「あ、喋った!!ねえ、なんでこの時期にここ来たの?一週間後なんて珍しいよね」

「えっと、転校手続きが手間取っちゃって」

「そうだったんだ!可愛い子来ちゃったから、うちの男子たちがうるさくてさー」

「顔もっと見せてー。ねえ、笑ってみて」

矢継ぎ早の声に、私は段々混乱して来た。こんなに人から注目されたことがないからか、恥ずかしくて前を見れない。

「あ、あの」

「はーい、席ついてー」

先生らしき人が教室に入ってきて、みんなはばらばらと自分の席に着き始めた。私はつい、息をついてしまう。やっぱり転校初日は落ち着かない。ずっと、頭がぐるぐるしている。

斜め横を見る。瀬名高君は楽しそうに微笑しながら、ノートを取り出していた。彼とはちゃんとした会話はしたことがないけれど、この教室の中では唯一安心できる存在だった。

どの授業も初回の説明を終えただけだったので、内容で置いて行かれそうなことはなかった。けれど、合間の休み時間が辛い。どこからか情報を得たのか、他のクラスまで見物に来ている子もいた。ここでは、転校生はそんなに物珍しいものなのだろうか。

あっという間に放課後になり、帰りのホームルームで先生が来るのを待っている間、私はトイレに行こうと席を立とうとした。

「あ、どこ行くの?案内しようか?」

「いや、大丈夫だよ」

「・・・・・・そう」

少し間を置いた返事が返ってくる。私はそれが気にかかって、振り返ってその子の表情を見たくなった。態度が少しそっけなかっただろうか。ドアを閉め、しゃがんで聞き耳を立ててみる。

「椿さん、怒ってたかな」

「ちょっと騒がしくし過ぎたかも。迷惑だったかなー」

「内心、めっちゃ毒吐いてたりね。うっせえなこいつら、みたいな」

私は血の気が引いた。そんなことない、と飛び出して叫びたかった。でも、そうしたら盗み聞きしているのがばれてしまう。

「何それ、ギャップ萌えじゃん!でも本当にそうかもね。顔色一つ変えないし」

「都会出身だもんねー。田舎者って馬鹿にされてんのかなー」

「それはひどくない?」

段々とエスカレートしていく悪い雰囲気に、膝が震え始めた。ドアの隙間から見えるみんなは、まるで巨人のようにでかく、私の机を威圧しているようだった。心なしか、黒いオーラが彼らを囲んでいるように見える。重苦しい霧のように広がり、体に巻き付き、みんなの表情が険しくなっていく。

胸が締め付けられる。やっぱり私は、人とうまく付き合っていけない、と目を閉じた時だった。

「やあみんな!何の話をしているんだ?」

とびきり大きな声が響く。一瞬で声の主が分かった。私はもう一度隙間を見た。

黑い空気に、一筋白い光が見える。それは腰に手を当て、堂々と背筋を伸ばしていた。

「光ー。いや、椿さんキレてるかもって。うちらがうるさくしたからさー」

「彼女が机をひっくり返して、怒鳴って飛び出して行ったのかい?」

「そんなことはしてないけどさ。だってにこりともしないじゃん。ずっと真顔だし」

「・・・・・・違う」

細い声が喉から漏れる。私だって、好きで真顔なわけじゃない。笑いたいのに、笑えないのだ。

「それは違う!」

「・・・・・・え、どうしたの、光」

瀬名高君は椅子に昇り、スピーチのようにクラスのみんなに訴えかけた。大きな身振りを付けて。

「夕陽君はきっと緊張しているんだ。注目され慣れていなくて、みんなの質問に答えきれなかったのが申し訳ない、と感じているかもしれない!みんな、顔だけではなく、彼女の心を見てみて欲しい!さあ、目をつぶって!!」


彼がそう言った瞬間、不思議なことが起こった。みんながおかしいほど一斉に目をつぶり、手で顔を覆った。瀬名高君の背中が光っている。その光は彼と分裂し、一人の人間のような形で空中に浮いた。ドアを引いて、見える範囲を広げる。

