17.先生として
色々あった夏休みも終わり、とうとう9月へと突入した。
なんだかんだタンギンの主を始めてから、もう5か月も経っている。最近は小規模な悪意であればすぐに除怨することができて、彼との連携も取れてきた。1学期は行事が球技大会だけだったのに対し、2学期は修学旅行に文化祭にと、盛りだくさんな時期になる。中学だったら、こういうクラスのみんなと班決めをする行事は嫌いだったけど、今は逆に、楽しみで仕方ない。瀬名高君とレイちゃんをはじめ知り合いも増えてきたし、この先は自分以外の人がいる、という確証が持てて、私は足取り軽く久しぶりの制服に身を包んだ。まだ暑いので、半袖のワイシャツに短めのネクタイを締め、裾をスカートにしまう。衣替えの時期はまだ新生活に慣れていなくて服装に目を向けられなかったけど、こうしてみるとうちの制服は可愛いな、と全身鏡を見つめた。映る私の顔は今日も無表情だ。
最近は常に真顔のままの私に対しても気にせず接してくれる人が増えたから忘れていたけど、今も変わらずこの顔のままなんだなあ、と実感して、ぐっと拳を握る。私はみんなの前で笑っていたつもりだけど、この顔のままじゃ、つまらないと言っているのと同義だ。よくみんな受け入れてくれたな、と自分の頬を引っ張って、笑顔を作る。そのまま表情筋を保って手を離すと、途端に元の無表情に戻った。口角を上げたつもりだったのに。私は段々腹立たしくなって、全身鏡の角度を首から下が映るようにぐいっと傾け、自分の部屋を出ていった。
階段を降りると、中から食器が当たる音がする。扉を開けると、タンギンがこちらに気付いたように振り返り、菜箸を持ったままぎょっと目を見開いていた。
「おー、おは・・・・・・って、どうしたよ、ここ。赤くなってんぞ。自分でひっぱたいたのか?」
「おはよう、タンギン。別に、引っ張ってみただけ。どうってことないよ」
「どうってことはあるだろ。何があって引っ張ったんだよ。しかも結構な力で」
彼は私を怪訝そうに見つつも、もう慣れたとでも言いたげにスルーして、お弁当におかずを詰めてくれていた。今日はハンバーグか、と中身を詳しく見てみたくなるけど、お昼のお楽しみに取っておこう、と顔を引っ込め、テーブルに座る。今日の朝食はバナナ入りのシリアル、レタスとトマトのサラダ、薄く切ったソーセージだ。野菜に水滴がついていて、溢れ出る新鮮さに思わず唾を飲み込む。
「食べていい?」
「早よ食え。新学期早々遅刻しても知らねえぞ」
「ありがとう、いただきます」
もう慣れつつあるタンギンとの共同生活も、決して当たり前ではない。はじめは朝食を取る時間もなくてそのまま家を出てしまったり、お昼ご飯を忘れてがっくり来てしまったり、洗濯機をかけたのに干すのを忘れていたりと、自分の体たらくさに嫌気が差していた。自分をもっと嫌いになりかけていた時、タンギンが代わりに家事をしてくれたり、私の気持ちを心から汲み取ってくれていたりしたのだ。本当に、彼は救世主だ。
幸せを噛みしめるように、シリアルをザク、と噛み砕く。弁当箱を巾着に入れ、机の上に置いてくれたタンギンに向かって、私は小さく頭を下げた。
「タンギン。いつもありがとね」
「なんだよ急に。てめえはいっつも感謝ばっかりしてるな。悪いことじゃねえけど、文脈がねえからびっくりすんだよ。どうした、急に。新学期で情緒不安定にでもなっちまったか?」
彼は半笑いで私の向かいの席に腰を掛け、顔を覗き込んでくる。私はお皿に残った牛乳をぐいっと飲み干すと、スプーンを静かに置いた。カタン、と鉄の音が響く。
「幸せって、当たり前じゃないから。感謝しておけるうちにしておかないと、後悔するから」
「・・・・・・」
私の言葉に、タンギンは真顔になると、じっと私を見つめ返してきた。ちょっとしんみりさせてしまったかもしれない。でも、これは本当だ。笑顔だった日常は、ちょっとしたひずみで簡単に壊れてしまう。いくらそれを取り戻そうと欠片を集めても、一度割れてバラバラになったものは戻せない。
「・・・・・・それは、お前にしか気づけねえことだ。感謝すんのは、悪いことじぇねえ。でも、ずっとそうやって過去に目を向けすぎてても、疲れるだけだろ。今の幸せを当たり前に思えるくれえ、浸っちまう阿保になってみてもいいんじゃねえの?」
タンギンの言葉に、私は動作を止めてしまう。過去を見すぎている、だなんて、その過去を知らない人に言われたくない、と反抗心が湧いてくる。でも、すぐに思いなおす。
彼は、私を心配してくれているのだ。すぐに卑屈になってしまう私にとっては、彼の言うように、ちょっとくらい楽観的にものを見てみてもいいのかもしれない。
「・・・・・・しんみり感傷に浸ってねえで、準備しろ。今お前がやるべきことは、歯磨いて、鞄を持って家から出ることだろ」
「・・・・・・うん。そうだね、ありがと、タンギン」
「いいから早くしろよ」
