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プロローグ

 あたりは夕暮れ。


 冬の季節が近づいてきたからか、日中と比べてぶるりと体を震わせるような冷気が夕焼けに混じっていた。

 思わず腕をさすると、めざとく気づいた同僚のライーラが羽織るものを持ってきましょうか? と聞いてくれた。


 それに俺は首を振る。


 間もなく彼らは帰ってくるだろう。そしたら、出迎え役の俺たちもすぐ温かい部屋に入れる。

 全部は語らなかったが三年、苦楽と共にしてきた仲間だ。そうですかとすぐに引き下がった。


 鐘が鳴る。


 腹の底に響くような重厚な音は今やすっかり聞き慣れたものだ。しかし、六回目の鐘が余韻を残して終わった時、不意に森がざわめく。

 そして一人の馬に乗った兵士が、転がるように飛び出してきた。様子が尋常ではない。


「どうした」


「レイ殿! お、お助けを! ザンザが、いえ、団長が!」


「落ち着け。何があった? 誰かが怪我をしたのか?」


 ざっと見る限り、この兵士にそこまで酷い怪我はない。

 しかし、瞳孔の収縮を繰り返して明らかに恐慌状態に陥っている。なにかがあったのは間違いない。


 兵士を宥めて、俺はライーラに目配せをした。

 ライーラは心得たように頷いて、村へと走っていく。


「も、申し訳ありません……っ。いつも通り魔獣を狩っていたら、帰り際に見たことのない大型の魔獣が現れたのです。

 近くにいたザンザがその際に踏み潰され、他のメンバーで応戦したのですがまるで歯が立たず……!」


 聞きながら俺は考える。

 長くこの国を魔物の脅威から守ってきた、いわば防波堤の役割を担ってきたのがこの北部辺境領のセント・アルズス騎士団だ。


 その強みは実践の多さによる武力も勿論だが、積み重ねてきた知識が大きいだろう。どんな魔物がどんな習性を持っていて、何が有効打か知っている。


 そしてその知識は一般兵にも共有されている。


 だから彼が知らないというなら、それはまったく未知の魔物だったのだろう。


「団長も合流して戦っているのですが、部下を庇った時に腕を怪我されました。そこで、一番軽症だった私が応援を呼びにいくよう申しつけられたのです」


「団長殿が? それはまずいな」


 団長殿はセント・アルズス騎士団の最高戦力だ。

 剣も魔法もその才覚は群を抜いている。未知の魔物が現れている今、彼が倒れることは多くの血が流れることを意味する。


「レイくん、準備はできています。村人への避難は僕がしますので団長の元へ行ってください」


 俺の意図を汲んで手を回してくれていたライーラが、一式の医療道具の入った鞄を渡しながら言った。


「ああ、ありがとう。

 ほら、お前も大丈夫だ。必ず俺が団長殿を治す。それに団長殿は、ここでどうにかなるお人じゃないだろう?」


 兵士は瞳を揺らすと、ぐっと口を引き結んだ。

 強張りは解けていないが、その顔はもう恐怖にすくんではいなかった。


「はい、必ず団長の元まで傷一つなく送り届けます」


 頼もしいセント・アルズスの騎士がそこにあった。


 俺は口角を上げて一つ頷くと、馬に跨った彼が差し伸べた手を掴んだ。すぐに強い力で引き上げられると、腹を鎧に包まれた腕ががっしりと支えた。


「スピードを出しますので、しっかり掴まっていて下さいね!」


 言うなり走り出した馬は宣言通りとても速い。腹に回された腕にしがみつきながら、俺は魔力を薄く伸ばして森の様子を探った。


 二キロもしない範囲に一際でかい魔力反応がある。その周囲に散らばる、おそらく兵士たちの反応が霞むような圧倒的な魔力だった。


「間もなく到着します。少し離れた所で私が合図を出しますので、そうしたら団長が一旦こちらに離脱する手筈です」


「ああ、分かった」


 近づくにつれて、巨大な魔力の塊が発する圧のようなもので心臓が萎縮した。でかいだけでなく黒く重い魔力の塊は、そこにあるだけで本能が警笛を鳴らす。


 かなりの修羅場をくぐった俺でも、一瞬息をするのを忘れた。


「レイ殿、大丈夫ですか?」


 はっとして、意識して長く息を吐き出すとどっと冷や汗が出た。助かったと言おうとした時、どん! と地鳴りのような音がして地面が揺れる。


 一際でかい魔力と魔力が衝突したその衝撃波だろう。おそらくというか十中八九、魔物と団長殿だ。


 この魔力と正面からやり合うとかやっぱあの人、人間辞めてるだろ。


 驚いた馬を宥めながら、兵士はこれ以上近づくことは危険だと判断したのか。馬から降りると、魔法を唱えて合図を出した。


 それを受けて怒号とさまざまな戦闘音の中から竜巻のような風がおこり、視界が不明瞭になったと同時に強い魔力の一つが目の前に降り立つ。

 血と硝煙の匂いが肉薄した。


「団長殿」