「・・・・・・何、あれ」

「じゃあ、あとはよろしく頼む!」

「・・・・・・」

瀬名高君は人型の光に話しかけると、自信満々にふんぞり返って、その場から少し距離を取った。光とクラスの子を取り囲んでいる黒い霧だけが残る。

すると、鈴のような音色が響き、光が動いた。舞を舞っているかのように揺蕩い、くるりと回転する。段々とただの光の塊が、人の形を帯びて、艶やかに舞い続けていた。

丁度、その光っている人の顔が見えた。美人と一言で片づけるにはもったいないくらいの美しい人だ。真っ白な学生服と肌を同化させ、藍色の長い髪を舞に合わせて引きつれている。

その時、その人と目が合ってしまった。咄嗟に逸らしたけれど、驚いたように見開かれた目は、向こうも私を認識した、ということだろう。

その人はくるり、と霧の方を向いて、手を広げ、パン、と手を合わせた。途端に、黒い霧が揺れ始め、薄くなり、断末魔のように甲高い音を立てて、終いには消えてしまった。

「うむ!ありがとう、バンシキ!君はやっぱりすごいな!」

瀬名高君はその真っ白な学生服を着た人に向かって、満面の笑みで手を握った。相手も少し頬を緩ませ、握手に応じている。

瀬名高君は『バンシキ』とあの人に向かって呼びかけていたけれど、この髪の長い人はなぜ浮いているのだろうか。あの黒い霧は何だったのだろうか。

疑問が飛び交い、何もできず、ただドアの前でへたり込んでいると、後ろから声が飛んできた。


「んだよ、俺が来るまでもなかったじゃねーかよ。ったく、クソめんどくせー。さっさと主を見つけねーと・・・・・・」

聞いたことのない声に振り返ると、そこには人がいた。いや、人だろうか、人型の何かだ。しかも、また浮いている。

透けそうなほど綺麗な金色の髪に雫型のオレンジのピアスを光らせ、真っ白な学生服に、大きなジャケットを肩から掛けている。どことなく昭和っぽい学生帽を持ち上げ、だるそうにため息をついていた。

彼に目が引き寄せられてしまう。女と言われても信じるし、男と言われても頷く。とにかく顔が綺麗だ。足はない。

「・・・・・あ?んだよ、この女。まさか俺が見えてるとかねーよなあ?」

その人は半笑いで私の目の前に顔を突き出し、顔を鷲掴みにしてきた。急な接近に、思わず手が出る。

パシン!!

私はひりつく手のひらを握り、口を開いた。

「・・・・・・ごめんなさい。びっくりして」

「・・・・・・てめえ!!!いきなりなにすんだ!!!」

スイッチが入ったように彼は急に八重歯をむき出しにして、私に襲い掛かって来た。背中は痛いし、ほっぺは引っ張られるし、散々だ。

「・・・・・・いひゃいれす」

「あ?つーかこいつ生きてんのかよ?つーか、こいつ、俺のこと見えんのかよ!!触れんのかよ!!!」

すると、半開きだった扉が開く。見ると、瀬名高君と例の藍色の長髪美人が私たちを見下ろしていた。瀬名高君が途端に顔を真っ赤にする。

「ちょ、ちょっと椿君!!こんなところで堂々と異性といちゃつくのは、いかがなものかな!?こ、高校生は手を繋ぐのが限界だろう!!」

「・・・・・・違うの、瀬名高君。この人が急に押し倒してきたの」

「ああ!?なんで俺のせいなんだよ!てめえが急にぶっ叩いてきたのがわりぃんだろうが!!」

私は騒ぐ二人と、静かに見守る一人を見た。瀬名高君以外、足が見えない。宙に浮いている。

この状況で平然と騒げる彼は、本当に変人らしい。私の上に乗っかっている人の手を引っ張り、一人で慌てている。思えば、金髪の人が上に乗っかっていたのに、重さは感じなかった。

「ほら、椿君も手伝ってくれたまえ!!こんな学校の真ん中で、はしたない!」

「てめえ引っ張んじゃねえよ!人間ごときが俺に指図すんじゃねえ!!」

藍色の髪の人がすうっと私の方に来て、無言で手を差し伸べてくれる。私は彼の手を取った。信じられないくらい白くて冷たい手だ。

ぐいっと引っ張り上げられ、立ち上がる。制服を軽く払うと、私は改めて周囲を見回した。

「・・・・・・びっくり」

「てめえほんとに驚いてんのかよ!!?」

「さあ夕陽君、教室に戻ろう!!まずはみんなの時を戻そうではないか!詳しい話は、ホームルームが終わった後にでも、ね!」

そう言って、瀬名高君はパン、と手を鳴らした。すると、藍色の髪の人も、口が悪い人も、一瞬で消えてしまった。それに、クラスの中が途端に騒がしくなった。みんなは一瞬顔を見合わせ、何事もなかったかのようにそれぞれの席に戻っていく。

