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扉が閉まると、隣で上品に手を振っていたロゼの雰囲気ががらりと変わった。
「どうかされました?」
固く場を律するようなロゼを無言で見つめると、彼女は俺を問いただす。
「空気感が急に変わったから、何かあったのかと思っただけだ」
「ああ、失礼しました。以前の週間が顔を出してしまったようですね」
ふっとロゼが微笑むと、すぐに纏う存在感が柔らかくなった。
「びっくりしたー」
自分が怒られるのではないかと心配していたらしいヒデがわざとらしすぎる声を出して、やらかしたという表情を見せる。
「先にネタばらしをしておきましょうか」
「いや、知らないでいた方がきっと本物らしいだろう。事が済んだ後に教えてくれ」
「いいのですか? なら仰せの通りに」
年季が入っている分だけ、わざとらしさはヒデよりずっと表わしていつつも、劇を見ているような不自然さのない戯け方だった。
ガチャリとカウンター奥の扉が開いて、態度の悪い門番が戻ってきた。
「月女神の旅道者だと審査が面倒、でしたっけ? ではもう一つの身分で審査をして頂こうかしら」
「なんだよ、この国の人間だったんすか。だったら最初からそっちを見せろよな」
「そうはいきませんわ。本来であれば旅道者になった時点で、以前の身分や経歴は捨て去るべきとされていますから」
「つべこべ御託はいいから、さっさと出せ」
椅子を鳴らしながら門番が腰掛けた。ロゼは懐からもう一枚の身分証を出し、金属板なのに音を立てることなくカウンターに滑らせる。
門番は差し出された身分証を無造作に掴もうとして、手を伸ばしたまま固まった。端から見ていて分かるほど顔色が悪くなっていく。
「ほ、本物だよな……?」
「ええもちろん。身分証の偽造は重罪ですし、これは身分証の中で最も偽造の難しい階級の代物ですもの。今までご覧になったことはありまして?」
「あるわけねえだろうが! いやその、あるわけないでございます」
門番は素が出てしまったようで、慌てて取り繕うとしたが敬語が可笑しいことになっている。俺は翻訳能力を通して意味を理解しているが、自動補完を効かせても変な表現だと分かった。
「よかったですわね、わたくしが旅道者であり、元の身分を以てあなたと接することがなくて。もし現役でしたら、わたくしはわたくしの職務を遂行しなくてはいけないところでしたわ」
門番は真っ白な顔で、直立不動になった。
「ご無礼の数々、大変失礼を致しました! 我が町はロゼッタ・フェアフィールド様のご来訪を歓迎いたします。どうぞお通りくださいませ」
「違うわ」
「はい?」
「月女神の旅道者だと言ったでしょう。手続きは確実かつ厳正に執りなさい」
「はっ!」
俺はヒデと顔を見合わせた。どうやら彼にも、不良門番の態度が豹変した成り行きが理解できていないらしい。
俺たちが戸惑っている間に、ロゼは用意された書類に手慣れた様子で何事かを書き付けていく。
「この二人は私の連れ合いとして、仮証の発行も併せて審査をして頂けます?」
「かしこまりました、ただいま!」
ロゼの書き終えた書類を手早くまとめると、門番は軍人のように角張った体の動きで奥の扉に再び消えていった。
「何が起こっていたのか、全く分からなかったんだが」
きちんと扉が閉められたのを確かめてから、俺は口を開いた。
「俺も同じく」
顔中に疑問を浮かべた俺たち二人を見て、ロゼはむしろ戸惑ったように微笑んだ。
「私の本名……いえ、捨てた名前を聞いたでしょう?」
「ロゼッタ・フェアフィールド、でしたっけ?」
ヒデが長い名前を復唱する。取説に載っていたかを改めて考えてみたが、思い当たるものは無い。そもそも取説に政治や国に関する事項はほぼ載っていなかったから当たり前かもしれない。
「あいにくだが俺には聞き覚えが無い。それがどうかしたか」
ロゼは頭を振ると、解説を始めた。
「この王国を治める王を補佐する三大貴族家というのを耳にしたことはないかしら」
「ないな。そもそもこの国は王国だったのか。ヒデは知っていたか?」
「王国なのは知っているけど、貴族様の名前なんて、領主様のお家くらいしか……あれなんだったっけ」
幼い頃の滅多に使わない、そして今では全く使わなくなって久しい記憶は彼方に消えてしまったらしい。
「では、昨年ご崩御された前国王のことは?」
「悪いが、知らない」
「そう……まあ知っていてなお、今のあなたたちの態度がとれるのなら、腹芸の巧さを褒めるべきね」
ずいぶんな評価だ。
「それで、あんたは誰なんだ」
「この国の主に行政を司る貴族家であるフェアフィールド家の現当主の姉で、前国王の妻。つまり先の王妃よ」
「なるほど、突然自分たちにとって雲の上の偉い上司が出てきて、しかも王家に連なる者だったと。だから職務怠慢の自覚があったあの門番はしゃちほこばったと、そういう話か」
「ちょっ、ノリさん! 不味いよ俺らもあれこれと失礼な態度をっ! 不敬罪で晒し首とか鉱山奴隷とかに……」
「今更だろ。ハンバーたちも知らないようだったし、何より本人が身分を捨てたと言っているんだから、問題ないだろ」
「ええ。ノリさんの言う通りよ。ヒデくんは今まで通りに接してくれれば良いから」
「でも……」
門番ほどではないが顔を青くして冷や汗を垂らしているヒデを元気づけるように、ロゼは問題を出した。
「夫である前国王が崩御したとはいえ前王妃である私が、何故こんなところで月女神の旅道をしているでしょう?」
目を見開いてヒデの目がぐるぐる回る。
「……権力闘争?」
「あなたみたいに頭の回転の速い子は好きよ?」
明言しなかったが、ほぼ正解と言っているようなものだ。
「分かった、ロゼさんはロゼさん。他の人にはバレないようにする」
「お願いね」
次に門番が戻ってきたときには、その上司らしい俺と同じくらいの年頃の男と二人でやってきた。
「部下が大変な失礼をしたと伺いました。平にご容赦のほどを……」
「結構。今の私は月女神の旅道に生きる1人の女です。全うに職務へ励み、正しく手続きさえして頂ければ、それ以上のことは致しませんし、出来ませんわ」
「仔細承知しました。こちらがお三方の通行証と、身分証のないお二人の仮証です。お待たせ致しました」
ロゼは、まだ震えている若い門番の手から丁寧な手つきで書類を受け取った。
「確かに受け取りました。お世話様でしたわ」
「では良きご滞在を」
「ありがとう」
おもむろに歩き出したロゼを追うように、慌てて少し会釈をして俺とヒデは後に続いた。
先ほどハンバーたちが出て行った扉をくぐると、所々に松明のような道具が掲げられて明かりが採られている長い石造りの廊下を抜ける。反対側の扉を開けると、暗いところに慣れていた目に外の日の光がまぶしい。
反射的に閉じた目を開けると、石造りの町が広がっていた。




