13.夏のパトロール
外に出たら肌が焦げ付きそうなほどの暑さがやってきた8月、私とタンギンは、自宅でそれはもうのんびり過ごしていた。唯一うちの家で手が付けられていない庭には、紫やらピンクやらの小さい花が咲いているけれど、それも心なしかぐったりとして見える。
リビングでガンガンにエアコンを利かせながら、課題の上で進めていたシャーペンを止め、後ろにあるソファに背中を預ける。正座もしびれが切れてきたので、足をカーペットの上にぐっと伸ばした。
「はーあ、エアコンっていいね、タンギン」
「そうかあ?俺は熱い寒いは分かんねえから良いかどうかは知らねえけどよ。ほら、麦茶。ぬるくならねえうちに飲めよ」
「ありがとう。ちょっと休憩しようかな」
コップをテーブルの上に置いたタンギンは実体化を解くと、ひらりと椅子の背もたれの上に腰を下ろした。どうやら実体化すると、重力も人並みに感じるらしいので、こういう行儀の悪い仕草をするときは普段の状態でいないといけないらしい。だったらずっと実体化していてもらいたいと言いたいけど、実体化もそれなりに体力を使ってしまうことはもう把握済みなので、大人しく彼の向かいの椅子に腰を下ろす。タンギンの拘りで、食事をする時はテーブル、それ以外の作業をする時は平机と決められている。彼曰く、「てめえは鈍臭えから、何かしら零す未来が見えんだよ」とのことだ。図星過ぎて何も言い返せない。
「そういやよ、俺らもそろそろ廃絶の野郎たちを捕まえに巡回してもいいんじゃねえの?底抜け馬鹿とかハート女とかには連絡とってんのかよ?」
「は、ハート女ってレイちゃんのこと?うーん、二人とも最近話してないかも。最近って言っても、ここ数日だよ?」
「そう言って、てめえは俺に何週間も話しかけてこなかったじゃねえか。てめえはもう少し人との繋がりを大事にしろよ。挨拶だけでもいいから、なんか送ってやれ」
珍しくタンギンがまともなことを言っている。確かにそうだ。みんなのことは気になってはいるけど、今送ったら迷惑だと思われないかとか、面倒くさがられたらどうしようとか、そもそも私の連絡先は削除されてないかとか、スマホの画面と格闘して一日が終わってしまうことが多い。結局、諦めて何も言わず、相手との縁が薄くなってしまうのだ。今まで表情が変わらないから不気味がられている、と人との関わりを絶ってきたけど、私のこの態度こそが人を遠くへ追いやってしまう原因なのかもしれなかった。タンギンはいつも、重要なことを客観的に伝えてくれるから助かる。
「そうだね、ありがとう、タンギン。でも、なんて送ろうかな。あれ、スマホどこだっけ」
「現代日本を生きる女子高生の台詞とは思えねえな。ほれ」
「ありがとう。うーん、とりあえず瀬名高君かな。えっと、『こんにちは。お元気ですか。私は元気です。最近暑いですね』」
「はあ!?ババアの手紙の始まりじゃねえんだぞ!もっとこう、若々しくいろよ!」
「ば、う、うーん。そもそも人にメッセージ送ることなんてあまりないしなあ。こういう時、大抵永遠さんの真似するんだけど、永遠さんラインやってないし・・・・・・」
あ、と口を抑え、ちらりとタンギンを見る。式神の前で、廃絶のボスである可能性が高い人の名前を出してしまった。球技大会以来、彼がレイちゃんに渡すはずだった黒いメダルの件も、どうしてタンギンが彼を怪しいと思ったのかも、何もかもお祭りのテンションで流してしまっていた。せっかくなので、ここら辺も今日聞いてみようかな、と椅子に深く腰掛ける。
「ねえ、タンギン。せっかくだから、色々と話し合ってみない?廃絶のこととか、永遠さんのこととか。その後、涼しくなってきたら、パトロールに行こう」
「・・・・・・」
タンギンは少しの間、口を一文字に結んだままだった。無視をしているわけではなく、逡巡しているのが分かる。黙って彼の答えを待っていると、はあ、とため息をついて、テーブルに肘を乗せた。
「分かったよ。ただし、感情論には乗せられねえからな。てめえが傷つくかどうかなんて気にしねえから、覚悟しとけよ」
「うん」
こうして、一杯の麦茶をおともに、タンギンとの会議が始まった。こういう話し合いはいつもは瀬名高君が主催だし、こうして二人顔を合わせて真面目に話し合うのは初めてだから、少し緊張する。
彼は実体化したのか、椅子に座って、学生帽を取った。カーテンから透ける日光が彼の金髪を透かしていて、まるで王子様みたいだ。