「瀬名高君、これはどういうこと・・・・・・?」

「まあまあ、続きは後で。先生が来ては大変だ!」

「その先生はここにいるんだけどな。ほら、お前ら席付けー」

急に後ろから声が聞こえ、振り返ると台心先生がいた。名簿表で自分の肩をポンポンと叩き、大きなあくびをしている。本当にだらしのない先生だ。

「ほらー、ホームルーム始めるぞー。日直、号令ー」


その後は、何事もなかったかのように帰りの会は終わり、各自部活の道具を持って教室を出て行ったり、友達と喋りながら鞄を肩にかけたりして、みんな教室から出て行ってしまった。あっという間に、私と瀬名高君と先生だけが教室に残される。先生は眉をひそめて、扉に向かった。

「なんだ、今日はあいつら、やけにさっさと帰るんだな。まあいいや、椿。残りの教材渡すから、ちょっと職員室まで来てくれ。瀬名高も手伝ってくれないか」

「分かりました」

「もちろん!」

3人でオレンジに染まった廊下を歩く。不思議とほっとして、私はため息をついた。先生が眠そうな顔をこちらに向けて話しかけてくる。

「初日はどうだ、椿」

「・・・・・・そうですね。色々なことがあって、少し疲れました」

「そうだろうそうだろう。やはり何事も最初は気を張ってしまうものだからね。大丈夫、僕がいる限り、この光影高校生活を退屈にさせないと誓おう!!」

「なんでお前が答えるんだよ、瀬名高。まあ、こいつもいることだし、幸先はいいんじゃないの」

夕日がさらに強く差してきて、廊下の壁と私たちをオレンジ色に染め上げる。先生の顔がオレンジに見える。適当に、でも確実に気に掛けてくれる先生だ。本当に当たりのクラスだな、と思う。

「あ、台心!今日もかっこいいねー」

「先生つけろー。気を付けて帰れよー」

「あ、台心先生。この後、お時間ありますかな?先日の議事録について、気になる点がありまして」

「承知いたしました。少々お待ちください」

まるでアイドルのように四方八方から声をかけられる先生は、職員室の隣の教室に入って、大きな段ボールを持ってくる。先生の体力がないのか、箱が重いのか、とにかく大変そうだ。