私は立ち上がり、洗面台に向かう。きっと彼には私の気持ちが透けて見えていたのだろう。一体どこら辺まで詳しくリンクしているのだろうか。私の記憶まで彼は分かっているとしたら、いちいち私の過去まで説明しなくていいから手間が省けるのにな、と思う。私は鏡から目を逸らし、汚れ一つない洗面台の排水溝を見続けた。
「夕陽ちゃん、おっはよーーー!!今日から2学期だね!!2学期って私、一番好きな学期なんだ!!修学旅行でしょ、文化祭でしょ、あと、学年別の交流会もあるよね!!もう、今から楽しみで仕方ないよ!!」
「分かるぞ、碁色君!!僕もまたみんなと一致団結できる日が来るのを、首を長くして待っていたよ!!修学旅行の行く先は鬱岐県!!古き良き日本の神社仏閣を現代の視点から見られるだなんて、なんて素敵なんだ!!」
「光、声でかい。でもまあ、私もそれなりに楽しみかな。今度こそ台心の君の姿見るんだから」
教室に入るなり、レイちゃんが電光石火のごとくぐりんと振り返り、私をハグで歓迎してくれた。彼女から香る甘い香水の匂いが広がり、急なドキドキに、私もつられてぎゅっと抱きしめ返す。レイちゃん越しに見える瀬名高君も元気100パーセントなようで、いつにもまして明るい笑顔でびしっとポーズを決めていた。教卓で頬杖を突きながら冷めた目でみんなを見ているのは、別のクラスなはずのありさちゃんだった。黙ったままぼーっとしている私の態度をどう受け取ったのか、ありさちゃんは私を見るなりじろりと睨んできた。もちろん、前みたいに完全に敵意がある目ではない。
「あんた、夏休みに台心と会ってたらしいわね。抜け駆けなんて卑怯よ!しかも、台心私服だったんでしょ・・・・・・?信じられない、記憶寄越しなさいよ!!」
「ええ、そんな無茶ぶりあるかな。たまたまバイト中に通りかかっただけだよ。先生だから、家まで送ってもらっただけ」
「はああ!?家まで送ってもらったの!?そんな話一言も聴いてないんですけどお!?」
「あはは、夕陽ちゃん、墓穴ほっちゃったね」
レイちゃんが私たちのやり取りを見てカラカラと笑う。笑っている場合ではない。ありさちゃんはぴょんぴょんと飛び跳ねて、私の顔を掴もうとしてくるので、必死に避ける。レイちゃんも彼女も私より身長が小さいので、なんだか小動物みたいで可愛らしい。
背中には、タンギンの温かみを感じる。瀬名高君とレイちゃんの傍には式神の姿も見えなかったので、みんな主の中で休んでいるんだな、とふと思った。今朝タンギンと少し気まずい空気になってしまったから傍にいないのかと思っていたけど、用がないなら式神は本来見えない存在なのだ。
「ほらー、ホームルーム始めるぞー。って、赤羽。なんでいるんだよ、他クラスの奴は進入禁止だぞ」
「そんな固いこと言わなくていいじゃーん。それに、この子は家まで送ったんでしょ?私も送ってほしいー」
爽やかな青色のワイシャツを着た台心先生が、教室に入ってくるなり苦い顔をする。ありさちゃんは頬を膨らませて、拗ねたように教卓に腕を乗せて駄々をこねていた。先生はこちらを見て、言いやがったな、というように顔をさらにしかめると、ため息をついてドアを指さした。基本的に先生はセクハラで訴えられることを恐れて、男女関係なく触れようとしない。
「夜遅くに生徒を一人帰して何かあったら俺の責任になるし、誰に対してだってそうしてた。ほら、早く行け。でないと鈴木先生にチクるからな」
「それが先生のやることですかー?もー、また話しにくるから!」
そう言って、ありさちゃんは自分の教室に帰っていった。「大変だね、台心」と萌ちゃんとレイちゃんが同情の言葉をかけているのが聞こえる。私はなんだかいたたまれない気持ちになって、早々に席へと向かった。
新しい時期に入ると、色々と大変だ。
「それじゃあ、修学旅行のチーム分けするぞー。一人の奴が出ないよう、上手く組んでくれ。それと、この時間内で終わらせてくれ。長引くならくじ引きだからな」
「えー、それ台心がめんどくさいだけでしょー」
「適当教師ー」
「今先生つけなかった奴、全員くじ引きな」
「えーーーー!!」
とうとうこの時間が来た。チーム分け、とか二人一組、とかの言葉を聞くと、胃がきゅっと絞り込まれるのを感じる。中学では一人だけ余ってしまい、あまり仲良くない子たちと長旅をして、すごく気まずかった覚えがある。それ以来、学校行事の旅行には行かなくなってしまった。その時は永遠さんと一緒に家でまったり過ごして、代わりに休みの日にその観光地に行ったりしていた。
そう言えば永遠さんは元気だろうか。夏休みはなんだかんだ言って会えなかったし、もらった連絡先は音信不通になってしまっていたので、こちらから連絡する手段がないままになっている。今度また、電話をかけてみようとぼんやり考える。
「夕陽ちゃん!!どうしたの、早く黒板にネームプレート貼りに行こうよ!」