「まず、現状整理だ。今、この日影町には3人の主がいる。てめえと俺、底抜け馬鹿と盤渉、ハート女と勝絶。歴で言えば、圧倒的にあの馬鹿が長く強い。ま、式神の強さで言ったら俺が一番だけどな」
「うん分かった。それで?」
「てめえ、今めんどくせえって思っただろ!!俺は事実を言ってるだけだ!!」
「わ、分かったから。それで、中部地方には、美麗さんとシモムさん、カミムさんがいるんだよね。あと、関西に、えっと、シンセンさん、だっけ」
「お、よく知ってるな。あいつは俺と互角くらいだな。あいつがいれば、関西丸ごと任せて大丈夫だろ」
そう言って、タンギンは肘を突いて片っぽだけ口角を上げて笑った。自信家な彼がここまで言うだなんて、シンセンさんが段々怖くなってきた。どれだけ強いのだろうか。
「まだ、あといるんだよね。でも、それぞれの人がどこにいるのかは分からないんだっけ」
「まあな。勝絶の例もあって分かりやすいと思うが、主が変わると、式神がいる場所も変わる。月一で会議を開いて、廃絶の様子とか、誰がどうなってるだとかを話し合ってるらしいが・・・・・・」
「タンギンは行ってないんだよね」
「う、ま、まあな」
私はガラスの表面にたくさんの水が付いた麦茶を一口飲む。空気が冷えていても、こんなに結露するなんて、今日は本当に外が暑いのだろう。
タンギンはただの会話に飽きてきたのか、テーブルに置いてあった塩の瓶をいじり始めた。こういう動きのない時間は得意じゃないらしい。
「まあ、タンギンは次の会議には行ってもらうとして。次に、廃絶のこと、だよね。前回のプールでは、悪意はあったけど、マクモさんの姿は見かけなかったね。なんでだろう」
「そりゃあお前、あんなに主と式神が揃ってたら、滅多打ちにされるからだろうよ。全国で見たら、あん時のあの集団は異常だろ。前に出る方が死に急ぐってもんだ」
「そっか、確かに4対1って分が悪いもんね・・・・・・」
そう言って、もう一度お茶を飲む。氷のせいか緊張か、指が冷たくなっていた。本当に私たちが話したいのはこの話題でないのは、もうお互い分かっている。ガタガタと水面が揺れる。タンギンが貧乏ゆすりしているのだ。
でも、覚悟を決める。私をここまで導いてくれたのは、永遠さんだ。でもそれくらい、今はタンギンのことも信じている。もし彼が廃絶のボスだったら、その時は、みんなで相談して・・・・・・でも、永遠さんも好きで・・・・・・。巡る思いを握り潰す気持ちでぐっと唇を一度噛んで、口を開く。
「え、えっと。永遠さんがレイちゃんにあげたあの黒いメダルって、なんだったのかな?」
「ぶっ!!!」
タンギンが噴き出して、椅子からずっこける。すごくいいリアクションだ。芸人さんみたいで、ちょっと面白い。彼は袖で口元を拭き、こちらを見て半笑いしている。
「お前、ぶっこむなあ。もう少しオブラートに包んだ言い方を覚えろよ」
「だ、だって。このままだと話が進まないと思って。タンギンはなんだかんだ優しいから、自分から永遠さんのことは言わないだろうなって」
「・・・・・・」
少し顔を赤くして、タンギンは椅子に座りなおした。長めの前髪をかきあげ、こちらをちらりと見る。小さく開いた口からは、私の予想外の言葉が発せられた。
「・・・・・・あれは、まあ、普通の鉄のメダルだ。ただ、悪意が増幅されやすいよう、ちょっとした邪気は帯びてる。こんなもん、そこらの怪しい店でも売ってるわな」
一瞬のうちにその事実が体に広がり、ほっと胸が広がる。手にも、体温が戻ってきたように感じる。良かった。永遠さんが廃絶のボスで、レイちゃんに悪意を増幅させるよう仕掛けたわけではないのだ。私があまりにも安心したような顔をしたからだろうか、タンギンがじろっと睨んでくる。釘を刺すように、トントンとテーブルを叩いた。
「でもな、そこらよりももっと悪質な邪気だぞ。あのハート女が元から主としての素質を持ってなかったら、普通の奴は感化されて憑りつかれたようにあのメダルを周りに自慢するなり、異常に大事にしたりするようになる。それこそ、そいつの日常が壊れるほどに」
「・・・・・・それって、そのメダルが大事すぎて、守りたくなるってこと?」
「そういやあ聞こえはいいが、単純に中毒だろ。邪魔する奴がいようものなら、どんな手を使ってでも、あのメダルを守るだろうさ。ま、持ってていいもんではねえな」
「・・・・・・そう」