「ほら、これ。持って帰るのが大変だったら、何回かに分けてもいいぞ。うちは基本ロッカーに置き勉できるからな」

「僕が持とう!レディーに持たせるわけには・・・・・・」

「・・・・・・大丈夫。私が持つよ」

瀬名高君が持つ段ボールを持ち上げる。箱の大きさに見合わず、全く重くなかった。瀬名高君と二人揃って、台心先生を見る。

「い、いやー、二人とも力持ちで良かったなー。先生安心だー。あ、そうだ。呼ばれてるんだったー。それじゃー、また明日。気を付けて帰れよー」

ピシャンと閉められた扉を前に、私は茫然とする。瀬名高君はもう先に歩き始めていた。

「ほら、椿君!一緒に帰らないか?このまま僕が荷物を持ってあげよう!置き勉するのにおすすめの資料集を教えるから、教室に行こう!!」

そう言って、走っていってしまう。彼は相当元気な人だ。私も走って付いていく。

資料集をロッカーに置いて、新しくもらった教科書を詰めた鞄を取って、段ボールをゴミ処理場に持って行って、私たちは夕日が輝く校庭を歩いていた。

「荷物、持ってくれてありがとう。あと、必要な教科書も教えてくれて」

「いやいや、大したことはしてないさ。もっと頼ってくれ!僕らは仲間なんだから!」

「・・・・・・仲間?」

瀬名高君が不意に立ち止まる。彼は空の色に負けない輝いた瞳で、私に手を差し出した。

「そう。式神仲間として、仲良くやっていこうではないか!」

「・・・・・・式神?」

「さあ、行こう!落ち着いた場所でゆったり会話をしよう!!」

「わっ」

温かくて大きい手が、私の手を引っ張る。太陽より眩しい笑顔で、仲間と言ってくれる、不思議な人。この人とこれから一緒に過ごせると思うと、足取りも軽くなった。




「ここは?」

「僕の家さ!ここは瀬名パンという名前のパン屋だ!さあどうぞ!!」

彼に連れられて辿り着いた場所は、西洋風のレンガ調の建物だった。可愛いパステルカラーで丸文字で『Senapan』と書かれた看板が、夕日に照らされて優しく反射している。外からでも見える美味しそうなパンの陳列と、食欲をそそる美味しそうな甘い匂いが漂ってきて、さっそく女性二人組が目の前の扉を開けている。ドアベルの綺麗な音が聞こえた。

「本当にご実家がパン屋さんなんだね。というか、ここ、うちから近いや」

「本当かい!?ぜひ毎日来てくれ、サービスするよ!毎日と言わず、毎食来てくれてもいいよ!!」

元気100パーセントの様子で、瀬名高君はお店に入っていく。温かみのある店内に、色々な種類のパンが並んでいる。石窯のある厨房で黒い大きなトレーを持っていた女の人が、彼を見てパッと笑顔になった。ついでに、出入り口に立ちっぱなしの不審な私にも、目を開いて反応する。

「あ、光、おかえり・・・・・・おや、そこのお客さん、どうしました?入るか迷っているようだったら、ぜひ見ていくだけでもしてってください!」

「ただいま、母さん。この人はお客さんじゃないよ。まあ、そのうち、うちの常連客となってくれることだろうけどね!」

「・・・・・・つまりは、どちら様なんだい?」

お母さんは瀬名高君よりはぶっ飛んでいないようで、困り笑いで器用にほかほかと湯気の立つパンをほいほい籠に入れていく。こんがりと焼きあがったクロワッサンは、大分離れているここからでも涎が出そうなほど美味しい香りを香らせていた。

「つまりは、僕の友人と言うことさ!新しく来た転校生の、椿夕陽さんだ!僕の部屋に上がってもらってもいいよね、母さん?」

「ああ、そういうことかい。いいけど、彼女の意志も聞いときなよ?出会って間もないのに、急に部屋に招待されるって・・・・・・母さんだったら、大分怖いからね。夕陽ちゃん、初めまして。私は光の親の、由子って言います。ここのパン屋の主人の妻ってことだね。まあ、うちのパンでも食べて、仲良くしてやってくれよ」

「あ・・・・・・椿夕陽です。初めまして。最近、ここら辺に引っ越してきました。どうぞ、よろしくお願いします」

私は快活に挨拶をしてくれる彼女に、急いで頭を下げる。初対面でこんなに朗らかに接してくれる大人なんて、校長先生(と台心先生)といい、本当にこの町の人は人当たりがいい。優しく微笑んだ途端、彼女はそうだ、とでもいうように手を打った。

「そうだ!夕陽ちゃん、良かったら新作の試食、してってくれないかい?うちは男はいるけど、女の子の意見は中々聞けないからね。あ、うち、寄ってっても大丈夫?親御さんに連絡するかい?」

「え・・・・・・親なら大丈夫です。お邪魔しても大丈夫なら・・・・・ぜひ」

贅沢な申し出に、私はつい図々しいとも思えてしまうことを言ってしまった。こんなこと、普段なら絶対に断っている。だって、自分がいると周りの空気がどんどん下がっていくから。でもここにいると、それすらも忘れてしまうような嬉しさを感じる。

「よし!じゃあ、僕に付いて来てくれ!あ、手洗いうがいは忘れちゃいけないよ。椿君の分のタオルは、これを使うといい」

「あ、ありがとう。じゃあ・・・・・・お邪魔します」

瀬名高君のお母さんは仕事に戻ったのか、店内にはパンを見ているお客さんしかいなかった。私は言われるがまま、お店の裏口の奥にある洗面台を借りて、手を洗ってうがいをする。洗面台もまるでドールハウスのように可愛らしく、クラシックな蛇口をひね鏡に映った自分の顔はやはり空っぽでむかついたけれど、顔に近づけたタオルはシャボン玉の香りがして、苛立ちがほろほろと崩れていくのを感じた。

意外と長いらせん状の階段を登り、瀬名高君と私は一番奥にある部屋に入った。他人の家、ましてや部屋になんて初めて入るから、すごく緊張する。今度、手土産を持ってこようと思った。

