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布団の上に散らかした服や道具を、再びリュックサックに詰めていく。パッキングも何も、歩織り込めば実用上は無限と言えるほどの容量を持っているらしく、ただ突っ込むだけでどんどん入っていく。チャックを全開にして試したら、なんと寝ていた敷き布団まで入ってしまった。布団の角をリュックに差し入れてみれば、口よりも大きいはずの布団さえするすると飲み込まれていった。
なのに重さは変わらない。空ではないが詰まってもいない、ほどほどの重さのまま変わることがなかった。
立ち上がろうとして半ケツだったニッカズボンが膝までずり落ちた。尻尾の魔法を試したまま、ベルトを締め忘れていた。
少し考えて、訓練のため尻尾と、尻尾に合わせて額に牛の角を生やしてみた。2回目だからかすぐに出来た。仕舞ったばかりのハサミをリュックから出して、ちょっと迷ってから尻の部分に尻尾を通す穴を開けた。繕いやすいように、縫い目の糸だけを慎重に切っていく。
洞窟の奥と、洞窟の外に見える森と、どちらへ行こうか悩んだが、食えるものを探すのならきっともりの方が豊富なのでは無かろうか。そう考えて、改めてリュックを背負うと洞窟から外に出た。
人の手が入っていない、明るいがうっそうとした森だった。道などない。下草を掻き分けながら歩いていれば、それほど気温は高くないのにすぐ汗びっしょりになった。
緑色の丸い実がなっている木を見つけた。ファンタジー作品でよく出てきた木の実と言えばリンゴだが、それはどう見ても青リンゴと言うより梨に見えた。
少し木を登って太い枝に腰掛け、もいでみる。皮の感じも大きさも、梨だった。毒とかないだろうか。木の上でリュックを体の前に持ってきて取説を出して、載っていないか探してみる。
やはりこれは梨だったらしい。毒も無い。日本の品種改良されたような梨が野生で実っているのはなかなか奇妙だったが、意を決して囓ってみると汗をかいた体に甘い水分が染み渡るようだった。
「旨いし腹は膨れるけど、梨って確か栄養はほとんど無いんだよな」
カリウムが多いから高血圧には良いんだっけか。脳梗塞で死んだ俺には丁度良いかもしれない。
満足するまで木の上で数個の梨を食うと、まだ成っている実をもいでリュックにしまった。無意識に煙草を咥えて、火を点けてから残りの本数が気になって凹んだ。
一服した後で木から下りようとしたら、いつの間にか真下に居たイノシシと目が合った。
肉だ。豚肉と似ているらしい。食えるかなと一瞬考えたところで、そいつは俺のいる梨の木に体当たりした。
ドシンと衝撃に木が揺れる。それほど大きくもないが、食うどころではない。絶対に勝てないと思った。落ちないように幹にしがみつくが、イノシシは助走を付けるべく俺を見たまま後ろに下がっていく。
なんとか手の届くところにまだ成っていた実をもいで、イノシシめがけて投げつける。無理な体勢で投げたからか、ヘロヘロと落ちていった実はイノシシの鼻先をかすめて落ちた。
クンクンと匂いを嗅ぎ、そしてその実を食べ始めた。
豚は雑食だったはずだ。投げた実を食べている間に木の上を移動して、更に何個か実をもいで投げ落とす。もしゃもしゃと俺が取った梨を食い終わると、ゲップをしてイノシシは森の中に戻っていった。
しばらく木の上で呆然としていたが、戻ってくる前に逃げるべきだと考え直し、木から下りた。
暑さだけでなく、今襲われたらと冷や汗を掻き掻き、藪を漕ぎながらイノシシを仕留めても捌けないことに思い至った。戦って勝てるとは思えないし、獣を捕まえても食えない。
肉が食いてえなあ。そう思いながら進んでいくと、川に出た。
綺麗な水がさらさらと流れ、浅い水底の岩陰でキラキラと何かが輝いている。
魚だった。俺でも下ろせる。どうやって釣ってやろうか。
周りを見回し、リュックの中身を思い出す。釣り竿なんて持っていない。まだ中学校に通っていた頃に、キャンプでイワナの手づかみをやったのを思い出した。
川縁の乾いた地面にリュックを降ろすと、指ぬき軍手をして防水足袋のまま川に入ってみることにした。
岩の隙間に頭を隠している魚へそっと両手を伸ばす。狭い隙間から後ろに下がろうとする身を逃げられないようにぎゅっと掴んで穴から引きずり出した。
他のいくつかの岩陰もよく見てみれば尾びれだけ覗いていたので、数匹を取った。とりあえず晩飯のおかずが手に入った。
罠か釣り竿がいるな。
帰りも汗だくになりながら洞窟に戻る。藪漕ぎをしているとどれくらい進んだのかが分からなくなるから、道に迷ったんじゃないかと焦ってしまった。森の中、来たときに掻き分けたところを遡っているだけだが、迷子にならないような対策を考えなくてはならない。
リュックを置いてから、森の浅い部分で薪にする枝を取る。足場にする鉄管を考えれば、それなりの太さの木だって持つのに苦労はない。木造建築を主に建てていたから鋸などはリュックの中に入っている。
暗くなってきた頃には、だいぶ薪用の木が溜まった。
ライターで火を点けようとして、しゃがんだときに出しっぱなしにしていた尻尾を思い出して、魔法で着火できないかと気がついた。
