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 俺たちは寝間着からいつもの作業着とニッカに着替え、リュックに私物を放り込んでいく。どうせマジックバッグなのだ、適当に入れておいても全部収まるし、取り出すときに困ることもない。

「宿泊代の支払いは済んでいるのか」

「前払いですし、昨日のうちに出発日は話をしてあります。時間が多少変わるだけですから、大きな問題は無いでしょう」

「騒ぎになりゃしねえか」

「なるでしょうね。詫び代もフロントに置いておきました」

「置いておきました? どうせこれからフロントを通って出て行くんじゃないのか」

「そうしたいところなのですが、不可能でしょうね。ああ、話をしているうちに警備隊がやってきましたよ」

 外からは気付かれないように通りを伺っていたロゼが言った。

「どうするんだよ」

「もう魔法を使ってしまったのです。魔法で窓からお暇しましょう」

 ロゼが完全に開き直っていた。

「忘れ物はない! と思う!」

「思うって何だよ。もう戻ってこられねえんだぞ」

「暗くてよく見えないんだもん。それより、ロゼさんの荷物も一緒にリュックへ入れておこうよ。身軽な方が逃げやすいよね」

「いいのですか? ならお言葉に甘えて」

 背負いかけたリュックにロゼのトランクを押し込む。リュックよりトランクの方が大きいが、まるでドラえもんがポケットから秘密道具を出し入れするときのように歪みながら入っていく。

「よし、出るぞ」

 俺は窓の外に透明な板を想像した。惜しみなく魔法が使えることに快感を覚える。

 ロゼが開けた窓をくぐって板の上に立つ。

「飛び降りるのではないのですか」

「地面で追いかけっこなんざ勘弁してくれ。こちとら肺が真っ黒なんだ、すぐに息が上がっちまう」

「はい? 何の話ですか」

 喫煙者ジョークは通じなかった。

「ノリさんが息を切らしている所なんて見たことないけどね」

 おかしい、ヒデは保健体育の教科書を読ませた喫煙者なのに分かってくれていなさそうだ。

「逃げるんだろ、いいから窓から出てこい。窓枠と同じ高さに透明な板みたいな物があるから落ちねえよ」

 二人は恐る恐る板に乗った。

「透明だけど、下の警備隊は気付いていないのかな」

「下からは光学迷彩みたいにして閉まった窓と空しか見えねえようにしてある」

「こうがくめいさいって何?」

「見えねえが聞こえるから、あまりしゃべるな。後で説明してやる。もうちょっとこっちへ寄れ」

 空中の板の上を、ほぼホテルに面した道の真ん中まで二人とともに進む。

 上空には遮る物のない空が広がっている。東の山の上から少しずつ明るくなってきた。

 開けっぱなしの窓を魔法で閉める。自分たちのいる2畳ほどのスペースを残して透明な板の魔法を解除した。

「それで、ここからどうやって逃げるの?」

 内緒話をするようにヒデが聞く。

「向こうの屋根に上るとか? 私には屋根から屋根に飛び移ることは出来ませんよ」

 ロゼが心配そうにささやいた。

「いや、そんな面倒なことはしない。驚くかもしれねえが、叫ぶなよ?」

 俺は答えを言わずに、空を見上げた。やったことのない移動方法だが、魔感は行けると言っている。

 ゆっくりと加速しながら、少しずつ足元の板が上昇を始めた。

「わっ、何これ」

 高さを比較する建物より少し上ったところで、一気に速度を上げる。

「ちょっとノリさん! 落ちる! これは落ちたら死にますって!」

「うっ、ひゃぁあ~!」

 足場が全く見えない透明な板だから、足元から目を離さずにいる二人には、みるみるうちに遠ざかる地面がはっきりと見えた。堪えきれずに大声を出されたが、幸いにも遠くなりすぎて足元の警備隊に聞かれることはなかったようだ。