「さあ、ようこそ、僕の部屋へ!む、ちょっと蒸し暑いね、窓を開けようか」

瀬名高君の部屋は、男の子の部屋とは思えない程、綺麗で、整然としていた。派手な言動の彼とは対照的に、家具はシンプルそのもので、ミックスウッドの机や椅子、本が詰まった本棚には植物が置いてあっておしゃれだ。水色のカーペットが敷いてあり、シミや埃一つなく、まるで新品のようだ。彼の開けた窓からは眩しいほどの夕日が差し込んできて、白いカーテンをなびかせていた。

「お、お邪魔します」

「どうぞどうぞ!好きにくつろいでくれたまえ!あ、飲み物を持って来よう。ちょっと待っててくれ・・・・・・そうだ、丁度いい」

笑顔で組み立て式の小さい机とクッションを用意する瀬名高君が、いいことを思いついたように手をポン、と打った。まだ会って初日だけど、親子そっくりの行動に、思わず笑みがこぼれる。笑えてないと思うけど。

「せっかくだから、バンシキに持ってきてもらおうか・・・・・・バンシキ!出てきてくれないか!」

瀬名高君が何もない空間にそう呼びかけると、彼の目がゆっくりと閉じられ、その代わりに彼の背中から、光の塊が、ゆっくりと背を起こすように出てきた。さっき教室で見た光景と同じだ。

信じられないと口を挟む間もなく、その光は段々と姿を現し、藍色の長髪をした青年の形になった。はにかみと真顔の間のような顔で、じっと私を見つめてくる。私もどうしたらいいか分からず、瀬名高君に助けの目を向けた。

「お、出てきてくれたか、バンシキ。すまないね、こうして何回も出てきてもらって。でも、僕たちの仲だ、許してくれ!さて、僕は早急に彼女に式神と除怨の話をしたいから、君にお使いを頼みたいんだ。冷蔵庫から、冷えたオレンジジュースを持ってきてくれ。コップが2つあると嬉しいな。頼まれてくれるかい?」

演説のように瀬名高君が喋ると、バンシキと呼ばれた髪の長い人(足がないから幽霊?)は、何を言うでもなく、ただこくりと頷いて部屋を出て行った。ドアの前でピタッと体を止め、ドアノブに触れると、急に実体化したように、彼の足元に足が出現する。

私はもう驚きも湧いてこなかった。人の体から光が出てきて人になったかと思うと、舞を舞ったら黒い霧が晴れて、物に触れたら足が生えてくるだなんて、今日はとんでもない経験をしている。顔は無表情のままだろうけど、内心疲れ切っていたので、飲み物を出してくれるのはありがたかった。

「・・・・・・彼は、何者なの?」

ドアを開けて出て行った彼を見送った後、瀬名高君に問う。彼はクッションに腰を下ろすと、私を見上げて微笑んだ。

「その話をしたくて、半ば強引に、ここに君を呼んだんだ。学校だと僕らは完全に何もない空間に向かってべらべら喋る、おかしな奴になってしまうからね。まあ、僕も少し変わっているのは自覚してはいるけれど、常識は欠いてはいないとは思う。急に部屋に連れ込んだりして、申し訳ないね。男と二人きりの空間が嫌だったら、ドアは開けっ放しで構わないよ」

瀬名高君が自分を変わり者だと自覚しているのも驚きだったけど、それよりも、ほぼ初対面の私にそうまでして話さなければならないことである、光る彼らについての方が気になった。私の頬をつねった金髪の人は、もう既にいなくなっていたけど、そうして消えてしまうこと自体が、彼らが『式神』であることの証拠なのかもしれなかった。

「大丈夫だよ、瀬名高君はいい人そうだし・・・・・・で、あの人たちが、『式神』?」

とんとん、と自分の隣のクッションを叩いてくる瀬名高君に、私はゆっくりと腰かけた。白いふかふかのクッションだ。弾力がすごくて中々体が安定しない。

「そうだ。僕に憑いている、という表現は正しいのかは分からないが、バンシキは『式神』で、この世に蔓延る悪意を払う義務を負っている」

「義務?なんだか、重要そうだね・・・・・」

「ああ。人間同士が共にいると、色んな感情が生まれてくる。好意も、敵意も、善意も、悪意も。記憶に残るのはプラスな感情だが、心に残るのはマイナスな感情だ。それは、後者の方が増長しやすい。それを利用して、人々の悪意を増幅させようとする奴らがいるんだ」