そういう話では、よく、呪われた宝石が噂になるイメージがある。持っている人に次々と不幸が訪れ、でも美しいから手放したくないと躍起になる持ち主の元に、また死が降りかかる、というものだ。永遠さんは美大生だから、物を作る機会は人より多いだろうけど、そんなまがい物を作れてしまうのは、十分脅威ではないだろうか。気まずくて、もう一杯お茶を飲む。もうすぐ空になろうとしたところで、タンギンが立ち上がってお茶を汲もうとしてくれたので、急いで制する。さっきから至れり尽くせりで申し訳ない。
冷蔵庫を開けると、たくさんの食材がぎっしり詰まっていた。冷凍庫には、作り置きのお肉やご飯がラップやタッパーにしまわれていて、本当にお母さんがいてくれるような気持ちになる。あまり覚えてはいないけど。
これだけ自分に尽くしてくれる式神に、隠し事をするのはもう罰当たりな気がしてくる。嫌いな人には、ここまでしてくれないだろう。私の食事を賄ってくれるのなら、お弁当やパンでもいいはずなのに、タンギンは健康が偏らないように、毎食、バランスよく美味しいご飯を作ってくれる。
「おい、冷蔵庫開けっ放しにすると電気代がもったいねえだろ。何してんだ」
私が麦茶を注ぐだけなのにあまりに時間がかかっていたからか、タンギンがキッチンまで来てくれる。すぐ後ろにある彼の顔を改めてこう見上げると、彼は私より身長が高かった。丁度、永遠さんくらいだ。同じような顔の角度を見て、不意に永遠さんを思い出す。夕焼けの中散歩しながら、私の話を聞いてくれる彼も、こんな感じだった。
「・・・・・・あのね。話したいことがあるんだけど」
「なんだよ、改まって。とにかく扉閉めろや」
「永遠さんって、美大生なんだ。だから、授業で色んな作品を作ったりするの。他無県から引っ越す時も、お守りとしてメダルをくれたんだ」
「!」
タンギンが目を見開く。そんな彼を軽く押しのけて、冷蔵庫から出した麦茶のボトルをキッチンの台に置いた。綺麗な亜麻色の液体がコップに注がれる。冷蔵庫の前に立ち尽くしたタンギンは、ハッとしたように扉の前からどいた。私はボトルを中に入れ、「ちょっと待ってて」と言い残し、二階に上がる。自分の部屋のテーブルの引き出しから、ハンカチに包んであるあの時のメダルを取り、階段を降りる。その途中、ラメやら花びらやら入っているな、とじっくり見ると、メダルが、差し込む日光の光を反射してキラキラと光る。主になってから少しは人の悪意に敏感になったつもりだけど、このメダルからは何も感じない。むしろ、そこはかとない安らぎを感じる。
リビングに戻ると、実体化して椅子に座り、貧乏ゆすりをしているタンギンが待ち構えていた。世の中の全てに文句があるような、不服そうな顔をしている。
「ほら、これ。これも、永遠さんが別れ際にくれたんだ。失くすと嫌だから、机にしまってあるんだけど・・・・・・これからは、悪意は感じないよね」
「・・・・・・」
タンギンはメダルを持ち上げると、黙ったまま私をちらりと見た。彼が何を考えているのか分からず、見つめ返すと、はああ、とでかいため息をついて、彼は手に持っていたメダルを置いた。銀の瞳で透明なガラスを見ている光景は、彼の目もガラスに見えてしまって、セットで工芸品のように思えてくる。
「はあ、これを、あいつがねえ。こんなもん、廃絶の一味だとしたら作れねえよ」
「え?」
「これは正真正銘お守りってやつだ。悪意を跳ね除け、善意を呼び込む。人間の負を飯に生きてるような奴らがこんなもん作ったら、もう廃絶から抹殺されてるだろ。これをあいつが作ったってのが本当なら、あいつは廃絶のボスじゃねえ。これは確信だ」
そう言い切って、チッと舌打ちをすると、タンギンは「せっかく手掛かりが掴めそうだったってのに」と整った眉をさらに中央に寄せ、メダルを机の上でコロコロと転がしていた。彼の言葉に、私は嫌に納得がいったというか、その事実に、腑に落ちた。
ここに来てから周りの人たちがすごく優しかったのは、このメダルのおかげとさえ思えてきた。後付けの理由で確証はないけど、中央にうっすらと浮かぶ花びらを見て、心がすっとした。永遠さんは、廃絶のボスではなかったのだ。
「・・・・・・そっか。ありがとう、タンギン」
