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平和な夜が明け、今日は朝日が上り出す頃から歩き出す。
あまり意識はしていなかったが、かなり標高を下げてきているらしい。春になったばかりだが、特に湿度の高いこの森は、晴れていると運動していると汗が噴き出すくらいまで日中の気温が上がるそうだ。今日の天気は薄曇りと、森歩きには丁度良い天気で良かった。森の中は蒸さないし、かといって雨が降り出しても面倒だ。
休憩を挟みながら、太陽が反対側へ傾いてきた頃に、一行はよく踏み固められた道へ出た。
「こんな所に道があったのか」
「ようやくここまで戻って来れたわ。思ったより時間がかかってしまったけれど、もう町まですぐよ」
俺のそばからつかず離れずのところにいるヒデを見ていると、視線に気がついたようだ
「何だよ、そんなにじっと見つめてさ」
「いや、数年前のお前は、まだ体も小さかったのに随分長い距離を越えてきたんだなと思ってな」
「……あんまりよく覚えてないけど。今回みたいに道を見失わないように、目印を探したり現在地を把握したりなんてしなかったからじゃないの?」
そういえば、俺をこの世界に連れてきた連中も、最短距離で進めば日のあるうちになんとかたどり着けるくらいの所に村があると言っていた。
「少し手間を食っちまったのは確かだ。あんまりこの森の奥まで人間が入ることはねえんだ。危険に対してうまみが少ねえんだよな。薬草採取や小動物を捕まえるだけなら浅い部分で充分ことが足りる」
「私も、ハンバーさん達を見つけるのには苦労したのよ。この森の中で、案内人を兼ねられる護衛はなかなかいなかったもの」
俺たちの話を聞いていたのか、ハンバーとロゼが解説を足した。
「そういえば聞いていなかったな。ロゼはどうして、他にもある中でこの森に分け入ろうとしたんだ?」
「迷宮の発見報告はあったのに、調査報告がなかったからよ。私たちも迷宮の入口までは到達できたけれど、結局は中に入ることなく引き返してきてしまったわ。また準備を整えて調査したいところね」
冒険者は、その多数派にとって主な仕事となるのは、その呼び名とは微妙にずれるが、町や村が襲われないよう、増えすぎた獣や危険な魔獣を間引き、その肉などの売却益や依頼料で生活しているものが多いらしい。それなりの実力があれば迷宮に潜って探索を行ない、宝箱から出てきた鹵獲品や迷宮の中だけに生息する珍しい魔獣の素材を持ち帰るグループもいるが、それほど多くないそうだ。
そして少数派として、迷宮の攻略ではなく調査を専門に行なう人たちがいるという。彼らは単独で毎回違う護衛を雇うこともあれば、固定のパーティを組んでいることもある。月女神の旅道であるロゼは前者だ。
「調査だけして、どうするんだ」
「どうもしないわ。一般には単に冒険心を充たしたいだけだし、私のような巡礼者にとっては修行の一環だという以上の目的はないわ。各地の冒険者と交流を重ねて交渉を行ない、危険に身をさらし、いつか人類が必要とするかもしれない情報を持ち帰るの」
前世にはなかった価値観だなと思った。
やがて道が踏み固められた土から、幅員の広い石畳に替わった。
「石畳になると、町が近づいてきた、帰ってきた気がするな」
ハンバーが嬉しさを滲ませて口にした言葉に、護衛のパーティメンバーの3人は頷いた。
「あなたたち、身分証を持っていないのよね?」
思い出したようにロゼが俺らを振り返る。
「持ってねえよ。町に入れないのか」
「入れないということはないけれど、手数料や通行料を払ったり書類を書いたり、手間であることは確かね」
「金もねえぞ」
「お金を持っていない? どうやって必要な物を買っていたのよ」
「洞窟じゃ自給自足だから、金を出して物を買うなんざ機会がねえんだ」
「ああ、そうだったわね……。でもあなた方が持っていないのは貨幣であって、お金になるものなら持っているじゃない」
「換金できるもの? 何が売れるんだ?」
首をかしげる。考えてみても特に思いつくものは無い。
「ロゼさんが言っているのは昨日のクマの肉のことだと思うよ」
道は広くなったのに後ろから着いて来続けているヒデが言った。
「そう、その通り。結局ほとんどあなた方2人で仕留めたあのクマの肉はそれなりの値段で売れるはずよ」
「お前らの手にかかればあっけないもんだったが、本来ならあのクマ、ブラックベアーはそう簡単に倒せる相手じゃない。迷宮鞄を持っているって知っていれば簡単に持ち帰って高く売れるからな。ほいほい俺らまで御馳走になっちゃいけねえ高級品さ」
あのくらいのクマなんか普段使いの夕飯の具材にしてたがなあ。高級品だったとは恐れ入った。
「高級肉を食ったことに気が引けるなら、俺からの道案内に対する依頼料だと思ってくれ。それより、迷宮鞄って何だ」
「ありがてえ。だがお前という奴は、魔法の腕といい、所々抜けている知識といい、本当に訳が分からねえなあ。使ってるくせに、そんなことも知らねえのか」
「その背負い紐のついた鞄の事よ」
俺が背負っているリュックを指さす。
「この間は迷宮の宝箱からは武器や防具しか出てこないと言ったけど、訂正するわ。ごく稀に、見た目はありふれた鞄なのに、見た目とは釣り合わないほどたくさんのものを入れられるアイテムが出てくることがあるのよ。迷宮から見つかる中が迷宮のように大きい鞄だから、迷宮鞄と呼ばれているわ」
因みにそれも売ればもの凄い大金になるのだとロゼが続けた。
