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新しく覚えた判別の魔法を使ってそこら中に繁茂する植物から村へ出れば金になりそうな薬草や果物を探して摘みつつ、同じく索敵の魔法を使って昨日のような不意打ちの動物との遭遇を避ける。
梨の木の下まで来たところで、太い幹にもたれて子供が倒れているのを見つけた。
昨日の帰り道にはまだ居なかった、と思う。
成長期前なのか、汚れの割に匂いはきつくない。それでも神は泥や垢が絡まりつき、着ている服は所々低木に引っかけたのかほつれている。
麻らしき繊維を編んで作られたような服は、元はそれほど粗末ではなかったのだろうが、どれくらい着ているのか傷んでいる。小さくなってもまだ着ていた服のせいで、寸足らずになった裾から覗く腕や脛には細かい擦り傷も見て取れた。何か動物の皮をなめした靴もかなりボロボロだった。
「おい、起きろ。こんなとこで寝てちゃ、イノシシに襲われるぞ」
声をかけ、肩を叩くとうなりながら目を薄く開ける。
しばらく状況を把握しきれずぼーっとした後、俺の顔に焦点が合うと、小さく悲鳴を上げた。
「ごめんなさいごめんなさい殺さないで……いや僕を殺してください」
かすれて震える早口で、漏らしながら正反対のことを呟くようにしゃべった。
「何言ってんだお前、大丈夫か。俺が手出ししなくてもそのままなら死ぬだろうよ」
「……え?」
俺が話したことが想定外だったようで、呆然とした少年は口をつぐむ。
最初の呼びかけは日本語だったが、少年に合わせるように習ったことも聞いたこともない言語で俺も自然に話すことが出来た。
「生きたいなら着いてこい。死にたいなら、うっかり白骨化したお前を踏み砕いたら目覚めが悪いから俺の目の届くところから去ってくれ」
少年の目が泳ぐ。しばらくして俯いた。
こりゃ、待ってたら長くなるな。
どっちにしろ、無理にでも連れて帰るつもりでいた。彼の決心がつくまでの間に、せっかくここまで来たのだから、梨だけでも採って帰ろうと木を登った。
1日リュックに入れておいてもあまり傷んでいなかったことを考えて、昨日より大分多く、10個ほど熟れていそうな実をもいでしまい込む。バランスの悪い気の上で動き回っていると、頭の上で引っかかる角は邪魔だが、尻尾はバランスを取るのに使うと便利だということが分かった。角の魔法は引っ込める。
木から下りようとして、身体強化の魔法も使えるのではないかと試すことにした。治療の魔法も覚えたことだし、飛び降りるのに失敗して骨折しても、即死しなければ死ぬことはないだろう。
元の世界だったら絶対にやらない、そもそも怖くて竦んでしまう、5メートルくらいの高さから飛び降りてみた。毎日、足場を行き来していたから、高いところやバランスの悪いところであることには慣れたものだが、あくまでそれは水平移動だけだ。飛び降りることなんてない。
「よっ、と」
全身の筋肉の柔軟性と、骨や関節の動きを意識して、バネのように地面に降り立った。しゃがんだ姿勢からすぐに動くことなく、ゆっくり立ち上がるが、どこにも特段の問題は無かったようだ。元の世界ならほぼあり得ないことである。
「あ、あのっ」
目を丸くして少年が俺の方を向いている。
「なんだ、心は決まったのか」
「おじさん……お兄さん? は、悪魔じゃないの……悪魔ではないのですか?」
悪魔ってなんだ。人相が悪くて、悪かったな。
「違えよ。ただの人間だ。……多分な」
この世界の人間と俺が同じなのかを知らないことに改めて気がついて、小声で小さく付け足した。
「怖い顔してて角が生えてたから、食べられちゃうのかと思ったんだけど、そうじゃないんですか」
やっぱり怖い顔も原因の一つだった。生まれつきだよ。
「角が生えてたら悪魔なのか」
「悪魔は人間の子供を好んで食べるって、言い伝えがあって。あれ、でも今は角が無いですね」
「この尻尾もそうだが、魔法の訓練で出してただけさ。思いのほか邪魔だったから引っ込めた。元々は角も尻尾もない、こっちも消して見せようか」
わりかし自由に振り回せるようになってきた尻尾を、体の前で揺すってみせる。
「なんでそんなことしてるの……してるんですか」
「訓練のためだ。ため口で良いぞ、俺に無理して丁寧な言葉を使う必要は無い。それより、付いてくるのか、まだ死にたいのか、決まったか」
少年は唇を噛んでうつむき、何か迷っているようだった。
「どうした、言うだけタダだ、言ってみろよ」
「妹が……病気で。薬を買うために売られたけど、奴隷商人から逃げ出してきたんだ。俺が死ねばちょっとでも魔力が世界に増えるから、その分だけ魔力が妹を元気にするかもしれないと思って」
人が死ぬと魔力に戻るとか、そんな記述はまだ取説には出てきていない。迷信だろうか。
いや、どうだろう。魔法のエネルギーは、魔法を起こす人間が摂取した栄養が元になっているはずだ。死んだところで、それを食べなければ意味が無いのでは無いか?
奴隷商人だと? 中世ヨーロッパレベルの文明……ならあり得るか。俺たちの世界なら、奴隷制度がなくなったのは大航海時代の後のことだ。
「世界の魔力の、そんなに大きい割合をお前が持っている? 違うなら、誤差の範囲だ。それにお前を売って薬を買う金は出来たんだろう。きっともう治ってるんじゃないか」
「知らない。奴隷でいる間は、売られた場所を離れたら戻ってはいけない決まりだから」
それはどこかの国の法律だろうか。取説には、自然の法則は書かれていても国の制度は詳しく書いていなかった。
取説だけじゃ、生きていくのに十分な知識を得られない。こいつを養いながら、色々聞き出すか。自分1人だけでさえ、食えるものは薬草と梨と川魚しかないのに、俺に養えるのか?
「逃げ出したんだろ、それは何のためだ。自由になるためじゃないのか。お前のしたいようにすればいい」
「逃げた奴隷をかくまうと、おじさんが犯罪者になるんだ。だから付いてはいけない」
持ち主の財産として扱われるからだろう。しかし少なくても今のところ、どこにも属していない俺には関係ない。
「分かった。俺はお前を勝手に掠ってやることにする」
「……は?」
驚いて顔を上げ、俺を見つめる。
「選ばせてやるよ。首に縄をかけてひきづられるのと、自分の足で歩くのと。どっちがいい」
「いや、犯罪に……鉱山で終身……」
「つべこべうるせえ。さっさと選べ」
子供が相手だから、少しだけ、ほんの少しだけ、凄んでみせた。本気で睨み付けたら後が面倒だ。
「ひっ、こ、殺さないで……言うことを聞くから、どうか」
命の軽い文明だから慣れているかと思ったのだが、効果は十分すぎてしまったようだ。
頭を抱えて小さくしゃがみ込んでしまった。
「悪かった、やり過ぎた。うちまで着いてこい、な? 梨しかないが好きなだけ食わせてやるし、風呂にも入れてやるから」
本当だったら、腹一杯食わせてやると言いたかった。
なだめながら頭を撫でてやろうと手を伸ばしたら、少年はビクッと体全体が震わせた。奴隷商人とやらに酷く痛めつけられていたのがトラウマになっていたのかもしれない。