「別に礼を言われる筋合いはねえよ。俺は事実を言っただけだ。黒メダルの件で一気にあいつが怪しくなったが、これを作ったんなら話が別だ・・・・・・おい、そんな嬉しそうにすんじゃねえ。言っとくけどな、あの野郎がここに来た日、すげえ落ち着かなかったんだからな。あいつ自身、なんか変な気でも纏ってんじゃねえの?」
眉根を寄せ背もたれにどっかりと寄りかかるタンギンに、立ちっぱなしだったことに気付いて、私も椅子に腰を下ろす。もうすっかり氷の解けた麦茶は、水面に近い部分が薄く透き通っていた。
「確かに、永遠さんは不思議な人だったよ。なんというか、掴みどころがないというか、自由というか・・・・・・だから、廃絶のボスかもって時も、正直、絶対に嘘だとは言い切れなかったの」
「はーん、本当かよ。今すっかり安心して、べらべら喋ってる癖によ。内心ひやひやしてたんだろ?」
「それは、まあ、そうだけど・・・・・・冷蔵庫見て、こんなに私に尽くしてくれるタンギンに、隠し事するのもよくないな、って思って・・・・・・」
会話が途切れて顔を上げると、タコのように顔を赤くする彼が、バン、と机をたたいた。麦茶がこぼれそうになり、咄嗟にコップを支える。
「はあ!?なんだその理由!!つうか、尽くしてねえし!大体、てめえがこのメダルのこと言わなけりゃあ、廃絶の情報が分かりそうだったってのによ!」
その言葉に、キョトンとする。ちょっと棘のある言い方だけど、つまりは永遠さんが廃絶のボスであると特定できなかったことを嘆いているのだ。ということは、廃絶の構成員はよくわかっていないのだろうか。私が知らないだけかと思っていた。
私は窓を見ると、椅子から立ち上がり、麦茶を飲みほした。私を目で追っていたタンギンに、指で玄関を指す。
「お散歩がてら、見回りに行こう。もう日が暮れてきたし」
さんさんと照っていた太陽も、気づけば少しオレンジの色を帯び始めていた。もう5時半なのに、日が伸びるのは早い。でもじんわりと纏わりつく暑さに、私は靴からサンダルに履き替えて正解だったな、と思う。でも、蚊に刺されないよう虫よけスプレーをしてくるんだった。
タンギンと私は、ちょっと離れたところにある川辺を歩いていた。永遠さんと散歩する時は、いつも土手や自然豊かな場所だったから、似たような場所がここにもあることに驚きを隠せない。
「よくこんなとこがあるって知ってたね、タンギン」
「・・・・・・そりゃあ、住んでるところに水災が起こるかもしれねえ場所があるかくらい、確認しておくべきだろ」
「そ、それはごもっともですけど」
人気も少ないので、彼は実体化して隣を歩いている。ポケットに手を突っ込んで口をとがらせている彼を見て、なんだか自分にお兄さんができたようで、少し嬉しくなった。不意に彼が振り返る。オレンジ色のピアスが夕陽に反射してキラッと光り、すごく眩しい。
「何見てんだよ。川に流すぞ」
「こ、怖いこと言わないでよ。でも、私泳げるよ」
「そういう問題じゃねえよ」
適当なところで、へりの草むらに二人腰を下ろす。蝉の鳴く声が聞こえてくる。ヒグラシの声を聞くと、なおさら夕方が近づいてくるのを実感した。ぼんやりと夕陽が傾いていく様を見ていると、本当にここは平和だなと思う。こんなに安らかな気持ちになるだなんて、引っ越しの時は考えもしなかった。
「・・・・・・廃絶って、実体はよく分かってないの?ボスが誰かとか、何人いるかとか」
「てめえは急に話題をぶっこむなあ。まあ、そうだな。構成、人数、目的・・・・・・何もかも分かんねえよ。こっちの情報を掴もうとしてんのか、俺らの前に姿を現すのは莫目だけだ。諜報の役割なんだろうが、あいつも存在が嘘みてえな奴だし、信用できねえ。そもそもボスがいる、って言い方も、正しいのか分かんねえしな」
「そうなんだ・・・・・・タンギンたちは、マクモさんに教えてもらうまでは、廃絶にボスがいるって思ってなかったってこと?」
「んー、意外と組織化してんだなって思ったくらいだ。莫目みたいなやつらがうじゃうじゃいて、それぞれ勝手なことやってんのかと思ってたら、上下関係もあるみてえだし。そうなるとさらにめんどくせえよなー」
そう言って、タンギンは後ろにゴロン、と寝っ転がった。彼は白だけど学ランを着ているので、夕陽時に河原でこういうポーズをしていると、青春の一ページのように思える。汗で草が張り付くのは容易に想像できたけど、せっかくなので私も、真似して横になった。近くに虫が来ないよう軽く草を払って、地面に頭を付ける。何回か永遠さんとやったことはあるけど、意外と下の草がちくちくしてくすぐったい。