肩を揺さぶられてハッとすると、レイちゃんが心配そうに私の顔を覗き込んでいた。いけない、少しぼんやりしてしまったみたいだ。みんなそれぞれ仲のいい人同士が集まって、わいわいと班ごとに名前を貼りに行っている。一人だけ椅子に座りっぱなしなのは私だけだということに気付いて、急いで立ち上がった。台心先生がこちらを真顔で見ている。まずい、また目を付けられそうな行動をしてしまった。どうして私はこうして一人ボケッとしてしまうのだろう。
「ご、ごめんね、レイちゃん。班分け、一緒のグループになっても大丈夫・・・・・・?」
「もちろん!それはいいけどさ、なんか夕陽ちゃん、朝から様子が変じゃない?いつもぼんやりしてるけど、今朝はさらにぼけぼけしてたというか・・・・・・」
「ぼ、ぼけぼけ・・・・・・」
「何か心配事?夕陽ちゃん一人暮らしなんだし、私にできることがあれば言ってね!同じ主同士なんだし、もっとたくさん話聞かせてよ!」
レイちゃんが丸い目を細めて、にこやかに笑いかけてくれる。私の腕をぐいっと引っ張って黒板に向かうと、「グループ2」と線引きされた範囲に、私と自分のネームプレートを張り付けてくれた。彼女の優しさに、涙が浮かんでくる。
「あ、ありがとう、レイちゃん。私、レイちゃんに会えてよかった」
「え、どうしたの急に!?何、なんか別れの挨拶みたいな感じだけど!?」
「やあ、碁色君たち!どうだい、チームは決まったかい?」
瀬名高君が声をかけてくる。彼に後ろにはぞろぞろと塩味君、森林君、阿部君がついてきていたので、きっとこの4人で組んだのだろう。阿部君は球技大会でバレーチームを牽引した仲なのか、よく瀬名高君と話しているのを見かける。
「やっほー、そっちは決まったみたいだね。うーん、班は4人1組だから、あと2人なんだけど・・・・・・」
レイちゃんが言葉を区切って、ちらりと女子が集まっている方を見る。そこには、腕を組んで相手を睨みつけている子と、机に座って足を組んでいる子が、まるで戦国時代の武将のように互いをいがみ合っていた。端で、熊田さんをはじめとした大人しい子たちがおろおろしている。
「うちらは1班がいいの。そっちは5人だから、最後の3班に回りなさいよ」
「一班だけは5人オッケーって決まりなんやしええやろ。大体女子はもう一組あるさかい、そっちが1班って勝手に決めつけんのもおかしいやろ」
最初に口を開いた子は、桜川美依ちゃんだ。ありさちゃんよりも低い位置でツインテールをしていて、メイク禁止なのに堂々とリップを付けてきている。私が転校してきて以来あまり話してないけど、プリントを回収する時は笑顔で渡してくれる、愛想のいい子だ、と思っていた。でもレイちゃんによると、彼女に嫌われたらクラスでは終わりらしい。というのも、結構好き嫌いがハッキリしているので、付き合う子とは話すけど、嫌いな子はとことん嫌いらしい。萌ちゃんとは仲が良いみたいで、後ろで彼女が苦笑いしているのが見える。
美依ちゃんの喧嘩文句に応じた子は、後藤ほのかちゃんという関西弁を喋る子だ。ロングヘアをハーフアップにしていかにもお嬢様っぽいけど、案外熱血系で、球技大会では私の隣でがっつり肩を組んで雄叫びを上げていた。彼女もまたあまり話したことがないけど、「椿ちゃん、あんたさっきえらいでかいお腹の音させてたなあ。これあげるわ」と、移動教室中にお菓子をくれたことがある。もしかして私はいつの間にか、お腹をよく鳴らすキャラとして定着してきたのだろうか。恥ずかしいやら、みんなと話せて嬉しいやらで、なんとも言えない。
つまり私はこのクラスで、特にいざこざに巻き込まれることなく、穏やかに生活してきたのだ。基本的に私が一人でいるとレイちゃんが声をかけてくれるし、萌ちゃんはレイちゃんと一緒にいたらしいけど、最近は部活の子とよく一緒に行動していて、その子たちがいない時は私たちの所に来たり、美依ちゃんの所に行ったりしている。あとは、熊田さんと大人しい子で、うちのクラスの女子はグループ分けされる。
今問題になっているのは、班分けの順番だ。女子は13人いるので、4人一組にすると1グループだけ5人の班ができる。班分けをすると、1組目が先頭になり、必然的に台心先生に一番近い班になれるのだ。それを、美依ちゃんたちのグループか、ほのかちゃんたちのグループで当てはめるか、もめているらしい。平和にボケッと生きていた私は本当に能天気だ。
「大体、球技大会の時はあんたらの良いように譲ったじゃない。うちのグループはバレーに出られることそうじゃない子が出たのよ」
「そんなん、あんたらのとこがいい言うたからうらちもそう決めたんやで。そんな話掘り返されてもあきまへんわあ」
「だから、今回は私らに1班目を譲りなさいって言ってんの!」
「そんなこと言いはるなら、うちらもこの前の調理実習でそっちに譲ったやないの、あん時は悲しかったわあ。そっちはしばらくグループバラされてないみたいやし、今回はこっちが優先させてもろてもええんちゃう?」
「・・・・・・なんか、すごいことになってるね」