「迷宮鞄って、これのことだったんだ」
ヒデが呟いた。
「お前は知ってたのか?」
「名前だけは、ね。たくさんの物が入るのに、いくら入れても重たくも嵩張りもしない、正に魔法のような鞄だって。珍しいものだから見たことはなかったんだけど」
「ということで、一晩では食べきれなかったクマの肉や、薬に加工できる内臓の類いは高値で売れるわ。強い獣や魔獣はなかなか倒せないから、毛皮も素材として常に高い需要があるの」
「だが換金できるのは町の中に入ってからなんだろ? 町に入るのに現金がなくていいのか」
書類を作ったり門を通ったりするために必要な手数料が払えなくて町に入れないのであれば、順番的に町中で素材を換金することは出来ない。
「問題ないわ。冒険者が手に余る魔獣に遭遇して命からがら逃げ帰ってくることもある。保証人を立てれば後払いも出来るし、利率は悪くなるけど手数料分だけは門でも買い取ってくれるわ。そもそも今回は、私もクマのお礼として立て替えるつもりだったのよ」
俺にとっちゃ、クマ様々だな。
「すまんな」
「手数料といってもそれほど高いものではないし、構わないわ」
話をしながら歩みを進めていると、やがて木々の間から城壁と門が見えてきた。
無数の大きな石を積み上げて堅牢に作られた壁に、門の部分だけ木造だった。この世界で何を通すためにこれほどまで大きく作られたのか知らないが、幅も高さも10メートルくらいある大きな正門は閉じられていた。脇に設けられている一般的な大きさの潜り戸が小さく見える。
「大きそうな町だし、入場審査の列はもっと並んでいるのだと思っていた」
「この道は小さな山村と、その先にある険しい山道しか続いていないわ。山を越えれば隣国だから国境の町であることは確かだけど、同じ国に通じるより通りやすい道があるからこちらにはそれほど需要がないのよ」
見覚えがあるとか、懐かしいとか、もしかしたら考えているかもしれないと思いヒデをチラリと盗み見てみたが、これといって感情が浮かんでいはしない普段通りの少し笑ったような無表情だった。
「それはそうと、町中では基本的に魔法は使用禁止なの。尻尾と耳は魔法で出しているんでしょう?」
「分かった」
出していることすら無意識に出来るから、魔法を使っているという意識は既にない。久しぶりに全く魔力を使っていない状態になった。
ロゼを先頭に、護衛の4人が続き、最後尾にヒデと俺が並んで潜り戸を通り抜ける。
中は攻撃されたときの弱点とならないためだろう、明かり取りの窓がなく薄暗い。部屋の中に設えられた木で出来たカウンターの向こうには、隠す素振りも見せずに大あくびをしている若い職員が座っていた。
「入場? ごお、ろく、七人ね。じゃあ身分証を出して」
ロゼやハンバーたち5人は、すぐ出せるように用意していたらしい小さな袋に入った金属のいたを取り出した。クレジットカードと同じくらいの大きさで、鈍い銀色の光沢が表面に刻まれた細かい凹凸を際立たせている。
「後ろの二人は身分証を持っていないので、仮証の作成をしていただけまして?」
ぞんざいに受け取った門番は手元の壺からインクのような物を身分証と呼ばれた金属の板に塗りつけると、手元の紙に押しつけて刻印を写し取った。
「仮証? ちっ、面倒だなあ。……ちょっと待った、4人分はこの街の住民登録だから良いけど、あんた……ロゼ、さん? 月女神の旅道だって?」
話をしながら紙に刷られた版面を睨み付けていた門番は、顔を上げると随分と不真面目を取り繕おうともしないで言い放った。
「ええ、ご覧の通りですわ。それが何か?」
「審査と記録がいるじゃねえか。……こんな辺境の小さな町には重要な情報なんてないっすよ。わざわざ手間を掛けてまで立ち寄らなくてもいいんじゃないかと思うんすけどねえ」
「それを決めるのは訪問者であって、あなたのお仕事は申請されたとおりの手続きをすることではなくて?」
ロゼの高貴そうな口ぶりがいつもより嫌みったらしく聞こえる。
「そうだけどよ。分かった、審査に時間がかかる3人はここでしばらく待っていろ。住民登録のある4人は町への帰還を許可する」
怒鳴るように言い捨てた門番は、小さい紙切れを4枚カウンターに叩きつけ、カウンターの裏の扉から出て行ってしまった。
「こんなに雑なものなのか」
「いや、俺たちの町の名誉にかけて誓うが、あんな適当な仕事をするのはあいつくらいだ」
「曲がりなりにも国境の町で、あの態度は腹が立ちます。盗賊でも紛れていたらどうするつもりなのか」
ハンバーもロゼも憤っている。
「しかし、これで町に着くまでとしていた私の依頼は完了ですね。ハンバーさん、皆さん、短い間でしたがありがとうございました。完了証明です。ギルドで報酬を受け取って、ゆっくりお休みください」
「てっきり町に入ってからだと思っていたが」
「私もそのつもりでいたんですけど、時間がかかりそうです。皆さんをこんなところで足止めするのも申し訳ないですし、審査の終わった皆さんだけでも先にお通りください。機会がありましたら、またよろしくお願いしますね」
ロゼは門番がカウンターの上に放り出していった4枚の紙切れをハンバーに渡す。
「依頼主がいいというなら従おう。こちらこそ、あなたはいい依頼主だった。またよろしく願う」
ロゼと元々のパーティのリーダーに戻ったハンバーが言葉を交わし、他の3人も口々に挨拶をすると、心残りがあるような素振りを見せつつもカウンターの外にある、俺たちが入ってきたのと反対側の扉から出て行った。