「廃絶のボス・・・・・・どんな人なんだろ。私、台心先生かな、と思ってたんだけど」
「あいつは違えと思うけどな。でも女生徒をはべらしてて、いけ好かねえ」
「・・・・・・何か、理由はあるの?」
「あ?何となく」
返ってきたタンギンの適当な返事に、私は思わず吹き出してしまった。タンギンは不服そうに上半身を起こし、詰め寄ってくる。
「なんだよ、何がおかしいんだよ!」
「だって、ふふっ・・・・・・さっきまでちゃんと真面目だったのに、急に適当になるから・・・・・・」
「適当じゃねえよ!!いっつも俺は真面目だっての!俺たちにとっちゃ、勘だって大事なもんだろうが!!」
本当に可笑しくて、少し涙が浮かんでくる。やっぱりタンギンと話していて、暗い気持ちになることはあまりない。でも、こうやって笑いあっている方が、何倍も楽しい。
「うん、確かに。何となく嫌な予感がしたら、マクモさんがいた、ってこともあるもんね」
「ここで引き合いに出されるあいつがちょっとばかし可哀そうな気もするけどよ・・・・・・まあ、勘も俺らも、同じようなもんだからな」
少し真剣な顔になってまた寝っ転がったタンギンに、今度は私が身を起こして彼の顔を見る。心なしか、タンギンの体の縁が少し透けているような気がして、実体化を解かなくて大丈夫かと心配になる。夏の夕方特有の、土臭いけどさわやかな風が吹き抜けていった。
「俺らだって、存在を言葉で明確に説明できる類じゃねえ。廃絶ってやつらの実体がよく分かんねえとは言ったが、式神だって、分かってんのは数くらいだ。世の中には、目に見えねえもんは信じない質のやつらもいんだろ?あとは、自分が才能がないからって、その存在すら拒絶する奴。世の中、根拠のねえよく分かんねえもんを信じられるほど、馬鹿で溢れかえってねえってことだ」
「・・・・・・もしかして、そのよく分からない式神を信じてる人全員を馬鹿にした?」
「し、してねえよ。今のはちょっと、言い方が悪かった。つまりだな、言葉で説明できないことを信じられない奴も、中にはいるってことだ。お前だって、ここに式神がいるって周りに訴えても、信じる奴なんてほんの一握りだぞ。大抵、気が狂ったと思われるか、気味悪がられるだけだ。目に見えないことを信じるのは、勇気がいることなんだよ」
「・・・・・・うん。そうだよね」
知ってる、とは言えなかった。私にも、似たような経験がある。自分がいくら笑っていると訴えても、周りの人から浴びせられるのは冷たい視線だけだ。そのうち、一緒にいても楽しくないだとか、ずっと真顔で気持ち悪いとか言われて、一人にされる。同じ仲間だと思われたくないのだろう。そういえば、お父さんのお葬式の時の時も全く泣かなかったからか、親戚中から不気味がられたことがある。泣くのが正しいとは思わないけど、泣きたくても涙が出ない私から言わせてもらえば、嫌悪をすぐ顔に出すみんなこそ、怖い存在だ。
「おい、何暗くなってんだよ。顔に出てんぞ、陰気オーラが」
タンギンに突っつかれ、ハッとする。今までなら絶対に触れられることのない私の表情に関する会話に、もう慣れてしまったけど、実はすごくありがたいことなんだと思い出す。こうして今、私を信じてくれる人がいるからこそ、私は今幸せなんだ。
「・・・・・・式神だって、人間に力を貸してもらえねえと、除怨もできねえ。そもそも、信じてもらえねえと、存在すらできなくなっちまう。俺らには、目に見えねえ、言葉にできねえものを信じてくれる、勇気のある奴が必要なんだ」
そう言って、タンギンは身を起こすと、じっと私を見つめた。その目は、初めてマクモさんに会って、彼から守ってくれた時と同じ目をしていた。その時は丁度喧嘩していたけど、マクモさんからタンギンの主が一番死亡率が高いことを知らされた。その時、私の肩を抱きながら、真剣な顔で言っていたことを思い出す。
《今度こそ絶対に、死なせない》
「・・・・・・あれから、タンギンのことを信用するようになったんだよね」
「おい、口に出てんぞ。大体何考えてるかは分かるけどよ、こっ恥ずかしいからやめろ」
「あの時のタンギン、かっこよかったなあ。ジャケットで私の目にマクモさんを映さないようにしてくれて」
「だからやめろっつってんだろうが!!」