レイちゃんが二人の言い合いを見て、ちょっと引いたように私の横に来る。レイちゃんもタイプ的にはあのグループの中にいそうではあるけど、こういう争いは関わらない立ち位置を取るらしい。隅っこで熊田さんともう一人の女の子がひそひそ話をしていたので、レイちゃんが彼女たちにちょいちょい、と手招きをしている。二人も助かったとでも言いたげにぱっと顔を明るくさせてこちらに来た。
「ねえねえ、二人、私たちと組まない?丁度4人になるし」
「う、うん。私たちでよければ。ね、愛海ちゃん」
「うん」
熊田さんは私に控えめに手を振ってくれると、レイちゃんの誘いに頷いた。彼女の隣で下を向きつつ頷いている子は、利田愛海と書かれたネームプレートをいじっている。見かけたことはあるけど、全く話したことはない。確か熊田さんと一緒の美術部に入っていて、普段は二人で、授業の合間に楽しそうに絵を描いたりしている。おさげを右側に垂らして、すごく優しそうな雰囲気の子だ。私の視線に気が付いたのか、気まずそうにぺこり、と頭を下げると、熊田さんたちの方を向いた。今まで存在を無視され続けた私にとっては、彼女の態度は天使も同然だ。
「じゃあ、これ、貼りに行ってもらってもいい?なんかもう、私たちは私たちで固めちゃった方がいい気がするし。あ、私たちと同じ、2班目の欄にお願い」
「う、うん。私たちも、碁色さんたちと組みたいねって話をしてたから、嬉しい」
美術部の二人も、美依ちゃんとほのかちゃんの派閥の戦いを呆れた目で見ている。意外と目に出るな、と思いつつ、私は熊田さんの言葉に顔をぱあっと輝かせるレイちゃんを見た。レイちゃんは目どろこではなく、顔に出る。
「え、ほんと!!嬉しいこと言ってくれるね、熊田さんー!私のことは、レイでいいよ!二人も、春子ちゃんと愛海ちゃんって呼んでもいい?」
「うん。レイちゃん。なんか、くすぐったいね」
「ふふ、確かに」
そうして、二人はプレートを黒板に貼りに、こそこそと派閥をかい潜っていった。私はあまり二人と話せなかったな、と思っていると、レイちゃんがこちらを振り返って少し申し訳なさそうな顔をした。手を口元に当てて、小さな声で囁いてくれる。
「ごめんね、夕陽ちゃん、勝手に話進めちゃって。ちょっとあそこは関わるとめんどくさそうだからさ。あの二人、いい子たちだし、きっと仲良くなれるよ」
「うん。ありがとう、レイちゃん。何から何まで」
「いえいえ!それに、こうして二人でいた方が、式神たちとも連携が取れていいでしょ?もちろん、私は夕陽ちゃんと一緒なら何でもいいけど!」
「レイちゃん・・・・・・」
彼女の優しさに胸を打たれて、私は今朝あったことをレイちゃんに打ち明けた。幸せには終わりが来る、とすぐ暗くなってしまう私に、タンギンが言葉をかけてくれたこと。ちょっと空気を重くさせてしまって、申し訳なかったこと。こうして他の人に話してみると、自分の胸につかえていたもやもやが吐き出されていくような気がして、すごくすっきりした。
「なるほどねえ。ほんとにタンギンは夕陽ちゃんの親・・・・・・じゃなかった、えっと、ご、ごめん!!」
レイちゃんがしまった、と顔を青ざめさせていて、その表情の変わりようについ笑ってしまう。口を手で押さえて、目を細める。こうすると、笑っているように見えるのだ。
「ふふ、大丈夫だよ。レイちゃんは本当に顔に出るね」
「うう、ごめんね・・・・・・こういうデリカシーのない所が、駄目なんだろうなあ。結構ずばずば言っちゃうから、よく怖いって言われるんだよねー。ショウゼツはそういうタイプじゃなかったからいいけど、春子ちゃんたちにも怖がられないようにしないと」
「私はレイちゃんのそういうところ、すごく好きだよ。きっと、ショウゼツさんもレイちゃんの明るさに惹かれたんじゃないかな」
「ゆ、夕陽ちゃん・・・・・・!」
「おい、そこの仲良しコンビ」
声をかけられてすぐさま振り返ると、台心先生がすぐ後ろに立っていた。思わず一歩下がってしまう。レイちゃんは物怖じすることなく、堂々と彼を見上げていた。こういう所も尊敬する。
「そんなにびっくりしなくてもいいだろ、椿。それとも、なんか悪だくみでもしてたのか?」
「で、台心、何?なんか用?」
「頼むから先生は付けてくれ。でさ、あの言い争い、何とか丸く収めてくれないか?教師の俺が言うより、同級生の方が、なんかこう、なんとかなるだろ」
「そういう所が適当って言われるんだよ。あのねえ、女子の世界ってそんな簡単じゃないの。あの二人、昔から仲悪かったけど、高校入ってからさらに険悪になったというか・・・・・・最近は大人しかったと思ったのになあ」
レイちゃんが首を傾げる。この高校には元から地元の子たちが多かったというのは入学当初に聞いたけど、これほど昔馴染みがいたなんて知らなかった。台心先生が私に助けを求めるようにこちらを見てくるけど、私は無理です、と意味を込めて顔を背ける。
「頼む。俺がああいうのに関わっていい結果になったためしがないんだよ。椿、お前の冷静パワーで諫めてくれないか」