「・・・・・それは、何のために?」

私がそう言った所で、カラン、と氷がガラスに当たる音が聞こえた。振り返ると、バンシキさんが、ご丁寧に氷の入ったオレンジジュースのグラスを二つ、トレーに乗せてドアの前に立っていた。とす、と優しい音を立てて、私と瀬名高君の傍にある机に置いてくれる。

「ああ、ありがとう、バンシキ。丁度今、君について話していた所だ。良かったら、彼女に自己紹介をしてやってくれないか?」

瀬名高君のお願いに、バンシキさんはゆっくりと頷き、値踏みをするように私をじっくりと見下ろした。よく見るとただの長髪ではなく、彼の髪は左側から斜めに、大胆かつ綺麗にカットされている。ハーフアップの毛先までも斜めで、奇抜な髪型だ。でも、おかしいくらいにしっくりくる。白く、むしろ透き通った瞳に、こんな綺麗な目をした人いるのかと思う。

「・・・・・・えっと、瀬名高君。私、どうしたらいい?」

「ん?ああ、バンシキはあまりお喋りな方ではないからね!まあ、急かさず待っていてくれ!」

熱い視線の割に彼が一言も発しないので、堪らず瀬名高君に助けを求めると、そんな返事が返って来た。バンシキさんは優雅にしゃがんで私と目線を合わせると、小さく口を開いた。

「・・・・・・盤渉と言う。どうか、よろしく」

鈴が鳴ったと勘違いしてしまうほど美しいその声は、およそ人間とは思えない程聞き心地が良く、私は目の前の人が、本当に『式神』なのだと実感した。彼は満足したようにまた口を真一文字に結ぶと、瀬名高君のボディーガードのように彼の背後に立った。

「うんうん、二人が仲が良さそうでよかったよ!」

「・・・・・・瀬名高君、ちゃんと見てた?」

気を取り直して、彼は紙とペンを取り出し、丁寧にこの不思議な状態を図にして説明してくれた。失礼ながら絵は驚くほど下手だったけど、仕組みは十分に理解できた。

「まず、人の悪意が生まれると、『廃絶』という名の悪の組織が、それを何倍にも増幅させる。すると、さっき学校で見たような、黒い霧が人を飲み込んでしまうんだ。負の感情はどんどんエスカレートして、最悪の場合攻撃してくることがある」

瀬名高君は棒人間から立ち上る煙と、『廃絶』の近くにいかにも悪そうな顔を描く。また別の場所に、今度は『式神』と『僕ら』と書いて、星をたくさん書いた。

「そこで、僕らの出番だ。『式神』と僕らは協力して、この黒い悪意を浄化する。これが、『除怨』だ」

「・・・・・・なるほど。じゃあ、バンシキさんが躍っていたのは、『除怨』をするため?」

「そうだ。『式神』は舞を舞うことで、暴れる人の感情をなだめ、魅了し、落ち着ける。そうして、平穏な状態に戻してから、その人の元へ帰っていく・・・・・・そうだったね、バンシキ?」

瀬名高君は確かめるように、バンシキさんを振り返った。彼は優しい目をしながら、ゆっくりと首を縦に振った。さっきから行動がとてもゆっくりだ。

「・・・・・・いくつか、質問してもいい?」

「もちろん!君はいいね、馬鹿にしないで受け止めてくれて!」

「いや、馬鹿になんてしないけど・・・・・バンシキさんは、他の人には見えないの?それと、あの金髪の人も、『式神』?」

「ああ。『式神』は選ばれた者でないと見ることは出来ない。僕と君は、選ばれたんだ。だから、外で彼らに話しかけると、盛大に独り言を言うビックリ人間と思われてしまうから注意が必要だね!」

今日だけでも十分瀬名高君はビックリ人間の部類に入ると思う、という言葉は飲み込み、バンシキさんを見る。彼は私と目が合うと、ゆっくりと頭を下げた。私もつられて、お辞儀する。

