第8話 書庫での対話
ちゃんと寝て、栄養のある物を食べて、あったかくしていれば子供の体はすぐに元気になった。
オティリオの方は少し元気になるとベッドから飛び出そうとするらしく、苦労しているらしい。俺はじっとしていられない所か、むしろ一つの事に打ち込む研究なんかが得意だったのでそういう苦労とは無縁だとカペラが言っていた。
すっかり回復した俺が何をしているかと言えば、書庫に来ていた。ーー回帰前最後の記憶である魔物についての手がかりを探すためだった。
「はあ〜〜、それにしても精が出ますね。そんなにちっちゃい頃から本ばかり読んでたら目悪くなりません?」
護衛としてついて来たドリアスが背表紙を指でなぞりながら本棚を練り歩く。
「読まないなら悪戯に触れるな。本が傷むだろ」
苦言を呈すれば、ドリアスはつまらなさそうに謝罪をした。回帰前にここの本は全部読んだ事はあるが、治癒魔法関連以外は文字通り目を通しただけだ。ある程度辺境領で魔物と関わってきた今なら別の発見があるかもしれないので、直近の目標はすべての魔物に関する書籍を読み直すこと。
棚から3冊ほど見繕って書見台に向かう。ふと腕が軽くなったので見上げると、ドリアスが抜き去った本をぱらぱらとめくっていた。
「どれも魔物関連ですね。治癒魔法のものは読まないんですか?」
書見台は書庫の中で唯一ある北向きの窓の正面に位置する。飴色の使い込まれた木の椅子に腰掛け、読みやすいように斜めになった台と一体型になった机を指で一度叩く。
「治癒魔法師になるなら魔物の知識は必須だろうが」
「なるほどなるほど? しかし貴方様はゆくゆくは宮廷医師になるのでしょう?」
「何が言いたい?」
「無駄……いえ、優先順位が違うのではないかと思っただけです。ってああ!出過ぎた真似をしてしまいました」
申し訳ないと謝罪しながらもその顔は笑っている。……若いな。俺は足を組み替えて、少し考えた。
いずれ気付くだろう事を、今俺が懇切丁寧に説明してやる義理はない。それでも話そうと思ったのは親切心からではなく、むしろちょっとした嫌がらせだった。
「無駄かどうかを決めるのはお前ではないな。俺でもない。いずれ来たる未来だよ」
「それはどういう……?」
「たとえばお前は騎士だが、体を鍛え戦闘魔法の鍛錬が将来必ず一番役に立つことか?
奇襲で部隊が全滅の危機に陥った時、援軍を呼ぶ為に離脱する事、生きて正確な情報を伝える為に自らの応急処置をする事、それらは戦う技術より価値を持つ場合がある」
「…………っ」
「勿論、騎士の本分として鍛錬を優先順位の一番にする事は間違ってない。というか最も合理的だ。これはただの可能性の話。
ただ、何が何の役に立つかなど、その時にならなければ分からないものだ」
こんなに喋ったのはいつぶりだ? 乾いた唇を舐めると、八つ当たりに似た感情がふつふつと湧いてきた。……なんか面倒くさくなってきたな。
「俺は治癒魔法が好きだ」
「え、突然何です?」
「まあ聞け。結局のところ、色々御託を並べたが後付けに過ぎないという事だ。
治癒魔法が好きだから、関連する事柄すべてに興味がある。将来俺が治癒する時、役に立つとか立たないとか、どうでもいいんだ。興味があるから知りたいだけ、何かおかしいか?」
ドリアスはぽかんと呆気に取られた顔をした後、笑った。
「よく分からない方ですね」
「お前は不敬だな」
ようやく満足のいく答えになったらしい。
ドリアスは恭しく本を書見台にのせた。体をかがめた拍子に滑り落ちた肩から、雨上がりの土の匂いがした。
本を開く前にふと尋ねる。
「そういえばお前、魔法の属性はなんだ?」
「土ですよ〜」
一つ頷いて今度こそ本を開く。一度読んだことがあるので熟読する必要はない。自身の記憶と照合しながら見落としがないかだけ意識してページをめくっていく。
そこへふと手が差し込まれたので驚き、その手の持ち主がドリアスな事に呆れる。
「お前は本当に不敬だな。邪魔する奴があるか」
「いや〜、申し訳ないです。それにしても読むのお早いですね。暇なので私も見てたのですがまったく追いつけませんでしたよ」
「暇って……はぁ。護衛騎士の意味わかってるのか?」
「ははは、何かあったら守りますよ。何もなければ暇です」
それより、と止められたページに書かれた文字をドリアスがなぞる。
「不敬ついでにご教授くださいよ。たとえばこの土の魔物“ドルゴラス“、この魔物の毒に侵された患者が目の前に現れたら、貴方様はどうします?」