「これくらいでいいか」

 自分たちが高いところへ来たせいで、稜線から上ろうとしている朝日に照らされる。

 気がつくと二人はお互いをしっかり抱きしめながらへたり込み、ガタガタ震えていた。

「「…………」」

「なにしてんの?」

「こ、怖かった」

「何かをする前に、やろうとしていることを説明してくださいな」

「いや、あの場を離れることが優先だったんじゃないのか」

「そうですけど!」「そうだけどさ!」

 二人に偉い剣幕で怒られた。

「ここなら誰も追いかけて来られねえぜ?」

「そうですけど!」「そうだけどさ!」

 大事なことは二回言うらしい。

「とりあえず、地面というか、空中に浮いているように見えるのが落ち着かないんだけど」

「色を付けるか。ほれ」

 板を白くして足場の範囲をはっきりさせた。

「ひい」「なんてこと」

「今度は何だよ。さっきから息ぴったりじゃねえか」

「こんな高いところにいるのに、こんな狭かったの? 窓からこれしか動かなかったっけ」

「あんなでかかったら魔力の無駄遣いだろ。端が屋根にも当たるだろうがよ」

「思ったよりも縁ぎりぎりで、真ん中に寄りたいのに腰が抜けて立てなくなってしまいました」

「まあこんな高いところに来ることなんてねえよな」

 本格的にへたり込んでしまったロゼを足場に座らせて、ヒデが立ち上がった。

「でも、そう考えると貴重な経験かも。天気の良い日だから遠くまで見通せるし、広く感じたけど山や森と比べると、町ってあんなに小さいんだ」

「自然と人工物を比べること自体が間違いだぜ」

「王都ならもっと大きい盆地ですから、それなりではありますが立派に見えると思います。とはいえ、王城のてっぺんに登ってもこれほど高くはありません」

「じゃあアレだね。人として最も高いところへ来たってわけだ。ならせっかくの景色を堪能していこうよ」

「私には感動する余裕がないので早く地面に戻りたいです」

「じゃあ、落ち……降りるか」

「今落ちるって言いかけたよね!?」

「安全に下まで戻れるんですよね!?」

 わざと言い間違えてやったら、ロゼだけでなく高度に慣れてきていたヒデまで面白いように焦りだした。

 楽しい。

「ノリさんがその顔でニヤニヤするとすげえ怖いんだけど」

 不愉快だ。

「ほお、お前はまだまだ余裕がありそうじゃねえか」

 ノリだけ板から浮かせてやる。

「えっ、何を、何も言ってないって」

「まあとりあえず一服つけようや」

 俺は悠々とポケットから煙草を取り出した。

「う、うん」

 ノリにも一本差し出して、咥えたところで火を点けてやる。気がつけばドタバタしていて本日一本目の煙を深々と吸い込み、大きく吐き出した。上空の強い風があっという間に煙を掠っていく。

「酒も煙草も覚えたんだ、せっかくだから空の旅を楽しんで来いよ」

「どっちももう我慢する!」

 口ではそう言いながらも、ヒデはいつもと変わりなく煙を吸っては吐いている。

「そうだ、俺の元いたところでは、一部にバンジージャンプって言う成人するときの通過儀礼があったんだよなあ」

 足場を小さくして、靴が少しはみ出るくらいの円形にした。もちろん白くしてある。

「ばんじーじゃんぷ……何か恐ろしい響きなんだけど。こういう笑みを浮かべているときのノリさんって大抵ろくでもないことしか考えていないんだよな」

「これが笑み、なのですか」

 俺の顔を見たロゼの顔が理解できない恐怖に引き攣っている。

「うん、ロゼさんも見慣れてくればそのうち分かると思うけど、これは機嫌がいいときの顔だ。だけど、何をおっ始めるか分からないのは怖いよ?」

「言いたい放題言ってくれるじゃねえか。同じ事は再現してやれねえが、代わりに似たようなことを体験させてやるよ」

「いい! 俺は子供のままでいいから! したくない!」

 そう口にしておきながら、自覚はないのかもしれないが少しだけ何かを期待しているのが俺には分かる。もしかしたら足場が小さすぎて、実際には俺たちのいる拾い足場より30センチほど高いだけの段を飛び降りることも出来ずに、身動きを取れないでいるだけなのかもしれない。

「そう言うなって。そういやあ今思い出したんだけどな。お前に売られた昨日の喧嘩をまだ買ってやってなかったよなあ」

「思い出さなくていいよ!」

「はっは、手遅れだったな」

「ごめんなさいもう茶化さないからっ、だから何を為るつもりなのかだけ先に教えて……あっ、ぎゃああああああっ」

 小さい足場のまま、空へと急上昇させてやった。ふらついて途中で踏み外したヒデが落ちてくる。

「あああああぁぁぁぁぁあああああ」

 ドップラー効果で遠ざかった悲鳴が偏移しながら近づいてくる。乗る者のいなくなった小さい足場を解除する。重力によって加速しながら落ちていくヒデの体を、バンジージャンプのゴム紐を想像してゆっくり減速させていく。

 俺とロゼのいる足場を少しだけ横にずらして、ヒデはそのまま何もない空間を通過した。

「あの、流石にこの高さから地面に叩きつけられたらいくらノリさんでも助けられないと思うんですけど……止めてあげないんですか?」

 再び離れていく悲鳴を聞きながら、ロゼが真っ青な顔をして言った。

「かといって、急に減速させると内臓や関節に良くないからな。首や腰を怪我しないくらいにはゆっくり速度を殺してやらないと。……ほら、落下が止まって、反動で上ってくるぜ」

 もう一度少し上まで打ち上げられた頃には悲鳴も出せないくらいに消耗していた。足場を再び横に移動させ、落ちてきたヒデをお姫様のように抱き留める。

 焦点の合っていない目で、うわごとをブツブツと漏らしながら、下からも……。

 いや、彼の名誉のためにこれ以上は止めておこう。

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