「金色の彼は、僕も初めて見たな・・・・・バンシキ、彼は知り合いかな?」

沈黙が訪れる。私はこの空間にハラハラしていたけれど、当人は平気そうに「あ、ちなみにバンシキは『盤渉』と書くんだよ」と教えてくれた。文字は綺麗だ。

「随分難しい漢字なんだね」

「・・・・・そうだ」

私は振り返る。私の言葉に相槌を打ってくれたようなそのタイミングに、瀬名高君は「そうかそうか!」と満足そうに笑った。何というか、能天気な人だ。

「バンシキの知り合いとなると・・・・・つまり、椿君。君は、金色の彼に選ばれたのかもしれないね」

「・・・・・・え」

「普通、一般の人には『式神』は見えない。それはその人たちが能力がないからではなく、『式神』が人を選んで、自身や悪意など、除怨に関する全てをその人に見せるからだ。自分の『主』として、除怨に協力してもらうためにね。君は、金色の彼に選ばれたから、彼らが見えるようになった。だから、もう一度必ず、彼と会う機会があるはずだ」

真っすぐな瀬名高君の目と、彼越しに私を監視するようなバンシキさんに、私は内心とても戸惑っていた。どうして私が選ばれたのか、これから何をすればいいのか。そもそも一人暮らしで手一杯なのに、あの口の悪い彼とやっていけるだろうか、と色々な不安が襲ってくる。転校初日だというのに、生徒会長でも任されてしまったような気分だ。

どうしたらいいのか分からずに下を向いていると、肩にポン、と手が置かれた。顔を上げると、瀬名高君の笑顔が見えた。本当に私を安心させたいという思いが滲み出た顔だ。

「大丈夫だ!君には僕がいるし、バンシキもいる!分からないことだらけだろうけど、きっと明日には何とかなっているさ!困ったら、いつでも連絡してくれ!一緒にみんなを、笑顔にさせよう!!」

窓から夕日が差し込み、私たちを照らす。オレンジに染まった彼はとても眩しく、つられて私も笑ってしまう。なんとかなる、だなんて思えないけど、彼と一緒なら、なんとかなる気がする。私は憧憬も込めて、彼にお礼を言った。

「ありがとう。頑張ってみるね」

「ああ!仲間が増えて嬉しいよ!なあ、バンシキ!」

バンシキさんもゆっくりと頷き、私を見て、笑った気がした。これから何が起こるか分からないけど、ここに来て良かった、と思った。

「さあ、そろそろお開きにしようか。君の親御さんも心配してしまうだろうからね」

親はいないし、家を追い出されたからここに来た、とは言えず、私は立ち上がって、お辞儀をした。バンシキさんの優雅な仕草に影響されたのかもしれない。

「そうだね。お邪魔しました。これから、よろしくお願いします」

「そう固くならなくても・・・・・・うん?君はどうしてそう、悲しい顔をしているんだ?さっきまでは可愛らしく笑っていたというのに」

瀬名高君の言葉に、私はばっと顔を上げる。嘘だ、表情が顔に出ているはずがない。私は近くにあった全身鏡で自分を見た。やっぱり、真顔だ。焦りも泣きもしていない。

「・・・・・・どうして、私の表情が分かるの?私は感情が顔に出ないはずなのに・・・・・・」

「え?どうしても何も、分かってしまうから仕方ない、という他ないけど・・・・・・」

「え・・・・・バンシキさん、分かりました?私の顔、動いてましたか?」

焦りに近い驚きに、私はつい彼にまで聞いてしまった。存在を異にする彼は、私の質問に律義に、ゆっくりと首を横に振った。

「ほら・・・・・・瀬名高君、どうして・・・・・・」

心臓がどくどくと波打つ。私の表情を読み取れる人は、永遠さん以外会ったことがない。それが、こんなに近くにもう一人いるなんて。

「よく分からないけど、まあ君の笑顔は素敵だということだ!できれば、さっきみたいに笑っていた方が、似合うと思うよ!」




瀬名高君と別れた後、誰もいない家に上がってから、次に目が覚めた時はもうベッドの上だった。お風呂もご飯も済ませた痕跡があったけど、全く覚えてない。相当疲れ切っていたのだろう。実際、色んなことが起きすぎて、キャパオーバーを起こしていた。

『式神』と除怨。消えたり現れたりするバンシキさんと、私の表情が分かる瀬名高君・・・・・・不思議なことばかりだけど、私はなぜか足取り軽く、学校へと扉を押し開けた。



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