「わ、私にできることなんてほんとに何もないです。でも、確かに先生は・・・・・・大変そうですけど」
「大体、絶対あれ台心が原因でしょ。自分で何とかしなよ」
「そうしようとして、鈴木先生の世話になったことがあるんだよ・・・・・」
「何があったのよ。ウケる」
過去の出来事を振り返ってげっそりしている台心先生をレイちゃんがカラカラ笑っていると、熊田さんと利田さんが教卓らへんでこちらを見ているのに気づいた。なぜだか目をキラキラさせて、お互いにはしゃぎながらノートに何かメモを取っている。もしかして、台心先生のファンなのだろうか。私は目をつむって眉間をほぐしている彼の袖を引っ張って、彼女たちの方に手を向けた。
「先生、熊田さんたちにお願いしてみたらどうですか」
「あ?ああ、熊田と利田か。よし、行ってくる」
先生はふらつきつつ、二人の元に話しかけに行った。二人はアイドルが来たように喜び合っている。意外な反応に、レイちゃんと二人で顔を見合わせた。
「あの二人、台心のこと好きなのかな。班の順番、一番目の方が良かったのかも・・・・・・あれ、でも単品だと普通に話してるわ」
「た、単品って、レイちゃん・・・・・・」
結局、班の順番決めは男子が先頭になることになった。男子が4班、女子が3班だ。私たちの班は7番目になったので、一番最後を歩くことになる。
「いいか?特に全体行動時間は、この班通りに、列を乱さないように歩くんだぞ。一般の観光客の方々もいらっしゃるし、旅行ではしゃぎすぎて、建造物の評判を落とすことにもなりかねん。お前ら、俺がそんなに好きだったら、絶対他人の迷惑になる行動は避けてくれ」
「せんせーい、俺ら男子は別に先生のこと好きじゃないでーす」
「女子が勝手に台心の後ろに付きたいから喧嘩になってんだろ?」
「お前ら、そこまでにしてくれ。これ以上余計なこと言うと、数学の課題増やすぞ」
「はああ!?台心の鬼!」
先生が胃の部分を擦り切れそうなほど擦っている中、うまくまとめて帰りのホームルームをしていく。みんなこれからの旅行に浮足立っているみたいだったけど、私は美依ちゃんとほのかちゃんの後ろ姿を見た。頬杖をついたり足を組んだり、明らかに心穏やかじゃないのが分かる。私は鞄を盾にしてこっそり旅行ガイドを見ているレイちゃんをちらりと見て、レイちゃんがいるから、滅多はことは起きないだろう、と気持ちを整理した。
「なんか、おめえらって若いよな。人間を括る枠の順番にそこまで拘る必要なんてあんのかよ。しかも、行き先が鬱岐県って・・・・・・どんな巡りあわせだよ」
帰り道、タンギンがぼやきながら私の後ろにひょっこりと顔を覗かせている。今日はレイちゃんも瀬名高君も家の用事で先に帰ってしまったので、タンギンと二人でのんびり帰ることにした。彼が私の中にいる状態でレイちゃんに相談してしまったので私の気持ちを察してくれたのか、今朝のことは水に流してくれたらしい。大人な対応だ。そう言えばタンギンは何歳なのだろうか。私は持っていた鞄のチャックが開いていたので、下駄箱付近で立ち止まる。
「やっぱり、みんな台心先生と話したいんだよ。ありさちゃんが知ったら、すごい怒りそうだね」
「はっ、あんな優男のどこがいいんだよ。あんななりしてんなら、俳優にでもなればいいじゃねえか。なんでわざわざ先公なんて選んだんだよ」
「うーん、分からない。本人に聞いてみ・・・・・・るのは、なんかいいや」
「お前、相手に興味がないことこそ、人間が一番傷つく要因だってこと忘れんなよ。お前が何気一番ひでえ・・・・・・そういえばよ」
タンギンが何かを言いかけたのが聞こえたその時、私は思わず鞄を落としてしまった。ぎょっとした顔で彼が私の前に姿を現す。
「なんだ、どうしたんだよ?」
「・・・・・ごめん、タンギン。お弁当箱、教室に忘れてきちゃった」
「はあ?んなもん、取りに行きゃあいい話じゃねえか。翌日まで持ち越すのはやべえけど、今なら何とかなるだろ」
「・・・・・・放課後の教室って、部活の人がたまに使ってるから、行きたくないんだよね。気まずい」
「はあああ?何なよっちいこと言ってんだ、ほら行くぞ!お前にとって吉報も持ってきてんだ、早くしろ!」
タンギンが実体化して、私の背中をぐいぐいと押す。階段からは吹奏楽部が練習しているのか、トランペットの音が響いてきた。重い足を引きずりつつも、私は階段を上がって教室に向かう。傾いてきた夕陽が踊り場の窓から差し込んできて、私一人だけの影を長く伸ばしている。
1年生の階に辿り着くと、そこには楽器を手に、廊下でいづらそうに身を固めている子たちが見えた。丁度1-Cの教室に前にいる。私はそろりそろりと教室に近づくと、その子たちのうちの一人が私の腕を掴んだ。片手に持ったクラリネットでダメダメ、というように軽く振っている。私を女子トイレの前まで引っ張ると、その子たちは興奮しているような、困っているのような笑い顔でこっそりと話してくれた。