掴み掛かってくるタンギンの拳を受け止める。こうして実際に触れるのに、彼の金髪や白い肌は、夕陽に透かされてどことなく消え入りそうに見える。人間にはありえない銀色の瞳を目の前にして、私は思う。もし私が普通に笑えて泣ける人間だったら、人から信じてもらえない悲しさを知らないままだったら、彼の存在を信じることはできただろうか。
初めて除怨に立ち会った時の瀬名高君の説明を、最後まで真剣に聞いていられただろうか。こう思うと、段々怖くなってくる。痛みを知らないと、誰かを傷つける時に何も思わなくなることが、すごく怖い。
「・・・・・・私、この体質で良かったって、今ちょっと思ったかも」
「あ?何言ってんだ。お前、思考が暗すぎんだよ。だから廃絶に呼ばれてんじゃねえの?」
「や、やだよ。私はずっとタンギンの主だから」
「だっ!だからお前、そういうことを軽々しく言うんじゃねえよ!!恥じらいを知れ、恥じらいを!!」
日も落ちて暗くなってきたので、私たちは帰ることにした。そんなに肌は露出していないと思っていたのに、すっかり足が蚊に刺されまくっている。ちらりと恨みがましくタンギンを見ると、「俺は悪くねえだろ!!」と焦っていた。彼は暑さも寒さも感じない。まして、虫に干渉すらされないだろう。
痒いのを必死に我慢していると、向かいの横断歩道に瀬名高君のお家が見えた。午後7時が閉店時間らしいけど、明かりがついているということは、まだやっているのだろうか。
「今日の晩御飯、パンでいいかな。タンギンもここ最近ずっと作ってくれてたし」
「賞味期限近い食材ねえし、いいけどよ。炭水化物だけだと体に悪いぞ」
栄養士みたいな呟きを聞きつつも、私はパン屋さんの扉を開けた。
夏で蒸し暑いのに、ここのパンの人気は変わらないようで、相変わらず盛況だった。
「もう種類も少ねえな」
「売れちゃったんだろうね、仕方ないよ。あ、これ美味しそうだね」
トレーとトングを取ってパンを物色していると、レジの奥にある厨房から、「光!」と声が飛んでいた。多分お母さんの由子さんだ。ということは、中に瀬名高君がいるらしい。一目でも会えないかな、と厨房近くに行ってみると、中から突然、すごくガタイのいい人がぬっと出てきた。
「わっ!!」
幸いトレーに何も載せていなかったので、パンは落とさずに済んだけど、そのでかい人と目が合ったまま、私は固まってしまった。整ってはいるけど顔はすごく強面で、頭に被った頭巾が飾りみたいだ。タンギンが、「おい、大丈夫かよ」と声をかけてくれて、ハッとする。
「あ、えっと。すみませんでした。その、瀬名高君、いないかな、と思って・・・・・・」
エプロンより警官服の方が似合いそうなその男の人は、いまだに押し黙り続けている。店内の他のお客さんの楽しそうな声が唯一の救いだ。私はいたたまれず、「それじゃあ」と礼をして、踵を返そうとした。
すると、ぐいっと肩を引っ張られる。見ると、その男の人が黙って、顎でくいっと厨房を指していた。中に入れ、という意味にもとれるけど、何も喋らない彼に、私はすっかり委縮してしまっていた。声が出ない。
「こいつ、なんか喋れや」
タンギンが心の内を代弁してくれていると、彼の大きな背中から、ひょいっとパンのトレーを持った、満面の笑みを浮かべた人が横を通り過ぎていった。この時間にまだ焼き立てを用意してくれているとは、ここが人気の理由もわかる。その人は声を張り上げ、舞台俳優さながらの声量でパンを置いていく。
「本日最後の焼き立て、あんこたっぷり粒あんパンが焼きあがりましたよー!!この暑さにも合うしっとりさっぱりの奇跡のバランス、あなたは見逃せるのか!?その舌でとくと味わっていただきたい絶品だー!!」
お客さんから待ってましたというように歓声が上がり、彼の持ってきたパンをすぐ自分たちのトレーに移している。甘くて、でもしつこくない香りが尾を引いていて、私も欲しいなとぼんやりしていると、その人物が私に気付いてくれた。ぱっとこちらを振り返り、私の後ろの人を見てぎょっとしている。彼は元からスタイルがいいので、パン屋さんの制服も着こなしていた。
「つ、椿君!?いつの間に、というか、な、なんで父さんと一緒にいるんだ!?え、ど、どう言う状況だい!?」
「はあ!?こいつ、底抜け馬鹿の父親かよ!?ぜんっぜん似てねえじゃねえか!?」
満点のリアクションをタンギンが取っているのを横目に見つつ、この大きな人を見上げる。じっとこちらに視線をよこしつつも、不愛想なしかめっ面で、ぺこりとゆっくりお辞儀してくれた。私も慌てて礼をする。