取説を読んでみれば、もちろん火の魔法は載っている。細めの枝に火を点けてみた。思ったより大きい炎が出て、慌てて火勢を緩める想像をすると、頭薬が燃えきったマッチのようにすぐ小さくなった。効率は悪くなるが、燃やすものがなくても魔法の火は出せるらしい。
元の世界のたき火と同じく細い枝から太い枝に火を移していこうと思ったのだが、魔法でこんな簡単に着火できるのであれば、最初からある程度の太さがある薪を使っても良かったかもしれない。後でくべようと思っていた太い枝を竈に入れて、同じく魔法で着火してみれば、思った通り簡単に火が付いた。
だが煙の量が凄く多い。煙草の煙が目に入ったときとは比べものにならないくらいしみる。
取説を見て、風の魔法を試してみた。換気扇の代わりにするだけだから、洞窟の外へ吹き出すそよ風でいい。今度は考えたくらいの丁度良い風がどこからともなく吹き始め、煙が外へ出て行く。
火が安定したところで、まっすぐで細い枝をナイフで軽く表面だけ削り、捕ってきた川魚からワタを抜いて刺し、たき火にかけた。表面に水ぶくれが出来てやがて良い匂いがしてくる。リュックから取り出した、塗りの剥げた位置までそっくりな俺の箸で少し実をほぐしてみれば、中まで火が通り食べ頃だった。
「いただきます」
横からかぶりつく。川魚だが、綺麗な水で育ったからか泥臭さもなく想像していたより旨い。調味料とまで贅沢は言わないが、せめて食塩が欲しくなる。もしくは、これをつまみにして酒が飲みたい。
貧乏暮らしだったけど、食うものは工夫をして贅沢していたんだなと感じた。
食い終わって、熾火になりつつある薪の燃えていない部分を軍手で掴み、咥えた煙草に火を点ける。今日一日、少し減らそう、無くなってしまうと思うのはいつも火を点けた後だ。
火を点けたからには消して点け直したら不味くなるのがもったいないから、開き直って一本吸ってしまう。
まだ夕方で、流石に寝るには早い。眠気がやってくるまでの過ごし方を考え、洞窟の中を探検してみることにした。薪として用意しておいた木から、手頃な太さと長さのものを選ぶと、懐中電灯をイメージして先端が光るように魔法を使ってみた。暗くなってきた日が差さなくなった奥に向けてみれば、丁度良い光量だった。
平坦だった地面はすぐに緩やかな下りになった。右に少し狭い通路のような分岐があった。本坑がどれくらいの長さか分からないことを考えると、虱潰しに調べていった方が良さそうだ。
支線に入ってしばらくすると、十字路にさしかかる。右側はすぐに6畳くらいの空間に出て行き止まりになっていた。左側はというと、20畳くらいの空間で同じく行き止まる。この2部屋を家代わりに使おうかと考えた。ずっと入口に住み着くのでは、雨風が吹き込んでくるかもしれない。
中央の通路を進んでいくと何かのにおいを感じ、水の音がかすかに聞こえた。進んでいくと、徐々に温かくなってくる。不意に広がった空間に出た。
懐中電灯で照らすだけでは足りなくなって、天井の水銀灯をイメージして魔法を使う。
すると、洞窟の左隅に白く濁った池があり、水面からは湯気が立ち上っているのが目に入った。温泉の匂い、硫化水素のにおいだった。池の中から湧いているのか、池から溢れた白い流れが右奥の洞窟の壁をなす岩の割れ目に流れ込んでいた。割れ目のすぐ上からは透明な水が湧いていた。天井は高く、水が流れていく割れ目の他にも外につながる穴があるようだ。
恐る恐る池に近づき手を入れてみると、いい湯加減の温泉のようだ。指先は池の底に着かず、濁っているせいで深さは分からない。
後で長い棒を持ってきて、深さを測ってみようと思った。
これで突き当たりのようなので、本坑へ引き返す。
しばらく歩いたが分岐もなく、通路の高さも幅も変わらない。どれくらい来ただろうか。懐中電灯代わりの魔法しか光源がなく、暗いせいで距離や時間の感覚がなくなってくる。そろそろ引き返そうかと思い始めたところで、急に広い場所へ出た。
再び水銀灯の魔法を使うと、直径10メートルほどのいびつな円形の部屋で分岐はなく、今来た道の丁度反対側に同じような通路が延びているだけな事が分かった。
「なんだあれ」
反対側の通路の入口に、何か木の板のようなものが落ちている。
近くまで行ってみてみると、「この先、迷宮。注意」と知らない文字で書かれているのが読めた。知らない文字なのに読めるという違和感は、言語理解能力のせいだろう。
それより、迷宮とはなんだろう。一歩、通路に踏み込んだ途端に、得体の知れない寒気に襲われた。
これはヤバい。
本能が叫んだ。
くるりと背を向けた瞬間に、牛の尻尾が何かに掴まれかけた気配を感じて総毛立つ。その正体も確かめず、全速力で来た道を駆け戻った。
入口まで戻ると、外は真っ暗になっていた。
暗闇の中に転がる薪に躓きかけて、入口にたどり着いたことに気がついた。
久しぶりに全力で走ったせいで上がった息を整えながら、水筒に取ってあった水をごくごくと飲み干す。
まだ少し震える手で煙草に火を点ける。深く煙を肺に入れて吐き出すと、ようやく人心地が付いた。
かいた汗でベトベトするのが不快だが、もう着替えて寝ることにした。もう一度、洞窟の中へ行く勇気は出なかった。
出したままの角と尻尾の違和感を布団の中で感じたが、やがて睡魔に誘われ寝付いた。