「あなた、1―Cの子?実はね、中で先生に告ってる子がいて、私たちも練習できないの」
「え。ここででですか・・・・・・?」
「うん。なんか女の子が泣いちゃってるみたいで、ちょっと入りにくくて・・・・・・多分、
台心先生だと思う。うちの学校のイケメン先生はあの人しかいないし。歴代でもう30人は告ってるって噂だよ」
その人は3年生らしく、後ろの子たちがこくこく、と頷いている。よく見るとみんな楽譜と譜面台を持っていたので、きっと吹奏楽部の人たちだろう。私は忘れ物を取りに来たことを伝えると、その先輩はうーん、と唸っていた。私個人の事情なのに親身になってくれている。
「そうだねー、願わくば今日は帰った方がいいかもだけど、お弁当箱は放置したくないもんね。かといってここで待ってると、聞き耳立ててたことがバレちゃうし。一旦、隣の教室で待ってたら?私たちも、今日は音楽室で練習することにしようかな」
「そうですね。わざわざありがとうございます」
クラリネットのみなさんは笑顔で手を振ると、楽しそうにお喋りしながら帰っていった。見えなくなったところで、横から出てきたタンギンと顔を見合わせる。
「あの子たち、結構な声で喋ってるけど、バレないのかな」
「中はそれどころじゃねえんだろ。ほれ、盗聴するぞ。あの先公が生徒になんて返すか見物だな」
「タンギン、ちょっと性格悪いよ・・・・・・?」
とはいいつつ、1―Dの中に入り、ドアの近くでしゃがんで、やり過ごすことにする。基本的に移動教室以外他のクラスには入ってはいけないので、普段しない行動にドキドキする。まるでスパイみたいだ。夕焼けが一層濃くなり、四角いオレンジの光が机の段差に阻まれて形を崩している。
でも話を聞くうちに、そんなドキドキもすぐに消え去って、私は気まずい思いでいっぱいだった。1―Cにいるのは間違いなく台心先生だろうけど、女の子の方はなんと美依ちゃんだったのだ。ちょっと特徴的な高い声ですぐわかった。向こうの扉が半開きだからか、彼女が声を震わせて、鼻をすすっているのがよく聞こえる。
「だって、台心が好きなんだもん・・・・・・しょうがないじゃん」
「・・・・・・気持ちは嬉しいけど、俺は教師だから。誰かひとりの生徒を特別扱いするなんて、できないよ」
「じゃあ椿さんは!?台心、すごい話しかけてるじゃん!!隣のクラスの赤羽さんにだって好き好き言われてる癖に!!」
「椿は、家庭が複雑だから気にもかけるよ。赤羽は、俺が気持ちに応える気はないって分かってんじゃないかな」
「本当にそれだけ!?椿さんには面談したり、よく自分から声掛けに行ってんじゃん!!距離も近いし、特別扱いしてんじゃん!!家庭が複雑なんて子他にいるし!」
「・・・・・・それは、椿個人の事情だから、俺からは言えない。その事情がその子にとってどれくらいの負荷になってるのかは、受け持ってる俺が見る責任があるんだよ」
「家にだって行ったらしいじゃん!!そんなの、先生としての行動超えてるよ!!ずるい!!・・・・・・椿さんだけ、ずるい・・・・・・」
ヒートアップして泣きじゃくる美依ちゃんの声が、どんどんと私に突き刺さってくる。手先が震える。段々と私が悪いのだろうか、とさえ思えてきてしまって、私は体育座りをしていた腕をぎゅっと抱え込んだ。両親がいなくて、血縁関係のある唯一の家族にすら追い出されてしまったのだから、仕方ないじゃない、と心に不満が浮かぶと、どんどんと自分の惨めさが体を侵食してきて、視界が滲んでくる。タンギンが隣にしゃがんで、頭にポン、と手を乗せてくれたのが分かる。冷たいはずの彼の手が頭皮に温かく感じて、私は滲んできた涙を拭った。
「・・・・・・とにかく、俺は桜川の気持ちには応えられない。なぜなら、お前は俺の大事な生徒だからだ。桜川が笑顔で卒業できるように手助けしたいんだ。俺はお前を生徒として見てる。お前の成長を見守りたいんだよ」
台心先生がはっきりとそう言ったのが聞こえる。美依ちゃんの声が聞こえなくなったと思ったら、ガラッ、と引き戸を乱暴に引く音と、ぱたぱたと廊下を駆ける音がした。視界の端で、美依ちゃんが通り過ぎていく。私は立ち上がる気にもなれず、薄暗くなるのも気にしないまま、タンギンに少し寄りかかって、心が落ちつくのを待った。
「・・・・・・夕陽、立て。来るぞ」
「え?」
タンギンが一瞬で姿を消したのも束の間、「うわ!!」と声が聞こえる。顔を上げると、台心先生がこっちを見下ろしてぎょっとしていた。手には鍵がたくさん付いたチェーンを持っている。多分、見回りとカギ閉めをしている時に、美依ちゃんと出会ったのだろう。私は急いで目を拭うと、すぐ立ち上がった。
「す、すみません。他のクラスに入っちゃいけないのは分かってたんですけど。も、もううちのクラス、鍵閉めちゃいましたか?」
「あ、ああ。何か忘れ物か?開けようか」
「お願いします・・・・・・すいません」
