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「ここまで連れてきてもらってありがとう、世話になったな。最後に冒険者ギルドがどこにあるかだけ教えてくれないか」
「今は時間的に混んでいるでしょうから明日にしましょう」
せっかく町に入っても、一文無しのままでは食事は出来なければ寝床を得ることが出来ない。
「現金を得たいんだ。町中でゴロ寝するわけにもいかねえだろ」
「一晩くらい、私が出しますよ」
「ヒデはともかく、俺にはそこまでしてもらう理由がない」
「なら貸すことにしましょう。一日の仕事を終えた冒険者でごった返しているギルドを案内したくない私が、わがままを言うのです。貸し付ける理由としては十分な理由でしょう」
ロゼは頑として譲らず、何故か俺たちとまだ一緒に行動したいらしい。俺としては冒険者ギルドへ行ってクマなどの素材を現金化したいだけだから、その辺の通行人に尋ねれば良いのだが、それすらロゼは拒否した。しばらく不毛な言い合いを続けたが、埒があかない。
「分かった、分かったよ。今夜一晩はあんたの言うとおりにするから」
致命的に決裂してしまったら、ヒデの就職話もしていないので俺たちも困ることになってしまう。辺りも暗くなってきたので、折れることにした。
明らかに安心したような態度を見せるロゼについて町を歩く。
「うわあ、人が一杯いる。いろんなお店がある」
ヒデはお上りさんであることが一発で分かる態度で、あちこちキョロキョロと眺めながらも通行人とぶつかりそうになる状況に緊張した様子に、それでも感動して呟く。
「そうだな、そりゃまあ町だしな」
「ここは国境沿いだから、町としてはかなり栄えている方です。しかも仕事終わりだったり、夕飯の材料を買いに出てきたりもしている時間帯だから、かなり人出は多いはずよ」
この世界からすればかなり高度な建築技術によって水平方向だけでなく垂直方向にも伸びる摩天楼の中を、もっと多くの人が忙しなく行き交い続ける東京中心部で生まれ育った俺からすれば、これくらい大したことは無い。
「ノリさんは何か……慣れているね?」
自動車のないこの世界の町はどこも歩行者天国のようだった。それなりの道幅があっても縦横無尽に人が歩いている。田舎の村で生まれ、山の中で育ったヒデにとっては、不規則に歩く他の人間の邪魔をしたりぶつかったりせず、それでも自分自身も目的地に向かって進む経験があまりないらしい。
「体が覚えているんだろうなあ」
「ご出身は都会だったのかしら」
ロゼが何気なく訊いた。
「よくは覚えていないが、そうだったのかもしれない」
ヒデにうっかりバレてしまったときのような失敗は繰り返さない。違和感なく誤魔化す。
「ヒデさんの故郷に行ってみたいなあ」
俺だって帰りたいさ。
「本人すら帰れないのさ。お前にも無理だろ」
「旅をしていれば、知らず知らずのうちに到達できるかもしれませんね」
「そうだといいなあ」
この話題は危険だな。
「今晩の宿は、どのくらいで着くんだ」
「もう着くわ。チーズ料理の美味しいところなの。ちょっと高いんだけど御馳走するから、私に付き合って頂戴ね」
「チーズ? なにそれ」
ヒデが初めて聞く食材に疑問を発する。
「牛乳は飲ませてみたことあるだろ。あれを発酵させたもんだ」
「ぎゅうにゅうって、牛の乳だよね。動けなくした後でとどめを刺すのかと思ったら、足を抜こうと藻掻いている牛の下にノリさんが潜り込むからビックリしたのは覚えてる。でもそれが強烈すぎて、何か白い液体だったことしか覚えてないや」
「牛もあの洞窟にいたの? ……迷宮の方かしら」
「ああ、あの迷宮の最初の階層は、何もない通路をずっと進んでいくと牧場みたいになっているんだ」
「そんな構造の迷宮なんて聞いたことがないわ。探索を止めてしまったのが悔やまれるわね」
「あの白いのを発酵した? 発酵って何?」
「あー……何て言えば良いかな」
微生物を意図したとおりに働かせることで、望む形にものを変化させることだ。望まない形に変化して有害な状態になることが腐敗という。
日本の教科書を読ませているヒデにはこの説明で理解できると思う。だが、腐敗と発酵の違いやそもそも微生物などと言ってこの世界で既に知られている知識なのだろうか。ロゼのいる前で迂闊なことを言いたくなかったので、説明に悩んだふりをする。
「ある手順を踏んで加工すると、腐らずに違う食べ物になるのよ」
「腐るのと発酵するのはどう違うの? そういえばなんで食べ物って腐るんだろう」
「考えたこともなかったわね。そもそもそれぞれの工房で門外不出の技術で作られるから、どうやって作っているのかも分からないわ」
「そうなんだ。美味しかったら自分でも作れるかと思ったんだけど」
「誰でも簡単に真似できたら、私だって高いお金を払って食べないしね。さて、着いたわ」
ロゼが足を止めたのは、随分高級そうな宿で、宿と言うよりは高級ホテルといった趣だった。
「おい、これはちょっと貸し付けって言われても払えるか分からねえぞ」
躊躇いなく敷居をくぐろうとするロゼを慌てて引き留めた。
「流石にブラックベアといっても、あれだけの素材では払いきれないでしょうね」
「あんたもしかしてそれで俺たちを借金漬けにして、護衛としてただ働きさせるつもりだったんじゃ」
「あらバレた? ……冗談よ。その顔で怒らないで頂戴、怖いじゃないの」
借金と聞いて実家を思い出したのだろう。ヒデの顔が青ざめていた。
「この宿は確かにこの街で最も高級な宿で、私の元の身分を考えればここでも安い位なのだけど、月女神の旅道をしている今となっては確かに2人分を余計に出すのが痛いのも確かだわ。それでも、見合うだけの興味をあなたたちに持っているのよ」
「山暮らしのおっさんとガキに、何を求めているのか知らねえが、分不相応だと思うぜ」
「判断するのは私よ。私の財産を使うのだから、例え期待外れだったとしてもその責任だって私自身が負うわ」
「勝手にしろ」
「ありがとう。では、チェックインしてくるわね」
新しそうな木造2階建ての建物は綺麗にニスが塗られた木材で作られていた。広いロビーには毛足の長いカーペットが敷かれ、足音が立たないことにヒデが驚いている。がっしりとしたカウンターの奥には、恐らくこの世界の正装なのだろう、前世とは少し意匠の異なる背広のような服を着た中年くらいの男が客を捌いていた。
ロゼがカウンターに堂々と歩みより話しかけるのを、邪魔にならなさそうな入口近くで見守ることにした。
「凄いね。本当に木で出来ているのかな、あちこちが輝いているような気がする」
「ニスっていう透明な塗料があるんだよ。磨いた木の表面にムラが出ないよう薄くのばすように塗ることで、見た目も美しく仕上がるし、腐ったり汚れたりするのを防ぐことが出来るんだ」
「塗料ってペンキみたいなものだよね。なのに透明なんだ、面白いね」
「塗って使う薬剤の総称が塗料なんだ。色を付けるとは限らねえ。興味があるなら教えてやろうか」
「ノリさんはこう言うのに詳しいんだ?」
「俺の前職は大工だぜ。家を建てるのに必要な知識は専門外だって一通り持っているさ」
「機会があれば教えてね」
ヒデはロビーの中をあちこち眺めている。