「と、とにかく、少し待っていてくれ。僕はこのパンを置いた後、レジ会計が残っているからね。父さん、彼女は僕の友達だ。母さんも知っているから、声をかけてみてくれ!」
じゃ、というように手を上げると、瀬名高君はお客さんの波を器用にかいくぐり、カウンターへと行ってしまった。再び、無口な彼のお父さんとの沈黙が訪れる。恐る恐る上を見上げると、彼も私をゆっくりと見下ろしていた。どうする?と言う気持ちが痛いほど伝わる。
「と、とりあえず、私は帰ります。ご迷惑になっても悪いですし・・・・・・」
そう伝えると、瀬名高君のお父さんはショックを受けたようにハッとすると、ぶんぶんと全力で首を振り、さっと厨房に引っ込んでしまった。無口なのに分かりやすい人だなあ、とぼんやりしていると、今度は中から由子さんが出てきた。私を見ると、あ!と笑ってくれる。横からちらっと、お父さんが顔を覗かせていた。少し可愛い。
「夕陽ちゃん、お久しぶり!こんばんは、来てくれたんだねー。あれ、ちょっと瘦せたんじゃない?心配よ、ちゃんと食べてる?」
「こ、こんばんは。はい、一応・・・・・・」
「夏休み前よりは全然食ってねえけどな。肉食え、肉」
タンギンがじろりとこちらを見る。無視して、目の前の対照的な夫婦に視線を移した。由子さんは快活に笑い、お父さんの背中を叩いている。毎日パンをこねているからか力はあるようで、結構な音が立っているけど、大丈夫だろうか。
「うちの旦那が慌てて呼びに来るからなんだと思ったら、夕陽ちゃんだったんだね。ごめんね夕陽ちゃん、この人怖かったでしょ。何せでかくていかついもんねー」
「い、いえ。そんなことは・・・・・・」
「いいのいいの、いつものことだから!ね、パパ!」
「・・・・・・」
明るい由子さんと、無口なお父さん。正反対に見えるけど、すごくお似合いの二人だ。瀬名高君は間違いなく性格はお母さん似だろうけど、背の高さとか体形はお父さんに似ているのかな、とまじまじ見てしまう。
「光はもうすぐ来るから、少しここで待っててね。あ、良かったらこれ、味見してくれない?これからの季節にぴったりの、涼し気なパンを作ってみたんだ」
厨房のカウンターの中から、由子さんがパンを差し出してくれる。「ありがとうございます」とお礼を言い、私はお皿に乗ったパンを一口齧った。途端に、バターの香りとさっくりとしたクラッカーのような塩気が口の中に広がる。
「!美味しい・・・・・・」
「お!嬉しいねえ。どこら辺が?」
私の声に、食いついたように由子さんがカウンターから身を乗り出す。私の横にいたお父さんも、心なしか前のめりになっているようだった。
「えっと、まず、バターの香りがすごいです。水分がないのにしっとりしてる所が、すごくいい触感でした。これは、チーズと枝豆ですかね。最近枝豆が旬らしいですけど、相性ばっちりだと思います。不思議と、暑いのにお菓子感覚でさくさく食べられます。クラッカーにクリームを乗せて、その上に好きにトッピングをしたような感じで」
まじまじとパンを見ながら喋っていると、由子さんたちの声が聞こえないことに気付いて顔を上げる。二人とも、なんならタンギンも口を開き、絵に描いたようなポカンとした顔でこちらを見ていた。しまった、何か変な事を言ってしまっただろうか。
「え、えっと、すみません。一人でべらべら喋っちゃって。素人なのに、なんだか上から目線になってしまいました」
「夕陽ちゃん、あんたお嫁に来な!!」
サッと厨房から消えたと思ったら、こちらに突進してがっちり肩を掴んできた由子さんは、開口一番にこう言った。彼女の迫真の顔が間近に見えて、少し緊張する。優し気な目元が瀬名高君に似ているな、とどうでもいいことを考えてしまう。
「パパ、この子神の舌持ってるよ!!夕陽ちゃん、隠し味にね、クリームチーズを入れたの、薄く伸ばして、こってりにならないように。よく分かったね!バターもさ、最近いいやつに変えたんだよ!しかもすんごい詳しい食レポ!!あんたそっちの道に就職しな!!なんなら、うちに来な!!」
興奮気味の由子さんに肩を揺さぶられ、脳が揺れながらも顔が熱くなっていく。こんなにストレートに人を褒められるなんて、ほぼ瀬名高君だ。お父さんが駆け寄り、由子さんをなだめている。それでも彼女の熱はまだ引かないようで、嬉しそうに瞳を輝かせながらお父さんを見上げていた。