先生は怪物でも見つけたようにぎこちなく後ずさると、持っていたチェーンで教室を開けてくれた。私は急いで自分の席へと走り、机の横にかかったままの巾着をぶん捕る。先生が気まずそうに廊下の壁に背中を預けたまま、こちらを見た。心なしかちょっと疲れているように見える。
「さっきのやり取り、聞いてただろ」
「・・・・・・き、聞いてますん。何のことでしょう」
「噛むなよ。分かりやす」
先生はもう一度鍵を閉めつつ、どでかいため息を吐いた。申し訳ないけど、彼を見ているとタンギンの意見に賛成したくなる。この整った顔では、先生よりアイドルが向いているかもしれない。今は憂いを帯びて、なおさら色っぽく見える。
「今日聞いたことは、内緒にしてくれると助かる。もちろん、本人にも。椿も、遠回しに傷ついたよな。ごめんな」
「いえ、私は何も・・・・・・」
「目、思いっきり擦ってたじゃん。ごまかすの下手すぎ」
先生がそう言って軽く笑うと、黙って俯いた。チェーンが廊下の蛍光灯の光を鈍く反射している。彼の顔は影で良く見えなかったけど、いつものへらへらした顔ではなかった。
「俺、教師向いてないよな」
「え?」
「生徒を健全に育てて導くのが教師の役目なのに、これじゃあ俺の存在自体が不健全だ。顔ごときに左右されたくないけど、生徒を導いて成長を見守るどころか、俺の顔ほど教師に向いてないもんはない。それに、好意も無下にするしかないしな」
台心先生の後姿が暗く見える。私はハッとして後ろを振り返った。タンギンもいつでも除怨できるように構えているのが見える。悪意が沸き起こってくる予感がして、私は彼の影をじっとよく観察した。マクモさんが現れなくても、悪意は増長される。しかも、こうして自分自身を追い詰める負の感情は強力だから厄介だ。
ぞわっと寒気が走って、目の前が暗くなる。まずい、先生が悪意に飲み込まれてしまう、と直感した直後だった。
パン!!と鋭い音が響く。彼が自分の頬を思いっきり叩いたのだ。
呆気に取られていると、台心先生がぎゅっと目を瞑りつつ、顔を上げる。決意を固めたように目に力を入れて、先生はふう、と大きく息を吐いた。
「こんなんじゃ駄目だよな。俺は生半可な気持ちで教師になったんじゃないし。給料も低いし残業も多いけど、教師が下を向いてちゃ、生徒も安心して学生生活を送れないもんな」
「・・・・・・まじかよ」
タンギンがぼやいているのが聞こえる。私も同意見だ。信じられない。彼の周りは黒い煙も影も見当たらない。彼は自分自身で悪意を跳ね返したのだ。こんな人、初めて見た。台心先生はよし、と小さく呟くと、私に向かって笑いかけた。不覚にもドキッとしてしまう。彼は自分の顔の良さを自覚しているようだけど、こういう所が良くない。
「椿、みっともない所見せてごめんな。俺は生徒の一人ひとりの事情に合わせて、真摯に向き合っていく。もちろん、お前にも。特別扱いされてるとか言われたら、言ってくれ。今度からお前とは筆談で話す」
「・・・・・・それはそれで、なにか誤解を生みそうですけど」
「そうですよ、台心先生」
新たな声に、台心先生が振りかえると、彼の陰から、鈴木先生がのっそりと出てきた。思わず声を上げそうになるけど、すんでのところで押しとどめる。彼は1年生の学年主任で、校則を守らない生徒に対しては一層厳しいことで有名だ。髪には白髪もあるけど、体育の先生だからかガタイが良く強面なので、正直怖い。鈴木先生は台心先生の肩にポンと手を置くと、彼を見上げた。台心先生の方が背が高いはずだけど、こうしてみるとどうしてか彼の方が幼く見える。
「台心先生、また生徒に告白されたんですか」
「・・・・・・はい。ちょっと、教師に向いてないんじゃないかって自信なくしてました。申し訳ないです、教師が風紀を乱して」
「わざとではないし、仕方ないですよ。それに、君が生徒に真剣に向き合い、決して手を出すようなことはしないと、信じてますから。な、透夜」
「・・・・・・名前呼びは、生徒の前ではやめてください」
台心先生は照れたように、首に手を当てて私から顔を背ける。相当参っていたのだろう、ちょっと涙声に聞こえたような気もする。鈴木先生はがっはっは、と豪快に笑うと、台心先生と私の間に立って私を見た。私から台心先生が見えないように。
「すまんな、君は彼のクラスの生徒かな?確か、転校生の椿さんだったかな。彼はね、高校時代、私が担任を受け持っていた生徒なんだよ。私みたいになりたくて、教師を目指したらしい。な、透夜!」
「・・・・・・勘弁してください」
「つ、つまり・・・・・・鈴木先生が、台心先生の先生だったってことですか?」
「そういうことだ。高校時代の彼はそれはグレていてね、もう手が付けられなかったよ。授業には出ない、課題はやらない、その割には校則は守ってるし、勉強もやってる・・・・・・何がしたいのか分からない謎のイケメンだって、校内中で噂されてたなあ」
「へ、へええ・・・・・・」