「レイ、こんな戦闘の中心地まで来てもらってすまない。さっそく良いだろうか」


「勿論だ。伝達に来てくれた兵士からは腕を負傷したと聞いたが他には?」


 ようやく晴れてきた視界の中、団長殿の姿を見とめた俺は一瞬動揺した。

 一つに束ねた夜を思わせる黒い髪は乱れ、いつもは目にかからないように流している前髪が、額から流れた血と固まってべったりと張り付いていた。


 しっかりと鍛え上げられた体を隙なく覆っていた銀の鎧は所々剥がれ、その中でも剥き出しになった右腕は肘から手首にかけて赤黒くぱっくりと割れていた。


「よくこれで剣を握れていたな。毒の類はなさそうだが念の為これを。じゃ、治すぞ」


 医療鞄からだいたいの毒を無効化する魔石を取り出して、団長殿がきちんと握ったのを確認すると俺は治癒魔法を行使した。


 指先から糸のように細く魔力が流れるのをイメージして、傷口を縫い合わせそこから中の血管と細胞、皮膚が元通り馴染むように魔法を展開する。

 ずるりと魔力が抜けてく感覚がすると、目の前の腕はきちんと塞がっていた。


「ちゃんと動くか?」


 団長殿は何度か手を握ったり開いたりすると頷いた。


「相変わらず素晴らしい腕だ。後は頭を頼む。血が目に入りそうで鬱陶しいのだ」


「一応聞くが何の傷だ?」


「避けきれなかった爪が掠っただけだ。ぶつけたわけではない」


「それならいい。頭の傷は怖いからな」


「はは、あれだけ何度も言われれば理解しているとも」


 額の傷は簡単に治すと、目についた火傷にも治癒魔法をかける。


 すべて終わると団長殿は一度水の魔法を自身と俺にくゆらせて、立ち上がった。ついてた血が綺麗になっていて、本当に便利だなと思う。


「ここから西の方に、戦線離脱した兵士たちを一時休養させている。すまないがそちらへ向かってくれ」


「承った」


 言うなり団長殿の姿は一瞬にして見えなくなった。翻ったマントさえ視認させない程の早技だ。


 あの人は馬鹿がつくほどのお人よしだからな、自分が離脱していた間の部下が気がかりで堪らなかったんだろう。


 考えながら、医療鞄を抱えて走っていた俺ははっとする。

 いや俺もなに必死になって走ってるんだよ。らしくない、と思うけれども不思議と悪い気はしなかった。


 三年と言う月日は短いようで長い。


 俺は自分の治癒魔法を極めたくて、そんな不純な動機で三年前ここに転がり込んだ。それなのに、いつの間にかここの連中を失いたくないからという理由が混ざって、無視できないほどに大きくなっていた。


 俺は首を振った。

 何をセンチメンタルな気分になっているんだか。それもこれもあの魔物のせいだ。確かにまったくの未知の魔物というのは珍しいが、万全の団長殿も戻ったことだし時期討伐されるだろう。


 ……それなのに理性とは別の、拭いきれないこの焦燥感はなんだ。


 ようやく負傷した兵士たちが見えてきた。

 魔物避けの簡易結界をくぐり抜けて、その惨状を目にした俺はひとまず考えてたあれこれを投げ捨てた。


 手始めに、一番近くで意識のない兵士の腹部を圧迫していた若い兵士の横に医療鞄を置いた。


「かせ、変わる。お前も足の傷は浅くないだろう。自分の傷の圧迫をしろ」


 若い兵士の足元には血溜まりが広がっていた。この場にいる全員が戦線離脱を余儀なくされた兵士たちだ。


 落ち着いて、一人ずつ治していかなければ。


「レイ先生!? 何故ここに……!」


「団長殿の指示だ。よし、こっちの傷は塞いだ。次はお前だ、足を見せろ」


 治しながら話を聞く。


 どうやら最も深刻な重症者は奥にいるらしい。

 途中、比較的傷の浅い者や自身できちんと処置できてる者に増血効果のポーションを渡したり、指示を出しながら重症者が集められた場所へと足を走らせた。


「重症者はここだな! 容態を教えろ」


 重症者へなんとか手を尽くしていた兵士たちが俺を見て、ほっと唇を震わせた。


 四肢が欠損している者がいる。千切れた腕は回収できなかったようだ。ならば、代わりとなる魔石でひとまず断面を塞がなければ。

 そっちは傷が肺まで届いている。おい抑えるのを手伝ってくれ。

 それはこうして……こっちは……。

 手袋をした手を真っ赤に染めながら、俺は無我夢中で治し続けた。


 不意に一人の兵士が弱々しく何かを呟く。


「なに、何だ?」


「……せ、んせぃ……にげ、て」


「は?」


 その瞬間、辺りを囲っていた結界がけたたましい音を立てて割れた。


 反射的に空を見上げるより先に襲った衝撃に視界がひっくり返る。

 内臓が押し潰されるような圧迫感。なにかに強かに打ち付けられた体は、どこがどうなっているのかわからない。



 ぐわん、と頭が揺れてなす術なく俺は意識を手放した。



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