「夕陽ちゃん、このメニュー、実はこの人が作ったんだよ。うちのパンは全部、レシピも原案もこの人なんだ。良かったねー、パパ!伝わる人には伝わるんだよ!」
「・・・・・・ああ」
「うお、喋った!!」
またも私の気持ちを代弁してくれたタンギンが、今度はこちらを振り返って牙を剝いてきた。一度に人に詰め寄られて、戸惑いより恥ずかしさが勝つ。
「つうかてめえ、俺が作った料理にはこんな感想言わねえじゃねえかよ!!なんだよ、饒舌に喋りやがって!!俺の料理はどうせこいつらのよりまじいんだろ!!」
「そんなことないよ!タンギンの料理もすごく美味しいよ」
「いっつも美味しいしか言わねえじゃねえか!!」
「だって、美味しいから早く食べたいんだもん。喋るよりも、食べたい気持ちが大きくて。お箸が止まらないんだよ」
「・・・・・・」
ほんのりと頬をピンクに染めつつ、拗ねたように口を尖らせる彼に、こっそり声をかける。どうやら瀬名高君のお母さんたちは、自分の息子を呼びに行ったようでいなくなっていた。
「洗い物も任せちゃってるから、のろのろ食べてても良くないかな、と思ってて・・・・・・いつもありがとう、タンギン。これからは感想も言うようにするね」
「・・・・・・別に、いいけどよ」
「拗ねてる?」
「拗ねてねえよ!!」
タンギンは白い肌を赤くして、子供のようにそっぽを向いた。許してくれただろうか。そういえば今は夏休みで学校も毎日の課題もないのだから、今は自分でご飯くらい作ろう、と当たり前のことに気付く。いつまでも彼のお世話になりっぱなしになってはいられない。
「今度、カレーに隠し味入れてやる!ぜってえ当てろよ!!」
「か、カレーかあ。中々難しいね。でも、分かった」
丁度その時、どたどたと店内から物音がした。タンギンと顔を見合わせて振り返ると、瀬名高君が必死の形相でこちらに近づいてきていた。見ると、お父さんが由子さんを羽交い締めにしている。状況が呑み込めず固まっていると、瀬名高君が私の手を取って、出口まで引っ張っていった。お店のお手伝いをしているから当然なんだけど、よく見たら瀬名高君も腰に巻くタイプのエプロンをしていて、料理人っぽくってかっこいいな、と思ってしまう。振り返った彼の顔は大分焦っていて、俳優さながらの迫真さだった。
「椿君、来てくれて申し訳ないが、今すぐ帰った方がいい!うちの母さんは椿君をここに住まわせる気だ!」
「ど、どういうこと・・・・・・」
「そんなことしないわよー!!ただ、毎日傍でパンを味見してほしいだけ!あと、可愛いから売り子になってほしいだけー!」
由子さんの声が飛んでくる。振り返る間もなく、どっさりとビニールに入ったたくさんのパンを持たされ、言われるがまま背中を押される。外に出ると、もう真っ暗で、レイちゃん家の鳥居の提灯が鈍く光っていた。
瀬名高君はぱっと顔を上げると、いつものスマイルを見せてくれた。でも、少し疲れているようにも見えた。もしかして一日中お手伝いしていたのだろうか。あの盛況ぶりを目の当たりにすると、否定しきれない。
「瀬名高君、大丈夫?元気ないように見えるけど」
「え?僕はいつでも元気だよ!まあ、最近やたらと繁盛していてね、母さんからずっとこき使われっぱなしで疲れてはいるけどね!こうして椿君が会いに来てくれたから、元気100倍さ!はっはっは!!」
「・・・・・・光は、疲れている」
バンシキさんが彼の後ろからひょっこり出てきて、告げ口をするようにぼそっと零す。瀬名高君自身が疲れているからバンシキさんも実体化するのを抑えているようで、ひょっこり顔を出すだけだった。こう見ると、バンシキさんと瀬名高君のお父さんは似ている。
「僕は大丈夫さ!さあ、君も早く帰り給え、親御さんが心配するよ!このパンは今日中に食べてくれ、新鮮な方が美味しいからね!」
そう急ぎ足に言って、彼はぱたりと扉を閉めてしまった。クローズドの文字が見えないくらい、店内も外も暗い。ぐいっと手を引っ張られ、見るとタンギンが前をずんずんと歩いていた。
「俺らも帰るぞ。それ、そんな食いきれねえなら、冷凍して明日の朝食えばいい」
「・・・・・・うん。ありがとう」
タンギンが引っ張ってくれる中、私は後ろを振り返って瀬名高君の家を見る。彼は大丈夫だろうか。いつも元気なのはいいけど、今日はなんだか無理をしているように見えた。
明日、また顔を出してみようと心に決め、私は前を歩く式神に付いていった。