台心先生が自分で悪意を跳ね飛ばしたことが驚きなのに、さらに驚きな情報が出てきて、脳が混乱する。私は横目でタンギンを見ると、彼はくだらないと感じたのか、完全に姿を消していた。鈴木先生は懐かしそうに腕を組み、にこにこしている。
「なんでやさぐれてるのか聞いてみたら、自分の家が神社で行動が拘束されてるのが嫌で仕方なかったって正直に話してくれてさ。もちろん冗談じゃなかったが、まさか俺が勧めた教師になるとは、夢にも思わなかったよ!!」
台心先生が恥ずかしそうに彼のジャージを引っ張っている。若そうだなとは思っていたけど、台心先生は本当に年齢的にも若いのかもしれない。
「教師になるまでに何回も挫折しかけていたけど、透夜が合格証明書を持ってきた時のあの笑顔は、今でも忘れないさ。顔がハンサムすぎるから夢を諦めるだなんてもったいない。透夜が生徒と問題を起こさないよう、私も見張っているがね!透夜はちょっと、生徒に思い込みすぎる所があるからな!そこは気を付けないとだな!」
「・・・・・・申し訳ございません。話を遮って恐縮ですが、続きは椿のいない所でお願いします」
台心先生がしゃがみ込みそうなほど顔を手で覆い、鈴木先生の前に出て私から距離を取ろうとする。鈴木先生は彼の力に負けることなく微動だにせず仁王立ちし、手を叩いて笑っていた。ちょっと台心先生が可愛そうになってきた。
「はっはっは!!すまない!ということだ、椿さん。彼もまだ教師として新米なんだ、よろしく頼むよ」
「は、はい」
「俺、明日から教壇に立てないかもしれないです・・・・・・」
「大丈夫さ!ところで、弟さんは元気かい?最近こちらに帰って来てる話は聞いてないが?」
「・・・・・・鈴木先生、椿がいないとこで・・・・・・」
・・・・・・二人は微笑ましいやり取りをしていて気づいていないだろうけど、彼らの後ろで、何事だと集まって来ていた教師陣が、ハンカチで顔を抑えていたり、微笑んでいるのがばっちりと見える。台心先生の生い立ちを聞いて心に来るものがあったのだろうか。中には見直した、という風に腕を組んで、お父さんのような顔をしている先生もいる。もちろんその団体の中には、にっこにこの顔の校長先生も混ざっていた。私はどうするのが正解なのだろうか。
「台心先生、そんな心意気で教師を目指していらしたなんて・・・・・・私も、自分がどうして教師を目指したのか久しぶりに思い出せて、元気が出ました。明日の試験問題制作、頑張ります!」
「ただ顔のいい奴だけだと思っていたけど・・・・・・心意気は、俺たち同じなんだな」
「初々しくていいわねえ。私も若い時は、そうやって生徒との接し方に悩んでいたわあ」
台心先生が彼らに気付き、ついに顔を抑えてがっくりとしゃがみこんだ。私は結束力の固まった先生方とじわりじわりと距離を取り、会釈して下駄箱に向かった。なぜか全校先生のさよならを背中に受けつつ、私は学校を後にした。
「なんとも不思議な経験だったね」
「お前、ついてるなあ。あんな面白展開、中々立ちあえねえだろ。途中から漫才見てるかと思ったわ。お前の笑いきれてねえ困り顔、馬鹿おもろかった」
「も、もう。困ってるのが分かってたら、助けてよ。まあ、台心先生はいい人ってことだね。あと、悪意を祓う力があるってこと・・・・・・」
私の呟きに、タンギンは考えるように顎に手を当てる。もう外もすっかり暗くなっていて、私たちは急ぎ足で家路へと向かった。
「まあ、偶然かもしれねえしな。ひとまず盤渉たちに情報共有だけしといて、観察しときゃいいだろ。はあ、また会議出ねえといけねえのか」
「うん・・・・・・あとさ、結局、タンギンが言ってた吉報ってなんだったの?」
「ああ、お前の好きな奴から手紙が来てたんだけどよ・・・・・今日はとりあえず、中身見ずに寝ろや。多分今渡したら、興奮して寝れなくなるだろ」
タンギンは手紙らしき封筒を指に挟み、私が手が届かないとこに浮かび上がる。永遠さんだと感づいた瞬間、汗が噴き出た。嬉しい、という気持ちと、タンギンがそれを私に正直に言ってくれたことの感動とで、つい立ち止まってしまう。タンギンははああ、とため息を吐くと、私の手を引いて早歩きで歩いてくれた。
「そういう反応になると思ってたから、言わなかったんだよ。今日はそれどころじゃねえだろうし、明日も学校なんだし、早よ寝ろ。お前に倒れられちゃ、こっちが困るんだよ」
「・・・・・・うん。ありがとう、正直に手紙を渡してくれて。あと、気遣ってくれて。嬉しい」
「うるせえ、早く歩け」
翌日、台心先生の教師への意気込みは全校に広まっており、教室に入るなり先生はクラスのみんなからの歓声とからかいで、さらに胃を擦っていた。美依ちゃんも学校には来ていて、ぼろぼろな先生を見て、少し笑っている。きっと、彼女の中でも区切りがついたのだろう。恋をしたことがないから分からないけど、こうしてみんな前に進んでいくんだ、と私は賑やかな中、窓を見上げた。突き抜けた青の近くに雲が見える。もう秋だ。




