第6話 夢
あつい、あつくて、熱くて堪らない。
全身に流し込まれた熱が、ぐるぐると体内をかき混ぜるような不快感にあてもなく胸元を握りしめた。
尋常ない熱さに魔力暴走でも起こしているのかと思うが、体内の魔力は早すぎず遅すぎずいつも通り流れていた。一定に脈を打つような魔力操作は、もはや骨の髄まで染みついたもので意識がなかろうが、逆に錯乱してようが乱れる事はなかったようだ。
ならばこの苦しさは何なのだろう。真っ暗で喉を緩く絞められているような息苦しさまで感じる。
吐き出す息さえも茹だっているように熱く、痛む頭が正常な思考を阻害していた。
その時ひたりと額に冷たいものが触れた。反射的にびくりと体が跳ねるが、すぐにその心地よさに息を吐いた。
胸元から離した手でそれを探ると、緩やかにその手を掴まれて毛布の中に仕舞われる。
「動くんじゃないよ。酷い熱だ。ま、お前さんもまだまだガキだってことさね」
低い老婆の声に、ああなんだ、と肩の力を抜いた。
俺は“また“、鍛錬のしすぎで熱を出したのか。
「……ししょう」
絞り出した声は酷いものだった。がさがさで、これじゃあ師匠のダミ声を聞き取れないと茶化せない。
「なんだい、意識が戻ったのかい?」
「今度こそ、上手くいくと思ったんです。あの配合、反対にしたらいいと思いませんか……」
額の冷たさが取り払われて、べちりと叩かれた。
「熱を出しているのに、余計頭を茹らせる事を考えるんじゃないよ。それにその配合は最初に試して大失敗しただろう」
そうでしたっけ。そう言いたかったのに無理して喋った反動か、カスカスの空気が漏れる音しかしなかった。
「言わんこっちゃない。そんだけ喋れるならもう薬も飲めるね、そのまま口を開けてなさい」
ぼーっとする頭で言われた事を何とか咀嚼すると、俺はぱかりと口を開けた。
「こりゃ重症だ……」
次の瞬間、口に入れられた形容し難い舌を刺すような苦味に俺は吐き出すより先にごくりと飲み込んでしまった。
毒でも飲んだかと焦って咳き込む俺に、師匠の呆れた声がする。
「なにむせてるんだい。お前さんが調合した薬だろうに。これに懲りたら次は味をもうちょっと考えるんだね」
もしかして俺が作ったあの薬か?熱と喉、一通りの風邪の症状に一本で効く万能ポーションを作った気がする。理論上は完璧なのに不評だったのは、こういう理由か。
急激に戻ってきた睡魔に、でも飲んで一晩寝れば全快する筈だから目が覚めてからそれを証明しよう、と決意する。
酷い味でも、さっさと効いた方がいいに決まっている。
だって、あれこれ余計な事を考えたから手遅れになったんだ。
心遣いなんて必要ない。治癒魔法師は、最短で最良の結果を齎さなければ。味とかそんなの、命あっての物種だろう?
そうじゃなきゃ、俺は、貴女をーー。
あれ?
「師匠、なぜ生きているんですか」
自分の声にびくりと体を震わせて目を覚ました。
いつかと同じように目に飛び込んできた天井の模様に混乱する。下町の師匠の家にいた筈なのに。……ああ、何だ夢か。
俺は落胆から目を瞬かせた。
だがふと気付く。確かに今のは夢だったが、実際下町に師匠はいるのではないか。
まだ弟子入りどころか出会ってすらいないというのに、俺の心は懐かしさでいっぱいになった。
「坊ちゃま、お目覚めですか?」
垂れ幕が持ち上げられ、カペラが顔を覗かせた。
そこで俺はようやく、少しの体のだるさを残して焼かれるような熱が引いているのに気付いた。
「どれくらい眠っていた……?」
「今日で二日目でした。運び込まれての晩は尋常じゃなく熱くて不安になりましたが、御当主様の薬がよく効いたのでしょうね。ようございました」
「父様の、薬?」
治癒魔法というのは一般的に外傷ひいては外科分野において無双するものであり、風邪や病気などは純粋な医療知識がものがいう。
魔法でさっと治す事はできないので、薬草やさまざまなポーションに頼らざるを得ない。
カペラがベッドサイドに置いた盆に、中身が空になったポーションの瓶が見えた。
「それか?」
「え? あ、新しい物を持ってきたつもりで間違えてしまったようです。申し訳ありません、すぐに……」
「いや、その必要はない」
俺は蓋に残ったポーションを指で掬って口に含んだ。カペラがぎょっとしたが気にせず、その微々たる量を慎重に口の中で転がす。
一つ一つ入っている薬草を考える中で、俺はその味に驚いていた。ポーションは不味い。それは摂理なのだが、このポーションはすっきりした清涼感があり苦味が尾を引かない。
カペラ曰くとんでもなく高熱を出していた俺が、二日でほぼ全快したことから効能も問題ない。
「父様は?」
「早朝、御二方の顔をご覧になってから王宮へとお勤めに行かれました」
そういえば宮廷医師だったな。
「オティリオは?」
「まだ寝込んでおりますが、順調に回復しているようです」
俺は少し考えて体を起こした。ベッドの淵まで行くとカペラから待ったがかかる。
「どこへ行こうというのですか?」
「オティリオの所へ行きたい」
「なりません。坊ちゃまも目が覚めたばかりで、見舞いに行ける程元気にはなっていないのです」
「分かっている。だが今回熱を出したのは俺のせいだ。人伝でなく自分の目で大丈夫だと確認しなければ、おちおち休んでいられない」
カペラは頭を悩ませ出した。何やらぶつぶつ呟いて唸るのに呆れた視線を向けてしまう。
「さっと行って顔を見たら、すぐにベッドの住人に戻る。もたもた悩んでいる方が俺が体を冷やして、ぶり返す危険性があるぞ」
「うーん……ああもう、分かりましたよ! でもせめてもう少し暖かい格好をしましょう。ちょっと待っていてください」
宣言通りすぐに戻ってきたカペラはもこもこのガウンを着せて、マフラーを首元に巻きつけた。窓の外は春だというのに、まるで俺だけ冬に逆戻りしたようだ。
「いいですか、ご様子を確認したらすぐに戻りますからね。抜け出すお手伝いをしたとバレたら怒られてしまいます」
「なら何で協力してくれたんだ?」
カペラはほんのちょっとだけ呆れた目をした。でも不思議とそれに責める色はなく、温かい温度を宿していた。
「坊ちゃまが弟君を背負って飛び込んできた事も驚きましたのに、目が覚めてからも心配だと仰られたのです。
家族に歩み寄ろうとなさる我が主人をどうして止められましょうか」